【永禄十四年(1571年)夏~初秋】
◆◆◇永禄十四年(1571年)八月 京◇◆◆◆◆◆◆◆
暗色に染まるその人物の視界に、小さな炎が浮かび上がっていた。
燃えているのは本能寺で、先ほどまでは砲声もかすかに響いていた。
京の市街における襲撃の様子を確認する若者の後方に居並ぶのは、本来なら幕臣となるはずもない者達だった。
李氏朝鮮の勢力圏内に含まれる済州島で復興されつつある耽羅の星主は、あどけなさの残る笑みを浮かべている。
その保護者的な立ち位置を確保している蒙古の血筋の少女は、精悍な表情で暗闇の中の灯火を見つめていた。
やや距離を置いて控えているのは、後世では千利休として知られる人物である。田中与四郎改め千宗易は、商人風の出で立ちとなる。
茶人の隣にいる暗い目をした若者の頬には、新田の忍び、三日月につけられた刀傷が浮かんでいる。かつて関東での新田包囲網を首謀したために、今も東国忍群の追捕リストの筆頭に名が記されていたが、本人に気にするところはなかった。
逆側にいるのは、果心居士として知られる幻術使いだった。物語では老人として描かれる場合が多いが、少年の姿である。外見通りの年齢なのか、幻術によるものなのかは、主君となった若者にも把握はできていなかった。
「タカムネ、ここからは君の時間なんだよね」
軽やかな声は、耽羅の星主として立つことを決意して間もない少年の唇から発せられた。柔らかみのあるその声は、周囲を魅了する響きを帯びていた。
「ああ。これは始まりに過ぎない。足利を貶めた者たちはまだ多くいるからな」
「ちゃちゃっとそいつらを討伐して、天下とやらを統一してほしいもんさね。そこからは、あたしらの番だから」
蒙古の先祖返りと称される少女が、親しい存在の近くから盟友的な立場の人物に声をかける。
「そうありたいものだな」
応じる尊棟の声には、苦笑の響きが溶け込んでいた。
彼らのやや後方でひざをついて控えているのは、本能寺襲撃を仕掛けて信長を討ち果たした若者が、手ずから拾い上げた腹心たちだった。
出自は様々で、一揆に参加していた農民や流民もいれば、漁民、商人上がりも含まれる。彼らには、幕臣という意識はない。主君を見つめる視線には、熱気がこもっていた。
その後方から歩み寄ってきたのは、甲斐の虎と呼ばれる人物だった。年齢的には初老の域に入っていようが、故郷を離れてむしろ若返った感すらある。そのすぐ後ろには、娘らしさを残した女性がついてきている。
「尊棟殿よ、暴れさせてくれるんだろうな」
「もちろんだ。武田の力を世に示してくれ」
頷いた信玄の隣で、古麓屋双樹と名乗っている女商人はえくぼを頬に浮かべていた。尊棟が続ける声には、力が込められた。
「まずは、西からだ。三好三人衆を討ち、四国を手に入れよう。その先は、色々とやりようがあるが、問題は東だ」
「新田が、奥州の鎮撫を済ませたようだな」
信玄の唇が歪むのは無理もない。話題に出ている勢力こそが、この著名な武将が甲斐を追われる原因となったのだから。
「新田は……、俺の知己のどちらかが裏で糸を引いていそうなのだが、腹心として入っているとしたら、動きが鈍すぎるのでな。判断に迷うところだ」
「どちらにしても、叩き潰せばいいんでしょ?」
騎馬民族の血を引く少女が強気な口調で応じるのと同時に、武田の当主の後ろにいた人物の口中で呟きが溶けていった。新田の当主がシンデン、すなわち震電なんじゃないかしら、というのが、音声にならなかった古麓屋双樹こと後醍院沙羅の言葉だった。
気を取り直したように、双樹が同じ故郷を持つ若者に声をかける。
「東国の支配だけならそうかもしれないけど、海外交易を手掛けているでしょ。侮るべき相手じゃないと思うけど」
「だがなあ……、信長の畿内平定を許容するのは悪手が過ぎるのでな」
「信長の作る世界を見たかったのかも」
「もしもそうなら、信長の遺領を飲み込んだ新田と、天下分け目の決戦といったところか。やっとそれらしくなってきたな」
双樹は表情を殺している。それが逆に、不同意であるのをはっきりと示していた。この二人のやり取りの間は、他の者が口を挟むことはまずない。別の世界の事柄を話しているのだと、なんとなくにしても察しているのかもしれない。
