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転生の魔女  作者: RUSA
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4生 ep.9

エンヴァは「先輩」との出会いの中で一つ悟った事がある。


ドンドンとドアを叩くイブンを無視し、「先輩」から聞いた話を羊皮紙に記していくエンヴァ。


羽ペンを置き、エンヴァは心の中で呟く。


『先輩は、経験が飽和し、その重みに魂が耐えきれず自壊を始めたのだ。 彼女は、自らの魂を「限界まで使い潰す」ことで、神や理に頼ることなく、自力で輪廻の円環から「零れ落ちる」ことに成功した』




(……これは果たして救いなのかしら。それとも、呪い?)


魂を摩耗させ、ボロボロに引き裂いた先にしか、「終わり」は用意されていない。


それは、望んで得られる安らぎではなく、あまりに過酷な「使い切った者」への報酬。


私もまた、あと何度、死と生を食い潰せばあの場所へ辿り着けるのか。




筆は止まらない。記すべき真実は、まだある。




『最期の瞬間に彼女が漏らした二人の名は、力でも魔法でもなく、「ただの人間」として生きた記憶に帰結していた。 どれほど強大な魔王になろうとも、魂の最深部に残っていたのは、誰かと過ごした些細な時間だったのだ』




魔女として歴史を弄び、大陸を朱に染めた凄絶な生。


だが、数百年の記憶の濾過ろかを経て、最後に底に残ったのは、輝かしい覇業ではなく、名前も残らぬ誰かと笑い合った、泥臭くも愛おしい「ただの人間」としての断片。




その皮肉に、エンヴァは乾いた笑みを零しそうになる。


魂を削り、人に介入し続けた果てに、彼女は運命をすべて受け入れた。


弱き者として産まれ、あっけなく死ぬという、シンプルな「人間」の特権を。




3か月もの間、エンヴァは部屋へ閉じこもり「先輩」の生を記し続けた。


そしてそれは1冊の「本」となった。




タイトルはつけられていない、しかし後年この「魔女記」は歴史上伝説と言われた古の魔王や聖女の存在が事細かに記されており現代では「禁書」として扱われ封印されている。




(……皮肉なものね。私が彼女を金で買い、王宮に連れ戻したのは、彼女にとって「最後のわがまま」を邪魔する無粋な介入だったのかもしれない)




静かに死なせてほしかった。


ただの奴隷として、名もなき死体になりたかった。




そんな先輩の願いを、私は知識欲と欲望のままに踏みにじった。


それなのに。 彼女が文句一つ言わず最期の一週間を私に捧げ、その深淵を見せてくれたのは、同じ「黄金の瞳」を持つ妹分への、最初で最後の姉妹愛——。


拒否しようと思ったら簡単にエンヴァの存在など無に帰する事は出来ただろう。


それは彼女が最後に絞り出した「慈悲」だったのだ。




「先輩」の遺体は、エンヴァの冷徹な指示によって荼毘だびに付された。


立ち昇る煙は、冬の空へと溶けていく。




(……復活なんて望んでいないわよね)




世界との魂の貸し借りをすべて清算して消え去った一人の魔女。


エンヴァは、扉の向こうで未だに喚き続けるイブンの気配を感じながら、その黄金の瞳をそっと閉じた。




魔女エンヴァが「先輩」の死を見届け、深淵なる魂の真理を羊皮紙に綴っていた一か月。 王宮の静寂とは対照的に、アデル王の支配する世界は、燃え盛る火薬庫のような熱に包まれていた。




「報告します! 西方のラシーク族、タミー族、マヒージ族が同時に蜂起! 街道を封鎖し、各地の徴税官を殺害して回っております!」




「北方の国境線より緊急連絡! ゲルド王国が2万の兵を動かしました! 狙いは穀倉地帯、及びマーヤの町!」


王宮の謁見の間に、絶叫に近い報告が次々と飛び込んでくる。かつての栄華は影を潜め、空気は鉄錆と焦燥の匂いに塗り替えられていた。




「ええい、五月蝿い! 揃いも揃ってこの時期に……!」


玉座を蹴らんばかりに立ち上がったアデル王の顔は、怒りと疲労で土気色に沈んでいた。


北の大国ゲルド。


これまで幾度となく臣従を迫る圧力をかけてきていたが、アデルはそれを撥ね退けてきた。



「西方の泥棒猫どもの相手はイブンに任せる! 奴に3000の兵を預け、反乱部族を根絶やしにさせよ。儂は主力を率いて北のゲルドを叩く! 傭兵を募れ! 金ならいくらでも出す、腕利きを揃えろ!武器を集めよ!」


