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【永禄十一年(1568年)三月中旬】


【永禄十一年(1568年)三月中旬】

 


 南部に四月中旬に攻めかけ、そちらが済んだら伊達に攻めいる前提で戦さの準備を整えるようにとの指令が奥州を駆け巡った。最後通牒的な使者の派遣準備も進められている。


 その企図を隠さないのは、策略の範疇に入る。ただ、相手がどう動くかは読み切れないところでもあった。


 連携勢力も含めて、戦備は淡々と進められた。奥州全体を俯瞰して観察する者がいたとすれば、四月半ばの攻勢開始を目指しているにしては、ペースが早いのではと首を傾げていたかもしれない。だが、同時に南部、伊達勢の戦さ仕度もまた、新田勢への対応にしては機敏に過ぎると判断しただろう。


 三月の十日に、南部、伊達とその友好勢力が一斉に新田勢の根拠地に攻勢をかけた。各根拠地は仮の拠点にしては堅固な陣地作りが行われており、新田側が迎え撃つ形で戦役は開始された。


 攻め込まれた場合には、全兵装を解除するのが奥州鎮撫戦での決めごととなっている。大砲やバリスタ、


火焔弾に車輪を備えた移動防壁兼兵員輸送車などが陽の目を見て、鉄砲の集中運用も解禁された。


 攻勢をかけた側が各所で総崩れになるまでに、さほどの時間はかからなかった。


 一方で、関東では敗滅した城持ち豪族の残党や新田の支配を厭う土豪衆らが一斉に蜂起している頃合いである。そちらへの対応は、蜜柑が率いる盗賊追捕隊が一時的に各地の常備軍団を指揮する形で、各個撃破を進めてくれているはずだ。


 反新田勢力による一斉攻撃というこの仕掛けは、かつての西進時の関東の諸勢力による新田包囲網に近い色合いがある。特に指揮役を定めずに、それぞれの判断で動くとなれば、合理的な思考による予測も対応もなかなかに難しい。


 今回の絵図が描かれたのは昨夏のことであるようだ。蘆名が攻め滅ぼされたタイミングで、明日は我が身と考える勢力が多かっただろうと考えると、その機を捉える眼力は確かなものであるようだ。


 俺がこの企みを把握したのは、武田義信が知らせてくれていたからとなる。もしも、昨秋のうちに決起が実行に移されていたなら……。


 武田も参加した可能性はあり、加わらないとしても警戒のために兵力の一部を割く必要が出ていただろう。また、事前に日取りまで把握して対処するのと、ある日突然に同時多発的に火の手が上がるのでは話が違う。この時代の情報伝達速度も考えに入れるとなおさらで、遠方から続々と敵性勢力挙兵の報が入るのを想像するとくらくらしてくる。


 それでも、かつての西進時とは異なり、新田の地力も上がっており、深刻な危機とまでは至らなかっただろう。ただ、各方面で対応時に一定の被害が出たのは間違いのないところとなる。


 そして……、事前に察知できていれば、仕掛けてもらった方がやりやすい面もあった。特に、攻勢準備中の擬態を取りながら、実際には待ち構えていた状態ならなおさらである。


 砲撃、銃撃を受け、見慣れぬ兵器に翻弄されていく敵勢を見て、いい気味だとの心境にはなかなかなれない。


 伊達の首脳陣はともかく、下級武士は下知に従っただけだろうし、動員された農兵も含まれる。双方の被害を少なくするためには、完勝が望ましい。その後の処置は、原則として各方面の指揮役に任せている。


 殊更に虐殺するような部将は思い当たらないが、退却先の状況によっては、攻め立てることもあろう。城に追い込むのが良策な場合もあれば、合流させないのを最優先すべきケースもあり得る。


 目の前の伊達勢については、城に追い込むとの結論に至っていた。前進拠点から大森城までの距離が短いので、大砲や攻城機を運搬しやすいという事情があり、また、伊達の主戦派に打撃を加えたいとの思惑もあった。


