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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.8

「一度本気で、人を愛してみた事があるんだ」


不意に、脳裏に「先輩」の穏やかな声が蘇る。


彼女がこれまでの生の中で語ってくれた数多の物語。




その中で最も長く、最も熱を帯び、そして最も退屈だったのがこの「愛」に関する章だった。


語られるエピソードのほとんどは、聞き手である私からすれば、ただの「のろけ」の連続に過ぎなかったけれど。


「これはこれで、悪くないと思ったね」


そう言って微かに目を細めた彼女の表情を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。




私がかつて記した「魔女記」。




その原本は、前世の私の死と共に砂漠の王国に置いてきてしまった。


けれど、その内容は一字一句、私の頭の中に完璧に保管されている。


何度も何度も読み返し、羊皮紙がボロボロに擦り切れるたびに、私は自ら筆を執り「写本」を作った。




文字をなぞるだけでは飽き足らず、想像を膨らませて挿絵まで描き込んだその冊子は、もはや私の魂の一部と言ってもいい。


(……愛、ね。そんなに良いものなのかしら?)








机の上に山積みにされた、眩暈がするほどの婚約案件。




その中には、国を傾けるほどの黄金を積んで私を「買い戻そう」とする、狂信的な愛もあった。


あるいは、美貌という皮にしか興味のない、浅薄な欲動。


皇帝の三女という政治的な立場を得ようとする、打算まみれの縁談。




どの封筒もキラキラと輝き、庶民からすればおとぎ話のような煌めきを放っているのだろうけれど。




(……どいつもこいつも)


「先輩」が語った、穏やかで、けれど人生のすべてを塗り替えてしまうような、あの「悪くない」と評価を受けた生。




数世代にわたる転生を繰り返し、あらゆる快楽も権力も知悉してきたはずの私。


それなのに、この紙の山を前にして、私は一歩も「先輩」が辿り着いた境地へ近づけていない気がした。




「……レオの息子。うん、これは無いわね」


私は毒づきながら、一通の求婚書を指先で弾いた。




砂漠の王国。


レオとリナ。




かつて私が腹を痛めて産んだ双子が、いつの間にか結ばれ、その子供……つまり私の「孫」が、今の私に求婚してきている。




(もし間違って、この孫と今の私が結ばれて、子供が生まれたとするじゃない? その子がまた、来世の私に求婚してきたら……?)




パズルのような仮定に、脳が悲鳴を上げる。


さらにその子とまた来世の私が……と、家系図が円環ループを描き、もはや倫理以前に計算式として破綻していく。




「……何か悩まれているのですか? エンヴァ様」


ぶつぶつと家系図のバグについて呟く私の前に、セトの母が静かに紅茶を置いた。




一見すれば、年長者が12歳の少女の悩みを聞こうとしている微笑ましい光景。


けれど実際は、私のほうが何百歳も年上だ。


しかし、私はあえて、この「普通の女性」に答えを求めてみることにした。




「……人を、愛したことは……あるのか?」


何故だろう。白磁のような私の肌が、熱を帯びるのを感じる。


鏡を見なくてもわかる。今の私の耳は、きっと熟した果実のように真っ赤だ。




これまでの生で、名だたる権力者や王たちに抱かれ、何人もの子を成してきた。


けれど「人を愛する」という一点において、私は驚くほど無知だった。




(……いや。全く知らないわけでも、ないのよね)


ふと思い直す。


これまで、何組かの「レオ」と「リナ」を助けるために、自らが選んできた自己犠牲の道。


あれは、母性だったのか。あるいは、我が子への愛だったのか。


少なくとも、あの「先輩」が懐かしそうに語っていた「愛」とは、別の何かなのだと思っていたけれど。




「魔女」は愛について本気で迷走していた。





そんなある日のことだった。セトが、今にも消えてしまいそうなほど申し訳なさそうな顔をして、私の元へやってきた。


「……エンヴァ様」


その声は掠れ、肩は心なしか力なく落ちている。




疲労困憊した彼の姿に、私は普段の気怠さを少しだけ脇に追いやり、心配そうな素振りを見せた。


「どうしたの、セト? そんなに困った顔をして」


「実は……あの舞踏会以降、様々な貴族の皆様から、エンヴァ様へのお誘いを受けていまして」 「ああ、全部断るようにと言っていたアレね」




たった12歳のエンヴァに群がる帝国の貴族たち。


妖精のような美を持つと噂の第三皇女、エンヴァ。


彼女を自陣に引き込もうとする招待状の束は、日を追うごとに積み上がっていった。




その目的はこれ以上ない最上の「飾り」として。


皇帝の三女を賜る名誉と共に、エンヴァは至上の宝石として貴族達から見られていた。


名馬を差し上げたい、だの。


稀代の絵画を献上したい、だの。


しかし、そんな甘い誘惑をすべて一蹴するだけの、もっともな理由が私にはある。




(……また、あのコルセットを締めろって言うの? 死んでも御免だわ)




