2.笑顔と三束三文の珈琲
2.笑顔と三束三文の珈琲
大佐から伝言の内容を聞いた俺と督戦隊員は人気が少ないところで。
食糧や水、医薬品等を一緒に詰め込んでいた。
そして俺は、今朝挽いた珈琲豆を清潔な紙袋にギリギリまで詰め込んだ。
限られた食糧や水や医薬品をドッサリと持っていく姿を他の兵が見たら恐らく俺は殺されただろうな。
これは冗談だが。
そうして俺の準備は終わった。
バッグを背負い、程良い重みを感じながら、督戦隊員に準備が出来たと伝えようと、彼女に向かって口を開いた、
「準備出来ました、いつでも行けます」
バッグに食糧やらなんやら詰め込んでいる督戦隊員は俺を少し睨み、またすぐ自分のバッグにデカくて少し膨らんでいる紙袋を入れようとしていた。
どうしても、そのデカい紙袋の様な物が入り切らないらしい。
何度もバッグから全て食糧や水を取り出し、また入れ直し始めた。
20分ほど経ったがまだバッグに紙袋が入り切らないらしい。
待つのが耐え切れなくなった俺は督戦隊員に向かって再び口を開く。
「何を入れようとしているのですか?」
「あ?貴様に言う必要があるか?一般兵」
俺の方を見もせずに高圧的な返事をした督戦隊員は少しの間、動きを止め、何かを考えた様な素振りを見せた。
そして俺と目を合わせた。
「一般兵、これをお前のバッグに入れろ、これは命令だ」
そう言いながら紙袋を俺に突き出した。
その封筒から懐かしい珈琲豆の香りがした。
俺は昔子供の頃に母にこの珈琲豆の珈琲を淹れてもらっていた。
今思えば美味いとは言えれる程のモノではなかったが
アレはアレで嫌いではなかった。
久し振りに昔のことを思い出した気がする。
「これは珈琲豆ですよね?私のバッグにも有りますので持っていく必要はないですよ」
と俺は1年間しなかった久し振りの作り笑顔をしながら言った。
彼女とは久しぶりの出会いが多い様だ。
それを聞いた督戦隊員は俺を睨みながら口を開く
「ならば一般兵、お前の珈琲豆をバッグから取り出し私のを入れろ」
「拒否します」
上官に反抗を、督戦隊員へ俺は反抗の意を示してしまった。
命令に従わなかったのだ。
自分でも理由はわからなかったが考える前に口が動いていた。
それを聞いた督戦隊員は顔色を何も変えずに一言だけ"そうか、なら良い"と俺に言い、会話は終わった。
殺されるものだと思っていた。
俺の脳天に拳銃の7.62x25mmトカレフ弾に一発撃ち込まれ。
力を失くし、横たえた俺であった物体に、もう一発脳天が撃ち込まれる。
それが今から0.2秒ほど経ったら起きる。
と考えていたが、意外と現実は予想通りに起きないらしい。
ふと手元を見ると俺の手は震えていた。
傲慢だと思った。
自分への憎悪が増したと同時に、あることに気づいた。
俺は、まだ死にたくないようだ。
督戦隊員の珈琲豆が入った封筒はどこかに置いてきたのか。
捨ててきたのか、それとも誰かに渡したのか。
彼女は目の前で、SVT-40と呼ばれる最新の半自動小銃のリロードを行っていた。
俺は旧式のボルトアクション、モシン・ナガンなのに。
嫉妬の様な感情が浮き出る中、俺は腕時計を覗いた。
短針は4という数字を、長針は30という数字を刺していた。
秒針は見る気すら起きなかった。
今の俺にそんな細かい数字は必要なかった。
塹壕から出る時に一番いい時間は恐らく夕方の今だろう
俺は背負っているモシン・ナガンを手元に手繰り寄せ
ボルトアクションのレバーを少し引いた。
薬室内に銃弾が装填されていることを確認した。
そして俺と督戦隊員の二人は塹壕から出るのに1番安全な場所まで歩いていた。
歩いている中ふと隣を見ると彼女から、恐怖や焦りの様な感情を感じ取ってしまった。
無理もない。
実戦経験もないのにこんな特殊な任務につくのだ。
逃げている味方を撃つ方が、まだマシの筈だ。
というより、そのような訓練がほとんどだったんだろう。
クソだな、この国は。
革命から、実際・・・この国は何も変わってない。
この世界は絶え間無く変わり続けていると言うのに。
俺自身もこの世界のせいで、変わり果て草臥れ果てたというのに。
人生が滅茶苦茶だよ。
人を沢山殺した。
憎んでもない奴らを金の為に、生きる為に殺した。
生きることが辛い、とも最近は感じなくなった。
ここは居心地が悪いが、死ぬには最適だ。
行こう、任務が有る。
そしたら死のう。
エルヴィス・プレスリーのベストアルバムでも聴きながら。
まずハートブレイク・ホテルが、次にトゥー・マッチが。
名曲を聴きながら天井の柱に縄を結ぶ。
大丈夫。
ちゃんと切れない結び方を調べるさ。
椅子に立つ。
縄に自分の首を嵌め込む。
その時には、最後のワンダー・オブ・ユーが流れるんだ。
ワンダー・オブ・ユーが終わると共に俺は椅子を蹴飛ばし。
終わらせる。
終わり良ければ全て良しと、何処かで聞いたことがある。
正にこの事だろう?
