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転生の魔女  作者: RUSA
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3生 ep.3

十三歳。 少女の幼さは抜け、エンヴァの美貌はもはや、この最果ての集落という「額縁」には収まりきらないほどの輝きを放っていた。 だが、その輝きは、一番近くにいたはずの家族の魂を真っ先に焼き、歪めてしまった。


「町へ行くぞ。……ついてこい」


ある朝、父が吐き捨てた言葉。 夜な夜な、壁の向こうで母と交わされていた密やかな囁きを、エンヴァの鋭い耳はすべて拾っていた。


父の瞳に宿っているのは、娘の成長を喜ぶ親の慈しみではない。 それは、思いがけず手に入れた「黄金の果実」を、どこで最も高く売り飛ばせるかを計算する、強欲な商人のそれだった。


父の計画は、エンヴァの予想通り、極めて卑俗で、かつ短絡的なものだった。




集落の外れ、すきま風の吹く粗末な家の中で、父は取り憑かれたように荷造りを進めていた。 その背中に向けるエンヴァの眼差しは、吹雪よりも冷たく、そして深い虚無を湛えていた。


父の頭の中にあるのは、一攫千金の夢だ。

絶世の美貌を誇る娘を町の豪商へ「商品」として売り飛ばし得た大金で、自分たち夫婦と次女だけが暮らすための安住の地を買う。

その「家族」の計画の中に、長女であるエンヴァの席は用意されていなかった。




(……私は、家族ではなかったのか)


胸の奥を通り過ぎたのは、悲しみですらない。乾いた諦念だった。


三度目の生において、エンヴァは血の繋がった両親に対し、決して酷な真似はしてこなかった。 彼らの貧しさを「知恵」で補い、飢えという死神から何度もその命を救い上げた。 何よりもこの閉鎖的な集落で慎ましく「娘」という配役を全うしてきたのだ。




自立を促し、生きる術を与え、平穏な老後を保証するための布石は、すべて打ってきたはずだった。 その献身に対する「見返り」が、たかだか金貨数枚のための身売りだというのか。




最果ての静寂は、あまりに脆いものだった。 父が夜な夜な進めていた「娘という名の黄金」を抱えての脱出計画は、思いもよらぬところから漏洩した。




その引き金を引いたのは、皮肉にもエンヴァの妹サリだった。


姉に似て聡い耳を持つ彼女は、両親の密談を断片的に聞きかじり、それを無垢な「希望」として隣人に漏らしてしまったのだ。


「ねえ、聞いて。お父様たちが、町へ行く準備をしているの!」


訝しげに荷造りを眺めていた隣人が、探るように問いかけると、妹は誇らしげに胸を張った。


「町でお金を作って、別の村へ引っ越すんだって。……お姉ちゃんも一緒に町へ行けるなんて、羨ましいわ!私も行って見たい!」




その言葉は、閉ざされた集落において、何よりも激しい「火種」となった。


「町でお金を作る」——。


その意味を理解できぬほど、追放者である大人たちは無知ではない。

彼らは即座に悟った。エンヴァという「稀代の美貌」を換金し、自分たちだけがこの地獄のような最果てを抜け出そうとしているのだと。


「おい、どういうことだ! 自分たちだけが町へ出て助かろうというのか!」


その日の夕刻、エンヴァの家は怒り狂った隣人たちに包囲された。


狭い集落だ。逃げ場などどこにもない。 昨日まで「獲物の分け前」で言い争っていた大人たちの目は、今や「裏切り者」へのどす黒い憎悪に染まっていた。




「俺たちをこの極寒の地に捨てて、娘を売った金で贅沢をしようとは……いい度胸じゃないか!」




「その金は、集落全員の共有財産であるべきだ。あの娘はモーヴと結婚するつもりでいるんだぞ!」


責め立てる声、罵声、そして暴力的な殺気。


身勝手な父の企みは、それ以上に身勝手な隣人たちの執着によって、最悪の形で暴かれたのである。


(……勝手な事を言わないでよ)


騒乱の渦中、エンヴァは部屋の隅で、ただ静かに事の成り行きを眺めていた。

自分を売ろうとした父。 その「売り上げ」を自分たちにも分配せよと迫る隣人たち。

そこには、自分を「人間」として扱う者は一人もいなかった。




結局、話し合いは平行線に終わる。


「エンヴァを連れて町に行くのなら、残された嫁と娘は殺す」

結託した隣人の言葉に諦めざるを得ない。


「あと、勝手に売り飛ばせないようにエンヴァは俺達の家で預かる、断るのなら殺す」

隣人たちは本気だった。


彼らにとって、エンヴァはもはや、この地獄を抜け出すための「金貨の詰まった袋」に過ぎない。


(ああ、そう。……もう、誰一人として残す価値はなさそうね)


