【永禄五年(1562年)二月下旬】
【永禄五年(1562年)二月下旬】
上杉方の攻勢に持続性があるかどうかはともあれ、鎧島城の安定度が高まったのは間違いない。
北条との戦いへの関与は限定される方向性のようなので、こちらはこちらで手を打っていこう。
かつて大泉の湊で建造した外洋船、昴型試験船は勝浦までの試験航海を成功させたが、多くの改善点が出たのは確かだった。総てではないにしても、幾つかの課題を解消すべく造られた昴試作型三隻の航行準備が整ったので、本格運用試験を兼ねて、蝦夷地、奥州への交易向けの使者を派遣することにした。
この時代の蝦夷地では、安東家の下で蠣崎季広が北海道アイヌとの協調姿勢を確立しているはずで、できれば直接取引をする体制を築きたい。
そこまで行くのなら、あいさつしてみたい勢力は幾つかある。東松島の長江氏と南部系の国人衆、九戸氏とも交流をしておきたい。奥州の大勢力であるはずの伊達と南部本家は……、まあ、もう少し先に考えればよいだろう。
蝦夷地方面なら、風前の灯火状態だろう浪岡北畠家と、これからの躍進を控えた大浦家とも接触したい。
さらには、この時期には廃墟になっているかもしれない十三湊についても、偵察できればなおよいのだが。
交易品としては、こちらからは永楽通宝、畜産加工物、絹織物、工芸品、武具、塩、新田酒、長野酒、米、葡萄酒、林檎酒、ネクター、緑茶、紅茶、金、銀などが候補となる。
手に入れたいのは、塩鮭、砂金、毛皮、昆布、カニ、干しアワビ、干しナマコ、フカヒレといったところだろうか。単純に新田で消費したい物も多いが、南蛮船経由で明に売りつけたいものも含まれる。
厩橋で開かれた幹部会議で、俺は目当ての人物に声をかけた。
「将高、行ってくれるか?」
「もちろんです」
芦原道真が内政方面のトップなら、青梅将高は軍事系の第一人者である。同時に、<人たらし>スキルは外交面でも有効と思われた。
「留守の軍団総指揮は明智光秀に任せる。頼むぞ」
「お待ち下さい。差し出がましいようですが、海路を遠方へ赴くとなれば危険も伴うと存じます。将高殿の重要性を鑑みますと、新参のそれがしが参った方がよくはありませんか」
明智光秀がまじめ一徹といった風情で問うてくる。やはり、頼りになる人物である。……謀反、起こされないようにしないと。
「今回の船団派遣は、遠距離通商の皮切りとなる重要な意味合いを持つが、別の想定もしている。光秀、十三湊について、知っているか」
「はい、かつて奥州で栄えた湊だったとか。安東氏が蝦夷に退去して、戻ってからはより南の土崎湊が根拠地になったと聞いておりますが」
津軽半島の北西部、十三湖付近にある十三湊は、光秀の言う通りの来歴となっている。
「水深が浅くなって、船が着けづらくなったとも聞くが、現状はどうなっているかはわかるか」
「それは、存じませんな」
「大浦家はもう少し南が勢力圏で、浪岡北畠氏は内輪揉めで勢力を落としているはずだ。事実上の空白地帯なんじゃないかと思っている」
「それは、殿の神隠し前の世で得られた知識でしょうか」
「いや、そこはあやふやなんだ。だから、確かめたい。そして、もしも浪岡北畠氏と大浦氏と仲良くなれて、彼らが周囲の勢力と戦うための力を欲しているなら……」
大浦家は、後に津軽為信となる人物を婿養子に迎えたかどうかという時期となる。史実では、津軽為信が近隣の大光寺氏、浪岡北畠氏などを呑み込んでいく流れとなる。
「新たな根拠地にしようとのお話ですか」
「北条と武田と上杉に囲まれた立地で、生存戦略を導き出すのに汲々としている状態でなにをと嗤われそうだが、万一の場合の退避場所としても、交易拠点としても、ありなんじゃないかと考えている」
