4生 ep.15
ゲルド王都の空は、勝利を祝う紙吹雪と歓声に埋め尽くされていた。
かつては「不気味な魔女」として遠巻きにされていたエンヴァは、今や
「千の兵で倍の異形を屠った戦術の天才」として、英雄の如き凱旋を果たした。
「たった一千で、あの凶暴なリザードマンを2000も!? 信じられん!」
「将軍たちも舌を巻いたそうだ。まさに聖女の如き采配ではないか!」
「ゲルド王国万歳! エンヴァ様万歳!!」
王宮のテラスからその喧騒を眺めるゲルド王の耳には、側近たちの楽観的な報告が届いていた。
「ずいぶんと人気でございますな、南の魔女は」
「報告によれば、地形を利用した伏兵と落石による一網打尽。……魔女の戦いと言うわりには、存外『普通』の軍略でありましたな」
側近たちの言葉に、王は鼻で笑った。
(「普通」だと? 確かに、報告書の上ではそうだろう)
魔法の痕跡も見せず、自ら手を下した形跡もない。
だが、王はその「あまりの普通さ」に、形容しがたい寒気を覚えていた。
あの明晰な頭脳、そして底知れぬ黄金の瞳。
彼女が本気で魔法を振るえば、スーシャ要塞そのものを消滅させることさえ容易だったはずだ。
それをあえてせず、泥臭い「用兵」で勝ってみせた。それは彼女が自分の力を隠し、この国に深く根を張ろうとしている証左ではないのか。
王の脳裏をよぎったのは、南方のイブン王に嫁いだ愛娘、ステラからの密書だった。
「父上、あの魔女を信じてはなりませぬ。彼女は生ける災い。ゲルドを内側から腐らせ、裏返すための毒薬に他なりません。一刻も早く、彼女を亡き者に……」
一度は娘の言葉を容れ、エンヴァを死地に送ったつもりだった。
だが、蓋を開けてみれば、彼女は死ぬどころか「英雄」という名声の鎧を纏って戻ってきた。
(……あまりに人気になられすぎるのも、王権にとっては劇薬だ)
もしエンヴァがこのまま民衆と軍部の心を掌握すれば、玉座に座っているのが自分である必要さえなくなる。王は、自分がお気に入りの小鳥だと思っていた存在が、実は自分の喉元を狙う毒蛇ではないかと疑い始めていた。
王宮の奥、月光が差し込む静謐な小部屋で、二人の支配者が対峙していた。
ゲルド王は、目の前で優雅に杯を傾ける美観の女。
――今や「国の英雄」となったエンヴァを、ねめつけるように見つめる。
「この度は大儀であった。人質でありながら、我が国の危機を救ったその采配、実に見事であったぞ」
「お言葉、痛み入りますわ、陛下。私はただ、陛下にいただいた兵を動かしたまでですもの」
謙虚な言葉とは裏腹に、彼女の瞳は一切の揺らぎを見せない。
王は確信していた。この女を野に放てば、いずれゲルドを飲み込む巨大な渦となる。ならば、その渦を自分の中に閉じ込めるしかない。
「エンヴァよ、そちに提案がある」
「何でございましょう?」
「お主を正式に娶りたいと思っている。第二王妃として、儂の傍へ来てくれぬか」
それは、愛の告白などではなく、「魔女」という兵器をゲルド王家という檻に閉じ込めるための契約だった。
エンヴァはわずかに伏せ目をし、考えるような仕草を見せた。
沈黙が部屋を支配する。
王は、彼女が拒絶した際の「次の一手」を脳内で巡らせていたが――。
「……承知いたしました。身に余る光栄でございますわ」
その答えは、驚くほどあっさりとしたものだった。
王は歓喜に震え、彼女の細い手を握りしめた。
自分が「魔女」を完全に支配下に置いたと、この瞬間の王は信じて疑わなかったのである。
翌年。
ゲルド王宮に、新たな命の産声が響き渡った。
魔女エンヴァは、ゲルド王の第二王妃として、一男一女の双子を産み落とした。
「おお……なんと元気な子らだ。エンヴァ、名前は何とする?」
産後の疲れを見せず、どこか遠くを見つめるような聖母の微笑みを湛えて、エンヴァは答えた。
「男の子をレオ、女の子をリナと名付けましょう、陛下」
こうして、後の歴史書にも名を遺す二人の運命の子がこの世に生を受けた。
二十歳となったイブン王。かつて「英雄」と謳われた面影は、今や執着と焦燥という名の霧に覆われていた。
「魔女エンヴァ、ゲルド王の第二王妃となり、双子を出産」
この報が届いた日、イブンは文字通り、足元から崩れ落ちた。
別れ際、すべてを捨てて叫んだ「愛している」という告白。
それに対する彼女の答えは、「考えておくわ」という、残酷なまでの希望の残滓だった。
その言葉を支えに生きてきた彼にとって、彼女の出産は、魂を裏側から握りつぶされるような絶望だったに違いない。
イブンの寝所には、異様な光景が広がっていた。
豪奢な寝台の傍らには、常に一着の黒い魔女服が置かれている。
それは魔法の力など宿っていない、ただの安物の黒いローブに過ぎない。
しかし、イブンにとっては、かつて自分を支配した神の衣だった。
かつて尻を焼かれた激痛さえも、今や彼の中では「彼女が自分に触れた証」として美化され、聖なる傷痕のように大切にされている。
第一王妃ステラとの間に子を成しても、彼の心は常にその黒い布の向こう側、北の大国へと飛んでいた。
イブンにとって、家族との時間は「王としての業務」であり、あのローブを抱いて眠る夜こそが彼にとっての「真実の生」であった。
第一王妃ステラは、その様子を吐き気を催すような嫌悪感と共に眺めていた。
「……王。今宵も、その『ゴミ』と共に眠られるのですか」
彼女がどれほど美しく装い、どれほど献身的に国を支えても、イブンの瞳には彼女が映らない。
ステラの嫌悪感は、もはや嫉妬などという生温いものではない。
夫の魂を抜き取り、抜け殻にして放置したエンヴァという存在への、殺意に近い純粋な毒へと昇華されていた。




