2生 ep.2
あの森の事件から数年。 村を支配する「序列」はより強固になり、同時にエンヴァの美しさは、もはや村人達の噂に事欠かない程の色香を放ち始めていた。
村の広場。収穫した薬草の加工品を納めるために現れたエンヴァに対し、男たちの視線は一様に突き刺さる。それは下卑た好奇心と、決して相容れない存在への畏怖が混ざり合ったものだ。
「おい、森のネズミ! 誰がそこを通っていいと言った!」
石畳を鳴らして歩み寄ってきたのは、村長の息子として立派な体躯に成長したギルだった。
あの時のように取り巻きを連れ、顎を揺らして威圧するその姿は、いかにも権力者の後継者らしい。だが、彼がエンヴァに近づくたび、その瞳の奥には焦燥と、狂おしいほどの執着が燃え盛っていた。
(……ああ、またこれ。面倒なこと)
エンヴァは籠を抱えたまま、静かに立ち止まる。彼女の黄金の瞳がギルを捉えた。
「どいていただけますか、ギル様。これを納めないと、明日の配給に響きますので」
「様」と呼びながらも、その声には敬意の破片すら含まれていない。
(なんて美しい声だ……)
その平然とした態度が、ギルの自尊心を逆なでする。村長の息子として、被差別の家系である彼女を徹底的に叩き、優越感を示さなければならない——それがこの村の「正義」だからだ。
「口を慎め! 下民の分際で!」
ギルはわざとらしく声を張り上げ、エンヴァが抱えていた籠を乱暴に蹴り上げた。 散らばる乾いた薬草。村人たちの冷笑が響く。
「……っ」
一瞬、ギルの指が震えた。 地面に膝をつき、淡々と薬草を拾い集めるエンヴァ。
露わになった彼女のうなじ、透き通るような白い肌。
数年前、森で目にしたあの神々しいまでの肢体が、今も彼の脳裏に焼き付いて離れない。
ギルは、背筋に走るおぞましい悪寒に、思わず薬草を掴む手を止めた。 周囲の大人たち——父の部下、親戚、いつもは善良な顔をして畑を耕す男たち。彼らの目が、一様に一箇所へ注がれている。
それは、泥にまみれて膝をつくエンヴァ。 だが、その視線には、かつての自分と同じ「優越感」などなかった。 そこにあるのは、言葉にできないほど湿り気を帯びた、粘着質な愛玩の欲求。まるで、自分たちより遥かに高貴な生き物を、檻に入れて嬲りものにする機会を虎視眈々と狙うような、捕食者の目だ。
(……なんだ、この目は。こいつら、いつもこんな目で彼女を……!?)
「……っ、ふざけるな!」
ギルの胸の内で、どす黒い独占欲が弾けた。 彼女を誰よりも貶めていたはずの彼が、今、他の誰かに彼女の指一本触れさせることすら耐え難い。
「こっちに来い! この出来損ないめ、俺が直々に仕置きしてやる!」
ギルは叫ぶと、エンヴァの細い手首を折れんばかりの力で掴み上げた。
驚愕に揺れる大人たちの視線を遮るように、彼は彼女を引きずる。
連れて行く先は、村長の家——彼の部屋。
(助けたいわけじゃない。……いや、分からない。ただ、こいつらの目に、お前を晒しておきたくないだけだ!)
乱暴に引きずられながらも、エンヴァの足取りは驚くほど軽やかだった。
(……あら。今度は『助けて』と叫ぶべきかしら? それとも、彼の顔を見て笑ってあげるべき?)
ギルの背中越しに、エンヴァの黄金の瞳は冷徹に周囲を観察していた。
彼の行動が、歪んだ正義感なのか、それともさらに深い執着の始まりなのか。
「魔女」は、そのすべてを楽しみですらあるかのように、静かに見守っていた。
村で最も美しく、そして最も「無」に近い少女、エンヴァ。
その白い肌には、ギルの荒々しい執着の痕が赤く刻まれている。
しかし、当の本人は乱れた髪を直すこともせず、ただ虚空を見つめていた。その黄金の瞳は、まるで
外界の出来事を鏡のように映し出しているだけで、心までは何一つ届いていないかのようだ。
「……今日からお前は、俺の『愛人』としてここで飼ってやる」
ギルは征服感に酔いしれながら、エンヴァの細い腰を抱き寄せた。
自分だけのものにした。
あの汚らわしい大人たちの視線から、彼女を奪い去った。
その事実が、彼に歪んだ全能感を与えていた。
「お前の家族も同様だ。お前が下卑た仕事で稼いでいた程度の金は、俺が送ってやるさ」
それは、彼なりの最大の慈悲であり、彼女を縛り付けるための鉄鎖だった。
村人たちから隔離され、村長の息子の「所有物」となったエンヴァ。
次期村長への畏怖ゆえに、男たちは彼女を諦め、そのどす黒い欲情の矛先を別の場所へと向けた。
——エンヴァの妹。
まだ幼さの残る、彼女の分身ともいえる少女へ。
村の平穏を維持するための生贄が、姉から妹へと移り変わっただけのこと。
ギルの腕の中で、エンヴァは淡々とその事実を「思考」する。
妹に伸びるであろう村人たちの悪意。
両親の諦め。
今の彼女は、それらを全てまるで遠い異国の歴史書を読むような心地で眺めていた。
(……私には、関係ないもの)
村長の跡取りとしての責務も、家柄で選ばれた毛並みの良い正妻も、今のギルには何の意味もなさなかった。 彼の世界は、村の片隅に設けた「檻」——エンヴァを囲い込んだ家の中にしかなかった。
ギルがどれほど愛を囁き、どれほど激しく求めても、エンヴァはただ人形のように静かに横たわっているだけ。その「手に入らない」という感覚が、かえってギルの執着を限界まで肥大させていた。
やがて、その歪な関係の果てに、二つの新しい命が産声を上げた。
「……正妻の子ではない。この子らは、お前が育てろ」
ギルはそう命じた。
村の権力闘争に、被差別の血を引く庶子は邪魔でしかない。
だが、彼はエンヴァとの「繋がり」であるその子らを手放すこともできず、彼女の元へと預け置いた。
兄と妹。
生まれたばかりの赤子を抱きながらも、エンヴァの瞳には歓喜の色はない。ただ、窓から差し込む斜陽を眺めるような、気だるげな無関心が漂っている。
「……名は、レオ。あなたは、リナ」
その名に、深い慈しみや願いなど込められてはいない。
かつて前世の魔女として生きていた頃、どこかで耳にしたことのある、ありふれた音の羅列。
記憶の底に沈んでいた名前を、ただ整理整頓でもするように引き出してきただけだ。
「レオに、リナ……。良い名だ。俺たちの愛の証だな、エンヴァ」
満足げに頷き、子供たちを覗き込むギル。
その様子を、エンヴァは冷めた黄金の瞳で見つめ、心の中でだけ呟いた。
(……愛の証? 滑稽ね)
20歳となったエンヴァは、泥中に咲く大輪の華のごとき美しさを完成させていた。
二人の子、レオとリナを産み落としてから3年。ギルは今や村長の地位を継ぎ、権力の絶頂にいたが、その執着心は衰えるどころかますます燃え盛るばかりだった。