「そこまでお考えでしたか……。差し出口を失礼しました」
「いや、気になることは何でも言ってくれ。語れないこともあるやもしれないが、そのときにはそう告げる。……で、水軍なんだが」
「行ってもいいかな」
真っ先に声を発したのは、神後宗治だった。師匠の剣聖殿はやや苦い表情だが、表立っての異議は表明されなかった。
「では、お願いしようか。頼りにしている。他は、小舞木海彦か、九鬼嘉隆か」
手を挙げたのは、九鬼嘉隆の方だった。
「それがしに行かせてくだされ。鎧島は、海彦殿と共に、当家の澄隆殿にお任せいただければ」
嘉隆に指名されたのは、甥に当たる年少の当主だった。
「澄隆、水軍として生きていく決心はついたのか? 九鬼の家を分けて、別の道を模索してもいいんだぞ」
「いえ、まずは水軍の長としての器かどうか、現場に立たせていただければ。海彦殿と一緒でしたら、安心ですし」
「承知した。他は……」
「できれば、行かせてください」
手を挙げたのは見坂智蔵である。今の新田家の元となるモブ豪族、堂山氏の小姓だった見坂兄弟の弟の方で、今では若手の参謀候補として期待されている。ただ、これまで水軍には、さほど興味は抱いていなかったようだが。
「かまわんが……。残ってもやることはありそうだけどな」
「新しい世界を見てみたいのです」
「わかった。他にも希望者はいるか?」
商人忍者系と、水軍系の若手が幾人かが手を挙げた。その他に、陰陽の忍者隊、黒鍬衆からも幾人かを選抜するとしよう。
商材の手配は、もちろん里屋に頼むしかない。話を持ちかけたところ、先方もノリノリだった。
入れ替わりで、岬から上方戻りの船が、料理人の耕三から野菜を預かったとの連絡があった。大根のような蕪のようなその作物は、甜菜……のようなのだが、根の部分は赤みがかっている。想定していたのは、白いものだったのだが。
持ち込まれた野菜は葉の部分が食用とされているそうで、テーブルビーツと呼ばれるものになるだろうか。それとは別に家畜の餌として持ち込まれる、根が大きく育つ品種の種も確保されていた。こちらは、根は黄色く育つという。
そう言えば、ドイツで砂糖を抽出できる野菜として選別、改良して利用されだしたのは、もっと後だったかもしれない。
ともあれ、数ある野菜の中からサトウキビに次ぐ砂糖の原料として選ばれ、改良されていく素地があるのは間違いなく、期待して育ててみよう。品種改良についても、交配スキル、栽培系スキル持ちに任せれば期待できる。
再び一千貫文が報酬として渡され、同時に白いビーツを追加で求めていくことになった。
耕三と小桃は、今は横瀬浦にいるそうだ。南蛮船との交易拠点は、松浦隆信の平戸から大村純忠の領内に移っているらしい。ただ、横瀬浦も確か焼かれてしまうんだったような。領主が利益を得ているためか、キリシタンへの反発か。
その流れで、交易拠点はやがて長崎に集約されるのだろう。長崎は土地を寄進されて、教会領になるはずだ。
一千貫文は、現状の財政規模からすれば、さほど大きな額ではなくなっているはずだが、明智光秀には唖然とされてしまった。道真はようやく理解者が現れたと感慨深げである。いや、これがたぶん最後だから。
それとも、他に有力なものはあっただろうか? とうもろこしは、あったら欲しいけれども。
小桃からの手紙には、ネクターに感銘した南蛮船の料理人から教わったというビールの製法が書かれていた。
芽が出た大麦を発酵となると、水飴を一歩進めればよかったのか。肉体年齢は十六になっている俺だが、引き続き酒への興味は湧いていない。ただ、名物になるかもしれないからには、試してみるとしよう。