 想定される攻撃ポイントは、伊達の正面となる旧二本松領側と、内陸の旧蘆名領、そして南部側の各方面となる。


 関東では、諜報で察知済みの焼き討ち計画などは事前に阻止の動きが取られ、厳戒態勢が続いているはずだ。


 東海方面が、そして武田との関係が落ちついてくれているのは、とても助かる状態だった。本当に、秋の段階でいきなりやられていたら、対応に奔走させられていただろう。


 まあ、あちら側の事情を察するに、仕込みの時間が必要だったのと、雪による冬季休戦前に仕掛けることへの憂慮もあったのだろう。


 そして、流れからして、織田……あるいは陸遜の絡んだ計略ではなさそうとの推察もできる。情勢だけを見れば、西上を邪魔されたくないための撹乱を疑うべきとも取れるが。


「殿、砲兵隊の用意がまもなく整います。手筈通りでよろしいですな」


 指揮は南奥州方面の総大将たる青梅将高に任せている。それでも確認してくるのは、政略がらみの思考からだろうか。そちらの意識合わせも済んでいるのだが、忍者からの最新情報が俺にだけ届く事態は確かにありうる。


「ああ。伊達の主戦派の意気を挫いてくれ。その成否が早期終結の鍵となる」


 頷いた将高は手振りで下知を発した。伊達との戦役を通してみれば前哨戦の段階ではあろうが、重要な攻城戦が始まろうとしていた。




 開城交渉に訪れた遠藤基信は、奥州連歌会に幾度か参加経験のある人物となる。だからというわけでもないが、交渉は順調に進んだ。


 史実では伊達の謀将として活躍するはずの遠藤基信は、この段階では中野宗時の配下で、伊達家にとっては陪臣だった。確か、輝宗が主導権を確保する際に、中野宗時から離反するんだったか。


 その中野宗時は、伊達晴宗を落ち延びさせつつ籠城戦の指揮を執っていたのが、砲撃で命を落としたらしい。


 先方の要望は、無条件での退却の許容だった。交渉者は苦しげだったし、本来なら拒絶するところだが、今回は特殊な事情があるため応諾すると決めた。


 交渉をまとめた遠藤基信は、希望者をまとめて降伏してきた。もちろん歓迎である。


 伊達の主城である米沢城方面への侵攻は、旧蘆名領側の師岡一羽が中心になる手筈で、青梅将高は沿岸部の親伊達勢力の制圧を担当する形となる。


 北からは南部領への逆侵攻をかけつつ、海路を使っての南進も計画されていた。南部の後背を衝きつつ、伊達に近い大崎、葛西、小野寺らの制圧も神後宗治が指揮する船団と揚陸部隊の役割となりそうだ。


 大崎や葛西は伊達に大規模な援軍を送っているらしい。この時代の常識からして、水軍の略奪ならともかく、海からまとまった軍勢がやって来るなどとは、想像の範疇外だろう。ましてや、大砲を持ち込み、仮設陣屋まで設置するとなると……。


 想定していた、南部攻めを経て伊達勢との決戦に持ち込む流れと比べれば、二正面作戦を強いられて不利なようではあるが、攻勢を受け止めてからの逆撃となる形の方が、やりやすい面もある。いや、むしろ初期からの新田の得意戦法に近いか……。


 今にして思えば、長野業正の暴発的な襲撃を退けて、その勢いで箕輪城を奪い取り、同じ手口で厩橋城、和田城を攻め取ったところから、雄飛が始まったと言える。


 あの時期に正に主力だった蜜柑は関東での蜂起対応を指揮してくれているし、澪は厩橋城を守り、彼女の流れを汲む弓巫女は各戦線で士気を高揚させている。


 偵察役として活躍した見坂兄弟の兄は新田の危機を救う奮戦の末に命を落とし、弟は大名である大浦家に婿入りし、北方戦線の一翼を担う存在となった。


 ……ただ、奥州鎮撫がこのまますんなり行くかどうかは予断を許さない面もある。鷹彦からの連絡を待つとしよう。




 蘆名方面での戦況を実地で確認し、南部からの勝報も届いたことから、俺は関東へと向かった。ここしばらく戦さは途絶え、食料もわりと潤沢になり、早くから安定している地域では購買力も上がりつつある。


 ただ、その発展は、関東に根を張ってきた豪族達の屍の山に咲いた花だとの考え方も成り立つ。国人衆、土豪衆を族滅させてきたわけではないが、所領の安堵を認めないというのは、確かに豪族からすれば死の宣告なのだろう。


 代替措置として家禄を出しているため、実際には所領防衛の必要が無くなり、実入りが増えている家も多いと思われるが、損得勘定で割り切れる話でもない。


 そのため、反新田扇動は、小田、小山、結城、太田、佐竹、宇都宮の旧所領が中心にしても、新田が早くから統治してきた厩橋近辺や和田城域、秩父辺りからも参加者は生じたそうだ。