俺は今後の人生の予定を考えていたら、いつの間にかに目的地に着いていたらしい。
俺達の任務を聞いたのだろうか、20人ほどの兵達が俺たちを囲んでマジマジと見ていた。
その兵達からノソノソと出てきたのは、俺の一つ階級が上のオッサンだ。
その上官は無言のまま俺の目を見つめ、美味くもない安い酒を突き出してきた。
俺は少し上官に向かって頷き、その酒を一口だけ煽った。
満足したのだろうか。
上官は後ろにまたノソノソと帰って行った。
ヨシ行くか、と思い。
塹壕から出ようとすると、俺より先に塹壕から出ようと、督戦隊員は上がろうとしていた。
俺は彼女の腕を掴み止めた。
「年上が先です」
と俺が言ったら、督戦隊員は文句しか無いような顔をしながら下がった。
意外と聞き分けが良い子なのかもしれない。
塹壕の壁に建てられている木の板を掴み、顔を出した。
10メートルほど先には、滅茶苦茶に置かれている鉄格子が。
5メートルほど前には、大破した戦車が眠っている大きな生き物かのように倒れていた。
所々に砲撃によって出来た薄くデカい穴が有り。
四方には敵兵や味方の死体が、その死体を鼠達が食い荒らしていた。
俺はゆっくりと塹壕から上がり、匍匐前進で芋虫の様に泥で軍服を汚しながら突き進んだ。
生きているのならば、こんな事どうでも良い。
俺が死ぬのはまだ早い筈だ。
後ろをふと見ると、何か言いたげな表情で同じ様に匍匐前進をしている督戦隊員の彼女が俺の目に映った。
俺は彼女の表情は見てない事にした。
俺達は100メートルほど匍匐前進をし、俺は周囲に敵がいないか確認した後。
督戦隊員と共にゆっくりと立った。
そうして東に2キロ先の山まで、俺達は腰を低くしながら走った。
山の中で俺が野宿の準備をしていた頃には、雲如きで見えなかった、憎たらしい太陽がもう落ちており、夜になっていた。
太陽は嫌いだ。
必要がない時には、ずっと上で俺を見下ろし、自分の価値の無さを照らして来る癖に、こんな時はすぐに太陽って奴は落ちて消えて行く。
願いっつーのは願ってない時に叶えて来やがる。
クソだ。
俺は意味もない思考をしながらマッチの火を乾いた枝に移そうと必死になっていた。
頭の中だけで太陽だけに向かって愚かな痴態を晒した筈だが、どうやら俺の考えてることが態度や表情に出ていたらしい。
倒れていた木に座っている督戦隊員が、俺を蔑む様な目で見ていた。
・・・まあ良い。
やっと火が木に移った。
俺と督戦隊員は泥で濡れたコートや服を脱ぎ、近くの木の枝に干していた。
彼女は俺と近い距離で、焚き火の暖かみを享受していたが、まだ俺を警戒しているのだろう。
ホルスターに差し込まれている拳銃を手放そうとはしなかった。
「はぁ〜〜〜ッ」
と俺はわざとデカい溜息を吐いてやった。
それを聞いた督戦隊員はビクッと驚いた様な様子を見せたので、とても面白かった。
市街地にいた頃の懐かしさすら感じたね。
ニヤニヤとしている俺を見た督戦隊員は、ホルスターに差し込まれている拳銃を引き抜き、安全装置を外していた。
俺を睨んだまま口を開いた。
「・・・おい一般兵、塹壕に帰るのは私1人でも構わんぞ、私がお前を殺すのに理由はいらん」
「まあ良いじゃないですか。私は珈琲を淹れます、飲みますか?」
「黙れ、いらん」
俺は、今日の朝挽いた珈琲豆が入った紙袋を取り出した。
紙袋を開けると、愛してやまない香りが俺を迎えてくれた。
この香りを楽しみつつ俺はトリップポットに水をどぶとぶと入れ。
ポットを火に掛けた。
水を沸騰させる迄の間に俺はドリッパーとフィルターとサーバーを取り出した。