「震電と陸遜、どちらかが新田の黒幕だとしたら、もう一人はどこにいるのかな?」
「さあなあ。どこの家中にも、幾人かずつ知らない名前がいるから、なんとも言えないな」
頷いた双樹が唇を歪めると、えくぼが深くなった。寺から生じた火は、どうやら勢いを減じつつあるようだ。
織田軍の混乱に乗じて、やがて本願寺勢が侵入してくるはずだ。その道筋は、既にここにいる者たちによってつけられていた。
◆◇◆◇◆◇◆
【永禄十四年(1571年)九月】
織田信長を討った勢力が判明した。足利義昭から家督を譲られ、幕府を暫定的に率いている人物は、足利尊棟と名乗っているそうだ。
足利の通字は、源氏から引き継ぐ「義」の字で、「尊」は初代将軍の尊氏を連想させる。尊氏の「尊」は北条高時の「高」の偏諱を受けて、後に後醍醐天皇から賜る形で字を変えた経緯がある。
俺にとっては、二つの意味合いで心当たりがある名前となる。尊棟を音読みすると、ソントウとなる。元時代の秋葉原でのオンラインゲーム大会で戦うはずだったのは、震電こと俺に、陸遜、双樹、そして、もうひとりがソントウだった。
そして、足利尊棟という名は、元時代でも聞き覚えがあった。オンラインゲームとは離れた方面で、話題の人物だったためである。
中学の剣道全国大会を三連覇しながら、実戦的とされる高梨流剣術の再興も果たした人物が美形の少年で、しかも足利氏の末裔だというので、剣道、歴史界隈ではわりと大きめに取り上げられた。歴史上の人物の末裔とされる有名人は散発的に出現し、フィギュアスケート選手が天下人の子孫だった、なんて話題になったこともあったが、尊棟少年の場合はわりとガチな血筋だったようだ。
オンラインゲームでそんな有名人と日々戦っていたというのも驚きだが、この世界で足利将軍家を復興しようと動くとは……。
足利尊棟は、本能寺で信長を討っておきながら、直衛軍を率いて三好三人衆の根拠地である四国に攻めかかったそうだ。足利将軍を殺害した者達は許さないということなのか。
そう言えば、元時代でのゲームにおいても、足利将軍家を含めた織田と対抗する勢力の時に活躍していたようだった。陸遜が織田好きだったために、両者が壮絶な殴り合いをするのを辺境勢力プレイをしながら眺めた場面も思い浮かぶ。
瀬戸内で勢力を築いていた本願寺水軍は、実際にはこの足利尊棟の傘下にあったようだ。となれば、交易を手掛けていたのもソントウなのだろう。一方で、紀伊、加賀で沿岸航路を押さえているのは、純然たる一揆勢の水軍らしい。
足利の後継者を名乗る人物は、室町幕府を再構築するとの宣言を発しており、槙島昭光、三淵藤英、細川藤孝ら奉行衆を従え、さらには甲斐武田から放逐された武田信玄までが参加しているそうだ。従軍する直衛戦力は、一向衆から選抜された者達だけでなく、異装の者たちもいるとかで、大陸系の、明か女真族からの援軍も加わっているのかもしれない。
足利将軍家には、武田信虎も出仕していたはずなので、共に息子に追放された父子が共闘する形になるのだろうか。
そして、四国の三好勢が押されているとの話も伝わっていた。三好三人衆と言っても、既に三好長逸、三好宗渭は故人となっており、土豪出身の岩成友通が盟主となれるはずもない。
そして、ソントウの水軍は村上水軍と共闘していて、瀬戸内の制海権は掌握済みのようだ。
京は完全に本願寺が制圧した模様である。元々が大大名並みの動員力のある勢力だけに、本気になればいつでも、という状態だったのかもしれない。
◆◆◇永禄十四年(1571年)九月上旬 京◇◆◆◆◆◆
京は本願寺の一揆勢によって席巻されていた。自らを楽土を作るための尖兵だと考える彼らは、全般的には善良な侵略者だと言えるかもしれない。
ただ、一揆の参加者の出自は様々で、支配側に回ったことで暴虐に振る舞うものも出ていた。そのうちのある者は一向宗の僧侶を主体とする指導者層に捕縛され、別の者たちはソントウ配下の監視者らによって排除された。
