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ため池のうわさ

作者: 唐揚げ

 京都市北区にある私の家の近所には、ため池と呼ばれてる池がある。

 おそらくは、正式な名称があるのであろうが、近所の人ははおそらく誰も知らないと思う。実際に私が小さな頃、幼稚園に通っていた頃に近所の公園に遊びに行くときも母親からは「ため池には近寄らないように」とだけ必ず釘を刺されていた。

 つまり近所の人は、誰もその池の名前を知らず、ただのため池としか呼んでいないのだ。

 私自身としてもその池の事はため池としか呼んでいなかった。あまり気にする事もなく、言ってしまえば、風景の一つとしか思っていなかったのだ。感慨深い心情を胸に抱く事もなく、ただの池がそこにある、としか思ってない。

 だが、高校一年生の初めての夏休み前、浮足立つ教室で、私の隣の席に座っていた田村という男子が池に関する噂を話し始めたのだ。


「あの池には、夜、幽霊が出る」


 近所に住んでいる私としては馬鹿馬鹿しいと一笑に付すような話を始めたが、私の友人の目黒はそうではなく、興味津々という風に、田村へと話の水を向けた。おかげで得意な顔を見せた彼は、話を始める。


「俺の友達が夜にランニングしてたらさ、あの池の辺りを通る事があるらしいのよ。で、さ。池の辺りに最初、赤い服着た女の人がいたんだってさ。夜なのに一人で出歩くなんて物騒だなとも思うけど、そいつも人の事言えないからさ。で、こんにちは! って声をかけるんだけど。返事しないのよ。感じ悪いなーって、思うだけ思ったんだけどさ。でも、次の日も、そのため池に女が居たんだってよ」

「近所の人だろ」


 ちらりと友人は、私を見たが肩を竦めるだけにおさめた。


「かもしれないけどさ。不気味だなっていうさ」

「何それ。幽霊かどうかなんてわかんないじゃない」

「話はここからややこしくなるんよ。でさ、何日も何日も俺の友達はその女の人を見かけるんやけどさ。最初は挨拶してたんやけど、無反応だからしなくなっちゃってさ。あ、今日もいるなーって感じだったのよ。だけど、ある日、それがおらんかった」

「そりゃ、毎日同じってことはないでしょ」

「で、その友人は、おかしいなって足を止めたんよ。で、池の周りを見た。あの池、近くには住宅地もなんもないからな、草か池しかない。だから、ぱっとすぐに見つけられたんや。赤い服を着てるから良く目立つよな」

「それが何、良かったじゃない。幽霊でも何でもない普通の人」

「ため池」

「は?」

「ため池の中におったんや。ため池の真ん中に、おったんや。それを見て、友達は逃げ出して。もう、近寄ってない。それだけの話」


 夏休みに入る前に、嫌な話を聞いてしまった、と私は内心後悔をしていた。

 夜になるとため池の辺に現れる赤い服の女。

 たったそれだけであるのに、私は、これから毎日、夜遅くになって、あのため池の辺りを通る際には、気を付けなければならない。もしも、その特徴に合致する女が現れたら、間違いなく緊張が走ってしまうであろう。

 逆に、友人は、少しばかり興味が沸いた様子だった。

 勘弁してほしいものだ。

 もっとも、そんな噂話を聞いてしまったからといって、私が通学のルートを変更するという事はない。その日の夕方も、いつものルートで下校する。が、ため池が視界に入ると、変な先入観が芽生えてしまうのだった。


「嫌な話を聞いちゃったなぁ」


 家に帰り、ベッドに鞄を置いた私は一人、そう呟く。

 が、そう言っていたものの、意外にも次の日にはそんな噂は気にならなくなっていた。夏休みに入ると、どうしても、明るい時間帯にばかり通る事になるからだ。そして、あのため池の傍を通らない、通学自体がないからでもある。

 そんな風に考えていたが、ある日の晩、友人と遊んでいて帰りが遅くなってしまった、帰り道。

 そのため池のそばをどうしても通らないといけなくなってしまった。

 瞬間、あの噂が脳裏をよぎったが、あくまで噂でしかない。何を気にする必要があるのか。

 私はそう自分に言い聞かせて、ため池のそばを通る事とした。

 夜になると、ため池のほとりはすっかりと人気がない。ため池の辺に生い茂る葦だったか背の高い草が、風に吹かれて揺れてたてる音が聞こえ、池の辺に波が打ち寄せる音が聞こえるくらいなものである。


「あ」


 私の歩く足が止まる。

 ため池の辺に赤い服を着た女が立っていた。

 赤い服の女は、じっとどうやらため池の方を見ている様子である。私の位置からは、表情を伺い知る事は出来ない。


「嘘でしょ」


 誰にも聞こえないようにつぶやく。

 噂が事実であったかもという事が、目の前にある。

 気にする事はない。あれはただの近所の人なのだ。

 赤いドレスを着るような人がいても、妙ではない。

 私は足を再び、進める。

 赤いドレスの女が近付く、近付いていく。

 私は、肩から掛けた鞄の紐をぎゅっと力強く握る。

 可能な限り、その女の方を見ないように努めて、足早に通り過ぎようとした。


「もし」


 女が声をかけてきた。ような気がして、足が止まる。

 ゆっくりと、その女の方へと顔を向けるが、よくみれば、私に対して背を向けている。

 声をかけて来たのではない。空耳だ。

 そう、思って、無関係をきめこみ、また再びに早足に歩き始める。


 ボチャンッ・・・


 少し歩いた時、そんな水音が、何かが水に落ちる音が聞こえた。

 はっと、振り向く。

 と、赤い服の女がいなくなっていた。

 もしや、ため池の中に落ちた。

 ぞっとした。いくら夏の暑い日であると言えども、ため池に落ちたとしたらば、それはただ事ではない。私は、慌てて女が立っていた場所まで走っていった。おそらく、そこからため池へと歩いて飛び込んだのであろう。

 入水自殺。

 その単語が頭にはっきりと浮かんできていた。

 畔に生えている背の高い草が人が通れるくらいに分けられている。

 その先にはため池が確かにある。私はそのまま、ため池へと近寄って行った。


 バシャバシャと、水音が聞こえる。

 水の中で苦しみ悶えている女の姿が脳裏に浮かぶ。

 水面が見えてきた。

 

 女が見えた。

 少し離れた水面の下、赤い服の女が、こちらを見て沈んでいる。

 水死体。

 はっきりとした言葉としてそれを認識した。

 見てはいけない物として。

 

 が、次の瞬間、水面下の女が、にいっと笑った。

 はっきりと、白い歯を見せて笑った。


 自分が悲鳴を口から溢れ出しながら、ため池から一目散に逃げ去っているのに気が付いたのは、数分後だった。家の玄関先が見えてきたとき、私は不思議そうに、それでいて、驚いた顔の母親に抱きしめられ、何があったのかと聞かれたが、何も答える事が出来なかった。

 答えてしまうと、あれが本当にあったかのような、いたかのような気がしてしまうからだ。


 それ以降、私は、ため池の傍を通らないようになった。

 それでも、時折、赤い服の女が出るという話を聞く。

 

  



 

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