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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.21

かつての「夫」を自称する男を前に、エンヴァは慌てることすらなかった。




むしろ、その手つきは驚くほど優雅で、彼女自身の手で静かに淹れた茶の香りが、殺伐とした部屋の空気を皮肉にも和らげていく。




「……なぁ、本当に覚えていないのか? 俺だよ、お前の夫のディルガムだ」


差し出された茶碗にも目をくれず、男は縋るような声を出す。




その姿は、かつて砂漠の獅子と謳われた面影を残しながらも、どこか壊れた玩具のような危うさを孕んでいた。




「……困りましたわ。わたくしは帝国の第三皇女、エンヴァと申します」


エンヴァは端然とした態度を崩さない。




彼女にとって、目の前の男は「愛すべき伴侶」などではなかった。


前世において彼を王座に据え、出世の階段を駆け上がらせたのは、すべて「魔女」である自分を世の喧騒から隠し、操り人形として利用するため。




彼女にとってディルガムとは、ただの隠れ蓑に過ぎなかった。




「そもそも、年齢が合わないのではないかしら? 私があなたの奥さん?同じ名前というだけで、そんなに熱くなられても……」


静かな拒絶。




正論を突きつけられ、ディルガムは言葉を詰まらせる。


今の彼女は、十代半ばの少女の姿。かつての「エンヴァ」が死んでから流れた歳月を考えれば、目の前の少女が本人であるはずがない。




ディルガムとて、それが「ダメ元」の奇跡に過ぎないことは分かっていた。








帝国との苛烈な戦いに勝利した直後、あまりに唐突に、そして理不尽に首を落とされた最愛の妻。


その悲劇以来、彼の時は止まったままだった。




けれど、今。 目の前で自分を見つめる、その瞳。


深い黄金の光が揺らめき、すべてを見透かすような冷徹な輝きを放つ「それ」を間近にした時、男の疑念は狂信的な確信へと変わった。




「その、瞳だ……。世界に、二つとあってまるか。お前は……お前は、俺のエンヴァだ」



喉を鳴らし、ディルガムが身を乗り出す。




「……レオ王国の兵を引き連れ、この旧ゲルド領を奪い返すのだ。お前のその『力』さえあれば、不可能ではないはずだ」




ディルガムの声が、熱に浮かされたように早まる。




彼の瞳に映っているのは、目の前の少女ではなく、かつて戦場を蹂躙した砂漠の魔女の幻影。




「砂漠に散らばった一族を再び結集させれば、帝国など恐るるに足らん。そのまま全軍で帝都へ攻め込み……俺とお前で、この世界の頂点に君臨するのだ。なあ、エンヴァ……それが俺たちの、本当の願いだっただろう?」