十三歳の少女の唇が、わずかに弧を描く。 それは慈悲の終わりを告げる、死神のような微笑だった。




「エンヴァ、ちょっと話があるんだ!」


そんなエンヴァを呼び止めたのは、モーヴとシミル。 この凄惨な奪い合いの中で、唯一「狂気」に染まりきっていない二人の少年だった。




彼らが彼女を連れ出したのは、集落から少し離れた小さな洞窟。 二人にとっては「三人だけの秘密の場所」であり、エンヴァにとっては「ただの雨宿り場所」に過ぎないその空間で、少年たちは激しい憤りを露わにした。




「……大人たち、狂ってるよ!」


真っ先に叫んだのはモーヴだった。


父親譲りの逞しい体格を震わせ、彼は拳を握りしめる。




「エンヴァを町の金持ちに売るなんて! その金で自分たちだけ逃げるなんて、人間がすることじゃない!」


「うん、まともじゃないよ。エンヴァは、誰のものでもないのに」

隣で静かに、けれど強い意志を込めて頷いたのはシミルだった。



器用な手先でエンヴァの教えをすべて吸収し、今や集落の食卓を支えるまでになった彼は、その知恵の授け主である彼女を、誰よりも一人の人間として敬っていた。




彼らはこれまで、エンヴァという「絶世の果実」を巡るライバルだった。

大人たちが彼女を「換金可能な資源」として見ていたのに対し、この少年たちだけは、形こそ未熟で独りよがりではあったが、純粋に彼女に「恋」をしていたのだ。




大人に混じって獲物を狩るモーヴの勇気も。


エンヴァの仕掛けを完璧に再現してみせたシミルの研鑽も。


その根底にあったのは、彼女の隣に立つに相応しい男になりたいという、ただそれだけの、あまりに眩しい若さゆえの情動だった。




「エンヴァ、俺たちがなんとかする。あんな大人たちの言うことなんて、聞かなくていいんだ」

二人の少年は、それぞれのやり方でエンヴァを庇うように立った。


それは、家族からも隣人からも見捨てられ、ただの「モノ」として扱われていた十三歳の少女に向けられた、この生で初めての、損得勘定のない献身だった。




黄金の瞳が、困惑に揺れる。


ーー殺し尽くして終わらせる。

その決断を下すのは容易かった。


だが、自分を「モノ」ではなく「エンヴァ」として守ろうとするこの少年の熱を前にして、彼女の指先に集まっていた魔力が、行き場を失って霧散していく。


(……阿呆らしい、やめたわ)


人間を絶望しきったはずの魔女の胸に、消したはずの小さな「熱」が、白湯の湯気のようにふわりと立ち上った。


大人たちが互いの喉元を狙い、醜い奪い合いに興じていたその夜。

事態は、魔女の予想を遥かに超える形で動いた。




「行こう、エンヴァ。ここじゃないどこかへ」




モーヴとシミルは、半ば誘拐同然の強引さでエンヴァを連れ出した。

彼らが向かったのは、南の豊かな土地ではない。

人足も絶え、命を拒絶するかのような吹雪が吹き荒れる更なる極北——ツンドラの大地だった。




(……阿呆ね、本当に)




エンヴァは少年たちの背中を見つめながら、心の中で毒を吐く。


だが、その足は止まらなかった。自分を「金貨」としてしか見ない親の元にいるよりは、死に物狂いで自分を連れ出そうとする「愚か者」たちの熱に流される方が、今の彼女には少しだけマシに思えたのだ。




一方で、エンヴァという「黄金」を失った集落の大人たちは、狂乱に陥った。


彼らは当然、三人が住みやすい南の町へ逃げたものだと思い込み、連日連夜、血眼になって森を捜索した。




だが、極限状態での「共有財産の紛失」は、彼らの理性を完全に焼き切った。




「お前たちが逃がしたんじゃないのか?」


「違う! お前の家が隠し持っているんだろう!」




捜索が空振りに終わるたびに、疑念は確信へと変わり、憎悪は殺意へと昇華した。


ある夜、ついに一人が斧を振り下ろしたのを皮切りに、三家族は互いに殺し合う地獄絵図へと転じ、ひと月も経たぬうちにその小さな集落は、物言わぬ死体の山と化した。




その頃、エンヴァたちは氷に閉ざされたツンドラの洞窟にいた。


「寒いか、エンヴァ。……すぐ、火を大きくするから」 震える手で魔力を練り、必死に火を絶やさないようにするモーヴ。 「野草の根を見つけたよ。泥臭いけど、食べられるはずだ」 凍傷だらけの指で、エンヴァから教わった知識を必死に手繰り寄せるシミル。


(……ふぅ)


エンヴァは、背負ってきた粗末な毛布を二人の肩にかけてやった。 結局、家族も集落も消えた。彼女の望んだ「静寂」は、思いもよらぬ形で、二人の少年という喧騒と共に手に入ってしまったのだ。


「いいわよ。その火、私が少し手伝ってあげる。」


三度目の人生、十三歳。 彼女は初めて、自らの意思で「他人」と歩むことを選んだ。 それが慈悲なのか、暇つぶしなのか、それとも。


北風の咆哮にかき消されるように、魔女の小さな笑い声が、白銀の闇に溶けていった。

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