5生 ep.7
「お姉さま」による昨夜の「坊や」発言、そして失禁し崩れ落ちた皇帝の姿。
エンヴァは収穫した豆の重みを感じながら、頭の中でバラバラだったパズルを組み上げていた。
父である皇帝は、ただの傀儡ですらなかった。
魔女に「飼われ」、口を封じられ、ただ玉座に座らされている「繁殖用の家畜」。
それが、大陸の三分の一を支配する為政者の正体だった。
(……そんな人の娘に産まれたアタシも、大概だけどね)
もはや皇帝にこれ以上何を問うても無駄だろう。
彼は「魔女」という概念そのものに魂を折られている。
そんな中、外界ではエンヴァの「妖精のような美しさ」に毒された貴族たちが、一斉に動き出していた。
「エンヴァ様、また縁談の申し込みです。今度は北の公爵家から……」
セトが困惑した顔で、山のような書簡を抱えてくる。
先日の舞踏会。12歳のエンヴァが見せた、この世のものとは思えぬ気品と美貌。
それに当てられた大貴族たちは、こぞって自慢の御曹司を「供物」として差し出してきたのだ。
「『エンヴァの好きにさせるがよい』、ね。……お父様も、投げすぎでしょう」
皇帝は判断を放棄した。
というより、娘の背後に潜む「魔女」の不興を買うのが怖くて、口を出す勇気すら失ったのだ。
エンヴァの前に並べられたのは、帝国屈指の6つの名家、そして2つの隣国の王子からの求婚。
その中の一通――砂漠の熱風を孕んだような派手な封筒に、エンヴァの指が止まった。
『砂漠の王国・南域。レオ王が嫡子、イブン王子との婚約提案』
「……イブン? レオ……?」
一瞬、思考が止まる。 前世、この手で命を奪った砂漠の王、イブン。
そして、その後に残された、エンヴァが慈しみ育てたはずの「息子」レオと「娘」リナ。
(……はぁ。ちょっと、嘘でしょ)
報告書を読み進めるほど、エンヴァの顔からハイライトが消えていく。
レオとリナ。血の繋がった双子である二人が、禁忌を犯して結ばれ、王国を統治していること。
そして、その間に産まれた息子に、先代の名である「イブン」を冠したこと。
「……あの子たち、本当に何やってんのよ。」
前世の「子供たち」が犯した背徳。
そして、その「孫」にあたる少年が、いまや自分(転生した祖母)に求婚してきているという、喜劇にもならない地獄のような構図。
エンヴァは、深く、深く、底の見えない溜息をついた。
砂漠の王国、その深奥にある執務室には、乾いた熱気とともに一人の男の絶叫が響き渡っていた。
「金貨、10万枚だと……!? 正気ですか、レオ王! それではこの国が滅びまする! 砂を噛んで生きろとおっしゃるのか!」
財務を預かる大臣は、羊皮紙に記された桁外れの数字を前に、泡を吹かんばかりに詰め寄る。
小国の3年分の国家予算を軽く飲み込むその金額は、もはや外交の持参金ではなく、国家の「身代金」に等しい暴挙だった。
しかし、玉座に座るレオ王の瞳に、揺らぎは微塵もなかった。
「……これくらい色を付けねば、あの方……エンヴァ殿下はこちらを向いてすらくれない」
レオは静かに告げた。
その瞳は、眼前の家臣ではなく、遥か東にある「帝国の檻」に囚われた実の母の影を凝視していた。
「この縁談は私達にとってどうしても必要なの。……大臣、私たちも今日から節制するわ。王妃としての宝飾品もすべて売り払って構わない。だから、分かって」
王妃リナもまた、レオの隣で祈るように胸元を握りしめる。
レオとリナ。
二人は紛れもないエンヴァの実の息子と娘。
前世でエンヴァが命を懸けて産み、慈しみ、そして志半ばで遺していかざるを得なかった、血を分けた半身だ。
帝国から流れてくる「黄金の瞳を持つ、美しき第三皇女」の噂。
その特徴を聞いた瞬間、二人の魂は確信した。あそこにいるのは、自分たちの母上だ。
自分たちを遺して逝ってしまった、あの愛しいお母様が、別の体で息づいているのだと。
(お母様。……今度は、絶対に離さない。国を売ってでも、あなたを迎えに行く)
砂漠の小国など、帝国から見れば吹けば飛ぶような存在。
帝国の官吏たちは冷徹に「金」で縁談を足切りしていく。
ならば、王としてのプライドも、国民の安寧も、すべてを二の次にする。
「他家が銀を積むなら、我らは国を削って金を積むまで。……我が息子の縁談は、あの方へ近づくための唯一の『橋』なのだ」
レオ王の言葉は、王としての決断ではない。母を亡くしたあの日から時が止まったままの、迷子の子供の叫びだった。
エンヴァは自室で、深すぎる溜息とともに頭を抱えていた。
これまで数多の修羅場を潜り抜け、前世では最強の魔女として君臨した彼女ですら、今この瞬間に突きつけられた「家庭事情」の複雑さには処理落ち寸前だった。
(……何なの、この家系図)
自分が腹を痛めて産んだ双子、レオとリナ。
かつて慈しみ育て、その幸福だけを願って死んだはずのあの子たちが、まさか兄妹の禁忌を犯して結ばれ、挙句の果てに子供まで成しているなんて。
「……いや、その一つ前なら、まだしも……」
エンヴァの脳裏に、さらに古い前世の記憶がよぎる。
その時、北限の地で彼女は二人の異なる男との間に、それぞれ男の子と女の子を宿した。
もしその二人(異父兄妹)が結ばれたというなら、まだ「そういうこともあるわね」と飲み込めなくもない。
だが、レオとリナは違う。
紛れもなく同じ腹から産まれ、同じ父を持つ、鏡合わせのような双子なのだ。
「……で、その二人の子供と、私が結婚? つまり……孫と結婚しろって言うの?」
無意識に、傍らにいたミーナを抱きしめる力が強くなる。
「い、痛いですエンヴァ様! 苦しい、エンヴァ様!」
「ああ、ごめんなさいね。……少し、混乱していたわ」
慌てて腕を解いたが、エンヴァの胸中の嵐は収まらない。
縁談をすべて断ることは容易だ。
今の彼女には皇帝から全権を委ねられている。
だが、レオとリナが国を傾けてまで10万枚の金貨を積んだという事実。
その「異常なまでの執着」が、喉に刺さった魚の骨のように、どうしても引っかかっていた。
あの子たちは何を考えているのか。
ただ母に会いたいだけなのか、それとも。
「……一ヶ月。一ヶ月だけ、待たせなさい」
エンヴァが答えを出すまでに、それだけの時間を要したのは、決して傲慢さゆえではない。
エンヴァは本気で迷っていたのである。
「ウフフフフ!!!面白いわ!面白すぎるわ、エンヴァちゃん!」
帝国の暗部、誰も立ち入ることのできない「魔女宮」の奥底で、その声は愉悦に震えていた。
ソファに身を横たえ、行儀悪く足を放り出した「お姉さま」が、涙を浮かべて腹を抱えている。
「あの子の心の声、聞いた!? 本当に迷ってるのよ! 自分の産んだ子供が作った『孫』と結婚するべきか、真剣に悩んでるの! 可愛いったらないわ! ねえ!」
「お姉さま」にとって、一国の王位継承や倫理の禁忌など、所詮は盤上の駒が勝手につれ合っている程度の認識に過ぎない。
けれど、あの常に冷徹な魔女エンヴァが、家系図のバグに本気で頭を抱えている姿は、彼女たちにとって極上の余興だった。