乗り出した彼の目は、半分ほど正気を失っていた。




みすぼらしい衣服の下で、かつての王としての誇りは「復讐」という名の毒に溶け、ただの執念へと成り果てている。




「……帝国の第三皇女に対して、面白い冗談ですこと」


エンヴァは、冷め切った声で短く切り捨てた。




「帝国の治世は、今のところそれほど悪くないわ。それなのにわざわざ砂漠の玉座に座る価値がどこにありますの?」




優雅に、けれど残酷に。




エンヴァは男が差し出した「復讐」という手を取る事なく、冷ややかに微笑んだ。




「……これい以上話す事は無さそうですね、一人でお帰りいただくのなら助けて差し上げます」




「話を聞け!エンヴァ!一緒にまずここを出よう!そしてお前の息子!レオの王国へ行くんだ」




「嫌だ、と申し上げているのですが」




「こうなったら力づくでも連れて行く!」




立ち上がり、エンヴァににじりよるディルガム。




その静寂は、エンヴァの放った鋭い一喝によって、無慈悲な殺戮の幕開けへと塗り替えられた。




「衛兵! 曲者です! 出会え、出会えッ!!」


エンヴァの叫びが、宿の薄い壁を突き破り、廊下の兵士たちを揺り動かす。




その刹那、強引に彼女を抱え上げ、壁の通路へと逃げ込もうとしたディルガムの背後に、一筋の銀光が走った。


「……ッ、離せッ!!」


扉を蹴破り、文字通り「跳んできた」のはセトだった。




迷いはない。


躊躇いもない。




主を奪わんとする不審者に対し、少年騎士の振るうミドルソードは、最短の軌道で死を運ぶ。




ドシュッ、と。




鈍く重い音が、男の背中から響いた。




冷たい鋼の刃が、肋骨の隙間をすり抜け、かつて王として誇り高く鼓動していた心臓を正確に貫く。




「……が、はっ……」


ディルガムの動きが、糸の切れた人形のように止まった。




口端から溢れ出したのは、赤黒く濁った血の泡。




エンヴァの手首を掴んでいた万力のような力は、嘘のように霧散し、彼女の身体は冷たい床へと滑り落ちた。




「エンヴァ……あ……い、して……」


膝から崩れ落ちるディルガムを、エンヴァは床に座り込んだまま、ただ静かに見上ていた。


胸を貫通したミドルソードから血がポタポタと垂れ、エンヴァの白い部屋着を赤く染めて行く。




魔女の「力」を渇望し、狂気に身を窶し、最期まで自分を愛していると信じ込んだ男。




血に染まり、事切れる直前の彼の顔には——皮肉にも、満ち足りたような微笑が浮かんでいた。


ついに、何年もの時を超えて、首を落とされて死んでしまったはずのエンヴァに会えた。




その一点だけで、彼は救われてしまったのだ。




「……馬鹿な人」


黄金の瞳に映る死顔に、悲しみは宿らない。









背後からは、慌ただしい足音とともに帝国兵たちがなだれ込んでくる。


「エンヴァ様!ご無事で!」


兵士達、そして隊長が部屋になだれ込んでくる。


ディルガムが現れた隠し通路を見るなり


「店主を呼べ!いや!捕らえろ!家族も全員だ!」




その声によって宿場の一室は新たな処刑場へと変貌を遂げた。


壁に穿たれた暗黒の穴——それこそが、何よりも雄弁な「反逆」の証拠として突きつけられたのである。




「まさか、このような場所に隠し通路があったとは……!」


衛兵たちに両脇を抱えられ、部屋の中央へと引きずり出されたのは、この宿の主人だった。




震える手足、蒼白な顔。


帝国の兵士たちが突きつける殺気の前に、男はまともな声すら出せない。




だが、騎士団長にとって、これほど巧妙な暗殺路が存在することを知らぬはずがないという「確信」こそが、唯一の法であった。




「帝国第三皇女暗殺の共謀者として、この男と家族に死罪を申し渡す!」


騎士団長の野太い声が、狭い部屋に雷鳴のごとく響き渡る。




有無を言わせぬ断罪。




後ろ手に縛り上げられたのは、主人だけではなかった。




奥で悲鳴を上げて崩れ落ちる妻、そして——エンヴァとそう年齢の変わらぬ、うら若き娘までもが、冷たい石畳の上に引き据えられる。




彼らは、前王朝が整備したこの宿場町を買い取っただけの、ただの商人に過ぎない。


ディルガム統一王朝の前のゲルド王朝時代に作られた「隠し通路」のことなど、知る由もない。




彼らが犯した唯一の罪は、たまたま買い取った建物の壁の中に、かつての支配者が残した通路が眠っていたこと。ただそれだけだ。




「……騎士セト! お前が斬れ!」


団長の命令が、抜剣の音とともに下る。




今回、誰よりも早く動き、暴漢の刃から皇女を救い出したのは間違いなくセトだった。




帝国軍という組織において、論功行賞は絶対だ。


この「共犯者」を処分し、その功績を血で塗り固めることこそが、セトを「皇女の玩具」という蔑称から解き放ち、正式な騎士として認めるための、団長なりの「公平」な配慮であった。




「…………っ」


セトは、ディルガムから抜いたばかりの血まみれのミドルソードを握りしめた。




先ほど、暗闇から現れた暴漢——ディルガムを刺したときは、ただ必死だった。


主を守らなければという本能だけが、彼を突き動かしていた。




しかし、今、その鋭い切っ先の向こう側に転がされているのは、心のこもった温かい夕食を運んできた宿屋の主人の女房。




そして、「はい、騎士様!」と水を運びながら、少し照れたように、けれど愛らしく微笑んでいた、そばかすの可愛い少女。




セトの事を「騎士」と呼ぶ者は護衛の騎士団の中にはいない。


良くて「小僧」、悪くて「元奴隷の小僧」。




心の底から騎士様と呼び、憧れの眼差しを送ってくれた少女にセトはどこか感謝すら覚えていた。




その少女もまた、今は汚れた石畳の上で、後ろ手に縛られ、獣のように扱われている。


少女の指先が、今は恐怖で紫に染まるほど強く縛られていることに、セトは吐き気がするほどの嫌悪感を覚える。




「早く斬れ! セト! 敵の追撃があるやもしれぬのだ、一刻も早くここを離れるぞ!」


騎士団長の、一切の迷いを含まぬ叱咤が飛ぶ。




彼らにとって、この家族の命など、皇女を守るという任務における「不確定要素」に過ぎない。


あるいは、少年の手柄を確固たるものにするための「供物」に過ぎないのだ。




ハァ……、ハァ……ッ!


心臓が、耳元で鐘のように鳴り響く。




視界が白く霞み、頭の中がぐるぐると回転する。




正しいこととは何か。


騎士とは何か。




「騎士様!お願い!パパとママを助けて!」




目の前で泣き叫び、許しを乞う少女の瞳を見つめながら、セトの意識は崩壊の縁に立たされていた。


だが、その混沌とした脳裏に、あの冷徹で、けれど何よりも美しかった「主」の言葉が、稲妻のように閃いた。




——『強くなれ、セト』——


それは福音ではなく、呪いだったのかもしれない。




「強さ」とは、踏みにじる側へ回ることなのか。


自分の心を殺し、誰かの「明日」を奪うことこそが、彼女の隣に立つための代償なのか。




「あああああああああああああッ!!」




裂帛の咆哮。


溢れ出す涙を拭うことすらせず、セトは狂ったように剣を振り下ろした。




一度。




二度。




そして——三度。




鈍い音とともに、かつて温かな夕食を運んできた手も、愛らしく微笑んだ少女の首も、等しく冷たい骸へと変わり果てた。




涙を流しつつも肩で息をするセトを冷たい目で見るエンヴァの表情は少し寂し気に見えた。


「出るぞ!警戒!殿下とセトは馬車へ!」


騎馬隊と馬車は宿屋を出発すると南の方角を星から読み取り、夜の街道を進むのだった。

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