3生 ep.4
あれから一年。 世界から切り離されたかのようなツンドラの大地。吹雪が止むことのないその最果ての地に、ひっそりと煙を上げる一軒の粗末な小屋があった。
かつて「異端」として追われた親から産まれた少年たちと、すべてを諦観していた魔女。
三人で木を切り、氷を積み、泥を捏ねて建てたその場所は、狭く、常に寒風の鳴り響く過酷な住処ではあったが、同時にこれまでの人生で最も「静寂」に近い場所でもあった。
彼らは競い合うように働き、競い合うようにエンヴァを守った。 その熱意は、時に鬱陶しく、時に可笑しく。エンヴァの乾いた心に、決して「愛」とは呼ばないまでも、無視できないほどの色を落としていた。
そして、彼らはついに十五歳を迎えた。
エンヴァが集落にいたならば、強制的に誰かの「番」にさせられていたであろう年齢。
モーヴの肩幅はさらに広がり、戦士のような逞しさを備え始めた。
シミルの瞳には、知識を積み重ねた者特有の静かな理知が宿り始めた。
そして、エンヴァ。
彼女の美貌は、もはや「絶世」という言葉すら生温いほどに完成されていた。
透き通るような肌は万年雪を思わせ、黄金の瞳は極光よりも深く、神秘的な黄金の光を湛えている。
もはやこの地には彼女を売り飛ばす親も、支配しようとする隣人もいない。
ただ、目の前には、彼女を一人の「女性」として、熱を帯びた瞳で見つめる二人の青年がいるだけだ。
かつて、この年齢は「破滅」の合図だった。 だが、この三人の共同生活において、十五歳という数字は別の意味を持ち始める。
十五歳の夜、暖炉の火が爆ぜる音だけが響く狭い小屋の中で、ついにその問いが投げかけられた。 モーヴとシミル。かつて自分を連れ出した少年たちは、いまや立派な体躯と覚悟を備えた青年となり、一人の女性としてエンヴァに向き合っていた。
「エンヴァ、決めてほしい。……俺か、シミルか」
「……どちらか一人が、君を一生支える。それが、この地で生きるための男の責任だと思うんだ」
あくまでも紳士的に、けれど逃げ場を塞ぐような真剣な眼差し。 エンヴァは、彼らのその「誠実さ」に少しだけ感心し、そしてそれ以上に、ほとほと呆れ果てていた。
(……本当に、子供ね)
エンヴァは冷徹に未来を演算する。
ここでどちらかを選べば、選ばれなかった方は「潔く」この地を去るだろう。
それはこの極寒のツンドラにおいて、確実な「死」を意味する。
そして残った一人がどれほど優秀であっても、二人で分担していた「狩り」と「工作」の片翼が失われれば、この共同体の生存率は劇的に下がるのだ。
(「どちらかを選ぶ」なんて、ただの破滅への片道切符じゃない)
彼女にとって、二人はもはや単なる「追っかけ」ではない。この静寂を維持するための、欠かせない部品であり、奇妙な隣人なのだ。
エンヴァはふぅ、と長く、白い溜息をついた。 そして、戸惑う二人の青年を見据え、こともなげに言い放った。
「なら、私は二人のものになろうかしら? ……何か、不都合があって?」
「…………え?」
モーヴが間抜けな声を出し、シミルの持っていた木彫りのコップが床に転がった。
彼らにとっての結婚とは、あるいは愛とは、唯一無二の独占であるはずだった。
だが、エンヴァにとっては違う。 愛という感情に期待せず、ただ「生存」と「平穏」を最適化し続けてきた彼女が出した答えは、二人の男を等しく自分の所有物とし、同時に自分も二人の共有財産となることで、この「三人」という形を固定することだった。
「……不服なの? 二人とも?」
黄金の瞳が、いたずらっぽく、それでいて一切の情を排した光を湛えて二人を射抜く。
エンヴァとしては、これがこの地で「三人で」生き残るための、最も合理的で、最も慈悲深い「最善の選択」のつもりだった。
(エンヴァの……二人、同時に……?)
