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転生の魔女  作者: RUSA
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5生 ep.3

市場の喧騒を背に、少年セトは震える手で麻袋を抱きしめていた。

中身は、金貨。そして袋に入りきらない位の銀貨や銅貨。


あの「金色の瞳」をした幼き皇女、エンヴァが彼に投げ与えた、幸運の対価。



(……これがあれば。これさえあれば、みんなを買い戻せる)


少年セトは泥にまみれた足で、帝都の「裏」へと走り出した。

彼が奴隷商に売られたあの日、家族はバラバラに引き裂かれた。


重労働に耐えうる父は炭鉱へ、美しい母と二つ違いの妹は別の商人の手へと。


帝国において、奴隷の追跡は容易ではない。


だが、金さえあれば話は別だ。

エンヴァから受け取った金貨は、底辺の人間が一生拝むことすらない大金。


それは帝都の闇において、どんな通行証よりも雄弁に道を開いた。




エンヴァが少年の勝ちに金貨10枚を賭けた事であの「賭場」は一気に過熱した。


どう見ても獣人が有利であったあの勝負で「小銭を稼ごう」とポケットの金を全てベットした者たちの数およそ100人。


それは、二人や三人の奴隷を買う事ができるほどの金額になっていた。


セトは、家族を買い戻そうと走っていた。




「……こいつだ。お前の言う特徴の女とガキなら、三日前に北の『掃き溜め』にある農場へ流したよ」


情報屋の汚い男が、銀貨10枚を惜しげもなく差し出すセトを見てゲラゲラと笑いながら吐き捨てた。


セトは走った。




肺が焼けつくような感覚も、擦り切れた足の痛みも感じなかった。


辿り着いたのは、帝都の華やかさとは無縁の、悪臭漂う農場だった。




そこでは、痩せ細った奴隷たちが、家畜以下の扱いで鎖につながれていた。

ーー服は一切着ていなかった。


「――っ、ミーナ! お母さん!」


泥だらけの不潔な住居の隅で、身を寄せ合って震えていた二人を見つけた瞬間、セトの喉が詰まった。


幼く働きの悪い妹のミーナは、日々殴られる恐怖で生気を失い、かつて慈愛に満ちていた母の瞳は、絶望で濁りきっていた。


「セト!セト!!!」

「母ちゃん!ミーナ!迎えにきたよ!」


「お前、どうやってここに!」


そんな家族の再会をよそに「見張り」が異変を聞きつけやってくる。




「おい、汚ねぇガキが何しに来やがった」


バチン!

その後ろから農場の管理人が鞭を鳴らして近づいてくる。


「ヒィ!」


今日もミーナはあの鞭で叩かれ、太ももの皮がはがれ出血していた。



セトは無言で、残りの金貨が入った袋をその男の足元に叩きつけた。


「……その二人を、買い取る。これで足りるはずだ」




男は袋の中身を確認し、目を見開いた。


「……へっ、どこの貴族から盗んできやがった? まぁいい、こんなガラクタ共、さっさと連れて行きな」




家族を抱き寄せ、震えるミーナの背中を撫でながら、セトは冷たい夜風の中で気づいてしまった。


(……これじゃ、ダメだ)


