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転生の魔女  作者: RUSA
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3生 ep.1

「……ふぅ」


小さな口から吐き出された白い息が、窓にこびりついた氷の結晶をわずかに溶かす。

鏡などなくともわかる。

今の私は、どこにでもいる銀髪の、けれど少しだけ目つきの冷めた5歳の子供だ。


(そう、また始まったのね)


脳内に奔流となって流れ込む、膨大な「魔女」の記憶。

5歳の少女という器は、魔女の魂を収めるにはあまりに脆く、小さい。


血管の一つひとつに魔力が染み渡る感覚は、成長痛などという生易しいものではなく、内側から体を焼き切られるような熱を伴う。


エンヴァは床に膝をつき、呼吸を整える。

暴れ馬のような魔力を、執念と経験でねじ伏せ、静かな流れへと変えていく。


やがて、彼女の皮膚から漏れ出ていた微かな黄金の光が収まり、熱が引いていった。






「……静か。本当に、静かだわ」


前世、あの狂乱の広場で首を落とされた時の、耳をつんざくような歓声が嘘のようだ。

ここには、私を貶めようとする正妻も、私を救おうとして泣く子供たちもいない。



窓の外は、命を拒絶する白銀の原野。 人間関係という名の、毒よりもたちの悪い煩わしさから解放されたこの場所は、隠者としての再スタートにはお誂え向きだった。




(今度の人生はどうしようかしら。……いえ、考えるまでもないわね。まずは、この凍えそうな家をどうにかすること。それから——)


エンヴァは、薪が尽きかけ、冷え切った囲炉裏を見つめる。




(少なくとも、のんびりと豆を煮て暮らせる位の生活はしたいわね)


こうして極寒の地で何度目かの魔女は生を受けた。






白銀の静寂に包まれたその場所には、吹き溜まりのように身を寄せ合う四軒の粗末な家があるだけだった。そのうち一軒は主を失い、今は三つの家族が寒さに耐えながら、身を寄せ合い細々と命を繋いでいる。


そこは、地図にも載らぬ最果ての地。 そして、そこに住まうのは——南の豊かな土地から追われた「異端者」たちだった。




彼らが故郷を追われた理由は、決して大それた罪によるものではない。

神を呪ったわけでも、禁忌の儀式に手を染めたわけでもない。


ただ、彼らの血筋には、ほんの僅かな「魔力」が混じっていた。それだけのことだった。




せいぜい彼らができるのは、指先の炎で暖炉の枯草に火をつける程度。


小さなつむじ風を起こして庭の枯れ葉を集める程度。


投げた石つぶてを魔力の後押しで加速させる程度。




王都のような文明の中心地であれば、見向きもされないような生活の魔術。

しかし、外部との交流を絶った無知な地方の村において、それは司祭たちの権威を脅かす「忌まわしき力」として映った。


力を持たぬ司祭たちは、自らの無力を隠すように彼らを「異端」と呼び、教会の教えを笠に着て、この凍てつく僻地へと追い遣ったのだ。


前世で「魔女」として首を落とされた彼女にとって、この集落の状況は皮肉そのものだった。

自分よりも遥かに微弱な力ゆえに、自分と同じように居場所を失った人々。

彼らは今、この極寒の地で、自分たちが「異端」であるという烙印を胸に、肩を寄せ合って生きている。




(……でも、悪くないわ)




エンヴァは、凍りついた窓の隙間から、隣家で一生懸命に小さな火を灯そうとしている男を見つめた。


何度目?の人生。

彼女は頭をかしげる。


彼女が手に入れたのは、かつて望んでも得られなかった

「異端者として、当たり前に排除された静寂」だった。



六歳になったエンヴァを囲む空気は、外の猛吹雪よりも冷え切っていた。 粗末な木造りの家に集まった大人たちの顔には、余裕という名の皮肉は欠片もなく、ただ焦燥と飢えがどす黒く張り付いている。


「食い物が無い。このままでは……我々も、子供たちも全滅だ」


一人の男が吐き捨てた言葉は、重く湿った沈黙となって部屋に沈殿した。




最果ての氷土。


獣の足跡すら途絶えたこの地で、蓄えが底を突くことは「死」と同義だ。


卓上に出されたのは、木の皮を剥ぎ取り、煮出しただけの茶。




泥のような色と、えぐみの強い渋み。


到底「茶」と呼ぶにはおこがましい代物を啜りながら、大人たちは互いを牽制し合う。




「とにかく、何か行動を起こさなければ。……南の森まで三日。そこまで行けば獲物がいるかもしれん」


「馬鹿を言え。三日間の食料をどうする? 片道分すらないんだぞ」


「それは……まだ余裕がありそうなお前の家が出すべきだろう」


「なんだと!? うちにそんな余分があるわけない。お前こそ、こっそり貯め込んでいるんじゃないのか?」




(……相変わらず、人間という生き物は進歩がないわね)