アデルは叫ぶ。




しかし、その声にはかつての覇気が欠けていた。 西方の部族がこのタイミングで一斉に離反したのは、明らかに北のゲルドによる調略の結果だった。


内乱で国を分断し、アデルの注意を逸らした隙に、その心臓部を握り潰す。


それは、王国を従わせるためではなく、完全に「国を滅ぼす」ための行軍だった。




「……私に、西へ行けと?」


王宮の廊下、出陣を控えたイブンは、冷たい鎧の感触を噛み締めていた。 彼はエンヴァの部屋の前に立ち、閉ざされたままの扉を見つめる。




一か月。彼女の顔を見ていない。声も聞いていない。




自分が今から死地に向かうことも、この国が滅びの淵にあることも、彼女は興味がないのだろうか。


「イブン様、出発の刻です」


従者の声に、イブンは短く吐き捨て、踵を返した。


王の命令は絶対だ。そして何より、手柄を立て続けなければ、自分はエンヴァの隣に立つ価値さえ失ってしまう。 その強迫観念だけが、今の彼を戦場へと駆り立てる唯一の燃料と言えた。




王国の北と西。


燃え広がる戦火は、静かに羊皮紙を綴る魔女の指先さえも、やがて赤く染めようとしていた。




「……イブンが破れようとも、王都が一時西方の部族たちに占領されようとも。儂が北のゲルドさえ防ぐことができれば、この国が亡びることはない」


王宮の執務室、薄暗い灯火の下でアデル王は独りごちた。

その瞳には、一国を背負う指導者としての冷酷な合理性が宿っている。彼にとって王都も、そして育て上げた実の息子イブンさえも、国家という巨大な概念を維持するための「切り捨て可能な駒」に過ぎなかった。




アデル王は、北の大国ゲルドさえ叩けば、あとの小規模な部族連合などは後からいくらでも掃除できると考えていた。たとえ一時的に王都を明け渡す屈辱を味わおうとも、王の首と主力が無事であれば国は死なない。


そう考えていた。


「……。出発だ。馬を出せ」


イブンの声は、かつてないほど低く、冷え切っていた。 3千の兵を率いて西方へと向かう彼の背中には、英雄としての高揚感など微塵もない。


彼は最後に一度だけ、エンヴァの部屋の扉を振り返った。




一カ月間、沈黙を守り続けるその扉。


自分が死地へ向かうことも、王宮が空になることも、彼女にとっては羽虫が騒いでいる程度の事象に過ぎないのか。


(待っていろ、エンヴァ。私が……必ず、この戦を終わらせて戻る。貴女の隣に立つ資格を、また血で購ってみせる)


