実験終了
一ヶ月の入院期間を経て、ツミキは退院した。
その足でアヤナの入院している病院に行ったが、彼女の意識は回復していなかった。
医者の話では、神経の反射は生きているため脳死では無が、何時目を覚ますかは本人の回復力次第であるとされた。
ツミキは、アヤナの額や手腕の傷を見て、その痕が治らずに残ってしまっている事に心を傷めた。
鋭利な刃物……でも、剃刀より刃がしっかりして居るやつだ。硝子の破片とかじゃない。彫刻刀にしては、特徴のない傷だった。もっと、真っすぐ尖っているような刃。
傷の数からして何度も切り付けられたと言う風だったけど、夫々の傷自体は小さかった。
そんな風に推理を巡らせていると、ポンと肩を叩く者があった。振り返ってみると、弟である。
「退院早々、何、眉間に皴寄せてんの?」
「イクマ君よ。少しは悩まないと、脳の皴が減るんだよ」
「んー。そーね」と、イクマは話を合わせた。此処で、「俺に脳の皴は無いし」と言う程、低能ではない。
「で、何を悩んでんの?」
「悩んでない。記憶が消えないようにしてる」
「また面倒くさい事を」
そんなやり取りをしていると、おずおずと近づいてくる女子生徒が居た。光根タマラだ。
髪の毛をツインテールに結って、セーターで萌え袖と言われる余り袖を作り、背を丸めて上目遣いに、イクマの方を見ている。
「あの……。ツミキちゃん、退院おめでとう……」と、恥じらうように言う。
「俺、イクマだけど」と、イクマはアピールをスルーする。それから、「ツミキちゃんはこっちね」と、姉の方を指さした。
「あ。ごめん」と言ってから、タマラは体を向きだけをツミキに合わせ、「ツミキちゃん、本当、おめでとう」と言う。斜め下から見上げる視線で、イクマを追いながら。
「ありがとう」と、ツミキは答えたが、笑わなかった。
タマラは全然ツミキの方を見ていないので、笑っても仕方ないと思ったのだ。
その代わりに、タマラがせっせと手の先まで寄せている萌え袖を見ていた。
あんなにセーター伸ばしちゃって。毛糸が引き千切れそうじゃないの。
そう思ってるうちに、引っ張りすぎた毛糸がパツンと収縮し、セーターの袖が手首辺りまで持ち上がった。
右手に、見覚えのある傷がある。アヤナの皮膚を傷つけていた刃と同じ形状の傷だ。幾つかは、止血して傷を塞いだように見えた。
「あんた……。その手……」と、ツミキは呟いた。
タマラは急いで袖の中に手を隠し、「ああ、これ。割れたお皿の中に突っ込んじゃってぇ」と、用意していた嘘を吐く。
しかし、ツミキはその言い訳を聞いて居なかった。
「あんたが……アヤナをあんなめに!」と、恫喝すると同時に、タマラは「やだぁ! こっわーい!」と言いながら、内股走りで教室の外に逃げ出した。
ツミキも、すぐに後を追った。
走り方が滅茶苦茶とは言え、陸上部なだけあって、タマラの逃げ足は速い。
階段を上に向かっている。屋上に逃げてどうするつもりだ?
