「レオ」と「リナ」 ep.1
母、エンヴァと二人の父が炎の中に消えてから、数年の月日が流れた。
かつて二人の父と彼らが愛した母が断罪されたその町の片隅に、レオとリナは一軒の質素な家を構えていた。
叔母サリが、狂気と贖罪の狭間で吐き出した金は、皮肉にも二人が奴隷という身分を買い取り、市民として自立するための土台となったのである。
「あの日」の光景は決して忘れない。
そう誓った二人。
十五歳になった二人は、その身に宿した血の濃さを、隠しようもなく体現していた。
レオは、父モーヴ譲りの逞しい体躯を備え、町の見習い冒険者たちの間でも一目置かれる存在となっていた。
「呪われた子」と陰口を叩く酔いどれがいれば、彼は言葉を返さず、ただその首根っこを掴んで路地裏に放り出す。かつての父モーヴがツンドラの獣を仕留めた時と同じ。
一方、リナは家の中から一歩も出ず、窓辺で小導具を組み立てていた。
シミルから受け継いだ明晰な頭脳によって彼女が作る「家庭用」の火起こし器や護身用の小道具は、どれも異常なほど効率が良く、皮肉にも兄妹を忌み嫌う町の人々の生活を支えていた。
町の人々にとって、この二人は「腫れ物」だった。
「ねえ、お兄ちゃん。……ママは、本当に魔女だったのかな?」
リナが、黄金の瞳に揺れる不安を隠すように呟いた。 その問いに、レオは大剣の手入れをしていた手を止め、妹を真っ直ぐに見つめた。
「……そんな筈無いだろう。優しい母さんだったじゃないか」
レオの記憶にあるエンヴァは、いつも白湯を啜り、自分たちの成長を少し遠い目で見つめていた。時折、頭を撫でてくれるその手は冷たかったが、そこには確かに平穏があった。
「魔女」という言葉が持つ、禍々しくもおぞましい力など、一度も見せたことはなかったのだ。
だが、レオの言葉には、自分自身を言い聞かせるような響きが含まれていた。
自分たちの知っている「優しいママ」と、世界が断罪した「心を奪う魔女」。
その乖離が、彼らの心をかき乱していた。
二人の記憶をさらに混乱させるのは、数年前に狂い死んだ叔母、サリが遺した言葉だ。 彼女は死の間際、廃人のようになりながらも、レオとリナにこう繰り返していた。
「あいつは……エンヴァは、私と同じ血が流れているはずなのに、まるで『別モノ』だった……」
サリもまた、町では名の通った美しい女だった。けれど彼女自身が、実の姉に対して抱いていたのは、単なる嫉妬を超えた、未知の存在への恐怖だった。
「美しさ以上の何か」——それは、人が一生をかけても到達できないような、数百年分の重みを知る者だけが纏う、底知れない「虚無」の気配だったのかもしれない。
「サリ叔母様は、ママのことを怖がっていた。……でも、私たちが知っているママは、ただ寂しそうだったわ」
リナが唇を噛む。
「ママが魔女だったのか、それとも、この世界がママを魔女に仕立て上げたのか。……それを確かめるまでは、俺たちの時間は止まったままだ」
レオが立ち上がり、壁に掛けられた外套を手に取った。
母と共に火刑に処された二人の父、モーヴとシミル。
炎にまかれて肉が焼け落ちても、二人の父はひたすら妻エンヴァの名前を呼び続けた。
最後まで愛していると叫び続けた。
ーーー子である自分たちの名前は最後まで一度も叫ばなかった。
彼らが命を賭けて愛し、守ろうとしたものは何だったのか。
彼らは「魔女」に心を奪われた哀れな犠牲者だったのか、それとも、真実の姿を知る唯一の証人だったのか。
二人が求めているのは、「母の真実」ただそれだけだった。
十五歳で故郷を離れ、二人は「魔女の子」という呪いを背負いながらも、泥を這うようにして生きてきた。 生活の糧を得るため、レオは大剣を振るい、リナは導具を編む。
しかし、その日々はすべて、ある一つの「答え」に辿り着くための布石に過ぎなかった。
三年の月日が流れた。 二人の家には、各地の古老から聞き出し、黄ばんだ羊皮紙に書き記された膨大な「魔女伝承」が、壁を埋め尽くすほど積み上げられていた。
ある夜、リナが震える指先で一枚の紙を広げる。それは、遥か西の果て、文明の届かぬ辺境の村で聞きつけた、比較的新しい「不老の魔女」の断片だった。
「……その魔女は、いつまでも年を取らず、恐ろしいほどの美貌を持っていた。けれど、ある時、村を支配しようとした罪、魔物を使役した罪で、一人の男によって首を撥ねられた。村の人々は、その男を『英雄』と呼んだ」
「首を撥ねただって? 実に魔女らしい、凄惨な末路じゃないか。……だが、それが俺たちと何の関係があるんだ?」
レオが興味深げに身を乗り出す。だが、リナの顔は、暖炉の火に照らされてもなお、幽霊のように青ざめていた。
「お兄ちゃん、ここからが大切なの。よく聞いて……。その魔女の名前、記録にはこう記されていたわ」
リナが唇を震わせ、喉の奥から絞り出すようにその名を呼ぶ。
「……エンヴァ。不老の魔女、エンヴァよ」
ドクン、とレオの心臓が跳ねた。
「……!! まさか、同名の別人、だろう?」
「いいえ。まだあるの。その魔女を殺した英雄……つまり彼女の息子と、共にいた娘は、驚くことにまだ存命だという噂なの。そして——」
リナは、信じられないものを見るような眼差しをレオに向けた。
「魔女の息子と娘の名前……レオとリナって言うらしいわ」
沈黙が、重く二人を包み込んだ。
積み上げられた羊皮紙の山が、まるで生きて蠢く亡霊のように見えた。
「俺たちが……魔女を……母を殺した、英雄の名だって?」
レオの低い声が、静かな部屋に響く。
母がかつて、どこか遠くを見つめながら
「あまり縁起の良い名前ではないけれど」
と呟いたと父シミルからリナが聞いた事がある。
その意味が、氷の刃となって二人の胸を貫いた。
自分たちは、愛されて名付けられたのではなかったのか。
止まっていたはずの運命の歯車が、耳障りな音を立てて激しく回り出す。
二人は悟った。自分たちの人生は、偶然始まった悲劇などではない。
数百年、あるいはそれ以上の時をかけて繰り返されてきた残酷な円環の一部なのだと。
「母さん・・・一体どういう事なんだ」
「……行こう、レオ。西へ。その同名の『英雄』が、ママと同じ名前の魔女をどう殺したのか……この目で確かめに」
リナの目は真剣だった。