金で買い戻すことはできた。




だが、自分のような弱者に二人を守る力はない。


今夜、別の悪党に襲われれば、再び地獄に逆戻りだ。




エンヴァから受け取った金貨は使い果たした。


残ったのは、自由になったものの、明日をも知れぬ三人の命だけ。






「皇女様! 皇女様!!」


帝宮の堅牢な正門前、夜の静寂を切り裂くような絶叫が響き渡った。




泥にまみれ、痩せこけた少年セトが、同じくボロボロの母と妹を連れて必死に兵士の足に縋り付いている。


「貴様! この汚らしいガキが、ここをどこだと思っている!」


護衛の兵士が無造作にセトの襟首を掴み、石畳へと放り出した。




鈍い音を立てて転がる少年。


それでも、セトは折れなかった。


膝の皮が剥けようとも、再び這いずり、声を枯らす。




「お願いします! 皇女様! 私は……私はあなたに、命も忠誠も、すべてを捧げます! どうか、そばに置いてください!」




「しつこい奴め! 黙らんと……その首、叩き落とすぞ!」


苛立った門番が腰の剣に手をかけた、その時だった。




「……そこまでにしなさい。騒々しいわね」


何もないはずの暗がりから、まるで影が形を成したかのように、「皇女エンヴァ」が音も無く姿を現した。


「エ、エンヴァ様!?」


「いつの間に……! どこにいらっしゃったのですか!」




驚愕に目を見開く門番たち。


そこに道などなく、隠れる場所すら無かったはずだ。




「ついていらっしゃい。後ろの二人も連れてね」




私は、跪くセトに視線を向けることなく、静かに言い放った。


「殿下! なりませぬ! このような素性も知れぬ汚らわしい者を、宮廷の内に入れるなど……!」


慌てて制止しようとする門番。




エンヴァは、ゆっくりとその顔を見上げた。


瞳の奥で、前世から受け継いだ「黄金の輝き」をほんの少しだけ解放する。




「……私の『所有物』をどう扱おうが、私の勝手でしょう? 下がりなさい」


八歳の少女が放つにはあまりに重く、底知れない圧力。




門番の男は、蛇に睨まれた蛙のように息を呑み、力なく後ずさった。


その本能が、「この少女に逆らうな」と警鐘を鳴らしていた。




「皇女様! ありがとうございます……! ありがとうございます!」


涙を流し、額を石畳に擦り付けるセト。




私は内心で、溜息を深く吐き出した。


(……私を『皇女様』なんて呼ぶのは、あの取り巻きの令嬢たちだけで十分よ)


「……エンヴァ、と呼びなさい。私の前ではね」


「はい……! エンヴァ様!」


こうして、少年セトとその家族は、帝国第三皇女の「個人的な所有物」として、宮廷内部の隅にある使用人部屋へと迎え入れられた。




翌日、皇女エンヴァの居宮には激震が走る。


彼女は、宮廷からあてがわれていた由緒正しい家柄のメイド全員を、即座に王宮へと送り返したのだ。


代わりにその広大な居室を預けられたのは、昨日拾い上げたばかりの少年セトと、その母、そして妹のミーナ。


帝国の最底辺から救い出されたばかりの、身分も作法もない三人の「家族」のみを専属として使うという、前代未聞の暴挙であった。




「……エンヴァ、正気なの? あのような汚らしい者たちを身近に置くなど、皇女としての品格を疑われますわ」


そう言って眉をひそめたのは、エンヴァの「産みの母」である皇帝の第十側室であった。




名門とは言えない下級貴族の出であり、


「美貌と血統こそが女のすべて」


と信じて疑わない彼女にとって、娘のこの行動は耐え難い醜聞でしかない。


「良い家柄のメイドたちを戻させなさい。今ならまだ、あなたの『子供の気まぐれ』として収められますわ」


側室は、香水を染み込ませた扇子で鼻を覆いながら、不快げに詰め寄った。


かつて戦場を蹂躙した魔女の魂を持つ娘にとって、この女性の言葉は羽虫の羽音よりも空虚に響く。


「……お断りします」




私は、鏡に映る自分の髪を整えながら、振り返ることもなく短く答えた。


わたしが求めているのは、飾り立てられた血統ではありません。私の手足として動く、確かな『忠誠』だけです」


「な、なんですって……? 忠誠なら、教育を受けたメイドたちの方がよほど……!」


「いいえ。彼女たちが忠誠を誓っているのは『帝国』や『実家』であって、わたしではありません。……お母様。私の部屋には、私の所有物以外は必要ないのです」




冷徹な断絶。


前世で孤独な魔女として生きたエンヴァにとって、家族ごっこを強要するこの「母」こそが、今の居宮で最も「異物」であった。




ーー8歳の子供の言う事ではない。


底知れぬ感じた母はこれまで以上にエンヴァを遠ざけるようになっていった。






「……豆を。そう、種が欲しいのだけど。できるだけ粒が大きく質の良いものを」


「はい、エンヴァ様。仰せの通りに。すぐにご用意いたします」


セトの母は、エンヴァの身の回りの世話を完璧にこなしつつ、頻繁に市街地へと足を運んでいた。 今や「皇女の所有物」という絶対的な身分保障を得た彼女には、王宮から屈強な警護兵がつけられている。