歪んだ執念だけを糧に、イブンは一度も開くことのなかった扉に背を向け、西の地平へと進軍を開始した。




王宮は、まるで巨大な墓標のように静まり返っていた。 主力を率いた王が去り、英雄とされる王子が去った後には、死を待つ者のような重苦しい沈黙だけが降り積もっている。




扉を開け、一カ月ぶりに姿を現したエンヴァに、恐る恐る近寄った侍女たちが今の窮状を訴える。王国の危機、迫りくる敵軍、そして死地へ向かったイブンのこと。




「そう、大変ね」


エンヴァは、枯れ葉が落ちたのを見たかのような淡白さでそう答えた。




彼女の瞳には、以前のような「退屈を紛らわせようとするギラつき」はない。

ただ、すべてを等しく「借り物」として眺める、透徹した静寂があった。




「お茶にするわ。バルコニーへ用意してくれるかしら?」


泣き出しそうな侍女たちを背に、エンヴァは一人、陽光の降り注ぐバルコニーへと向かった。




一方、西方の荒野。 そこには、バルコニーの静寂とは真逆の、地獄が具現化していた。


「敵兵およそ8000! こちらを包囲せんと陣形を組んでいます!」

「何……!? 5000という報告ではなかったか!」


偵察兵の絶叫に、イブンの顔が歪む。 敵の数は当初の予想を遥かに上回っていた。地平線を埋め尽くす旗印の中に、本来なら不干渉を貫くはずの**「南のマハル族」**の紋章が翻っている。


「……ハメられたか。ゲルドの調略は南にまで及んでいたというのか!」


敵軍はすでに合流を終え、完璧な包囲網を完成させていた。逃げ場はない。 大地を揺らす蹄の音が、死の秒読みのように響く。


「敵騎馬、突撃してきます! イブン様!」

「くっ……密集体系ファランクス! 長槍隊を前面に出せ! 絶対に崩されるな!」


イブンの叱咤が響くが、兵たちの間には隠しようのない動揺が広がっていた。 3000 対 8000以上。 さらに敵は地の利を知り尽くした騎馬民族の連合だ。 まともな戦術では、一刻も持たない。




同じ時刻。 王都のバルコニーでは、エンヴァがゆっくりとお茶を口に含んでいた。


「……。風が、鉄の匂いを運んでくるわね」


彼女は遠く、西の空を見つめる。


そこでは今、自分が「鎖」として繋ぎ止めている青年が、絶望に抗いながら血を流しているはずだ。 だが、エンヴァの心は波立たない。




(世界が私の魂を借りて拡大するように、私もこの景色を借りて、一時の生を味わっているだけ。)


エンヴァは、手元にある最高級の茶器を指先でなぞった。


この茶器が砕けるのと、一つの国が滅びるのに、本質的な違いなどあるのだろうか。

そしてそれはエンヴァ自身の魂も、何度も繰り返される彼女自身の生も。




バルコニーに差し込む砂漠の朝陽は、どこまでも明るかった。




一晩中、冷え切った紅茶が何度も交換される間、エンヴァは思考の深淵に潜り続けていた。


(「先輩」の魂はズタズタに分断されていた。……けれど、私の魂はどう?)




内観して気づかされたのは、あまりにも瑞々しく、傷一つない自分自身の魂の姿だった。


何度もの人生を繰り返し、凄惨な死を経験してきたはずなのに、なぜ自分は「磨り減って」いないのか。


(「愛」というまがい物を人間に与えるために自ら望んで命を絶つ……それは、命を燃やしたと言えるのかしら? 私はこれまで、役割を演じていただけ。世界という舞台に、一度も『私自身』として介入していなかった……)




先輩は魔王として世界を蹂躙し、聖女として世界を導き、女として一人の男にすべてを捧げた。


彼女はいつだって、自分の魂を削りながら「自分自身」を生きていたのだ。


対して自分は、観客席から舞台を眺めるように生きていただけ。

その気づきが、彼女の黄金の瞳をかつてない鋭さで研ぎ澄ませた。



一方、西方の平原では、絶望が完成を迎えようとしていた。

前日の弓矢の雨で兵の三分の一を失い、包囲されたイブン軍。


「突撃! 敵将の首を取り、戦況を変えるぞ!」


イブンの悲痛な叫びと共に敢行された全軍突撃も、敵連合軍には見透かされていた。堅牢な盾兵の壁に阻まれ、左右からタミー族の伏兵が牙を剥く。


「王子! お逃げください! ここは我らが食い止めます!」 「あいつが大将だ! 首を取れ! 逃がすな!」


包囲の輪が縮まり、イブンの周囲から一人、また一人と味方が消えていく。 精強な連合軍の騎馬隊が、土煙を上げてイブンへと肉薄する。その切っ先が、彼の喉元を貫こうとしたその瞬間。


(……ここまでか……。エンヴァ!!!!!!)


