5生 ep.1
「……っ、……意識が戻りましたぞ!」
「おお! 神よ! エンヴァ様が、エンヴァ様がお目覚めだ!」
五歳の少女の身体。
そのあまりに小さな器は、目覚め始めた強大な魔力の流入に耐えきれなかった。
最早、痛みに耐えるという次元を超越していた。
高熱にうなされ、そして氷のように体温が落ち、震えが止まらぬまま意識を失って二日。
エンヴァが目を開けた瞬間、豪華絢爛な天蓋付きのベッドの周囲は、怒号に近い歓喜の声に包まれた。
「エンヴァ様! ご気分はいかがですか!」
「まずは水をお飲みくだされ!エンヴァ様!」
「早く、温かいお召し物を!」
(……ああ、うるさい。耳元で喚かないでよ……)
意識の混濁が晴れるにつれ、内側の「私」が毒づく。
かつて帝国軍の軍勢を一人で相手取った魔女の魂は、この過保護で騒々しい帝国の宮殿という環境に、吐き気すら覚えていた。
「なんてところ」に転生してしまったのか。
そう愚痴をこぼそうとした、その時だった。
「ッ!!!」
背筋を凍らせる、あの感覚。
頭蓋骨の中を、冷たい指先で直接まさぐられるような、あの最悪の不快感。
(……いるのか……? ここに……あいつらが……!?)
言葉にならない「念話」を放つが、返答はない。
しかし、エンヴァは確信していた。
自分を「お遊戯」のついでに消し去った、あの理不尽の化身――「魔女」が、この帝国の、すぐ近くに存在していることを。
帝国の広大な宮殿、その最奥。
そこには、皇帝すら立ち入りを禁じられた、二人だけのために設えられた優美な建築物があった。
「あらあら……妙な感じがしたと思ったら」
ふふ、と鈴を転がすような笑い声を上げたのは、あの日、露天風呂から指先一つでエンヴァの首を跳ねた「お姉さま」だった。
彼女は、産まれたままの姿で、愛しい妹分とベッドの中で抱き合ったまま、微睡みの中で目を細める。
「まぁ……なんて所に産まれてくるのかしら。……ふふふ、可愛いこと」
「何かあったのですか? お姉さま?」
妹分が、甘えるように顔を上げる。
彼女たちの時間は、下界の戦争や代替わりなどとは無縁の場所で、悠久に流れ続けていた。
「……もしかしたら、お友達になれるかもしれないわね。今度のあの子とは」
「お友達? 私はお姉さまがいれば、それでいいわ」
再び抱き合いながら目を閉じる二人。
その無垢で残酷な沈黙こそが、この帝国を、そして世界を縛る真の支配者の姿だった。
「帝国」――それは大陸の三分の一を呑み込み、東部の諸都市をその版図に収める巨大な怪物。
頂点に君臨する皇帝フリードリヒは、強大な権力の象徴として十人の側室を囲っていた。
エンヴァはその中でも最も身分の低い側室から、第四子として生を受けた。
十九歳の異母兄ハインツを筆頭に、二人の姉。
そして三女として、エンヴァの「新しい人生」は始まった。
(……さて。どうしたものかしらね)
前世では己の魔力に溺れ、戦場を支配し、最後は理不尽な「お姉さま」の手によって首を落とされた。
今生で同じ轍を踏むのは御免だ。
目立たず、されど侮られず、平穏な生を謳歌すべきか。
あるいは、再び魔導の極致を目指すべきか。
答えの出ない問いを抱えつつ、五歳のエンヴァは差し当たって「愛らしい皇女」という仮面を完璧に被ることに決めた。
「エンヴァです! 皆様、仲良くしてくださいませね!」
きらびやかな庭園。
同世代の貴族令嬢たちに囲まれ、エンヴァは花の咲いたような笑みを振りまく。
周囲で交わされる会話は、エンヴァにとって苦痛以外の何物でもなかった。
「聞いて、エンヴァ様! あちらの近衛騎士の方、とっても素敵だと思いません?」
「あら、私はあちらの公爵家の嫡男様の方が好みだわ。あのお花のような睫毛……!」
希少な花がどう、馬の血統がどう、誰の顔が良いの、あっちの坊ちゃんが格好いいの。
可憐に首をかしげ、「まあ、素敵ね!」と相槌を打つエンヴァの内面は、冷え切った砂漠と化していた。
(……だっる……だっっっっっるっ!!! 何これ、何の拷問!?)
かつて精強な帝国軍の軍勢を流砂に沈め、死の茨で戦場を埋め尽くした魔女の精神にとって、少女たちの恋バナは毒矢の雨よりも遥かに摩耗する。
「普通の女の子」を演じるという代償は、魂が削れる音が聞こえるほどに重かった。
帝国の喧騒から切り離された聖域、「魔女宮」。
静謐であるはずのその空間に、不釣り合いな高笑いが響き渡った。
「ふ……ふふふふ! アハハハハ!」
「お姉さま」が、お腹を抱えて笑い転げている。
あまりの可笑しさに、その美しい瞳にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
「どうなさったの? お姉さま、急に」
隣で首をかしげる「妹」。
彼女には、お姉さまが何を見て、何にこれほどまで興奮しているのかが分からない。
だが、この絶対的な上位存在にとって、遮蔽物も距離も無意味だった。
「だって……あの子、おかしいんですもの! フフフフ!」
お姉さまの視線の先――いや、意識の先には、着飾った令嬢たちに囲まれ、ひきつった笑顔で茶を啜る五歳のエンヴァがいた。
そして、その可憐な幼女の脳内で響き渡る、
「だっっっっっる!!!」
という、戦慄するほどに荒んだ魂の叫びが、お姉さまには手に取るように聞こえていたのだ。
「ほんと……らしくないことを……なんて可哀想なの! アハハ!」
かつて戦場を蹂躙し、無慈悲に命を刈り取ったあの「魔女」が、今や幼子に混じって
「好きなお花は何かしら?」などと語り合っている。
本人は必死に演技をしているつもりなのだろうが、その「中身」の不貞腐れ具合があまりにも傑作で、お姉さまにとっては至高の娯楽となっていた。
何も知らない「妹」は、上機嫌すぎるお姉さまを不思議そうに眺めるばかりであった。




