6生 ep.8
しかしそんな空気は長くは続かなかった。
工場の空気が、ある日を境に一変した。
これまで布を織り、歯車を削っていた機械たちが運び出され、代わりに鈍い灰色の光を放つ重厚な鋳造機が据え付けられた。
「いいか、今日からはこれを作る。今は、何よりもこれが必要なんだ」
工場主任の目は、かつての帳簿を付けていた頃の臆病な輝きを失い、革命の熱情に浮かされた危険な光を宿していた。
ベルトコンベアの上を流れていくのは、見慣れた生活用品ではない。引き金、銃身、そして命を刈り取るための撃鉄。子供たちの小さな手は、いつの間にか「未来の死」を組み立てるための道具に成り下がっていた。
エンヴァは、その様子を冷めた目で見守っていた。
熱狂に踊る大人たち。正義を口にしながら、子供たちに火薬の匂いを嗅がせる矛盾。
彼女にとって、それは幾度となく繰り返されてきた、愚かな人類の様式美に過ぎない。
だが、その「遊び」に終止符を打つのは、革命の成功ではなく、古き権威の断末魔だった。
石畳を激しく叩く軍靴の音。
そして、工場の重い扉を蹴破る轟音。
「動くな! 違法な武器製造の罪により、この工場を接収する!」
雪崩れ込んできたのは、王の紋章を胸に刻んだ王党軍の兵士たちだった。
銃剣を突きつけられ、パニックに陥る子供たち。
さっきまで勇ましく指揮を執っていた主任や工場長は、見る影もなく青ざめ、床に膝をついた。
エンヴァは、泣き出しそうなクラリッサの肩を静かに抱き寄せながら、工場の入り口に立つ軍の指揮官をじっと見つめた。
その視線は、怯える子供のそれではなく、自分の「庭」を荒らされた支配者の、凍てつくような怒りを孕んでいた。
町は毎日のようにデモ隊と王党軍が押し合っている。
そんな中で空の工場に残された子供達はエンヴァの元に集まってきた。
「「ねえ、エヴァ様……僕たちはどうしたらいいの?」
「エヴァ様……?」
自分より背の高い子供たちまでもが、救いを求めるように彼女の小さな背中を見つめている。
大人が連れ去られ、工場の機械も持ち去られた、食事を作ってくれていた大人は倉庫のありったけの贖罪を盗んで逃走し、子供達に支払われるべき給金を払う大人は王党軍に連れ去られて残っていない。
このままでは、50人を超える子供達は路頭に迷ってしまう。
それどころか、町にでも出れば恐ろしい大人に誘拐されてどんな仕事をやらされるか分かったものではない。
皆、エンヴァに救いを求めていた。
「ハァ……」
それは、せっかくの「楽しい休暇」を台無しにされた、隠居した王の不機嫌そのものだった。
「仕方ないわね。ちょっと、街に出てくるわ」
「一人で出るのは危ないです!僕たちが護衛につきますから!」
「いらないわよ、邪魔だからあなた達は部屋の掃除でもしていて頂戴」
引き止める声も聞かず、彼女は工場の喧騒を抜けた。
向かった先は、かつての約束を果たしたあの仕立屋。
そこで煤だらけの仕事着を脱ぎ捨て、あの「真紅のドレス」に身を包む。鏡に映るのは、もはや泥にまみれたエヴァではない。世界をその手で転がしてきた魔女、エンヴァの姿だ。
((……いるんでしょ。話があるの))
彼女は特定の誰かではなく、街の空気に溶け込む「魔の気配」そのものに、全方位への念話を飛ばした。 しばらくの沈黙。そして、脳裏に直接、甘く、けれど剃刀のように鋭い声が響く。
((……私に何か用かしら? 若い魔女さん?))
返って来た声に誘われるままに足を運んだ先は、この地域で最大級の富を誇る大商人の邸宅だった。
高い鉄柵に囲まれ、手入れの行き届いた庭園が広がるその屋敷の女主人は、この混乱の最中、王党派と市民派の双方に莫大な資金を供給し、戦火を煽りながら資産を膨らませ続ける死の商人――フリーダ。
そもそも、エンヴァが身を潜めていたあの工場すら、この魔女の持ち物の一つに過ぎなかった。
大商人の邸宅の奥、磨き上げられた黒檀の扉が開かれたとき、エンヴァを待ち受けていたのは「格の違い」という名の物理的な圧力だった。
目の前に座る女――フリーダ。
その容姿は若々しく整っているが、纏っている空気の厚みが、彼女が重ねてきた年月を雄弁に物語っている。
かつて対峙した、指先一つでエンヴァの首を飛ばした「お姉さま」には遠く及ばない。
けれど、今の未熟な転生体であるエンヴァにとっては、瞬きひとつ、あるいは溜息ひとつで自分の首が地に落ちることを確信させるに十分な脅威だった。
フリーダは、エンヴァの数ヶ月分の給料でも買えないような、香気溢れる琥珀色の紅茶を白磁のカップに注いだ。
「力があるのに、上手く使わないのはもったいないものよね」
銀のスプーンがカップに触れる繊細な音が、静まり返った部屋に鋭く響く。
フリーダの眼差しは、エンヴァの正体を見透かし、その矮小な「遊び」を冷笑しているようだった。
「ケチな賭け事位には遊んでいるみたいだけど……。私に何の用なの? 若い魔女さん」
エンヴァは、差し出されたカップを手に取り、その熱を感じながら口を開いた。
心臓は警告を鳴らしているが、かつて王として君臨した魂が、ただの「怯える少女」として振る舞うことを拒んでいる。
「……私の庭(工場)を、無粋な犬たちが荒らしに来たわ。あそこには、私の『お気に入り』もいる。平和に休暇を楽しんでいたのに、台無しにされて不愉快なのよ」
言葉と、そして意識の深淵を通じた「交渉」が始まる。
「そう。それなら、話は早いわね」
エンヴァは迷うことなく、懐から一枚の紙を取り出した。
それは、ゴールドスミス(金細工師)が発行した、莫大な金貨の存在を証明する預かり証。
賭場の熱狂を吸い込み、冷たい数字へと変換された「力」の結晶だ。
「別にあんな工場、欲しいなら差し上げてもよろしくてよ、ご同類のよしみですもの」
フリーダが、退屈なチェスの駒を動かすような手つきで微笑む。
だが、エンヴァの瞳に宿ったのは、燃えるような拒絶の炎だった。
「バカにしないで、フリーダ。私は、施しを受けるような立場にいないわ」
指先で弾かれた預かり証が、高級なテーブルの上を滑り、フリーダの手元へと届く。
その額面を見たフリーダの眉が、わずかに、けれど確かに跳ね上がった。
「……十分ね。いいわ、交渉成立よ」
フリーダは優雅に指を鳴らした。
「今となってはあんなものただの建物に過ぎないけれど……金額に見合ったものに戻してあげるわ」
フリーダは面白そうに目を細め、身を乗り出した。
「で、あなたはこれからどうするつもりなの? 若い魔女さん」
「さぁ。……そうね、今世はおもしろおかしく生きてみようと思うの」
その言葉を聞いたフリーダは、堰を切ったようにクスクスと笑い声を上げた。
それは、数百年を生きる魔女が、久方ぶりに見つけた「最高の娯楽」を愛でるような笑いだった。
「そうね、たまにはそれもいいかもね。良い旅を、新たな工場のオーナーさん。何かあったら相談に来るのよ」
こうして、煤まみれの女工だったはずの少女は、この国の登記簿に、正式な工場のオーナーとしてその名を刻んだのである。