先に口を開いたのはモーヴだった。 彼はがしがしと頭を掻きむしり、獣のような鋭い目で、隣に座るシミルを睨みつけた。
「……シミル。俺は、お前にエンヴァを渡すくらいなら死んだほうがマシだと思っていた。だが……エンヴァがそう言うんなら、話は別だ」
モーヴの自負は、その「力」にある。 この過酷なツンドラで、彼女を飢えさせず、外敵から守り抜く肉体と精神。それに関しては、隣の細腕の男に負けるはずがない。
たとえ共有という形であっても、エンヴァにとっての「一番の盾」は自分であるという確信があった。
「……僕も同じだよ、モーヴ」
シミルは、震える手で眼鏡(あるいは整えた前髪)に触れ、静かに、けれど激しい光を瞳に宿して言い返した。 「君の腕力は認める。でも、エンヴァが必要としているのは、彼女の知恵を理解し、この生活を豊かにする僕の技術だ。……エンヴァの隣に相応しい『理解者』は、僕だけだ」
彼らはお互いを、この一年で深く認め合っていた。 だからこそ、相手を追い出すのではなく、「自分こそがエンヴァにとって真に価値のある男である」ことを、同じ屋根の下で証明し続ける道を選んだのだ。
二人は顔を見合わせ、それから弾かれたようにエンヴァの前に跪いた。 その姿は、一人の少女に求婚する若者というよりは、絶対的な神に忠誠を誓う騎士のそれであった。
「分かった、エンヴァ。……お前の言う通りにする。俺は、お前を支えるための一番強い男で居続けるだけだ。シミルには負けない」
「僕も……受け入れるよ。君が望むなら、それが一番の正解なんだろうね。その代わり、誰よりも君に尽くすと約束するよ」
うろたえ、頬を赤らめながらも、その言葉には「恋」を超えた色が混じり始めていた。
十五歳の冬。 一人の魔女と、彼女を愛する二人の「夫」という、世界で最も歪で、最も強固な共同体が、吹き荒れる吹雪の奥底で産声を上げた。
歪な誓約から始まった共同生活は、極北のツンドラにおいて驚くほど穏やかな結実を見せた。
吹き荒れる雪嵐を、エンヴァの魔力が編み上げた見えない障壁が撥ね除け、小屋の中には常に薪の爆ぜる音と、幼子の声が響くようになった。
エンヴァは、彼らの「妻」としての役割をも誠実に遂行した。
一年おきに授かった二人の命。
モーヴの血を濃く継いだ、日だまりのような金髪の男の子。
シミルの理知的な面影を宿した、夜の闇を溶かしたような黒髪の女の子。
「この子の名前は……レオにしましょう」 「そして、この子はリナ」
かつて守り抜き、そして奪われた愛しい子供たちの名。
(縁起の良い名前というわけではないけれど……)
腕の中で眠る赤子を見つめながら、エンヴァは自嘲気味に目を細めた。
それは感傷ではなく、前世の記憶を整理するための、一種のタグ付けのような行為だったのかもしれない。
モーヴは、レオを逞しい肩に乗せては、凍った大地を駆ける強さを教えた。 シミルは、リナを膝に抱き、枯れ草から薬を作る知恵と、言葉の美しさを説いた。
二人の男は、かつて誓った通り、競い合うようにエンヴァへ愛を捧げ、子供たちを育てた。
「俺がレオを最高の猟師にする。エンヴァ、見ていてくれ」
「リナには僕の知識をすべて授けるよ。彼女は君のように賢くなるはずだ」
そこには、集落の大人たちが抱いていたような醜い独占欲は微塵もなかった。 彼らにとって、この小さな小屋こそが世界のすべてであり、そこに君臨するエンヴァこそが、自分たちの命を繋ぎ止める太陽そのものだったからだ。
誰にも邪魔されない、完璧な安穏。 親子五人の、温かな暮らし。 それは、彼女が「理想的じゃない」と呟いた、あの孤独な杉の木の頂よりも、ずっと色彩に満ちた日々だった。