督戦隊員の彼女は俺が取り出したドリッパーを指差し俺に疑問を投げ掛けた
「そのドリッパーとフィルター・・・私が使っているのと違う。二つとも円錐型で・・・ドリッパーはスクリュー状の溝も内側にある・・・しかも底の穴は私が使っているのと違い、大きいな。なんだこれは?美味く淹れれるのか?」
督戦隊員は珈琲には興味がある様で、一般兵と俺を蔑んでいたのが嘘のようだった。
素直な疑問には答えたくなるのが人というものだ。
俺はその質問に答える。
「これは"ハリオ"と呼ばれるドリッパーです、特徴は湯の注ぎ方によっての味の変化がとても強いんです。このハリオのスクリュー状の線を生かす為には、中心から内側へ。円を描く様にゆっくりと淹れるのがコツです。慣れるまでは難しいですけど・・・自分の好みの味にできるのでお勧めです」
「ほぉ、良いことを聞いた、まあお前の珈琲なんぞ飲まないが」
一言が多い彼女の言葉は、ここ半年、話し相手が殆どいなかった俺にとって、気休め程度にはなった。
ハリオのドリッパー用の円錐形のフィルターを、袋の様に広げドリッパーに嵌める。
このフィルターを付けたドリップに珈琲豆を入れるため
珈琲豆用のメジャースプーンを取り出した。
それを珈琲豆が入ってある紙袋に入れ、珈琲豆を救い出しフィルターに入れる。
珈琲豆をもう2回フィルターに入れた。
火を掛けているポットの中身を見ると、ポットの中の水は沸騰している様だった。
俺はポットを素手で触ろうとするが、火に掛けたポットの熱さを思い出し。
厚い布をバッグの中から弄り出し、布越しにポットの取手を持った。
俺はさっき取り出したサーバーを地面に置く。
そしてサーバーにお湯を高い位置から注ぎ込む、他人からしたら湯を違う入れ物に入れてる。
ただの無意味な行為に見えるだろうが、これは珈琲を美味く淹れる為の大事な過程だ。
こうやって違う入れ物にお湯を高い位置から入れると
湯が段々冷めていく。
冷ます理由は湯が沸騰した状態ですぐ珈琲を淹れると
珈琲豆のエグ味が出るんだ。
だから俺の様に、一度サーバーなどの入れ物にお湯を移し。
再びポットにお湯を戻す。
そしたらお湯が90℃ほどに落ち着く。
これがベストだ。
俺は珈琲豆が入ってあるフィルター付きドリップをサーバーの上にセットし、珈琲豆に円を描く様にお湯を注いだ。
珈琲豆が水を入れている水風船の様に膨らんで行った。
俺はドリップからギリギリ溢れない様に調整をしながら珈琲豆にお湯を注いで行き。
3杯分の珈琲が出来上がった。
あ、1つ注意点だが珈琲の量は珈琲豆の分が淹れたら。
早めにドリップをサーバーから取り出したほうが良い。
珈琲豆の分以上の珈琲を淹れようとすると・・・
正直・・・俺が好きじゃない味に出来上がる。
それが好きな人も居るから、色々試すのが良いと思う。
俺は珈琲を2個のマグカップにそれぞれ注ぎ込み、珈琲、督戦隊員の座っている前に置いた。
「・・・私は飲まないと言った筈だぞ?」
「そういうの良いんで早く飲んでください」
「・・・生意気だな、私が女だからか?」
「俺に性欲があったら、今貴女は1人でしょうよ」
督戦隊員は俺が淹れた珈琲を口に運んだ。
彼女が飲んでいる時はマグカップで顔は見えなかったが
一口飲み終わったのだろうか、マグカップを口から下げ
顔が見えた。
彼女の表情は、俺が見て来た鋭く硬い表情ではなく。
柔らかく、可愛らしい表情だった。
俺はそんな彼女の表情に呆気を取られていると
「この珈琲・・・正直美味い、どこの珈琲豆だ?上等兵」
彼女の俺への呼び名はいつのまにかに"上等兵"に変わっていた
彼女なりに、俺への警戒が少し解けた印だろうか?
