第21話:その頃、妹は。「お兄ちゃんがゼウス様?」クレカも止まり、ゴミ屋敷で現実逃避の配信を始める(※現実ですよ、残念ながら)
「……使えない。なんで?」
薄暗いアパートの一室。 莉奈はスマホの画面を睨みつけ、苛立ち紛れにクッションを壁に投げつけた。
画面には『決済エラー:カード会社にお問い合わせください』の文字。 ウーバーイーツで頼もうとしたタピオカと高級弁当が、注文確定の直前で弾かれたのだ。
「ふざけんな! おい翔! あんた私のカード止めたわね!?」
莉奈は誰もいない部屋に向かって叫んだ。 返事はない。あるのは、一週間前から放置されたコンビニ弁当のゴミと、脱ぎ散らかされた服の山だけだ。
両親は3年前に事故で他界した。 それ以来、地味で陰キャな兄・翔が、大学も辞めて働き詰め、莉奈の生活を支えてきた。 『莉奈は俺が守る』 両親の葬式でそう誓った兄は、莉奈にとって「都合のいい奴隷」であり「歩く財布」だった。
だというのに。 一週間前、あの配信を見てから、莉奈の世界は崩壊した。
「……ゼウス、様……?」
モニターに映った、兄の顔。 そして、自分が崇拝していた神の声。
(嘘よ。あんなの嘘に決まってる)
莉奈は爪を噛んだ。 兄があのゼウス? そんなわけがない。 兄は私の靴下を洗ったり、小遣いをせびられたりするだけの底辺社畜だ。 あんなカリスマ性なんてあるはずがない。
「そうよ……きっとAIか何かを使ったドッキリだわ。私を驚かせて、あとで『参ったか』って笑うつもりなんだ」
そう思い込まなければ、精神が保てなかった。 自分が兄に向けてきた数々の暴言。 そして、兄の金で買ったブランド品を自慢しながら、「お兄ちゃんキモい」と陰口を叩いていた事実。 もし兄が本当に『ゼウス』だとしたら、それら全てが、神に対する冒涜だったことになる。
「お腹すいた……。ねえ、早く帰ってきてよぉ……」
莉奈は再度、翔に電話をかけた。 留守電のアナウンス。
『ねえお兄ちゃん! カード使えないんだけど! 私を餓死させる気!? 親代わりなんでしょ!? あの動画は嘘だってわかってるから、早く帰ってきて謝んなさいよ!』
震える声で吹き込む。 強気な言葉とは裏腹に、彼女の手は恐怖で冷たくなっていた。 もし、あれが本当だったら? もし、兄が本当に私を見捨てたら?
「……だ、大丈夫。私は人気配信者『りなぴょん』だもん。お兄ちゃんがいなくたって……ジュピターさんもついてるし……」
莉奈はすがるように、自分の配信機材のスイッチを入れた。 兄からの供給が断たれた今、自分で稼ぐしかない。 「可哀想な妹」を演じれば、きっと誰かが助けてくれるはずだ。
「み、みんな! こんりな~! 聞いてよぉ、お兄ちゃんが家出して、ご飯も食べられないの……」
作り笑顔で配信を開始する。 いつもなら、「りなちゃん可哀想!」「スパチャするよ!」というコメントで埋め尽くされるはずだった。
だが。
『うわ、出たよ』 『兄貴の金でブランド品買い漁ってた寄生虫』 『ゼウス様の配信見たぞ。お前、兄貴のことゴミ扱いしてたってマジ?』 『現実見ろよ。お前の兄貴は神だぞ』
コメント欄を埋め尽くしたのは、罵倒と嘲笑の嵐だった。 ゼウスの配信を見ていた視聴者たちが、特定された彼女のチャンネルに雪崩れ込んできたのだ。
「え……? な、なにこれ……」
『金返せよ』 『兄貴に土下座しろ』 『お前の活動資金、全部兄貴の小遣いだったんだろ?』
「ち、違う! 私は……あんな動画、AIで作った捏造よ! お兄ちゃんはただの社畜なんだから!」
莉奈は必死に反論した。 だが、その言葉がさらに火に油を注ぐ。
『は? まだ現実逃避してんの?』 『往生際が悪すぎる』 『お前の兄貴、GDソリューションズ潰した英雄だぞ』 『ざまぁwww』
「じゅ、ジュピターさん! 助けて! 変なアンチがいっぱい来てるの!」
莉奈は縋るように、一番の太客の名前を叫んだ。 『ジュピター』。 彼はいつも高額スパチャを投げてくれ、優しい言葉で慰めてくれる、莉奈にとっての理想の王子様だ。 彼ならきっと、この状況を救ってくれるはず。
だが。 チャット欄に、ジュピターのアカウントが現れることはなかった。
「……あれ? ジュピターさん……?」
『無視されてて草』 『太客にも逃げられたか』 『誰も助けないよ』
「あ……あぁ……」
莉奈はガクリと項垂れた。 頼みの綱だった資金源も、心の拠り所だったファンも、すべて消え失せた。
そこにあるのは、もはや「可愛い配信者りなぴょん」ではない。 偉大な神の脛をかじり、恩を仇で返していた、無力で孤独な妹という現実だけ。
カチャリ。
その時、玄関のドアが開く音が響いた。 重く、冷たい、審判の足音。
「ひっ……!」
莉奈は弾かれたように椅子から転げ落ちた。 帰ってきたのだ。 かつては「ゴミ」として扱っていた、けれど今は絶対的な支配者となった「神」が。
「ど、どうしよう……」
莉奈は混乱する頭で考えた。 ドッキリだと思いたい。でも、もし本当だったら? いや、どっちでもいい。 今の私には、彼のご機嫌を取って、生活させてもらうしか道がない。
「そ、そうだ……土下座……謝れば……きっと許してくれる……だって家族だもん……」
莉奈は這いつくばるようにして、玄関へと向かった。 プライドも尊厳もかなぐり捨てて、ただ生きるために。




