4生 ep.26~
大地が、意思を持っているかのように平坦へと戻っていく。
「お姉さま」が指先一つで放ったのは、皮肉にもエンヴァが得意としていた地形魔法だった。
軍事的優位を保っていた高低差は、まるで砂の山を均すように一瞬で消失し、王国軍の防壁は無意味な「地べた」へと成り下がった。
「魔女だ! 魔女様の祝福が我らにあるぞ!」
「高低差は消えた! 数で押し潰せ! 歩兵隊、前進――ッ!!」
熱狂に沸く帝国軍。
死体の山すら踏み越えて、怒涛の如く押し寄せる。
「歩兵隊、前へ! 盾を並べろ! 弓隊は下がれ!」
王国軍の将軍たちの悲鳴に近い号令。
そして、この戦いにおいて初めて、両軍の歩兵が正面から激突した。
肉と肉、鋼と鋼がぶつかり合う凄惨な音。狭い平原を戦場に選んだことは、これまでは有利に働いていた。
だが、壁を失い、逃げ場のない「押し合い」となった今、一万以上の兵を失ってもなお圧倒的な数を誇る帝国軍が、その重圧で王国軍を削り始めていた。
(……何よ、それ。加勢するなんて聞いてないわ……!)
エンヴァは奥歯を噛み締めた。
彼女は絶望的な乱戦の中、密かに「指揮官殺し」を放ち続けていた。
心臓を直接握りつぶす不可視の魔手。
だが、そのすべては、本陣で優雅に佇む「お姉さま」によって、羽虫を払うかのように弾き飛ばされていた。
同じ魔女。
しかし、その根源的な質が違う。
エンヴァが「術」を振るうなら、あちらは「理」そのものを弄んでいる。
格上。それも、何段も上の深淵がそこにいた。
「……なら、これはどうかしら……ッ!」
エンヴァは天に手を掲げた。
周囲の魔力が、渦を巻いて彼女の細い体へと吸い込まれていく。
いや、強引に「引き摺り込んでいる」のだ。
(これは……いいのよね? 消滅じゃない、ただの『地形』だもの……!)
帝国軍歩兵隊の、最も密集したその中心。
突如として大地が口を開き、底なしの「流砂」が渦を巻いた。
「うわああああ! 飲まれる、足が抜けない!」
「助けてくれ! 誰か、うあああッ!」
密集していたことが仇となった。
逃げ場のない帝国兵たちが、蟻地獄に落ちた羽虫のように次々と地底へ吸い込まれていく。
「今だ! 敵を流砂に追い落とせ! 突撃――ッ!!」
王国軍の士気が再燃し、一気に前衛を押し返す。流砂によって生まれた混乱が、帝国軍の「数の暴力」を一時的に分断した。
「ハァ……ハァ……ッ、ゴホッ……!」
エンヴァの視界が赤く染まった。
こめかみから、温かい血がだらだらと流れ落ちる。
本来、一人の魔女が扱って良い規模を遥かに超えた魔力の放出。
彼女の肉体という「器」は、今にも内側から爆発しそうなほどの負荷に悲鳴を上げていた。
魂を削る痛み。視界が点滅し、意識が遠のきかける。
(あら、頑張るじゃない。まだ『子供』なのに)
脳内に響く、あざ笑うような、けれど慈愛すら感じる「お姉さま」の声。
彼女は楽しげに魔法陣を描いていた指を、ふっと止めた。
エンヴァの必死の足掻きを、「よくできました」とでも言いたげな、残酷な微笑みと共に。
陽が水平線の彼方へと沈み始め、戦場は燃えるような茜色に染まった。
地形を書き換え、毒を撒き、巨大な流砂で数千を飲み込んだ地獄の一日は、皮肉にも静かな夕暮れと共に一時的な休戦を迎える。
だが、死体の山を数え上げたとき、そこには残酷なまでの「現実」が横たわっていた。
エンヴァが文字通り命を削り、魔女の奥義を連発したことで、帝国軍には王国の損害の倍以上の打撃を与えた。普通の軍隊であれば、これだけの損害を出せば士気は崩壊し、撤退を選んでいただろう。
しかし、帝国軍の「数」は、その絶望を塗りつぶして余りある。
「……半分、ね」
本陣の天幕、血の混じった汗を拭いながら、エンヴァは力なく呟いた。
王国軍は、精強な五千を失った。
残るは二万五千。対する帝国軍は、一万人以上を失ってもなお、五万人を超える鋼の海を維持している。
兵力差は、当初の「2対1」から、より絶望的な比率へと傾きつつあった。
翌日から、エンヴァの戦い方は一変した。
「消滅」という大鉈を振るうことをやめ、極めて精密、かつ陰湿な「遅滞戦闘」へとシフトしたのだ。
広大な平原には、毒を孕んだ茨の壁が幾重にも築かれ、一夜にして複雑怪奇な「砂の迷宮」が作り上げられた。
五万の帝国軍が誇る質量の暴力は、この細切れに分断された通路の中では発揮されない。
「敵を分断したわ。……食い潰しなさい」
迷路によって孤立し、半数以下にまで削られた帝国兵の頭上へ、王国軍の倍の兵力がなだれ込む。
各個撃破。 エンヴァの魔力は、今や直接的な破壊ではなく、戦場という盤面を自在に書き換える「神の指先」として機能していた。
さらに数日。
戦況は、数値の上ではエンヴァ軍の圧倒的優勢が続いていた。
だが、エンヴァの精神は、磨り減った剣の刃のようにボロボロだった。
(……どうしたの? 何もしてこないの……?)