戦国初期から、宗教勢力の武装集団化の勢いは激しさを増している。
本願寺の一向一揆も、そもそもは散発的なものだった。それが、加賀で守護の富樫氏の内紛に加担したところ、勝ち残った富樫政親が一揆勢の排除を画策したために打倒し、結果として加賀を手中に収めた形となった。1480年代後半のことなので、足利尊棟の表舞台への登場からは、九十年近く前のこととなる。
その加賀一向一揆も、在地の寺と本願寺が送り込んだ者たちで内戦が起こり、本願寺首脳の主導権が確立されていくなど、完全に軍事勢力の動きとなっている。
その後も、本願寺勢の武力勢力としての活動は続く。細川晴元と畠山義堯・三好元長連合の争いの際には細川晴元の要請を受けて参戦し、両軍を散々に打ち破って主将らを戦死、あるいは自死に追い込んだ。武家勢力の援軍という形にしても、武装組織としての活躍は著しいものとなった。この流れには、三好元長が法華宗の守護者的な立場だったことも影響していた。三好長慶にとっては父となる三好元長は、足利義維を擁していわゆる堺幕府を成立させていたが、義維も捕らえられて四国へと放逐される流れとなった。
ただ、一向一揆として動き出した勢いは激化し、奈良の興福寺や春日大社も攻めるなど、制御不能な状態に陥っていった。そのまま京を目指すだろうと想定するのは、むしろ自然なことでもあった。
この状況下で、細川晴元は本願寺の一向一揆と袂を分かち、討伐を目指した。そこで頼ったのが、法華宗である。
日蓮宗の法華教団は、細川晴元の要請を受けて法華一揆を組織し、六角定頼らとも統一戦線を組んだ。京にあった本願寺系の寺社は焼き討ちに遭い、半ば城塞化していた山科本願寺も攻め落とされた。
一向一揆勢は伊勢と大坂御坊に落ち延びたが、摂津での戦いは続く。一進一退の攻防となり、本願寺側が巻き返した時期もあったが、時の将軍足利義晴による追討令を招くことにもなった。その後も両者の出血が続き、やがて講和が成立したのだった。
この流れの中で、京の警護を法華教団が担当することにもなった。元々が京に入ることすら許されない期間が長かった教団だけに、官軍的な展開は我が世の春と呼ぶべき事態だったろう。その期間は五年ほど続いた。
状況を覆したのは、比叡山延暦寺の僧兵団だった。日蓮宗の僧が延暦寺の僧を論破したとの話が流れ、座視できない状況となったためである。
日蓮宗に屈服を求め、受け容れられないと見るや、朝廷や幕府、諸大名や、本願寺、興福寺などの敵性寺社にも話を通して中立を保つとの内諾を得て、万単位の軍勢同士の戦いで正面から撃破したのである。限定的な戦闘だったとはいえ、力を見せつけたのは間違いのないところである。
信長統治下の延暦寺の強訴は、この流れの延長線上に生じたものであった。新田勢によって一蹴されたのは、彼らにとって想定外だっただろう。そして、信長による焼き討ちによって、比叡山延暦寺は事実上の壊滅状態にあった。
法華一揆は駆逐され、延暦寺が撃破されたために、残る一揆勢力は本願寺勢のみとなる。
その本願寺では、一連の一揆同士の戦いによる反省から、統制を保とうとする動きが進んでいた。これは、史実でも大坂本願寺での信長との対峙の際に発揮されたものだが、今回はさらに強化されている。その一翼を担っているのが本多正信だった。
宗教戦争にまで至らなければ、京の住民達からすればいつもの統治者交代でしかない。日常は変わらず営まれていた。
本願寺の指揮層の中には、代々の武装僧侶もいれば、一揆勢からの叩き上げ的な存在もいる。そんな中でも、よその大名家からの移籍となるとめずらしい。けれど、三河一向一揆に参加した経緯があるために、本多正信は信用を獲得し、京の制圧時には首脳陣の一角に収まっていた。
足利尊棟と連携はしているが、今回は京の統治は一任されている状態である。制圧した京で統治までするとなると、だいぶ勝手は変わってくる。奥州で自領統治と占領地統治の経験を重ねた謀将は、その意味でも得難い人材なのだった。
二十代後半の本願寺顕如が率いる本願寺勢は、三十代前半の下間頼廉に、同族で年若の下間頼龍、下間仲孝が部将的な立場となっている。
