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「口に合わぬか?」
「……いえ、そんなことは」
気の利いた感想も言えないのか、と思われている気がして顔を上げることはできない。青灰色の目と金髪に近いブルネットの男は、レリエルの前に座って静かにナイフとフォークを動かしている。
一国の王太子殿下と差し向かいでフルコースのディナーを共にする、などという他のご令嬢なら垂涎の場面でレリエルは無愛想に過ごしていた。いや、決してわざとそういう態度をとっているわけではない。笑顔を浮かべようとすると、この十年以上もの間、ほとんど動かしていなかった頬筋が痙攣するのだ。
先日の国王主催の夜会で誂えた、一張羅のドレスを今日も身につけ、レリエルは黙々と出されたものを食していた。ピカピカに磨かれた食器を傷つけないよう、細心の注意払いながらの食事はとても疲れる。そうこうしているうちに、メインディッシュが運ばれて来た。
メインの牛肉のステーキはレアで柔らかく、家でたまに食べる噛みごたえ抜群の安い牛肉とは、まるで違った。ソースも赤ワインの旨味が凝縮され、付け合わせの蒸し野菜と一緒に食べても美味しかった。
ただ、レリエルにはそれを口に出す勇気がなかったために、黙々とフォークを動かしていた。
「お気に召したようで、なにより」
ここ、リアダ国を治める王家の王太子、アルフォンソ・リアダは相手の少しの機微も見逃さなかった。ほとんど表情が変わっていないだろうな、と自覚していたレリエルは驚いて顔を上げた。
とうにこちらを見ていたアルフォンソの視線は、やたらと色めかしい。男性そのものに免疫のないレリエルには、刺激が強すぎる。視線をすぐに皿の上に落とし、辿々しく返事をした。
「はい……柔らかくて、とても美味しいと思います」
「そう」
吐息に乗った甘い響きの相槌に、レリエルの顔は火を吹きそうなほど熱くほてった。そしてこの場から一目散に逃げ帰り、慣れ親しんだ自室のベッドへ潜り込みたい衝動にかられる。
二度と来ることはない、と思っていた王宮へ招かれ、王太子殿下と食事を共にするなどと誰が予想しえただろう。
夜会の日に兄がレリエルを連れて行った部屋は、アルフォンソ殿下が仮眠室として使う部屋の前室だったというのだ。そんな警備の甘いことがあるか、知らなかったなんてあり得ない、と兄を問い詰めたレリエルだったが、知らぬ存ぜぬの一点張りであった。
確かに一介の税務官であるアトラスが王太子殿下の知り合いであるという可能性は極めて低く、さらに王族の行動について把握するような立場にない、という主張は残念ながら信憑性があった。
両親も兄もレリエルも、それから一週間、眠れぬ夜を過ごした。もちろん、王太子殿下に見初められたのではないか、という期待からではない。知らなかったとはいえ、王太子殿下の滞在する部屋に無断で侵入したのだ。不敬罪で罰せられる可能性を考えたのだ。
そうして夜会から一週間後、ケレニイ家に王宮から迎えの馬車が来たのだ。卒倒しそうな両親と、それを介抱する兄を残して、レリエルは一人で王宮へ向かった。その際、なぜかドレスを着替え身支度を整えるようにと言われた。
一体、どのようなお咎めがあるのかと震えながら馬車に乗ったのだが、ついた途端に待ち受けていたのは、王太子殿下当人とのディナーだったのだ。