悪意ある善行
翌日。ポーチを持って女子トイレに入って行ったツミキを、ニタニタした顔をした男子生徒達が「今か今か」と待っている。
服用を済ませて外に出てきた彼女を、八名の男子生徒が取り囲み、手にしていたポーチをひったくる。
「返して!」と、ツミキが声を上げると、「黙ってろよ生理女」と、男子生徒達は嘲笑う。
数名がツミキの手腕を押さえこみ、一名がポーチを開けようとファスナーに手を伸ばし、他二名がその両脇で様子を見ている。
ファスナーが引き開けられる前に、もう一つの手が、男子生徒達からポーチを奪い返した。
それは、三名の女子生徒のうちの一人の手だった。
「何すんだよ!」と、悪さを企んでいた男子生徒は間抜けた声を上げる。
「あんた達、バッカじゃない?」と、ポーチを奪い返した女子生徒が言う。
もう一人の女子生徒も大声を上げる。
「何時までガキくさい事やってんの? あんた達、小学生なの?!」
そう言われて、男子生徒達は、意気消沈したように辺りを見回した。
女子生徒の声を聞きつけて、他の生徒も、教室のドアから廊下を覗き込んでいる。
「おー。いじめだ、いじめ」と、他の生徒も囃し始めた。
「何? 下級生いじめてんの?」
「しかも女の子を?」
「男じゃねぇ」
その言葉を聞いて、「いじめっ子」達はツミキの腕をつかむのをやめ、一人また一人と解散する。
ポーチを奪い返した女子生徒から、ツミキは自分の持ち物を返してもらった。
「あんたも、身の周りには注意して」と、その女子生徒はツミキに囁いた。
ツミキのポーチを奪い返した女子生徒は、名を倉真ナナツと言う。彼女は、ポーチに触った時、その内側にしまわれているのが、カプセルを閉じ込めたシートである事を、感触で知っていた。
教室に戻ってから、親しい女子生徒に向かってその事をひそひそと話す。
「きっと、何かの病気なのかもね」と言う結論を添えて。
ツミキが薬を服用していると言う話は、紆余曲折を歪みながら、噂話として上の学年中に広まって行った。
「下級生で、薬持ち歩てる子が居るんだって」
「何かの病気だって言う話だけど」
「ジャンキーなんじゃない?」
「それは面白いだけじゃん」
「じゃぁ、その子はジャンキーって事で」
噂話を囁いていた生徒達は、そのやり取りが「周りの生徒」に聞こえている事を意識していなかった。
幼稚園児の頃から集められて生活をしていた子供達は、身の回りに自分達以外の人間がいる「集団生活」をしていると言う意識が、欠落しているのだ。
噂話を聞いたタマラは、昼休みにツミキを学校の裏に呼び出した。
「薬飲んでる事、噂に成っちゃってる」と、タマラはツミキに告げた。「学校では、服用はやめた方が良いかも」
「でも」と、ツミキも言う。「昼の時間は、必ず飲まないと効果が出ないって……」
タマラは辺りを見回し、ツミキの耳に囁く。
「じゃぁ、トイレで服用するのをやめたら?」
それを聞いて、ツミキは聞き返した。
「他に人の居ない所ってあるかな?」
タマラは少し考えてから、「保健室」と提案した。「保健の先生だったら、貴女が隠れられる場所を作ってくれると思う」
「そうか」と、ツミキは呟いてから、「そうだね。ありがとう」と返した。
それだけで引き上げようとしたツミキを、「あの」と、タマラは呼び止める。
「あのね、ツミキちゃん。こんな事、今、言うべきじゃないかも知れないけど……」
その語り始めから、タマラはイクマに対する恋心を、ツミキに打ち明けた。
ツミキがクラスに帰ると、「声を潜めて噂話をする集団」が幾つか出来ていた。
黒髪を一束の緩い三つ編みに結った女の子が、顔を緊張させながらツミキに歩み寄って来る。
名を、築城アヤナと言う。
アヤナは囁き声で聞く。