部屋の隅でその様子を眺めていたエンヴァは、心底退屈そうに息を吐いた。


彼女の手元には、大人たちが啜る泥水のような茶はない。


裏でこっそり雪を溶かし、魔力で不純物を弾き飛ばしながら沸かした、透明な「白湯」。




温度、純度、そして喉越し。


前世の記憶を頼りに生成されたその一杯は、この家で唯一まともな贅沢品と言えた。




醜い他力本願の押し付け合い。


誰かが犠牲になればいい。


誰かが奇跡を起こせばいい。


指先から火を出し、風を起こせる程度の「魔法使い」たちは、肝心の窮地においてその力をどう使うべきかすら分からずにいた。




「ちょっと、魔法の練習をしてくるの」


エンヴァはそう言い残し、重い玄関の扉に手をかけた。


怒号を飛ばし合う大人たちの誰一人として、六歳の少女が吹雪の中へ消えていくことを止めようとはしなかった。彼らの関心は、今この瞬間に誰の腹が膨れるか、その一点にしか向いていないからだ。


それに、物心ついてからエンヴァは一人で外よりは温かい程度の家から出る事が多く、はじめは心配していた両親もさほど気を払わずにいた。




「……さて。あのアホらしい会議が終わるまでに、何か見繕ってこないと」


一歩外へ出れば、そこは白銀の暴力が支配する世界。




六歳の幼い体には不釣り合いな、膨大な魔力が、静かにその輪郭を現し始める。




一歩外へ出れば、そこは白銀の暴力が吹き荒れる世界。 六歳の少女の小さな体など、瞬時に雪の下へと埋め尽くしてしまいそうな猛吹雪の中、エンヴァは冷静に背後を振り返った。


(……よし。誰もついてきていないわね)


大人たちは今頃、温まりもしない暖炉を囲んで、誰の食料を奪うかの議論に花を咲かせているはずだ。

彼らの視線から完全に外れたことを確認すると、エンヴァは小さく息を吐き、右手の人差し指を宙でくるくると回した。


刹那、彼女の周囲を薄く透明な膜が包み込む。




さらに左手の指を軽く弾くと、「ポッ」と音を立てて小さな火の玉が産まれ、彼女の頭上でふわりと浮遊した。


障壁の内側の温度が、見る間に上昇していく。


薪の消費を恐れて震えていたあの家よりも、今のエンヴァの周囲は遥かに快適だと言えた。




前世、そして前々世。

どれほどの力を持っていても、それを「他人のため」に使い、あるいは「他人に知られる」ことで、彼女の人生は狂い続けてきた。 たとえ同じ異端の血を引く両親であっても、この「本物の魔法」を見せるつもりはない。 今の彼女にとって、魔法は世界を救うためのものではなく、自分一人の快適さと生存を担保するための、極めて私的な道具だった。




エンヴァは雪面に手のひらを向け、極めて微細な魔力を放射した。


幼い体が数センチほど宙に浮く。

猛吹雪が吹き荒れる雪原において、足跡を残すことは致命的な隙となる。

あるいは、六歳の歩幅では辿り着けない場所へ行くために。




彼女は重力と摩擦から解放されたかのように、滑らかな動きで前進を開始した。


視界を塞ぐ雪のカーテンも、彼女の黄金の瞳を惑わすことはできない。


雪の下に潜む生き物の熱量、そして霧に乗って届く獣の微かな気配。




(飢えて死なれても後味が悪いしね)


