【永禄十四年(1571年)秋】
◆◆◇永禄十四年(1571年)十月 京◇◆◆◆◆◆◆◆
四国を半ば制圧し、村上水軍を事実上従属させ、博多湊までも制圧した足利尊棟が京に凱旋したのは、秋が本格化しつつある頃だった。
迎えたのは本願寺の幹部たちとなる。若き宗主である顕如は、京を掌中に収めた満足感に浸っていた。伊勢は劣勢だが、加賀一向一揆が越前を制圧したことで、山城との道も開けそうな状態となる。
大柄なその体躯に、黒を基調とした法服が映えている。彼らは、盟友的存在となっている人物を迎えようとしていた。
京での本願寺の拠点は山科本願寺跡地に置かれようとしている。事実上の城塞だったものの、法華宗一揆に攻め滅ぼされ、再建には時間がかかる。そのため、仮拠点として二条御所が使われていた。
彼の左右には、下間姓の幹部たちが並んでいる。本願寺教団の中央で軍事面を担当する僧侶は、ほとんどが下間一族であった。血脈への信頼が強くなるのは、この時代にあっても抜きん出て特殊な成り立ちの勢力であるためか。
「瀬戸内を制されたそうで、祝着至極に存じまする」
「それもこれも、お主らに京の制圧を任せられたおかげよ。……寺社の焼き討ちは、さほどでもないようだが」
「延暦寺は既に焼かれておりましたからな。法華宗の寺社を焼いた程度です」
本願寺勢と法華宗は宿敵に近い状態となっており、どちらかが支配側に立てば、相手の寺社が焼かれるのは自然なことであった。
「それで……、今後の拠点は京に置かれるのですかな」
探るような視線を向けられた足利家の継承者は、あっさりと首を振った。
「将軍位の正式な代替わりが済めば、再び西へ向かう。大宰府を当座の拠点にするつもりだ」
「ほほう、尊氏殿の故事に倣われますか」
そう応じた顕如の口許には、やや下卑た笑みが浮かんでいた。この時代の中心地は、どこまでいっても畿内である。そこから離れる感覚は、本願寺の宗主には理解しがたいものがあった。
「京は任せるとしよう。……ところで、新たな武将を登用されたそうだが」
「本多正信のことでしょうかな。直近で新田に仕えていたそうで、内政面に限定して使っております」
「姿を見せてもらえるか」
「承知しました」
やがて連れてこられた本多正信の頭上に視線を向けて、ソントウの口許が歪んだ。
「少し話をさせてもらおう」
「ええ、構いません」
そう言いながらもそのまま立っていた顕如に、足利尊棟の鋭い視線が飛んだ。意味合いを察して、僧侶たちがその場を離れる。
「新田家臣のままで本願寺に加入するとは、どういう料簡だ」
「いえ、新田の殿からは致仕のお許しをいただいておりますが」
「いや、お前は今も新田の家臣だ。俺にはわかる」
断言にも、本多正信は表情を崩さない。
「驚かぬのか?」
「驚くもなにも、真実ではございませんので、当惑するしかございません」
「認めようが認めまいが、俺は知っているんだ。対応はさせてもらうぞ。……新田にも、俺と同じような者がおるので、覚悟はできていたわけか」
「同じ……とおっしゃいますと?」
「人を見ただけで、その者の素養がわかる眼力の持ち主という意味でだ。特に、歴史に埋もれるはずだった存在を見出す者がいただろう」
「それは確かにそうですな。宰相殿も、軍師殿も」
「芦原道真やら青梅将高やらいう者たちか」
「新田家中の内情をよくご存じですな。その他にも、三日月と申す忍者や、川里屋の岬という同年代の者もおります」
「年頃が同じことに、意味を見出すか」
「そのような口吻でございましたので」
「ふむ……。で、どうなりたい。斬首がよいか、それとも牢で生涯を閉じるか」
「叶うことでしたら、このまま京の警護に力を尽くしたいところです」
「それはならん。本願寺や幕府の内情を新田に流させるほど、俺は甘くないぞ」
「そのようなことは致しておりませぬが……」
「まあ、手元に置かせてもらおう。震電と陸遜の所在も探りたいしな」
後半は音声にはならず、ソントウの口中で溶けていった。
「おい、双樹。陸遜か震電かのこちらでの正体の目星がついたぞ。どうやら、新田の家中にいるようだ。年齢的に、青梅将高という名の武将か、川里屋の岬やらいう女商人の可能性が高い」
「そう……」
双樹の反応の鈍さを気にせず、ソントウは自分がその想定に至った理由を口にしている。
古麓屋を仕切りつつ、肥後の小領主である名和氏の後見役的な立場を務める双樹こと後醍院沙羅は、別の推測を脳裏に描いている。
将軍位を継ごうとしている彼女の連携相手は、新田氏というのはゲーム開始時にランダム配置されたモブ豪族で、震電か陸遜がそこに入り込んで、越後勢の関東侵攻の波に乗って、所帯を大きくしたのだと考えているようだ。
けれど、震電が「シンデン」という読みで「新田」に通じることから、新田護邦という当主こそが震電本人であると考えた方が、双樹にはしっくりきていた。
当主が同格のプレイヤーではないと考えるのは、西へ進む機会を逸してきたからなのだろう。畿内を押さえなければ、戦国統一オンラインでは勝利は得られない。
ただ……、震電がこの世界での生をゲームとして捉えているとは限らないと、彼女は考えている。
