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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.13

前日の「屈辱のティータイム」を、彼は喉元までせり上がる罵倒と共に飲み込み、翌日もまた、何食わぬ顔で眩い笑顔を張り付けて現れた。


だが、彼が足を踏み入れたのは、昨日までの「優雅な豆畑」ですらなかった。




庭園の隅、風下に位置するその場所には、立ち込める強烈な「発酵臭」が渦巻いていた。




そこではエンヴァ、セト、そしてミーナの三人が、巨大な木製のフォークを手に、積み上げられた茶褐色の山に挑んでいた。




牛糞と落ち葉を混ぜ合わせ、発酵を促す「切り返し」の作業。




泥よりも重く、鼻を突くような臭気を放つそれは、およそ皇女の庭園に似つかわしくない、剥き出しの「農」の現実だった。




「……ッ!?」


アロイスは絶句した。




視界に飛び込んできたのは、あろうことか帝国一の美少女と謳われるエンヴァが、顔に牛糞を撥ね飛ばしながら、無心にその「山」をかき混ぜている光景だった。




「あらアロイス様、ちょうど良かったわ。これ、まだ発酵しきっていなくてとっても重たいの。手伝ってくださる?」




エンヴァは、サスマタにたっぷりと盛られた「それ」を、事もなげにアロイスへと差し出した。




彼女の愛らしい頬には、飛び散った牛糞の粒が黒々と付着している。


普通なら悲鳴を上げて逃げ出すような汚れを、彼女は勲章か何かのように気にも留めていない。




「……あ、あ……」


「あら、どうしたのアロイス様? 顔色が悪いわよ。……あ、もしかしてこれ、臭いかしら?」


エンヴァは追い打ちをかけるように、牛糞まみれのフォークをアロイスの鼻先へと近づけた。




その瞬間、彼の「完璧な騎士」の仮面が、音を立てて崩壊した。


「……ちょ……気分が……すみません、失礼……っ!!」



アロイスは、口元を抑えながら脱兎のごとくその場を後にした。




「あの、クソガキがああああああああああああッ!!!」


侯爵邸に戻るなり、アロイスは昨日新しく買い直したばかりの高級花瓶を床に叩きつけた。




鼻にこびりついて離れない牛糞の臭い。そして、何より耐え難いのは、あの少女の「瞳」だ。




「わかってやってる! あの女、わざとだ! この私に、牛糞を運ばせようとした……ッ! それどころか、あんな汚物を顔につけて平然と笑って……!!」




彼は狂ったように自らの衣服を剥ぎ取り、湯殿へと駆け込んだ。


何度肌を擦っても、あの腐敗臭が消えない気がしてならない。




「……許さない。エンヴァ。貴様を屈服させ、その顔を二度と笑えないように、糞尿以下の泥に沈めてやる……!!」








「アハハ! 尻尾を巻いて帰っていきましたよ、エンヴァ様!」


庭園に、セトの弾んだ笑い声が響く。




昨日までの「完璧な騎士」の面影もなく、鼻を突く臭気から逃げ出したアロイスの背中は、セトにとって最高の見世物だった。






エンヴァは堆肥の山を器用に切り返しながら、その唇に冷ややかな、けれどどこか楽しげな弧を描く。




「そうね。三日も持たないなんて、もっと使えるかと思ったのだけど」


クスリ、と。




魔女の笑みは、春の陽光の下で毒を含んだ花のように美しく咲いた。






翌日、侯爵邸に届けられた一通の書状。




最高級の羊皮紙に、寸分の狂いもない宮廷書体で記されたそれは、形式的には完璧な礼法に則った「縁談辞退」の手紙であった。




だが、その文面ナイフは、アロイスの心臓を正確に突き刺すために研ぎ澄まされていた。




「……身に余る光栄ではございますが、私と価値観を共有できぬ方との歩み寄りは、極めて困難であると判断いたしました」


ここまでは、まだ社交辞令の範疇だ。




しかし、続く一節が、アロイスという男のプライドを根底から粉砕した。




「私の執事セトほどに、額に汗して働くことすら叶わぬ御方では、夫としての将来性に欠けると言わざるを得ません。わたしが求めるのは、口先だけの献身ではなく、真の『実り』を共に育てられる伴侶でございます」