そう察したが、タマラはどうやら「逃げ切る気」は無かったようだ。
屋上の真ん中に辿り着くと、タマラはくるりとツミキの方を見て、地獄の底から響いているような笑い声をあげた。
「流石お姉ちゃんですねぇ!」と、タマラは胸の前で手を叩く。「友達を思って、犯人を捜しているのですねぇ? それが私じゃないとしても?」
「あんたじゃなかったら、なんで逃げた?」と、ツミキは問い質した。
「貴女が脅かすからでしょ? タマラたん、泣きべそに成っちゃう~」と言って、目の下で握り拳を左右に振る。
「アヤナの腕に残ってた傷と、あんたの手の傷、同じ刃物でつけたものだ」と、ツミキは鎌を掛けた。「アヤナの事件の遺伝子鑑定でも、別人の血液が発見されてる」
そこまで言うと、タマラは首を左右に曲げながら、「ああそう」と受け流した。「じゃぁ、その別人の血液とやらを、探しに行けば~? こんな所で油売ってないでさぁ」
「探しに行く必要はない」と、ツミキは言い切る。「今、目の前に在るんだから」
言い逃れが出来ないと悟ったタマラは、「左手で握ればよかったなぁ」と、自白した。「私の左の手は、貴女と同じもので出来ているんだよ? いや、あんたのより優秀かも」
その言葉に、ツミキは警戒する。ツミキの聴覚が、タマラの腕の安全装置が外れたのに気づいたのだ。
「戦闘型バイオロイド候補って言うのに、名乗りを挙げてみたらね? こんなに素敵な腕に改造してくれたの。ほら、よ~く見て」
そう言って、前の方に伸ばされたタマラの腕が、手の平を中央に展開され、銃口に変わった。
ツミキの目と耳と皮膚は、発射される弾道を感知して体を翻した。
一撃目は、さっきまでツミキが居た場所を正確に撃ち抜き、次の一撃が襲ってくる。
ツミキの体は、人間より素早く姿勢を変え、その次の一撃が放たれた時には、コンクリート製の煙突の陰に隠れていた。
「お姉ちゃん、すっご~い」と、タマラは囃す。「その身体能力は良いなぁ。私も、次の改造はそれを頼もう」
そう言いながら、タマラは煙突を壊すべく、弾丸を乱射する。
恐らく、彼女の体の内部には、巨大な弾倉がある。衣服の腹部が動いている事から、胃と腸の一部を引き換えに、体の内部も改造したのだろう。
やがて煙突が朽ち果てると、その後ろにツミキは居なかった。
「あれぇ?」
余裕で語尾を上げるタマラの背後に、ツミキは着地する。
その左腕を掴もうとした瞬間、タマラも人間以上の動きで振り返った。
コンマ数秒前までツミキが居た場所を、弾丸が舐める。
体を左にねじって姿勢を低くしたツミキは、脚力をフルに使ってバックジャンプをする。
落ちて来た所を狙おうとニヤニヤしていたタマラは、ツミキが、背後の壁を蹴って自分の頭の上を飛び越えるのを見た。
「ほぉぉお~」と、タマラが感心してる間に、ツミキはまた別の煙突の後ろに着地する。
「煙突はずるいなぁ。そうだ。先に全部壊しちゃおう」と、楽しげに言って、タマラは腕の展開を変えた。
重心が太くなり、今までより重い銃弾が、砲のように放たれた。
一枚一枚と煙突が壊れて行く間に、ケンキの意識が呼び掛けてきた。
――腕の発熱が強すぎる。あれなら数分も持たない。避け続けろ。
その指示に従おうとしたが、鼻腔を臭いが突いた。肉が焦げた時のような異臭だ。
数分も持たない、それは「タマラの人体部分が数分も持たない」の意味だと知ったツミキは、敢えて立ち止まった。
ツミキが隠れていた煙突が壊され、脂汗をかいて居るタマラは、腕の展開を元の細い銃口に戻す。
「もう逃げないのぉ?」
そう言いながら、タマラは一歩一歩と近づいてくる。
ツミキは、その体が「射程」まで接近するのを確認した。脚の瞬発ギアを「高速」に切り替える。
戦闘型バイオロイドのセンサーでも捉えられないスピードで、ツミキはタマラの死角に回った。
低い姿勢から、跳ねるように左腕の付け根を狙い、タマラの武器を掴む。
軽い金属音を立て、それは紙細工のように肩から引き千切られた。
左腕一本分の精密な機械がショックを受け、タマラの脳にダメージを与える。意識を失った彼女は、吊るし糸を切られた操り人形のように、屋上の床に伏した。
ざわざわと、人間の足音と声が聞こえてきた。
タマラとツミキのやり取りを見ていた生徒達が、教師を呼んで来たのだ。
ツミキは左こめかみを人差し指と中指で押す仕草をし、「適応実験終了」と通信を送ると、タマラの腕を投げ捨て、屋上から飛び降りた。