あるいは、勢力の長として先行されているのを認めたくないのかも。男の子同士は厄介ね、と考える彼女にも、震電が男だとの確証は持てていなかった。
新田護邦を震電だと仮定した場合に、陸遜の所在は確定できていない。新田の協力者の可能性もあれば、まったく別の勢力にいる可能性もある。そちらの所在の方が、後醍院沙羅にとっては重要だった。
◆◇◆◇◆◇◆
【永禄十四年(1571年)十一月】
三好勢を押し込んで阿波、摂津、河内辺りを制圧し、北九州にも手を伸ばしたらしい足利尊棟が、京に戻ったとの報告が入ってからしばらくの時が経過している。
そして、本願寺と揉める気配がないからには、同心状態なのだろう。新生室町幕府と本願寺の蜜月関係となると、なにやら不気味さも漂う。
新田を致仕した形となっている本多正信は、京の統治に力を振るっていたようなのだが……、残念なことに更迭されてしまったようだ。
本願寺に送り込む際に、足利将軍とはできるだけ接触を回避するように言い渡しておいた。さらに、どうしても避けられない場合のために、新田とは縁を切るとの心持ちとなるようにと口を酸っぱくして求めたのだが……、見破られたのだろうか。
ステータス上で見分けがつかなくても、▽印がなくって不審がられたか、あるいは元新田家臣というだけで敬遠されたのかもしれない。今のところ、処断されたとの話は聞こえてきていないので、それはなによりである。
埋伏的な計略を仕掛けたのは、日々の情報を得たいというよりは、決定的な場面での謀略的な動きを期待したためだった。とは言え、組織内で時間を過ごしているうちに、心が埋伏先に移ることもあるだろう。海の向こうの、ナホトカ……ではない、新河で足利義氏のところに埋伏している鷹彦にしても、いざ両者が開戦となれば、去就に迷う場面もあるかもしれない。そこは、それでよいのだとも思う。
この間にも、関東、奥州では収穫が済まされ、開墾と土木工事の季節が訪れようとしている。各航路の湊の整備としては、船着き場だけでなく、在来商人向けに沿岸航路用の商船を供給する造船所の設置も進めている。
輸出向けの商材も重要だが、近隣で商いが成立してくれると、域内の活性化につながっていく。遠隔地の通商はネーデルラントとの連合商会が担当しており、中距離は既存の商会が活躍している。となれば、近距離で領内からの新規創業組が手堅く稼げる状態が理想的なのだった。季節ごとの農産物のような商材が中心になるだろうか。
そこはある程度実現できてきているようだが、中距離航路での、畿内との通商をしていた商人が苦境に陥っていた。
紀伊沖、加賀沖を封鎖する本願寺水軍に船を沈められた場合には、新田で満額とはいかずとも補填する形を取った。ただ、それに気を良くしたのか、また、悪天候を衝いて紀伊航路を通過した船が出たことから、封鎖破りの試行を繰り返す商人が出たのである。
まさかの展開に、二度までは補填は出すものの、三度目以降は対応しないとの触れを出さざるを得なかった。二度目についても、水夫を無駄死にさせる者を救済する必要があるのか、との思いはある。ただ、これまでできていたんだから、うまくいくはず、との想いに捕らわれてしまうのはわからないでもない。
一方で、あっさりと尾張=関東=奥州=蝦夷地航路に切り替えた商人もいたので、積極的に奨励して、こちらに誘導する形を取っている。日本海航路でも同様に、直江津=佐渡=羽州=蝦夷地航路が活性化しているようだ。
こうなってくると、商材開発、生産拡大についても、より注力する必要が出てきている。そのあたりは、商人の意見も反映させていくとしよう。
土木工事の方針について、治水系と開発系の意見がぶつかる場面も見られているが、健全なことだと捉えるべきなのだろう。調整手法については、道真と相談して進めている。全体を俯瞰できる人材を増やしていきたいというのは、課題として挙げられていた。
統治方面の大将級は、芦原道真、明智光秀、青梅将高に、神後宗治、真田幸綱、師岡一羽といったところで、地域限定での英五郎どん、今川氏真、北条氏規がいる。後は、政治特化組で二階堂盛義、最上義光、用土重連らが続く。
今回の話は、その下で調整役として活動する人材についてとなる。各部門の衝突が顕在化すれば、統治役が調整することになるわけだが、そこまでいかぬうちに解消できればそれに越したことはないのだった。
内政系に思考を向けている間に、まさかの情報が入ってきた。天皇が……、今上が吉野に送られるとの話が持ち上がっているそうだ。南北朝になぞらえているんだとすると、いまいち合点がいかないのだが。
表向きの理由は、足利尊棟への将軍宣下を拒んだためとのことだが、足利を軽んじた者を排除するとの流れの中に、やはり主上までも含まれているのかもしれない。
大和も、織田家の混乱の中で放棄される形となり、現在は本願寺の勢力圏に入っている。……救出もありだろうか。あるいは、誘われているのか。
そして、西国からは毛利元就が死去したとの報せももたらされた。中国地方の英雄は、史実と同年に命を落としたことになる。