いつ、あの絶望的な「介入」が来るか。
いつ、脳内をまさぐる冷たい指先が戻ってくるか。
空を見上げ、地平線を睨み、魔力の微かな揺らぎにすら過敏に反応する。
格上の存在を意識し続けることは、万の敵を相手にするよりも遥かにエンヴァの魂を削り取っていた。
額ににじむ汗を拭い、彼女は再び、帝国兵の心臓を物理的に握りつぶす魔力を飛ばす。
「……死になさい」
冷徹な言葉とは裏腹に、彼女の瞳には深い疲労の色が沈んでいた。
一方、そのころ。 エンヴァが「いつ殺されるか」という恐怖に震えながら戦場を支配していた場所から、わずか数キロ離れた隠れオアシス。
「ここのお水、とっても綺麗ですね! お姉さま!」
キャッキャと声を弾ませているのは、あの妹分の魔女だ。
戦場の砂埃などどこ吹く風。彼女たちは二日前から、この清らかな水源で心ゆくまでバカンスを楽しんでいた。
「そうね……生き返るわ」
「お姉さま」は、水中にゆらめく、消えることのない「魔炎」を眺めながら、うっとりと目を細めていた。
彼女が魔力で水温を調整した、即席の露天風呂。
そこには、数万の人間が殺し合う地獄の喧騒も、必死に自分たちの影を追って自滅しかけている「後輩」への関心も、微塵も存在しなかった。
「ねえ、あの子……エンヴァだっけ? まだ頑張ってるみたいだけど、どうするの?」
「……さあ? もう飽きちゃったわ。」
お姉さまは、濡れた髪をかき上げ、極上の温度に保たれた水を肌に滑らせた。
エンヴァが命を削って作り上げた「砂の迷宮」も、必死の防衛戦も。 上位の魔女たちにとっては、入浴中のかすかなBGM程度の価値しかなかった。
戦いは、唐突な幕切れを迎えた。
地方の反乱を鮮やかに鎮圧し、砂塵を上げて戦場へと帰還したディルガム王。
その別動隊が帝国軍の背後を突き、決定的な打撃を与えたところで、互いの消耗を鑑みた「手打ち」の機が熟したのだ。
「エンヴァ! 無事だったか!」
愛する妻の名を叫び、馬を捨てて駆け寄るディルガム。
数日間に及ぶ地獄の防衛戦を、その身ひとつで支え抜いた最愛の女性を抱きしめようと、彼は両手を広げた。
その、瞬間だった。
――シャキイイイン!
世界の境界線をなぞるような鋭利な音が響く。
ディルガムの指先が彼女の肩に触れる直前、虚空から生じた「氷の刃」が、エンヴァの白い首を冷酷に薙ぎ払った。
遠く離れたオアシスの露天風呂。
湯気に包まれ、心地よげに目を細めていた「お姉さま」が、濡れた人差し指を空中で小さくクルクルと回していた。
「ああ、忘れてたわ」
「え? 何が? お姉さま?」
妹分の魔女が不思議そうに首をかしげる。
「お姉さま」は、今しがた数キロ先の戦場で、一人の魔女の存在をこの世から抹消したことなど、まるでお風呂の栓を抜くのを思い出だしたかのような、瑣末な口調で答えた。
「なんでもないわよ。さて、そろそろ上がりましょうか。お肌がふやけちゃうわ」
微笑む彼女の横顔には、一国の運命を狂わせた「魔女殺し」の痕跡など、微塵も残っていなかった。
(……どうしたの……?)
視界がゆっくりと、不自然な角度で回転する。
熱い。痛い。 エンヴァが見開いた瞳に最後に映ったのは、真っ赤な鮮血の雨の中で、顔を歪ませて泣き叫ぶディルガムの姿だった。
(ああ……やっぱり……何か気に障っていたのね……)
納得と、諦念。
上位存在の「機嫌」という、あまりに理不尽な天秤によって、彼女の数回目の「生」はここで断絶した。
ゴトン。
乾いた音を立てて、魔女の首が砂の上に落ちる。
「エンヴァ! エンヴァアアアアッ!!」
何が起きたのか、誰に殺されたのか。
理解の範疇を超えた事態に、ディルガムは狂ったように叫び続け、首の無い彼女の遺体を抱きしめた。
その後の歴史は、皮肉にもエンヴァが予見した通りの道を辿った。
ディルガム王は、旧ゲルド領と金山を帝国へ割譲するという、屈辱的とも言える条件で講和を成立させた。
魔女という抑止力を失った今、正面から帝国とやり合うのは不可能だと悟った、王としての苦渋の「英断」だった。 帝国は、黄金と領土を手に入れたことに満足し、牙をもがれたディルガムを厚遇した。
エンヴァの死は国内的にも極秘事項とされ、対外的には「王宮の奥底で今も王国を守護している」と喧伝された。
国民はその嘘を信じ、偽りの安寧を享受した。
ディルガムは、成長したレオに早々に王位を譲ると、杖一本を手に王宮を去った。
「レオ王」
砂漠の南半分を統治する王は25歳になっていた。
そこへ突如「同じ」名前を持つ者が訪れる。
「ここに・・・エンヴァという魔女はいますか?私達の母なのです」
そこに立っていたのはかつてのエンヴァの子。
モーヴとシミルを父に持つ二人だった。




