第8話「焦燥」
ざわめきが広がる駅前、春希はベンチに座って凛を待っていた。
春希はポケットから砂時計を取り出した。
残りの砂は半分程になっている。
春希は砂時計をポケットに直し、目を閉じた。
この砂が一気に落ちて無くなってしまったりしないだろうか……
春希は何度も砂時計を取り出して確認した。
「お待たせー!!」
明るい声とともに凛が目の前に突然現れた。
紺色のワンピースにサンダル、少しお洒落をしている様子である。
「何ボーッとしてるの!行くよ!!」
凛はいつも通り春希の手を引いて歩き出した。
電車に乗って15分、映画館はショッピングモールの中にある。
「何見るの?」
凛が春希の顔を覗き込むように聞いた。
「えっと……」
困った。凛に会いたくて映画に誘ったのはいいが見るものを決めていなかった。
凛が春希の顔をじっと見ている。
「うーん……私昨日溜まってたドラマ一気見しちゃったんだよね。映画やめてぶらぶらしない?」
凛は明るい口調で言い、春希は軽く頷いた。
良かった。
出来るだけ長く凛の顔を眺めていたい。
2人で手を繋ぎ、ショッピングモールの外を歩く。
凛はいつも通り何気ない話をしているが、その時間が春希には深く愛おしく思えた。
ふと、凛が1軒のラーメン屋で立ち止まった。
凛は店の外の看板をじっと見ている。
「どうしたの?食べたいの?」
春希が凛の横顔を見ながら問いかけた。
「ううん、違うの。こういうのいいなって思って。」
凛がメニューを指差した。
「このあんかけ生姜ラーメンは昭和35年頃に発祥しました。冬場の寒く厳しい環境下で働くお客さんに少しでも暖かい時間を過ごしてもらいたい、そんな店主の気持ちから次第に餡が濃くなって来たのがきっかけです。」
看板にはそう書いてあった。
「誰かのさり気ない優しさが積み重なって積み重なって、その結果1つのものが出来上がる。そして、同じように今もそれに助けられてる人がいる。」
凛は春希の顔を見ながら呟く。
「こういうことができる人になりたいなって思う。」
凛はニコッと笑いながら言い、スキップで春希の前を進んで行った。
「そういうことに気付ける凛みたいな人に俺はなりたかった。」
春希はボソッと呟いた。
陽が落ちて辺りが暗くなる。
春希の心は焦燥感に包まれていた。
洋服を嬉しそうに選ぶ彼女。
ジュースを飲みながら目を細める彼女。
春希の手を握りニコッと笑う彼女。
そんな彼女の一瞬一瞬に魅せられながら、今ここで彼女が消えてしまうのではないかという言いしれぬ不安に襲われていた。