「ツミキ。噂の事、もう知ってる?」
「噂がありすぎて、どれの事か分かんない」と、ツミキは答えた。
「お薬の事」と、アヤナは言う。「貴女が、危険な薬を飲んでるって噂になってる。もしかしたら生徒指導室に呼び出されるかもしれない」
「それは……」と、ツミキは言う。「困るなぁ」
そう言ってる側から、体育の教師が聞こえよがしに、「三神!」と、廊下から呼びつけた。
「生徒指導室に来い! 次の授業は無しだ!」
予想はあっと言う間に現実になった。
「お前が違法な薬を飲んでいると言う話を聞いた」と、体育の教師に言われる。
単体の意見より、複数人の噂のほうを重要視するのは、人間が言葉を獲得してからの習性らしい。
「それが本当なら、お前を処罰しなければならない」
そう言われて、ツミキは出来るだけ嘘を吐かないように、説明を始めた。
「私が飲んでいるのは、血行を促す薬です」
「ほう」と、体育教師は相槌を打つ。「年寄みたいだな」
「体の、血液が行き渡りにくい部分に対して、血流を促す薬です。法的にも認可されています。詳しい事が知りたかったら、月神製薬と言う所に問い合わせて下さい」
十六歳の高校生とは思えない、淡々とした説明に、体育の教師は少し沈黙した。
それから、何故か突っかかってくる。
「用意してたような答えだな。そう答えるように、練習でもしてたのか?」
ツミキは、こいつは何を言っているんだろうと言う顔をした。
「練習も何も。事実ですが」
ツミキの反論は、体育の教師には届かなかったらしい。
「月神製薬なんて、聞いたことも無い。どうせ、出まかせなんだろ?」
どうやら、この教師としては、違法行為を行なっている生徒を正義の名のもとに断罪すると言う、一種の活劇を演じたいらしい。
それが分かっても、悪の道に手を染めた意志薄弱な子供を演じてあげる義理は無い。
「先生が、なんて答えてほしいのかは分かりませんが……」と言いかけた時、生徒指導室の扉が開いた。
ツミキの担任と保険医、それからアヤナの姿がある。
「大田先生。勝手に生徒を呼び出されては困ります」と、担任。
「川本先生。私は、貴方の見落としている生徒の非行を……」と、体育教師は弁明する。
「健康のために薬を服用する事が、非行ですか?」と、保険医が声音を強く言い、ツミキを席から立ち上がらせる。「三神さん。一度、保健室に来て」
「まだ、質問中ですよ」と、大田は食い下がる。
「その質問に答える必要はありません」と述べ、保険医はツミキと共に保健室に移動した。
保健室の中は、昼寝に来ている生徒が一人と、授業中に体調を崩した生徒が数名居た。
ツミキは、保険医のデスクのほうに連れて行かれ、移動式の布のパーテーションで、姿を隠された。
塚村と言うネームプレートを白衣の胸に止めている保険医が、ボールペンとメモ帳を用意する。
「薬の事は話した?」と、メモ帳に書いて、ペンと共に差し出す。
筆談を理解して、ツミキは質問文の下に答を書く。
「血行を促す薬だと話しました」
「薬の名前は出してない?」
「はい。月神製薬の事だけは言いました」
その文章を見て、塚村は「そう」と、声に出した。
それから、また文章を続ける。
「多分、向こうは嘘だと思ってるから、調べられる事も無いかもね」
塚本の返答に、ツミキは「だと良いんですが」と綴った。
昼休み。弁当を食べながら、ナナツはニヤニヤしていた。
先の「お薬の女の子」が、生徒指導室に連れて行かれたと言うのだ。
大田の奴に、どんな因縁をつけられるだろう。何だったら、殴られて帰ってくるかな。
そんな事を考えると、ワクワクして仕方ない。
「何笑ってんの?」と、友達に聞かれ、「いやぁ、お弁当が美味しくてねぇ」と述べた。