彼女の意外な一面…いや二面ほど見てしまった俺は彼女の質問に答えるのを少し忘れてしまっていた。
俺は冷静な自分の仮面を被り。
質問に答える。
「普通の珈琲豆ですよ、普通の珈琲豆です・・・友達に毎日送って貰ってるんです」
彼女は俺の回答が少し気に入らななったのだろうか
頬を少し膨らませ俺にまた質問をする
「ならなんでこんなに味が変わるんだよ?私の淹れ方がそんなに不味いのか?」
「それは・・・また今度飲み比べでもしてみますか?そしたら結果が分かりますよ」
「嫌だね、私は勝てない戦いには乗らないタイプの人間なんだ」
「だとしたら貴女はこの戦争に参加していませんよ」
「その言葉はこの国への侮辱かな?ふーん、だとしたらここで君を殺す理由にもなるなぁ」
彼女の言葉は物騒で他の兵士が聞いたならばとても怯える様なものだったが・・・戦争によって泥塗れで冷え切った俺の心を少し清潔に、少し暖めてくれた様な気さえもした。
督戦隊員とはもう思えない程、彼女は珈琲を朗らかな表情で飲んでくれていた。
珈琲を飲んでいる彼女が何かを思い出したかの様な顔をし、俺を見て口を開いた。
「上等兵、君の珈琲のおかげで忘れていたが…食事はどうする?何か作れたりするのか?」
「いやぁ…俺は今まで軍で配られていた飯を何も考えずに口に放り込んでいただけで…まあ暖くて味が濃いものなら、なんでも」
「上等兵、君は不健康極まりないね、珈琲のお礼と言っては何だが・・・一ついい話をしようか、戦場では劣悪な環境と異常なストレスが原因で精神安定が難しくなると良く言われているが、私の持論だと"食事"も、その原因の一つを担っていると思っている」
「食事・・・ですか?そりゃ食事は大切でしょうけど、精神にも影響されるもんですかね」
「されるぞ、そもそも、この国の軍用食は最低限の栄養だけで、"味"を大切にしてないね」
「ソ連を侮辱していると言うことですか?」
「ただの事実を述べているだけだよ」
「ここは事実を話しただけで粛清される国ですよ」
「・・・こんな話はやめよう。そうだ、私が夕飯を作ろう、待っててくれ」
そう言い残した彼女は懐中電灯で足元を照らしながら山に消えて行った。
10分ほど経ち、そろそろ俺が彼女が心配になり探しに行こうかと思い始めていた頃だった。
彼女が山菜のを抱えながら帰って来た
「いやはや、やはり山は素晴らしいな、当たり前だが、キノコの取り放題だ」
そう言いながら彼女は色々な種類のキノコを軽く水洗いし、バッグから小さなフライパンを取り出した。
「山菜は基本、森か山があればどこでも採れる。世界共通のご馳走だ。だから色んな国で山菜を使った料理があるが・・・シンプルな炒め料理にしよう上等兵」
「はぁ、了解しました督戦隊員」
彼女は終始至極楽しそうに、自然の寒さで冷凍された豚肉を焼いて解凍し、色んなキノコを輪切りしに炒めていった。
味付けはシンプルな塩胡椒をし出来上がりだ。
「さぁ食え上等兵、感想をさっさと言ってさっさと寝ろ」
「ありがとうございます」
俺は皿に盛られたキノコと豚肉をフォークで突き刺し、口に運んだ。
ただの炒め料理だと思っていた筈だ。
昔母さんによく作ってもらった、そして自分でも良く作った普通でシンプルなキノコと豚肉の炒め料理。
舐めていた。
他人が作ってくれた手作りの暖かい料理がここまで感動するとは、俺は料理と言うものを。
常人の日常という物を舐めていたらしい。
俺は涙を流していた。
頬が涙を伝っていくのがわかる。
太陽が俺を照らしていないおかげか、彼女は俺を心配すらせず笑顔のまま、ただ一言。
「そんなに美味いか?上等兵」
と俺に言った
俺は黙って涙を拭き取り。
彼女と共に残りの炒め料理を食べて。
焚き火を消して。
2人で並んで、寝袋に包まれて、寝た。
そして俺は、初めて太陽が居なくなった事に感謝した。
実は1940年代の時点ではソ連にドリップ式の珈琲は主流ではありませんでした。
トルコ式と呼ばれる「微粉状になるまで細かく挽いた豆を、長い取っ手のついたミルクピッチャーのような形をした銅製の小鍋で冷水からじっくり時間をかけて煮だした珈琲」
と言う方法の珈琲が主流でした。
トルコ式の珈琲はとても苦味が強い様で私は飲んだことはありませんが、あまりのその苦味に、当時のソ連国民の珈琲ではなくて、紅茶を好んでいたそうです。
なのでクリンコフと督戦隊員の彼女は珈琲マニアということになります。
それと、クリンコフが音楽の話をしている描写がありましたが、エルヴィス・プレスリーさんのファーストシングルは1954年リリースなので・・・まあ、これは私の音楽の趣味のせいで歴史が捻じ曲げられたという事です。




