【永禄十四年(1571年)九月】
【永禄十四年(1571年)九月上旬】
本願寺が動きを止める中で、織田勢によって畿内がほぼ制圧された。
そして、京では馬揃えが盛大に執り行われたそうだ。
畿内制覇という意味での天下統一は、これでほぼ果たされた形となる。
関東、奥州は新田が制しているとはいえ、この時代の経済力としては、濃尾と畿内の方が大きそうである。織田主導の世の中が成立する流れと見るべきか。
さらに中四国、九州までを制されたら、勢力的には対抗できない状態になる。元時代知識を駆使して、先進的な武装や戦術を揃えて信長を打倒できたとして……、本当にそうすべきなのか。
興味としてなら、信長が本能寺で死ななければ、どんな世を招いたのか見てみたい、というのはある。完全な武装解除までは至らない状態での服従は、果たして許容されるだろうか。
そんな中で、足利義昭が淡路島で家督を譲った、との話が伝わってきた。息子はまだいないはずなので、一族の者に対してだろうか。いまいちよくわからない。
史実での足利義昭は、京を追われた後も鞆で将軍として活動していたのだが、歴史的にはその流れはほぼ黙殺されていた。一方で、息子や一族の別系統の者への継位を目指さなかったのには、自分の代で室町幕府に完全に幕を下ろそうとの意図もあったのかもしれない。
その義昭が、失意にあるはずのこの段階で家督相続というのは、史実からずれ過ぎなようにも思えるが……。
畿内をほぼ制圧した織田勢は、摂津から播磨方面にも進出している。義昭放逐が早まったことがどう影響するだろうか。
現状の織田勢は、大坂本願寺、それに越中、伊勢長島の一向一揆勢と睨み合う形となっている。信長包囲網がいったん解消された形となるので、一気に討滅してしまう可能性も考えられた。
北陸の一向一揆は、朝倉を攻め滅ぼして越前を拠点とした柴田勝家が担当し、長島一向一揆については、帰任した楠木信陸が制圧を試みている。両者が鎮圧に成功すれば、大坂本願寺攻めに注力できる形となろう。
【永禄十四年(1571年)九月下旬】
伊勢から陸遜が苦闘する詳報が聞こえてくる中で、京では信長に対する三職推任に近い動きが生じているようだ。関白である二条晴良が主導しているとも聞こえてくる。
前関白の近衛前久が東国にいる関係で、摂家を二分する両派の勢力争いは、九条系が優勢なのは間違いないだろう。
それにしても、この件についての展開は早い。史実では十年ほど後の話だったような。歴史の流れが加速しているのか、あるいは……。
新たな幕府を作るのか、関白か太政大臣となって公卿に収まるのかでも、対応は変わってくる。いずれにしても、信長を天下人として認めて従属するのなら、正面から対応しなくてはならない。
先日の対峙のような探り合いではない、共に生きていくためのルールを固めていくための会談となると、一言一句が意味を帯びてくる。まあ、敗軍の将として対面するのを免れられそうなのはなによりだが。
覇権を握った織田との付き合い方について思考を巡らせていると、明智光秀が駆け込んできた。いつもの謹厳さが台無しになりそうな慌てぶりである。
「なんだって?」
信頼する重臣の唇が紡いだ言葉を、俺はすぐには呑み込めなかった。反問の間に、光秀が息を整え、もう一度発声した。
「本能寺で、信長殿が討たれたようです」
光秀よ、お前がそれを伝えに来るのか。……どういうこと?