セトの母が、その元奴隷ゆえの剛腕でギリギリと締め上げるあの拘束具。


悠久の生を生きる魔女にとっても、あれは死に勝る苦痛と言っていい。




そんな至極真っ当な理由で社交界から身を引いていたエンヴァであったが、ふとセトの頬が不自然に赤らんでいるのが目に留まった。




「……何か、されたのね」


「いいえ、大丈夫です。エンヴァ様。何でもありませんから」


セトは慌てて顔を背けたけれど、その誤魔化しが私に通じるはずもない。




「服を脱ぎなさい、セト」


「えっ!? ちょ、ちょっと! エンヴァ様! 何を仰るんですか、おやめください!」




抗議する彼を無視して、強引に執事服を剥ぎ取った。


露わになった少年の上半身には、無残なアザや、どす黒い内出血がいくつも刻まれていた。




「これは……?」


「……本当になんでもありません。お気になさらないでください」


そう繰り返すセトの言葉を遮り、私は構わず彼の額に自分の額をぴたりと合わせた。


抵抗する間も与えず、彼の記憶の奔流へと意識を沈める。




視界が歪み、セトの視点へと世界が切り替わる。


『この奴隷が! エンヴァ様に会わせぬとはどういう了見か!』

怒声とともに、豪華な装束に身を包んだ使者が、手に持った鞭をしならせる。



『すみません! 全てお断りするよう、エンヴァ様に仰せつかっておりまして……!』

『私が誰の使いで来ているのか、知っていて言っているのだろうな? ああ!?』


ピシィッ、と空気を切り裂く音とともに、セトの背中に激痛が走る。



『存じ上げております、しかし……っ』


『であれば、答えは明白であろうが! この家畜風情が!』


何度も、何度も振り下ろされる鞭。




セトは反撃することもなく、ただ主の平穏を守るためだけに、その細い身体で暴力の嵐に耐え続けていた。




『すみません……すみません……! お引き取りください……!』




意識を引き戻した私の目の前には、痛みに耐えながらも、主に心配をかけまいと必死に笑おうとする少年がいた。




皇帝の娘である私と、その所有物で執事である彼。


世間の目は、彼を人間としてすら見ていない。


(……ちょっと、腹が立つわね)




エンヴァは心の中で毒づいた。




セトの記憶から引き出した、あの傲慢な使者の顔。


そして、その背後にふんぞり返る飼い主の存在。




自分だけが愛でるべき「所有物」を泥靴で踏みにじった代償がどれほどのものか、連中は一ミリも理解していない。




エンヴァはすぐさま筆を執り、セトに暴力を振るった使者の主


――帝国でも指折りの権勢を誇る公爵家へ、招待を受ける旨の返答を送らせた。






「なんと! あのエンヴァ嬢が、当家の招待を受けてくれたと!?」


報告を受けた公爵は、狂喜乱舞して立ち上がった。


社交界の深窓に隠れ、皇帝ですら持て余すと噂の「妖精」が、ついに自分の軍門に下ったのだと誤認したのだ。




「はっ! 少々厳しめにあの奴隷……執事には申し渡しておきましたので。当然の帰結かと存じます」


鞭を振るった使者が、手柄を誇るように卑屈な笑みを浮かべる。




「うむ! よくやった! これで我が公爵家は一歩先んじたぞ!」


こうして、公爵家が所有する広大な馬場を舞台に、エンヴァを歓迎するための私的な宴が催されることとなった。




「あのエンヴァ嬢が出席する」という噂は瞬く間に宮中を駆け巡ったが、公爵家は鼻高々にそれを牽制した。




「これは当家がお招きした、私的な宴でございます。他家の方々の立ち入りはご遠慮願いたい」


一族の威信をかけ、数百名のメイドと豪華絢爛な調度品を揃え、彼らは「獲物」を待ち構える算段を立てていた。


自分たちが、眠れる獅子の尾どころか、飢えた魔女の喉元を素手で撫で回しているとも知らずに。




(……全部、ぶっ壊してあげるわ)


鏡の前で、ミーナの手によって丁寧に髪を整えられながら、エンヴァは冷ややかに微笑んだ。


その瞳の奥に宿る、前世で国を一つ灰にした時と同じ「不機嫌」の色。


彼女の真の狙いを知る者は、この豪華な会場のどこにも一人として存在しなかった。






「グエッ!」

短い、魂を削るような悲鳴が自室に響いた。




どれだけ宮廷で「妖精」と崇められようと、あのコルセットからは逃げられない。


内臓を一段階ずつ、丁寧に押し潰していく感覚。




それを執り行っているのは、セトの母だ。

元奴隷ゆえの鍛え抜かれた腕力が、容赦なく紐を引き絞る。




(……死ぬ、マジで死ぬ。この苦しみ……全部、あいつらにぶつけてあげるわ。更地にしてやる……!)




脂汗を流し、白目を剥きそうになりながらも、エンヴァは心の中で復讐の炎を燃やしていた。




この呼吸すらままならない地獄を耐え抜いた末にあるのは、セトを虐げた公爵家への断罪。

いわば、このコルセットの締め上げは、魔女の「不機嫌」という名の弾丸を装填する作業に等しかった。



「はい、もっと締めますよ、エンヴァ様! 公爵家へ行くのですから、これくらい細くないと!」


「ふ……ふぎゃっ……!」


何度も悲鳴を上げさせられる主人の無様な姿。


それを傍らで見守るミーナは、まるで見世物小屋の珍客でも眺めるかのように、他人事の笑顔を浮かべていた。


「あはは! エンヴァ様、お顔が真っ赤ですよ? 頑張って!」




(……ミーナ、あんたも後で覚えてなさいよ……)

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