「エンヴァ様。マーブル子爵家のサクナ様より、明後日の遊覧会のお誘いが届いておりますが……」


「明後日? 気分が優れないから、やんわりとお断りしておいて頂戴。贈り物も結構よ」


「承知いたしました。そのように手配いたします」




以前の専属メイドたちであれば、勝手に「皇帝の娘」のスケジュールを貴族たちに売り渡していただろう。


彼女たちは、皇女との会食や遊戯の約束を「ブッキング」できる特権を私物化し、実家や懇意にする貴族への手土産にしていたのだ。




しかし、今は違う。 セトの家族は、エンヴァの言葉以外を一切受け付けない「純粋な壁」として機能していた。




「……ふぅ。ずいぶんと、すっきりしたわね」


付き合うべき価値のない令嬢たちの顔ぶれ。


エンヴァにとって、この「友人整理」という名の断捨離ができただけでも、少年セトを拾った功績は金貨100枚以上の価値があった。




豪華なソファに深く腰掛け、エンヴァは差し出された茶を啜る。




以前のメイドたちが淹れていた高級な茶葉よりも、セトの母が丁寧に淹れたこの一杯の方が、不思議と喉を滑らかに通り抜ける。




「エンヴァ様、庭園の隅に小さな菜園の準備が整いました。例の種、今日にも植えることができそうです」


「そう。……楽しみね。セト、あんたも手伝いなさい。」


「はい、エンヴァ様。どこへなりとお供します」


セトが影のように跪き、静かに応じる。


周囲の貴族たちは、私が「汚らしい奴隷」を側に置いていると陰口を叩いているだろう。




だが、彼らは気づいていない。


この私の周囲から、余計なスパイも、目障りな「お友達」も消えた。


それはエンヴァにとっては何にも代えがたい価値。




セトとその家族には、帝国における市民権も、後ろ盾となる家門も、語るべき過去すらも存在しない。


彼らがこの煌びやかな牢獄で呼吸を許されている唯一の理由は、


「皇女エンヴァの所有物である」




という一点のみ、その点に意義を唱える事ができる者はいなかった。






「そういえば。忠誠と命を捧げると言っていたわよね、セト?」


ふと思い出したように口走る。


「はい! エンヴァ様! 私のこの命も、魂の最後の一滴までも、すべてはエンヴァ様のために!」




影のように控える少年セトの、迷いのない即答。


私はふっと口角を上げ、手元のカップに視線を落とした。




「……そう。今後も励みなさい」


自分を救ってくれた、家族を救ってくれた恩人の少女。


セトのエンヴァを見つめる目は絶対の忠誠を莉買った狂信者と言って良かった。


彼にとってエンヴァ以外の全てのものは等しく何の価値も無かったのである。








「エンヴァ様! 準備が整いましたよ!」


パタパタと小動物のような足音を響かせ、同い年のミーナが部屋に駆け込んできた。




かつて檻の中で震えていた少女は、今やふっくらとした頬に健康的な赤みを差し、満面の笑みを浮かべている。


エンヴァはこの、無害で温かなミーナをいたく気に入っていた。




夜、冷たいベッドの中で彼女を抱き枕代わりにして眠るのが、今のわたしの至福のひと時。




最初は「恐れ多い」とガチガチに緊張していたミーナも、一年も経てば、今ではエンヴァの腕の中で無防備に密着し抱きつき返して眠るようになっている。


自分の腕の中で熟睡しているミーナの寝顔を眺める事はエンヴァにとって心地よい時間となっていた。




「そう。楽しみね。行きましょうか」




向かったのは、庭園の隅にある、誰の目にも留まらない小さな菜園。


今日の予定は、待ちに待った「豆の収穫と乾燥」だ。




しゃがみ込み、土の匂いを嗅ぎながら、セトの母とミーナ、そして私の三人で、たわわに実った鞘を摘み取っていく。




(……ふふ、大収穫じゃない)


指先に残る、生い茂る葉の感触と、鞘を弾く乾いた音。




帝国皇女が泥にまみれて農作業など、社交界の令嬢たちが聞けば卒倒するだろう。


だが、エンヴァにとって、この単調で穏やかな作業こそが「魔除け」として機能している事をセトも他の誰も気づいてはいなかった。




(……こういう生活を続けていれば。目を付けられることも無いのかもね)




「変わり者の第三皇女」


「下賤な母から産まれた子供は、やっぱり下賤だったわね」


「奴隷と暮らし、土をいじる皇女様……見るに堪えないわ」




遠巻きに聞こえてくる令嬢たちの囁き、そして使用人たちの冷笑。


だが、その蔑みこそが、今のエンヴァにとっての最高の「賛辞」だった。




宮廷内におけるエンヴァの地位は、いまや地を這うほどに低い。


誰もエンヴァを政略結婚の駒として数えない。




しかし――。


この完成されつつあった安寧を、最も許せなかったのは皮肉にも実の母、皇帝の第十側室だった。




「……エンヴァ、これが最後通告よ」


居宮に乗り込んできた母は、かつてないほどに顔を青ざめさせ、怒りに震えていた。


その手には、泥のついた私の作業着が掴まれている。




「まもなく十歳の誕生日。帝国中の貴族が集まり、皇帝陛下もご覧になる舞踏会が行われるというのに、まだこんな……泥遊びを!? お前が侮られるのは、私の顔に泥を塗ることと同義なのよ!」




「お母様。私はただ、静かに暮らしたいだけだと……」


「黙りなさい! お前がその『奴隷の真似事』を辞めないのなら、私はあの子たちを処分します。……あんな汚らわしい虫けら共、私が一言命じれば明日には処刑場よ」




エンヴァの視線が、わずかに鋭さを増した。


その変化に気づかぬまま、母は勝ち誇ったように扇子を広げる。




(……ああ。ほんと、アタシの『平穏』を邪魔する奴は、どいつもこいつも身内ね)


母が去った後の静寂。




背後で、セトとミーナが息を殺して震えているのがわかる。


母にとって、私は「自分の価値を高めるための道具」でしかない。




そしてその道具が錆びついているように見えることが、我慢ならないのだ。




「エンヴァ様……。申し訳ありません、俺たちのせいで……」


「……謝らなくていいわよ、セト。あのお母様が勝手に騒いでいるだけ。」




エンヴァは思う。


(……勝手はさせないわ、お母さま)


「魔女」は数年ぶりに体に流れる魔力を自覚した。

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