中央以外では、加賀方面で指揮を執る五十代の七里頼周、伊勢を束ねる願証寺証恵らが存在感を示していた。
下間一族は、もう数代にわたって本願寺の軍事部門を担ってきている。少し上の世代の下間頼秀、下間頼盛兄弟などは、一連の騒乱の中で、本願寺の先代である証如が受け容れた和議に反発した末に暗殺されたのだが、別の血筋の者たちが重用される流れとなっていた。
三十代前半で、顕如やその左右の者たちと年代が近い本多正信は打ち解けるのも早かった。
京の統治を少しでもまともにするために、正信の全力が投入されていた。
◆◇◆◇◆◇◆
【永禄十四年(1571年)九月下旬】
厩橋にて、情報収集を継続している。
京は本願寺が制圧中とのことだった。一教団が京を確保するというのは異常な事態に思えるが、しばらく前に細川晴元の要請を受けた法華教団が暴走気味の一向一揆を撃退して、京の警護を担当した時期があったそうだ。その法華教団は、延暦寺の僧侶を一般信徒が論破する形になったために、僧兵集団の大攻勢を受けて撃破されたというのだから、教団間の抗争も激しいものがあるようだ。
一向一揆が討伐された経緯は、細川晴元と組んでいた時期に戦勝の勢いに乗り、興福寺や春日大社まで焼いてしまって、それも一因となったそうだ。その際には、山科本願寺を攻め落とされ、大坂御坊まで失いかねない土俵際まで攻め立てられる流れとなった。
これら一連の宗教一揆の盛衰がここ三、四十年のことだというのだから、既に京周辺で宗教勢力と武家の激突は特異な状況ではなくなっていたわけだ。
信長による比叡山焼き討ちに京の住民がさほど激しい反応を示さなかったのも、無理もないことなのかもしれない。また、日蓮宗や本願寺の門徒宗からすれば、いいぞ、もっとやれとの感覚すらあったかもしれない。
俺の歴史知識は戦国SLGに関わるところに限定されていて、そのあたりが把握できなかった。でも、そういう前史があったのなら、信長による延暦寺の焼き討ちだけを特別視するのは、ひどくおかしな話のようにも思えるんだが。
延暦寺を焼き討ちした信長が異常者なら、法華宗と連携勢力による山科本願寺の討滅やら、京での他宗派の寺社の焼き討ちなんて、より悪質なのではないだろうか。いや、他の寺社が絡んでいるかどうかが問題なのか。
結論としては、宗教勢力を武装化させて自派に引き込む流れが多発した室町時代末期の内部抗争の度合いがひどすぎた、と見るべきなのだろう。まあ、幕府という器が壊れている状態で、内部もなにもあったもんじゃないとも言えるのだが。
そして、本願寺勢力による京の統治には、本多正信も参加しているらしい。内政能力も間違いなく高そうなので、少しでもまともな状態にしてくれることを期待しよう。
信長を失った織田家が、混乱状態に陥ったのは無理もないこととなる。元服して信忠となった奇妙丸が継位するのが本線だが、北畠、神戸に養子入りした弟たちもいるし、彼らにとって叔父となる織田信興を推す声もあるようだ。
その間隙を狙ったのか、加賀の一向一揆が越前に雪崩れ込み、後継争いの関係で主将が不在だった柴田勢が一掃されてしまったそうだ。この柴田勝家が織田信興を推す最有力者だったので、発言力の低下は免れないところだろう。
家老級を含む織田家臣団が、浅井長政と共同して北近江を防衛しつつ、伊勢については楠木信陸が制圧の途上だった。長島一向一揆の元時代でのやりようは把握していたらしく、対応できた部分が大きいのかもしれない。壊滅まではさせられていないようだが、封じ込めには成功したというから、手腕は確かであるようだ。
織田家の内部では、若手武将らで結束が固まっているようだ。この時点での木下秀吉は、目立ってはいるにしても、抜きん出た存在ではないと思われる。楠木信陸と木下秀吉、前田利家、佐々成政らが連携すれば、中堅をどれだけ巻き込めるか次第で、話は変わってくるかもしれない。さらには、信忠の傅役としての池田恒興も鍵を握る存在となるだろう。
戦国SLG的な考え方すれば、当主を失ったばかりで行動ポイントが低下していて、家臣の忠誠も揺らいでいる織田を攻め、本願寺とソントウの連合勢力との直接対峙に持ち込むべきなのだろう。
