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カフジは元々逃げる気満々だったが、研究者が目覚めた今、下手に逃げてもすぐに捕まってしまう。
もしロペの誘いを無視していれば、逃走に成功していただろう。
けれど、不思議とロペは後悔していなかった。
彼の今までの日々は、単調な実験を受け、起爆装置を首につけてブラブラ散歩し、餌を与えられる生活であった。
ロペの純粋無垢さは、カフジの退屈を紛らわせた。
どうせ逃げても、追手に警戒する逃避行をするだけだ。カフジはとっとと逃走を諦めた。
とはいえ、研究者にとっては、危険な魔法生物を逃がしてしまったのだ。政府に知られては責任問題である。
良くて口止めされて、牢屋にぶち込まれる。
一番最悪な展開は、睡眠薬が漏れた事件もカフジが仕組んだと報告され、何らかの処罰がなされることか。
さあどちらか、どっちでもいいやと投げやりになっていたカフジだが、なんと、ロペが彼をかばってくれた。
いわく、カフジを無理やり連れ出したのは自分だと。
責めるなら自分を責めて欲しい、と切実に訴えた。
普通ならば、吸血鬼に騙されているか、記憶を改ざんされていると判断するところだが、研究者たちはロペの発言をあっさり受け入れた。
研究者たちはうんざりした様子でこういった。
あなたの研究熱心さは噂で聞いておりますが、常識はわきまえてください、と。
ロペはやっぱり恥ずかしそうに微笑んでいた。
ロペの悪い噂が味方して、カフジはお叱りもなく解放された。
その夜。
カフジは監禁部屋でいつも通りうだうだしていた。
部屋といっても、多少ランクが上がった牢屋のようなものだ。
ベッドこそしっかりしており、壁紙もクリーム色だが、外界と部屋は無骨な鉄の檻で隔たれていた。
窓がない代わりに大空の絵画が飾ってある。最初の頃は、むしろ嫌がらせではないかと思っていたが、今や興味すらなくなっていた。
ベッドの上でうだうだしていると、控えな足音が聞こえてきた。
こんな時間に研究者がなんだ、日中の文句でも思いついたのかと顔を上げると、やってきたのは白衣を身にまとったロペであった。
ロペはおそるおそるスケッチブックを見せる。
『こんな場所に閉じ込めてしまってごめんなさい』
「俺はいつもこの部屋だぞ」
ロペは目をぱちくりさせる。
彼の言葉が本当だと悟ると、途端に険しい表情になる。
なにか書こうとするが、カフジは適当に手を振って制止する。
「別に怒ってもらわなくてもいい。で? 謝りにきただけか? ならもう終わったな」
ふるふると首を横に振り、彼女は檻の隙間から紅茶らしき飲み物を渡してきた。
ふわっと香る匂いは、紅茶の奥深い香りではない。
ほんのり香るのは、吸血鬼の大好きな血の匂い。
まさかロペの血かと一瞬身構えるが、よくよく確認すると、血に似ているだけで、本物ではないと察した。
「なんだ、これ」
一枚の紙を差し出す。
ムラサキ草という植物の説明文だ。
この草は鉄が埋蔵している土地に咲く草である。
花の蜜には鉄分がたっぷりと含まれていて、貧血の特効薬となるものの、鉄のえぐみがあまりにもひどいので人が飲むのには適していない。
一番下に、丸っこい文字でこう書かれていた。
『吸血鬼のカフジは美味しく感じるかも?』
「……なんだ、実験のつもりか?」
ロペは慌ててふるふると首を強く横にふる。
彼女はスケッチブックいっぱいに、大きな文字でこう書いた。
『お礼です!』
「……」
一口、飲んでみる。
吸血鬼は生の血を飲むので、あつすぎる食べ物も、冷たすぎる食べ物も食べられない。
彼女の渡してくれた飲み物は、ちゃんと人肌程度に温めてくれていた。
本物の血よりは美味しくない。
けれど。
「……まあ、悪くはないな」
ロペは花が咲いたような、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見ていると、どうにも調子が狂う気がして。
カフジは、目をそらし、カップの中のものを一気飲みした。




