2生 ep.1
村人たちが耕す土の匂い、穏やかな風。
そんな「平凡」の象徴のような村で、エンヴァという少女は生を受けた。
彼女の両親は、我が子の金色の瞳を見るたびに背筋に冷たいものが走るのを禁じ得ない。
10歳に育った彼女はすべてを諦観した隠者のような眼差しを湛える。
我儘ひとつ言わず、ただ静かにそこに在るその姿に両親は畏怖すら感じていた。
村の喧騒を離れ、一人を好むエンヴァが森の小川で過ごしていた時のこと。
静寂を破ったのは、卑俗な怪物の鳴き声だった。
「ギャギャ!」
三匹のはぐれゴブリン。醜悪な欲望を剥き出しにして迫る彼らに対し、エンヴァは眉ひとつ動かさない。ただ、白く細い手をすーっと伸ばし、唇を微かに震わせる。
短い詠唱と共に、地面から異様な速度で茨が這い出し、ゴブリンたちの四肢を絡めとった。
逃れる術はない。
「邪魔、しないでくれる?」
その声は鈴を転がすように愛らしいが、響きは冷徹な氷のようだった。懐から取り出したナイフ。躊躇など微塵もない。彼女は手際よく獲物の喉を切り裂き、事務的に命の灯火を消していく。
直後、茨はさらに繁茂し、物言わぬ死体を飲み込むように覆い隠した。そこには最初から何もなかったかのように、ただ豊かな緑が広がるだけだ。
返り血を浴びた服を脱ぎ捨て、エンヴァは冷ややかな川の水に身を沈める。
周囲には、彼女の魔力を帯びた薄い霧が、立ち込めていた。
(誰にも見られては……いないか)
肌を刺す水の冷たさが、前世の記憶を呼び覚ます。 強すぎる力、異質な知性。
周囲に恐れられ、最後は「魔女」として火あぶりに処された忌まわしい過去。
「今度は……間違えない」
霧が周囲に人間がいないことを告げる。
濡れた髪をかき上げ、彼女は再び「物静かで少し変わった村娘」という仮面を被り直した。
村におけるエンヴァの家族は貧しかった、差別されていた。
村外れの、腐りかけた木材を繋ぎ合わせただけの「小屋」。
畑を耕す権利すら奪われ、森の奥で毒虫や野草を拾い集め、それを加工しては村人に叩き売ることで、辛うじて明日を繋ぐ日々。
「いいか、エンヴァ。決して村人とは目を合わせるな。」
父の自嘲気味な言葉を、エンヴァは静かに聞き流す。
村を出る自由もなく、泥を啜るような生活。
だが、何度も繰り返した前世で数多の国家を俯瞰してきた彼女には、この村の構造が滑稽なほどよく見えていた。
人は自分より下を作ることで、己の貧しさを忘れる。
その「生贄」が、この村においては彼女の両親を含めた30名の被差別者だった。
(……愚かね。そんな偽りに縋らなければ、正気を保てないなんて)
エンヴァが12歳を迎える頃、彼女の美しさはもはや隠しきれない域に達していた。 煤に汚れた服を着ていても、その銀糸の髪と、すべてを見透かすような黄金の瞳は、澱んだ村の中で異様なほどに輝いている。
ある日、村の有力者の息子たちが、嫌がらせのために森の中の河原で彼女を囲んだ。
「ああ! 臭い! この下民の女!」
投げつけられる罵声と、不快な笑い声。エンヴァにとって、それは日常に流れる風の音と大差なかった。幾度となく繰り返される蔑み、絶えることのない生傷。 しかし、今日の少年たちの目は、いつも以上に濁っていた。
「……そんなに言うなら、村に帰ったらどうなの?」
感情を削ぎ落としたエンヴァの呟きが、彼らの逆なでる。
「お前みたいな下民の面汚しは、俺たちが綺麗にしてやろうって言うんだ!」
粗暴な手が彼女の古びた服を掴み、無慈悲に引き裂く。抵抗する力を持たない「村娘」を演じるエンヴァは、そのまま湿った地面へと押し倒された。
一糸まとわぬ姿となった彼女の肌は、泥にまみれた周囲の景色の中で、恐ろしいほどに白く、発光しているかのように美しかった。 少年たちの嘲笑が止まる。
喉を鳴らし、釘付けになった視線には、暴力的な支配欲ではなく、抗いがたい「恐怖に近い見惚れ」が混じり始めた。
「お、おい……」
「あ、ああ……」
だが、肝心のエンヴァは、露わになった胸を隠そうともせず、ただ静かに彼らを見上げていた。その瞳には、恐怖も、屈辱も、怒りすらもない。
「どうしたの? これで終わり?」
淡々と紡がれたその一言に、少年たちは射すくめられたように動けなくなる。
(……ああ。ここは『キャー!』とでも叫んでおいたほうが、村娘としては自然だったかしら?)
心の内で、自嘲気味にほくそえむ。 前世で火あぶりにされた時、群衆が求めていたのは「絶望」だった。人は自分たちの理解を超えた「静寂」に出会ったとき、本能的な恐怖を覚える。
目の前の少年たちは、自分たちが圧倒的に優位な立場にいるはずなのに、なぜか「捕食者に見つめられた獲物」のような錯覚に陥り、一歩も動けずにいた。
「おい、お前がやれよ!」
「そんな! 言い出しっぺはお前じゃないか!」
静寂を切り裂いたのは、少年たちの醜い擦り付け合いだった。
目の前には、無抵抗に横たわる銀髪の少女。
「大人の真似事」をエンヴァに対してしようとしていた少年たちは、服を全て脱がされても動じない彼女の威圧にも似た静寂の前に何も出来ない。
服を剥ぎ、力でねじ伏せたはずの彼らを襲ったのは、征服欲ではなく、背筋を凍らせるような「違和感」だった。
泥にまみれたはずのエンヴァの肌は、触れることすら躊躇われるほど神々しく、その黄金の瞳は彼らを「人間」としてすら見ていない。まるで、道端に転がる石ころを眺めるような、あるいは哀れな羽虫を見守るような……。
「クソッ! 今日はここまでにしておいてやる!」
沈黙に耐えかねて声を上げたのは、村長の息子、ギルだった。
顔を真っ赤にし、逃げるように背を向けながらも、彼は抗いがたい本能に負けてその目にエンヴァの真っ白な肢体を焼き付ける。少年たちは蜘蛛の子を散らすように、森の奥へと走り去っていった。
「……全く、これだから子供って」
一人残されたエンヴァは、深く溜息をつきながら立ち上がった。
辱められた屈辱など微塵もない。
手際よく服を着直し、乱れた髪を整える。 彼女は何事もなかったかのように、川に仕掛けておいた籠罠を引き上げた。中には数匹の川魚が跳ねている。
その日の夕餉、エンヴァはいつものように「物静かな娘」として食卓を囲んだ。 両親にも、そして愛らしい妹にも、今日の出来事を話すことはない。
それが、彼女がこの歪んだ村で家族の笑顔を守るための、たった一つの処世術だった。