一方で、東西対立路線となるのなら、緩衝材としての織田を残しておくべきとの考え方も成り立つ。
また、戦国期が過ぎた後にも生き残れるとしたなら、この時代にも信義の筋を通しておくことに一定の意味はあるだろう。あくまでも、生存が優先ではあるにしても。
軍神殿には、越中・能登まで進んで加賀一向一揆と向き合ってほしいところなのだが、行動律的に難しい面もありそうだ。同時に、上杉を緩衝材扱いするのも、やや心苦しさがある。
戦国の世で勢力の長として生きる以上は、戦国SLGでのプレイよりも冷徹に振る舞うべきなのかもしれない。ただ、実際には家中の納得感を確保するべきだし、そのためには俺自身の腹を固める必要があった。
実際問題、ソントウの向かう先が見えていないために見通しが立たなくなっているのである。信長を殺害し、三好三人衆を討伐した流れに加え、足利を軽んじた者を討つとの宣言からすると、残る標的は……。主上と、自称古河公方を放逐した俺ということになるだろうか。オンラインでの関係にしても知らぬ仲ではないし、対決は避けたいところなのだが、どうなるだろうか。
西方の動きは気になるが、両国経営も重要である。小諸を拠点に北信濃方面を任せている上坂英五郎どんが厩橋にやってきていた。と言っても、任地替えをしようというわけではない。見坂村で助け出された赤子が成長し、初期教育を終えたタイミングで一緒にあいさつにやってきたのだった。
資三郎と名付けられたその少年とは幾度か対面していたが、これまではステータスは見えていなかった。頭上に▽印が浮かんでいるからには、心構えが定まったということか。
「どうじゃろうな。見込みはありそうじゃろうか」
「父様、じゃ、はお止めくだされ」
苦い顔の少年を、俺は手を上げて制した。
「かまわんさ。英五郎どんは、俺が何者でもなかった頃からの仲だ」
「はっ」
「すまぬな。わしのせいで、恥ずかしい思いをさせて」
「なにを申されます。恥ずかしいなどとは、塵ほども思っておりません。ただ、主君の前では」
「そうじゃなあ……」
頭をかく英五郎どんも、苦笑するしかない。
「資三郎よ。新田家臣の子であっても、必ず新田に使える必要はない。別の道を選んでもいいんだぞ」
「ぜひ、人数にお加えください」
「志望分野はあるのか? 戦さばたらきをしたいとか、内政に携わりたいとか」
「なんなりと。……できますれば、内政の方を」
英五郎どんの近くにいた影響もあってか、統率が高めで、次いで政治系が高いようだ。経験を積めば、信濃方面を任せてもよいのかもしれない。
「しばらく、各方面に研修に出る者たちに混ざってもらおう。そこで、希望が出てくるなら、また考えればよい」
「はっ」
その流れで、英五郎どんとは茶会へとなだれ込んだ。ココアとコーヒーを試飲的に供したところ、こわごわと接していた。北信濃には当然伝わっているはずだが、これまでは緑茶一辺倒だったようだ。
「しかし、あの赤子が一人前になろうとしているわけだからなあ。俺も、歳を取るわけだ」
「何を言う……、仰るのじゃ」
「今さら言葉遣いを気にするなって」
「すまぬ……。けれど、主君はまだ若い。それよりも、新田の拡大ぶりは、怖ろしいほどじゃ」
「西では足利幕府が新生して、予断を許さない状況だがな」
「それでも、武田や北条にすぐにも踏み潰されそうになっていた頃からは、状況は一変しておるでなあ。……まさか、こんなに平和な時を過ごして来られるとは思わなかった」
「その平和を、未来永劫続くようにしたい。引き続き手を貸してくれるか」
「もちろんじゃ。あの子の世界が穏やかであるためなら、この身はどうとでも」
「頼りにしている」
北信濃を任せている英五郎どんには、万一の際には厩橋組に合流して守勢に回ってもらうことになろだろう。退転して復活を期す際には、A+まで伸びている統率力は頼りになりそうだった。
コーヒーをぐびりと飲んでむせている古馴染みの背中をさすりながら、俺は国峯城時代に思いを馳せていた。