 三月半ばの決起という情報を得られたために、一味の多くを事前に察知できたが、発生後の速報によれば、まったく把握できていなかった参加者もいたそうだ。


 中には、常備兵団から離脱して決起に加わった者もいたそうで、事前情報がなければきつい状態に立たされていただろう。


 ただ、当初の三日月の反応ぶりからして、武田義信から囁きで明かされなくても、察知する流れだったのかもしれない。まったくの初耳であったなら、かつての西進時の反新田決起を把握できなかった後のように、忍者勢がしゃかりきになって対応しそうなのに、その気配はなく淡々と処理していたようである。


 武田からの通知がなくても自分たちで察知できていた、などと騒ぎそうな忍者勢首脳の顔は思い浮かばないので、おそらくそういうことなのだろう。むしろ、西進時の反新田一斉蜂起の動きを察知できなかったのを今でも恥じていそうである。


「おう、護邦。元気そうでなによりじゃ。北方はよいのか?」


 船から降り立った俺の姿を認めて声をかけてきた蜜柑の表情は明るい。今回の関東での蜂起に関しては、鎧島を本拠に対応している。北方からは、香取海経由で運河的な水路を抜け、利根川下りという行程となる。房総半島を回るよりは、時間も短縮できる上に、悪天候の影響も少ないため、そちらの経路が多用されるようになっていた。


 蜜柑の少し後ろには、夜霧と六郎次が控えている。忍者出身の二人は、護衛兼従者といった位置付けとなっている。


「決着はついていないが、概ね見通しは立った感じだな。……関東を任せてしまってすまん」


「なんの、盗賊追捕の延長であるし、ここで対処しておけば後々楽じゃからな」


 表情の明るさは、強がったものではないようだ。


「まだ鎮圧までは至らないか?」


「そうじゃなあ……。元々の決起組に関しての討伐は済んだものの、便乗して暴れようとする者がおってのお」


「不満を抱えていた者が多かったわけか」


「だいぶ世の中が変わったことで、不満に気付いたとでも言うことかのう。食うや食わずの状況から脱してみれば、もっといい暮らしをしている者が気になる、といったところなんじゃろうか」


「元の世を懐かしむ空気があるわけか……」


 俺の口調になにかを感じたのか、蜜柑がちょっと早口で応じてきた。


「そういう者もおるというだけじゃぞ。逆に、各地で自警団みたいな動きが出ていてな。頼もしいやら、厄介やらで」


「そんな動きがあるのか?」


 俺が目線を向けると、今回の盗賊追捕の忍者側を仕切っている多岐光茂が穏やかな表情で頷いた。


「はい。特に当初の多発蜂起の際には、追捕隊の手が回らないでいる間に、村の者たちが独自に仕留めてしまう場面が幾つもありまして……」


 各地の農村では、かつては徴用が多発していたし、兵士による乱取りや野盗の襲撃から身を守るために戦闘する場面も多くあった。町についてももちろん同様で、元より蹂躙されるだけの存在ではない。それにしても、積極的だったとの話のようだ。


 当然ながら犠牲も出てしまっていて、痛ましい話ではあるが、むしろ戦意は高まったようである。近隣の決起組まで自主的に討伐に向かうケースも見られたようで……、無理はしないでほしいものである。


 確認したところ、自警団の参加者、死者、負傷者への弔慰金、謝礼金は支給済みだそうだ。自発的なことだからと拒む向きもあったようなのだが、俺からの厳命だとして受け取らせたらしい。処置としては正しいんだが、各方面で俺の意向が便利使いされている点には、やや引っかからなくもない。


「その割りには、長引いている気もするんだが」


「どうも、村や町での自発的討伐の動きに反発する向きが、まとまってしまっているようなのじゃ。ただ、ここを凌げば、より安全になるじゃろうて」


 分断が顕在化して、極端になってしまっているのか。反対派を撃滅して分断を解消するとなると、元時代的な感覚からはあまり感心しない状態なのだが、そこは考えすぎか。ただ、極端に振れるとさすがにまずい。


「決起組の処断についてはどうなっている?」


「野盗振る舞いの認定をした者は、その基準で扱っています。新田への挑戦と思われる者については方針通りで、かつて赦免された者が再び仕掛けてきた場合には、迷わず処断しています。新規挑戦組のうち、こちらで捕らえた場合は、ひとまず拘束しています。自ら運命を決める場合も多いようですが」