「…………ッッ!!!」


手紙を読み終えたアロイスの顔が、怒りでどす黒く染まった。


血管が浮き出た手で、最高級の紙がぐしゃり、と無残に握りつぶされる。




「私が! あの……あの薄汚い奴隷よりも劣っているだと……!? 働きが足りない!? 将来性に欠ける!!?」


アロイスの咆哮が侯爵邸の壁を震わせた。




彼にとって、奴隷出身のセトと比較され、あまつさえ「格下」の烙印を押されたことは、死よりも耐え難い屈辱だった。




「エンヴァああああああッ!! よくも……よくも私をコケにしてくれたな……!!」


破り捨てられ、床に散らばった手紙の破片は、もはや修復不可能な「宣戦布告」であった。










「町へ買い物を頼むわ、セト。……今すぐに、ね」


それは、普段の買い出しルートとは明らかに異なる、不自然な夕暮れ時の命令だった。




セトが王宮を出て、指定された妙に遠い店々を巡っている間に、帝都の空はどっぷりと夜の闇に飲み込まれていく。


「……なんでエンヴァ様、こんな時間に……。あ、明日の朝でも良かったんじゃ……」


そんな独り言を漏らしながら細い路地に入った瞬間、空気が凍りついた。




行く手と背後を塞ぐ、三人の大柄な男たち。


「ひぃっ! ……な、なんですか、あなたたちは!」




「……貴様がセトだな」




一人の男が低く、事務的な声で確認する。


その手に握られた短刀が、月光を反射して冷たく光った。




「恨むなよ。命令だ。……ここで死んでもらう」


(こんなところで……! エンヴァ様、お赦しください、お役に立てなくて……!)


絶体絶命。セトが死を覚悟し、ぎゅっと目を閉じたその時だった。




「……ッ!? ギ、ア……ガッ!!」




聞こえてきたのは、加害者の側であるはずの男たちの、この世のものとは思えない絶叫。




セトが恐る恐る目を開けると、そこには地獄すら生ぬるい光景が広がっていた。




ベロン、と。




濡れたような嫌な音を立てて、男たちの身体が内側と外側で裏返っていく。




皮が弾け、内臓が表面を覆い、骨が組み変わる。




「ギ……ギギギ……」




もはや声帯すら裏返り、言葉にならない悲鳴を漏らす「かつて人間だったもの」。




セトは悲鳴を上げる余裕すらなく、一目散にその場から逃げ出した。




「……で、お使いはちゃんと終わったのかしら?」




息を切らして帰還し、何とか状況を報告したセトに対し、エンヴァはティーカップを置くことすらせずに問いかけた。




「え、あ、はい。そちらは大丈夫ですが……でも、あの男たちが急に裏返って……!」


「なら、それでいいじゃないの。何があったか知らないけれど、多分夢だから忘れなさい。」


主人の「断言」で、セトは無理やり記憶の蓋を閉じることにした。








数日後。


「エンヴァ様、堆肥の山ですが……なんだか少し大きくなってませんか?」




「……発酵したら堆肥は膨らむものよ。農業の基本くらい覚えておきなさい」




「そういうものですか。勉強になりました!」


セトが元気に去っていくのを見送り、エンヴァは堆肥の山を見つめてクスリと笑った。




その堆肥の内側では、三人の刺客たちが「発酵」の段階を順調に進めている。




彼らの血肉、骨、そしてアロイスが込めたドロドロとした殺意までもが、細菌の力によって分解され、薬草やハーブ、豆を育てるための豊かな栄養へと変換されていく。


(……いい肥料になりそうね)


「魔女」はゆっくりと目を細めた。





侯爵邸の地下深く。




アロイスは、鏡の中に映る自分の青ざめた顔を見つめ、ガタガタと震えていた。




あの日以来、一睡もできていない。




放った刺客たちは、まるでこの世から蒸発したかのように消息を絶ち、代わりに聞こえてくるのは


「セトが今日も元気に肥料を運んでいた」


という絶望的な報告だけだった。




(……あいつらは、どこへ行った? まさか、エンヴァに捕らえられ……私の名を……ッ!?)


一度芽生えた恐怖は、猛毒のように彼の精神を蝕んでいく。




かつて「チョロいガキ」と侮った12歳の少女が、今や自分の首に鎌を突き立てる死神に見えていた。


皇帝の娘。


その所有物を害しようとした大罪。

アロイスの輝かしい未来は、彼が侮った「牛糞と枯葉の庭」へと、音もなく沈んでいった。




朝日を浴びて、セトが堆肥を切り返している。

その土は驚くほど黒く、生命力に溢れ、以前に「膨らんだ」分が、今は落ち着いて芳醇な香りを放っていた。


「エンヴァ様! 今年の薔薇は、きっと帝国一……いえ、世界一綺麗に咲きますよ!」




窓辺で頬杖をつくエンヴァは、その無邪気な声に


「そうなの……」

と小さく零しながらも、瞳には微かな満足感を宿らせていた。




公爵家という「騒音」は堆肥を運ぶ馬車に。

侯爵家が送り込んで来た「害虫」は肥料に変えた。


魔女にとっての「縁談」とは、自分の庭をより豊かにするための、ただの資材調達でしかなかった。

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