乱雑な刃
塾で道着に着替える時、ツミキは左脇腹に違和感を覚えた。骨の一部として、本来人間にはない「パーツ」が、其処に埋まっている。
そのパーツが、何となく熱を持っているように感じるのだ。そして、左腕を上げようとすると、僅かに電気ショックのようなものを感じる。
その異変を講師に訴え、その日の塾での授業は取りやめてもらった。
ツミキはすぐに「病院」に運ばれ、検査を受ける事になった。
幾つかの検査機器を取り付けられ、所作と発声、呼吸、運動機能を確認した。
結果、「サードブレインに異常あり」との事だ。
すぐに着ていた物をほとんど脱がされ、青い手術着を着せつけられて、移動式の寝台に横たわらせられた。
緊急でイクマも呼び出され、彼も手術着に着替えさせられて、手術室に入る。
二人の口元に、酸素吸入器が当てられた。ゆっくりと、麻酔が効いてきた。
八歳の頃のイクマは、まだ定型文しか話せない、言語に難のある子供だった。
「こんにちは。ご機嫌いかがですか?」をセットで覚えており、どんな人にもその通りに挨拶をした。
「眠たい」と答えられても、「そちらはご機嫌いかが?」と聞かれても、「頭の良さそうな子だね」と言われても、話が長くなりそうだと思うと、「それでは、僕はこれで」と言って、さっさとその場から居なくなった。
「イクマ君。その喋り方だと、いんぎんぶれいって言うのだよ」と、アヤナに度々叱られた。
それでもイクマは、「どうもすいません」としか答えられない。
イクマが生まれてから一ヶ月後、彼のメインブレインに第二インストールが行なわれた。「バージョン・ワン」から、「バージョン・トゥー」に変更されたイクマは、少しだけ「ケンキ」に似ていた。
「ケンキの記憶を引き継いでいますからね。ちょっとずつ似ていくでしょう。ですが、その……我々が憂いている部分は、似させない予定です」と、ツミキの一家は担当医から説明を受けた。
彼等が憂いている「ケンキ」の欠点。それは、ある種の暴力性であり、狂暴性でもある。
「ツミキを警護する」とメインインプットされているケンキは、ツミキがショックを受けると、まるで拒絶反応のように暴力をふるう。
そんな「短気なお兄ちゃん」から記憶を受け継いだイクマであるが、担当医が言っていた通りに、物腰は穏やかで、細かく気の回せる弟として進化した。
現在のイクマのメインブレインには、「バージョン・テン」の意識がインストールされている。
あまりに再インストールを急ぎ過ぎた結果、十六歳にしては少し大人びた青少年に成ってしまったが、ツミキをサポートする上では、その落ち着き方は有効だった。
現在、ツミキの体内には、生来の脳の他、三つの補助ブレインが埋め込まれている。
夫々、「ファーストブレイン」「セカンドブレイン」「サードブレイン」と名付けられ、それ等の脳には「ケンキ」と名付けられた人格がインプットされている。
ファーストからサードまでの優劣をつけて存在し、主にツミキの身に危険が及んだ時と、試験動作中の動作確認の時に意識を発現する事を許可されている。
その三つのブレインのうち、あまり重要視されていないサードブレインに異常が発見されたのだ。
サードブレインは、ナノパルスの定期的な服用によって活性化し、身体感覚を鋭敏にさせる。
人格プログラムを搭載させても、それだけの機能しかないと、軽んじられていた部品でもある。
しかし、そのサードブレインに起こっていた異常は、不思議な物だった。
サードブレインの信号は、神経回路を伝ってツミキの意識野に侵入し、彼女に「特定の夢」を見せて居たのだ。
常日頃、ツミキが悩んでいた「青い光の粒子が飛び交う白昼夢」は、このサードブレインの異常によって引き起こされたものであったと判明した。
「ケンキ」の第三記憶を保存してあったイクマのデータから、「サードブレイン」の正常な機能を蘇らせ、ツミキの体内にパーツを戻す手術も成功した。
後は、手術痕の自己治癒が終われば、緊急手術は完了である。
生徒達が自宅や塾や寄り道へと足を進める中、救急車が何処かへ走って行った。
それは、丁度ツミキが運ばれて行った救急車であったが、それが目の前を通っても、中が見えないアヤナは「何があったんだろう」くらいの気持ちで、横断歩道を待っていた。
そして、自分が忘れ物をしてきたことに気付いた。明日提出するためのプリントを、そのまま机の中に置いて来てしまった。
教室に引き返すと、閉門の近い学校の中はがらんとしていた。
普段、人間がいっぱいいて、うるさいくらいに賑わっている場所が、静まり返っている。お化けが出そうと言うのはこう言う感覚なのだろう。
さっさと忘れ物を回収しようと、廊下を歩いて行くと、角を折れる所で、誰かの背中が見えた。
一瞬、お化けかと思って息を止めたが、それはちゃんとこの学校の制服を着ている、女子生徒の背中だった。
お化けかと思ったのは、ちらりと見えた横顔の、凍り付いている様子からだろうか。
その女子生徒は、片手に握った大きな巾着に、何かを詰めて歩いていた。底の膨らみからして、トゲトゲしているのは分かるが、巾着に、お弁当ではなく、トゲトゲした物を包む事なんて、日常であり得るだろうか。
こっそり後を観察していると、女子生徒はアヤナ達の教室に入って行った。
同級生? と、頭の中で考え、足音を殺しながら、教室を覗いた。
さっきの女子生徒が、ツミキの席の前で巾着を開ける所だった。開けた巾着の中に手を突っ込み、中身をぎっちり握って、机の中に押し込んでいる。
幾つかの破片のようなものが床に散った。大きなカッターを折った刃だ。女子生徒は、自分の手が切れるのもお構いなしで、ツミキの机にカッターの刃を詰め込んでいる。
その様子は、怨恨を詰め込んでいるように見えた。
「貴女?!」と、アヤナはその正義感から叫んでしまった。そして、悪行をやめさせようと、犯人に近づいてしまった。「何してるの?! 其処、三神さんの席だよね?!」
悪行を見られた女子生徒は、一瞬硬直した。
アヤナの方を振り返った顔が赤らんだようにも見えたが、女子生徒は刃の塊を握っている自分の手を見つめ、急に震え出しだ。
「あああああああ。わぁあああああああああぁぁああ!!」と、絶叫し、アヤナに向かって刃の塊を投げつけた。
アヤナは思わず腕で防いだが、何枚かの刃が頬や額を傷つけた。
女子生徒は巾着袋の中身を全部アヤナにぶつけると、攻撃方法を失って、体当たりをしてきた。
アヤナは、床に散らばった刃の上に押し倒された。
その刃の幾つかが上を向いて居たのが、彼女にとっては不運であった。
ザクリと、背中の肉の数ヶ所が切れたのが分かった。
女子生徒は半狂乱のまま、その場を逃げ去った。
痛みで動けないまま、アヤナは祈った。
誰か。お願い、誰か――。
助けて、と念じきれないまま、アヤナの意識は薄れて行った。
校庭まで足を休めずに走り切り、ようやく自分の手の出血に気付いた。
右手で刃を握ってしまったのは、失敗だった。
タマラは、校庭の隅の水道で、手の平を濡らしている血液を洗った。
鋭利な刃を握りしめたためか、深い傷がついていた。
ポケットから取り出した絆創膏を、流血が続いている傷の上に縛り付けるように貼る。
思い出したように携帯用のフォンを取り出し、警察と救急に匿名で「教室に怪我人がいる」事を告げ、その場を去った。
誰かが辿り着く前に。