 一口に蜂起といっても、町や村を襲う輩は単に野盗として扱っている。対新田を標榜していても、住民を殺めたり傷つけたりするなら処断するしかない。


 一方で、新田の拠点を攻めたり、どこぞの空き城やらに拠って抵抗の姿勢を見せたりといった場合は、敵対勢力として対応することになる。基準は、多岐光茂が口にした通りとなる。


「自警団が独自に処置した場合も多いわけか」


「はい、制止する道理がありませぬ」


 蜜柑はちょっと頬を膨らませている。戦場で人を斬るのと、降参した者を殺めるのでは、彼女としてもだいぶ感覚が違うのだろう。


 ただ……、武家は隙あらば殺し合い、民が特段の理由もなく蹂躙される場合も多いこの時代に、人権意識などあるはずもない。それでも一定のルールは存在するにしても、捕虜の殺害、虐待禁止というのは、通じにくいだろう。それに比べれば、奴隷化はだいぶ侵害の度合いが低い、との見方すら成り立つ。


 元の時代の感覚を振りかざすのは愚かなことだとわかっていても、完全に折り合いをつけるのはなかなかに難しい。そして、単に捨て去るべきではないのかもしれない。


 それぞれが互いを尊重し、侵害しない社会を築き上げるのが理想なのだろうが、戦国から一足飛びに進めるのは無理筋である。ましてや、この後の世界は西欧勢による略奪的な侵攻が繰り広げられる修羅の巷となるのだから。


「無実の人間に反新田蜂起の罪を被せて害するのでない限り、干渉はせずでよいだろう。俺たちの手が回らないところで、自衛しているんだ。その始末に口出しするべきではない。……ただ、協力への報酬は出すとして、首級の数で決めるわけではない旨は広めておいてくれれば」


「承知しました」


「うむ。……そんな動きもあるので、まだ警戒態勢は解けないのじゃ」


「そうなのです。ここから、大規模な蜂起が発生する可能性は低いですので、その点はご懸念なく」


 そう口にした二人は、粘土箱で再現された関東での情勢を説明してくれた。かつての蜜柑は地図を読むのは苦手だからと、自分は触れようとしていなかったが、もうすっかり使いこなして、水路を使った移動時間まで頭に入っているようだ。


 話していると、疋田文五郎が一隊を連れて戻ってきた。対応した相模での蜂起は、もはや反新田決起か盗賊の活動かわからないような状態だったらしい。風魔の主力は北条に従って伊達攻囲に参加していて、やや手薄との事情もある。そこの配置も考えるべきか。


 剣豪勢の中でも、神後宗治や師岡一羽は軍団統率方面に進んでいるし、雲林院松軒などは湊安東の守護役的な立場から前線指揮で腕を振るっている。


 対してこの疋田文五郎は実直なだけではなく気の優しいところがあり、戦さには向かないものかと思っていた。けれど、そこはやはり剣の道に生きる者で、今回は前線指揮役として活躍してくれている。


 蜜柑が象徴であるのは間違いないとしても、この文五郎に警察的な組織を束ねさせるのもいいのかもしれない。追捕隊にも有能な若手は育ってきているようだが、他との連携も踏まえる地と、配置も考えるべきでありそうだった。




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【イメージイラスト】
mobgouzokupromo.jpg
山香ひさし先生にイラストを描いていただきました。


【主要登場人物紹介】
<【永禄三年(1560年)八月末】第一部終了/第二部開始時点>





【第一部周辺地図、ざっくり版となっております】

モブ豪族初期周辺地図
国土地理院Webサイト掲載の地図を利用させていただき、加工(トリミング、イラスト、文字載せ)は当方で行っております。
※現代の地形であるため、ダムによる人造湖、河川の氾濫による流域変化、用水路などなどが作中と異なるのはご留意ください。すみません、そこは作者も把握できておりません。


【第一部の舞台外側の有力勢力の配置地図、ざっくり版となっております】

モブ豪族第一部舞台外地図
国土地理院Webサイト掲載の地図を利用させていただき、加工(トリミング、イラスト、文字載せ)は当方で行っております。
※現代の地形であるため、ダムによる人造湖、河川の氾濫による流域変化、用水路などなどが作中と異なるのはご留意ください。すみません、そこは作者も把握できておりません。また、東京湾の埋め立てが進んでいるので、雰囲気として感じていただければ幸いです。>
香取海は、霞ヶ浦周辺の青くなっている辺りまでが湖だった、くらいの感覚で捉えてください。>







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sengoku.jpg

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