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転生の魔女  作者: RUSA
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1生 ep.3

リナが初めて自分から私のローブの裾を掴んだのは、彼女がすっかり元気を取り戻した、三日後の朝のことだった。


「……あの、えんゔぁ、さま」


蚊の鳴くような、消え入りそうな声。




兄の影に隠れてばかりいた恥ずかしがり屋の少女は、魔女が庭に咲く花を摘み取る様子をじっと見つめていた。


わざとらしく溜息をつき、彼女の細い指を振り払う。




「何かしら。私は今、今日の夜の準備で忙しいのだけど」


けれど、リナは怯えなかった。代わりに、小さな手のひらに握りしめていた一輪の野花を差し出した。




「これ……おへやの、おはなと、おそろい」


それは魔女が薬湯の材料として植えていた青い花をつける薬草。


10年という歳月をかけてやっと数グラムの薬用を持つ根を採取する事ができる希少なものだった。




「……そう。勝手に摘まないでちょうだい。」


受け取った花を、魔女は乱暴にテーブルの瓶に挿した。




リナはそれを見て、嬉しそうに目を細める。それからの彼女は、私の後を金魚のフンのように追い回し、不器用ながらも薬草の泥を落としたり、床を掃いたりするようになった。




魔女の懸念としては、蓄えた豆の消費量が増えた事。


このままだと冬の蓄えが少し心もとなくなってしまう。




ーーそしてこの兄妹が当たり前のように魔女の家で生活をはじめてしまった事。


兄妹は率先して家事や掃除を行って私の歓心を買おうとするが、それは私が営む理想の生活の「横取り」でしかない。




二ヶ月が過ぎる頃、兄のレオが、決心したような顔で私の前に膝をついた。


「魔女様……お願いです。俺たちを、ここに置いてください。村に戻っても、もう俺たちの家なんてない。両親は沼地熱で死んで、親戚も……」


彼の必死な懇願を、魔女は冷淡な一瞥で切り捨てた。




「断るわ。ここは、世捨て人が静寂を食んで生きる場所。あなたたちのような子供が居座る場所ではないの」




「でも……!」


「――勘違いしないで。私は、自分の時間を邪魔されたくないだけよ。あなたたちは十分に元気になった。三ヶ月もすれば、もう十分だわ」




彼女は冷たく突き放した。 彼らをここに留めれば、いつか彼らは「魔女の片棒」と見なされる。


それは、私が彼らに与えてしまった「命」を、再び奪うことに他ならない。




彼らが村で、一人の人間として生きていくために。


私は残りの一ヶ月を、彼らへの「特訓」に費やすことにした。




「レオ、その皮のなめし方は甘いわ。もっと力を込めて。腐らせたいの?」


「リナ、この草とこの草を間違えたら、人は死ぬわよ。形ではなく、匂いで覚えなさい」




魔法ではなく、泥臭い知恵。


森で生き、村で商い、飢えを凌ぐための技術。


皮のなめし方、傷を塞ぐための薬草の配合、そして――。




「これを持ちなさい」


三ヶ月が満ちる日の朝。


魔女は、大切に保管していた革袋を二人に手渡した。




中には、密かに改良を重ねた、痩せた土地でも育つ穀物や野菜の種が詰まっている。


病気に強く、何世代もかけて配合された強い種。


100年単位で生きる魔女のみが可能にさせる息の長い研究の成果。




「これは、奇跡を呼ぶ魔法の種ではないわ。毎日水をやり、土を世話し、汗を流したものだけが報われる、ただの種よ。村へ戻りなさい。そこでこれを育て、あなたたちの手で、新しい家を建てるの」


まるで母のように子に言い聞かせると二人の目に涙が溢れる。


「魔女様……」




リナは再び、私のローブをギュッと握りしめた。今度は、振り払うことはしなかった。




「……もう、行きなさい。」


魔女は背を向け、小屋の中へと入った。 扉が閉まる音。


そして、遠ざかっていく二人の足音。




静寂が戻った部屋で、私は一人、暖炉の前に座る。 そこには、三つの器。 昨日まで、当たり前のように並んでいた風景。


「……ふぅ。ようやく、自分の予定が立てられるわね」


独り言を呟きながら、私はテーブルに活けられた、リナの摘んだ貴重な花に水をやった。








レオとリナが、一頭の立派な家畜を引き連れて「禁忌の森」の入り口に立ったのは、あの日からちょうど三年が経った、よく晴れた朝のことだった。




「リナ、足元に気をつけて。……確か、こっちの倒木が目印だったはずだ」




三年前、死の淵を彷徨いながら泥にまみれていた面影は、もうレオにはない。


彼は私が教えた通り、罠で魚や獣を捕らえ、はいだ皮をなめし自分で作った靴を市場で売った。


二人が住む小屋の隣に小さな畑を開墾し、魔女からもらった種を育てた。


彼は自らの力で立派に生計を立てる一人の男へと成長していた。




その後ろを歩くリナも、もう私のローブの裾を掴んで泣いていた幼い子供ではない。


その頬は健康的な赤みを帯び、兄の隣で献身的に働く彼女の瞳には確かな生の光が宿っている。




二人は、命の恩人である私へ、最高の感謝を届けようとしていた。


村での暮らしがようやく軌道に乗り、用意できた一番の「お礼」を携えて。




けれど。 二人が森の奥へと踏み込むほどに、周囲の景色は歪み、白く濁っていく。


「……おかしいな。前は、ここを曲がればすぐに見えたはずなのに」




レオが焦燥を滲ませ、霧の帳を掻き分ける。


けれど、かつて彼らが命懸けで辿り着いたあの「普通の家」は、どこにも姿を現さない。




右へ行けば湿った苔の岩場に突き当たり、左へ行けば三年前にはなかった茨の壁が道を塞ぐ。


「エンヴァさま――! エンヴァさまぁ!」


リナが、霧に向かって何度も叫ぶ。




その声は、私の部屋の窓まで届いていた。暖炉で豆を煮る、私の耳に。


私は、窓辺に置かれた三年前の「野花」の残骸――


大切に乾燥させて栞にしたもの――を指先でなぞった。




「……帰りなさい。あなたたちの居場所は、もうここにはないの」


魔女は、杖の石突で、床をトントンと叩いた。




茨はさらに深く、白い霧はさらに濃く。


あの二人を優しく村へ返すようにスゥっと森の奥深くへの道を閉ざしていった。

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