本願寺勢力を押し込んだ信長に対して、新たな幕府を開くか、公卿として太政大臣、あるいは関白になるか、いずれにしても今後の畿内統治についての相談が朝廷から持ちかけられた。本願寺を世俗勢力だと考えなければ、織田家による畿内制覇……、この時代で言うところの天下統一は既に果たされたことになる。
ただ、朝倉を討滅し、河内、大和を鎮圧し、丹波、播磨に兵を進める織田勢は、かなり効率的な攻めをしているようにも見える。陸遜の献言が効いているのか、あるいは元の史実が信長に不利に振れ過ぎていたのか。
そして、明智光秀が新田にいるからには、本能寺の変は起こらない。少なくとも俺は、そう思い込んでいた。
史実で光秀が本能寺の変を引き起こすに至った原因として、徳川家康の饗応役から難癖をつけられるようなやり方で解任されたためだとか、光秀を頼ってきていた四国の長曽我部家が滅ぼされそうな展開だったので自暴自棄になったのだとか、朝廷や近衛前久卿の陰謀であるとか、色々と挙げられていたが、確証を備えた説は見出だされていなかった。
まして、新田家中での重鎮的扱いに居心地悪そうにしている光秀から、そのような行動は想像できない。そこまで考え合わせると、史実においても光秀の個人的な動きというよりは、別の黒幕がいたのか、あるいは時代の要請のようなものだったのだろうか。
この世界での動きについては、歴史の復元力的な作用も考えられる。それも、主導者が誰かによるわけだが。
続報が次々ともたらされているが、だいぶ混乱しているようだ。分析を済ませた後に報告するからと、俺は道真によって執務室から放り出された。いつも以上に色々と聞きたがるのが邪魔なのだろう。ひどい扱いである。
いい機会なので子どもたちと戯れようとしたが、柚子や柑太郎、渚の年長組は、既にそれぞれ興味ある分野に夢中のようで、あまり父親にかまってくれなくなっている。
柚子は剣術に、柑太郎は菓子からスタートして料理全般に興味を示しており、渚は粘土箱による世界把握から進んで、書物からの知識吸収に夢中である。俺からの聞き取りでは満足できなくなっているのかもしれない。
一方で、共に六歳の来夢と汐太郎はまだまとわりついてきてくれる。この二人も、あと二年も経ったら父親との遊びよりも興味深いものが多く出てくるのだろう。それはきっと、とても健全なことなのだ。
二人を交互に持ち上げていると、やや腰が痛くなってきた。あぐらをかくと、左右の膝に子らが腰を下ろす。穏やかな時間が、その部屋には流れていた。
と、軽やかな足音が歩み寄ってきた。
「父様」
「お、柚子。たまには遊ぶか」
「ううん、世が動きそうだから、思うところを伝えておこうと思って」
「ほう、どんなことだい」
「自分の力を試したい。この国で一番の強者になりたい。いいよね?」
真っ直ぐに見据えられると、我が娘ながら気圧される感じがある。一番の強者……とは、なんだろう? オンラインゲームでの最強と、剣術の最強とでは、やや意味合いが違いそうでもある。
「一番強いって……、剣聖殿を超えるってことか?」
「それだけじゃなくて、西国にいる強い相手とも戦いたいの」
「そうか……。全国から人が集まる剣術仕合が開ければいいのか」
「開催されれば、強い相手と戦えるいい機会にはなると思う」
「わかった。ただ、今の話じゃないよな」
「うん。まだお師匠さま達のところでやることがあるから。でも、言ってすぐには無理かと思ったから、前もって伝えておこうと思って」
「わかった。実現に努めよう」
請け負いはしたものの、そう簡単な話ではない。織田家が天下を取れば、天覧仕合の開催は実現できたかもしれないが、今後の情勢は見通せない。
ともあれ、意向の伝達を済ませた柚子は、素軽い足取りで去っていった。
幹部陣の情勢分析の結果、どうにか確定情報が得られたようだ。
本能寺で織田信長が殺害され、大坂から雪崩れ込んだ本願寺の僧兵、一揆勢が京を制圧した。
同時に、紀伊と越中では一向衆門徒による水軍が海域を制圧し、東西の船の往来を遮断しているという。なんとも激しい展開ではある。
信長を殺したのが誰なのかが、いまいち判然としない。襲撃から間を置かずに京を制圧したからには、本願寺勢力の仕業かと思ったのだが、どうも違うらしい。
海上封鎖の方は、新田の船に限れば日本海側も太平洋側も、沿岸航路はほとんど使っていない状況だった。
影響を受けるのは、京、大阪と東国の交易を担う商人らで、突破を試みて沈められるケースも生じたらしい。
新田の通商面だけを考えれば、東国と上方との交通が遮断されても、さほどの破綻はない。東北での食料生産は急伸しており、関東の購買力も急上昇している。まあ、直江津を仕切る蔵田五郎左衛門親子は青くなっているかもしれないが。
奥州で作られている工芸品や水産加工品、砂糖などは、明への輸出と関東や東海、甲信、北陸で問題なく消費できる。蝦夷で開発中の商品群も、上方に流せないのは痛いが、関東で消費した上で、輸出を目指す形なるだろう。だぶつくのは金くらいだが、腐るものでもない。まあ、直江津を仕切る蔵田五郎左衛門親子は青くなっているかもしれないが。
信長は死んだが、嫡子の奇妙丸……、史実で信忠となるはずの人物は健在である。元服はまだだが、既に十四才。俺がこの時代にやってきたのと同じ年齢で、一人前と扱われておかしくない年頃となる。
家臣団が結束すれば、一体感は保たれそうだが……、さて、どうなるだろう。
陸遜は、この機会に独立するのか、あるいは織田の行く末を見守るのか。まだ二十五歳の若手だが、三十代前半の木下秀吉と並んで、家中では新進の人材と目されているはずだ。
ただ、この段階では、柴田勝家、丹羽長秀が双璧扱いされているはずで、信長の腹心的存在だった池田恒興も含めて、重臣らの意向が強く作用するだろう。
信長の弟としては、史実では伊勢長島の一向一揆との戦いで敗死するはずの織田信興が、本願寺参戦のタイミングのずれからか健在で、奇妙丸を後見する形も考えられる。この信興を擁立する動きが出ると、またややこしくなるわけだが。