足跡一つ残さぬまま、六歳の魔女は吹雪の奥底へと、滑るように消えていった。




吹雪の中に踏み出して三十分。エンヴァの黄金の瞳は、雪のカーテンを透かして「それ」を捉えていた。


視界を遮る白銀の向こう側、彼女の身長の五倍はあろうかという巨躯。冬眠を忘れ、空腹に理性を焼かれた熊の魔獣が、雪を蹴立てて立ち尽くしていた。


「オオォォォォ……ッ!」


浮遊魔法で雪面を滑る小さな獲物を見つけるなり、魔獣は地響きのような咆哮を上げ、猛然と走り寄る。だが、六歳の少女の顔に怯えの色はない。


「いい子ね、こっちへおいで」


エンヴァは楽しげに指先を躍らせた。


襲いかかる魔獣の突進。


それを紙一重の距離でかわしながら、彼女は同等の速度で雪面を滑走する。


それは狩りではなく、獲物を「誘導リード」するダンスのようにも見えた。




エンヴァが魔獣を連れて向かった先。そこには、大型の角を持つ立派な鹿が、吹雪を避けて身を潜めていた。


彼女は霧の魔法を広範囲に展開し、魔獣の目を眩ませる。そして、右手を鹿へと向けた。


雪の下から、前世でも得意とした「茨」が音もなく這い出し、鹿の四肢を無慈悲に絡めとる。




逃げ場を失った鹿に対し、背後から迫る魔獣の爪が振り下ろされた。


ドシュッ、と肉を裂く鈍い音が響き、白銀の世界が鮮血で赤く染まる。




一撃で鹿の背中を叩き割った魔獣が、勝利の咆哮を上げようとした瞬間、エンヴァは今度は魔獣の足元に茨を発生させた。


「ありがとう。あなたはこちらへ。熊さんは、森へお帰りなさい」


魔獣は突然の拘束に戸惑い、放心したように少女を見つめる。




エンヴァは魔獣を殺すような無駄な殺生はしない。ただ、この場から去らせるだけで十分だった。




さて、ここからが「魔女」の真骨頂である。


あくまでも、この鹿は「魔獣に襲われ、逃げ延びた果てに力尽きた」という体裁でなければならない。


エンヴァが深手を負った鹿の目の前で指をくるくると回すと、朦朧とした意識の鹿は糸で操られる人形のように立ち上がり、エンヴァの後を付いて歩き始めた。


集落からほど近い、子供の足でたどり着ける事ができる距離。


そこで鹿は、糸が切れたように雪の上に横たわり、静かに絶命した。




「…………」


家の中では、相変わらず大人たちが「誰が食料を出すか」という、出口のない押し付け合いを続けていた。 泥のような茶を啜り、互いを罵り合うその醜い光景の中に、雪を纏った小さな少女が戻ってくる。




「……ねえ」




エンヴァは、凍りついた髪を払うこともなく、無感情な声で言った。


「すぐ近くで、大きな鹿が死んでいるわよ。魔獣に襲われたみたい。……早くしないと、雪に埋もれちゃうわ」




その瞬間、室内の罵声が止まった。

大人たちは顔を見合わせ、次の瞬間には我先にと家を飛び出していく。


彼らにとって、それは「神がもたらした奇跡」に見えたことだろう。 だが、その背中を見送る六歳の少女は、部屋に残された白湯を一口啜り、ふっと冷ややかな笑みを浮かべた。




「本当だ! こんなに大きな鹿が死んでいるぞ!」


「熊にやられたんだろう、見ろ、この背中の傷を……」




集落の大人たちは、吹雪の中に横たわる巨体を見つけるなり、歓喜の声を上げた。


彼らには、エンヴァの足跡が「戻り」の片道分しか残っていないことに疑問を抱く余裕すら残されてはいなかった。




「吹雪が足跡を消したのだろう」——。


そんな安易な結論すら出す前に、彼らの脳は「肉」という報酬によって支配されていたからだ。




誰が見ても熊の爪によって切り裂かれた無惨な背中。


森の方角から途切れることなく続く鹿の足跡。


すべてはエンヴァが緻密に描き出した「筋書き」通りであり、疑う余地などどこにもなかった。




「よし、運搬用のソリを持ってこい! 家に運ぶぞ!」


「ああ、今夜は久しぶりにまともな飯だ……!」




だが、獲物を家に持ち帰った後、賢者の耳に届いたのは感謝の言葉ではなく、さらに醜悪さを増した罵声の応酬だった。




「いいか、この鹿はうちのエンヴァが見つけてきたんだ。半分はうちが貰う。残りの半分を、お前ら二家で分けるんだな」


エンヴァの父が、獲物を守るようにして言い放つ。


これに対し、他の一族も血走った目で食い下がった。




「そんな馬鹿な話があるか! 獲物は平等に三等分すべきだ!」


「ふざけるな! エンヴァがいなければ、今頃俺たちは空腹で途方に暮れていたはずだ。半分でも貰えるだけ感謝してほしいくらいだ!」




延々と続く、他力本願のなすりつけ合いから一転した、剥き出しの強欲。

飢えは人を獣にし、わずかな余裕は人を傲慢にする。




「…………はぁ」


部屋の隅、積み上げられた藁の中に体を埋めながら、エンヴァは深く、深く溜息をついた。


大人たちの怒鳴り合いが、冷え切った空気を震わせる。


(……救いようがないわね)


彼女はそっと目を閉じ、耳を塞ぐように藁の奥へと潜り込んだ。




ーー彼らが「異端者」として追放されたのは、その力のせいだけではないのかもしれない。


この、知恵を絞るよりも先に互いの足を引っ張り合う、救い難い「愚かさ」こそが、彼らを最果てへと追い遣ったのではないか。




黄金の瞳に宿る知性は、今はこの醜い問答をシャットアウトすることだけに費やされた。


温まりきらない部屋で、寝たふりをして意識を沈める。




(……今は、静かに寝させて。おやすみなさい、愚かな大人たち)


六歳の少女の姿をした魔女は、心の中で毒を吐き捨てると、やがて騒音を遠くに聞きながら、深い微睡まどろみの中へと逃避していった。

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