イブンの心の中で、執着そのものだった彼女の姿が、鮮烈な閃光となってはじけた。




(……わかったわ、「先輩」)


バルコニーで目を見開いたエンヴァの意識が、イブンの悲鳴のような思念と共鳴する。 彼女がすべきことは、観劇ではない。 「自分自身」の意志で、世界という巨大な歯車に指を突っ込み、魂が削れるほどの衝撃を味わうこと。


パァンッ!!

メイドたちが驚愕に目を見開いたときには、バルコニーの椅子は空になっていた。


次の瞬間。

西方の戦場、その上空数百メートルに、一人の少女が滞空していた。


「お待たせ、イブン。……少し、遊びが過ぎたかしら?」


遥か下界、イブンの首を狙って振り下ろされた無数の剣が、見えない「壁」に阻まれて火花を散らす。




誰かのためでも、退屈しのぎでもない。自分の魂を削り、生を実感するための戦い。


眼下に広がる戦場を見やると、エンヴァは魔力を込めた手のひらを地面に押し付けるように動かした。。




「ドオオオオン!」


大気が悲鳴を上げ、物理的な質量を伴った不可視の「圧」が地面に叩きつけられた。

イブンの喉元に迫っていた騎馬隊が、抵抗する間もなく馬ごとぺしゃんこに「潰れた」。




上空から見れば、それはあまりに鮮明な巨大な「手」の形。


砂漠のただ中に、数十メートルに及ぶ赤黒い血の池が唐突に出現した。




「な、何だ!? 何が起きた!」


「空に……空に女がいるぞ!」


阿鼻叫喚の渦中、私は次に両手を合わせ、まるで粘土をこねるように、ゆっくりと手をもむ仕草をした。 タミー族の族長を含む数十人の精鋭が、重力の理を無視して宙へと吸い上げられる。




連合軍の一つ、ラシーク族の戦士たちは、その光景に震え上がった。彼らの一族には、骨の髄まで刻み込まれた古い伝承がある。 かつて世界が終わりかけた最終決戦。




『……宙に浮く一人の女に、我ら人類は何もし得なかった。弓矢は届かず、我々も、エルフも、巨人族も、等しくその巨大な手のひらに潰され、物言わぬ肉塊とされたのだ』




「ま、魔王だ……。魔王が戻ってきた!」


恐怖が伝染し、包囲網は内側から崩壊していく。


私はお構いなしに、次は両手を広げ、砂場で泥団子を作る子供のように、周囲の兵士を地面ごと一箇所に掻き集めた。 数千の敵兵が、土砂と共に巨大な「血と肉の玉」となり、虚空を転がる。

それが地面に叩きつけられた瞬間、衝撃でバラバラに弾け飛び、戦場には見渡す限りの血の湖が完成した。




ラシーク族の生き残りは「魔王だ!」と叫びその場から逃げる。




「助かった……のか?」


目の前に広がる、一瞬にして築かれた死の山。 数秒前まで死を覚悟していたイブンは、返り血に塗れたまま呆然と立ち尽くしていた。


「イブン様! あれを……見てください!」


側近の叫びに誘われ、イブンが天を仰ぐ。




そこには、陽光を背に負い、重力という鎖を解き放って宙を踏みしめるエンヴァの姿があった。


一カ月前までの彼女とは、明らかに何かが違う。


瞳に宿る黄金の光は、もはや他人を拒絶する冷たさではなく、世界そのものを掌握する支配者の輝きだった。




「……掃除は終わったわ」


その声は、凄惨な戦場にはあまりに不釣り合いなほど、穏やかで涼やかだった。


空を舞う赤い霧の中を、エンヴァは目に見えない階段を下りるように、ゆっくりと地上へ降りてくる。 彼女の足が、数瞬前まで敵軍の精鋭だった「肉塊」と「鉄屑」が混ざり合う泥土に触れた。




「エンヴァ……様……」


イブンは、剣を杖代わりにしてようやく立ち上がっていた。


生き残った数少ない兵たちは、自分たちを救った「女神」に対し、跪くことさえ忘れて固まっている。それは敬虔な祈りではなく、本能的な「捕食者への恐怖」だった。

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