8.神奈川基地
[刻印されし者達]に所属するメンバーの配属先は大きく3つに分けられる。
ひとつは日本全国、特に西日本に多く存在する組織の管轄下にあり政府から避難した人々が暮らす居住区域。ここでは住民の安全を守るためのパトロールや居住区域内で発生した問題を解決する治安維持が主な任務となる。
次に[刻印されし者達]の本部がある大阪及びその周辺地域の各基地。彼らは各地で具現者の保護や政府との戦闘、他にも物資や人員の運搬などさまざまな仕事を行っている。鏡も元々は大阪本部の所属で、その高い潜入能力を買われて神奈川基地へ異動してきた。
そして最後が神奈川基地。戦略上とても重要な位置にある神奈川基地のメンバーには相応の責任と能力が求められ、現在所属しているメンバーも鏡を含めほとんどが他の地域で実戦経験を積んだ後に配属された高い能力を持つ精鋭たちである。そのため本来なら鋼太もまずは別の基地へ配属されるはずだったのだが、本人の強い希望に加え凪野と鏡の推薦もあったことで最初は難色を示していた司令官の御堂も最終的には折れ、半年間の訓練を無事にクリアできれば所属を認められることとなった。
こうして正式に[刻印されし者達]のメンバーとなった鋼太は、それから半年間、基地で生活しながら政府と戦う力を身につけるための訓練にひたすら明け暮れる日々を送った。訓練の内容は大きく、具現化能力及び発動中の感情を安定してコントロールする精神面の強化と、能力を用いた対人戦闘、肉体強化の二つに分かれた。
精神強化訓練の担当は凪野が務めた。凪野自身は具現者ではないものの、元々具現者とその能力の研究者であるため、その知識と経験を活かし神奈川基地では過酷な任務をこなす隊員たちの肉体、精神をケアする医師及びカウンセラーの役割も兼任している。
「まずは能力を任意のタイミングで発動できるようになることから始めよう」
具現者の能力は本人が持つトラウマの感情が記憶射出機構を通じて具現化することで発動する。例えば鋼太の場合なら父親の記憶を奪われそうになったときや、自分や鏡の身に危険が迫ったとき、つまり恐怖や怒りの感情に駆られた時に能力が発動して右手に鉄パイプが現れる。しかしそれではいざという時に能力が発動しないなんてことになりかねないため、自分の意志で能力の発動を自在にコントロールできるようになる必要があった。
「もっとも簡単で一般的な方法は発動の『サイン』を作ることだ。なんらかの言葉や動きを合図にした能力発動を何度も繰り返してルーチン化することで、感情に関係なく能力を使うことができるようになる」
「漫画とかで必殺技を使う時に名前を叫ぶみたいなことですか?」
「その通りだ。それから、サインはなるべく簡潔で能力に関連するものが良い。今後の能力強化によってできることの幅が広がっていくとサインも増えていくことになるから、あまり複雑だったり難解だと後で困ることになる」
確かに、よく覚えていられるよなぁ……っていう名前の技ってあるよな、と鋼太は思う。でも、自分の技に名前を付けるのはちょっとワクワクする。
「鏡さんも言ってましたけど、能力は訓練で強化できるんですよね?」
「そうだ。より正確に言えば、能力は想像力を働かせることで具現化する際の形や性質をある程度変化させることが可能なんだ。例えば君の場合なら具現化する鉄パイプの形を変えたり、数を増やしたり、それくらいならそこまで難しくないだろう。逆にまったく違うものを具現化するのは、それを明確に想像できないから非常に難しい。だが、君のトラウマはもしかしたら……」
「?」
「……いや、なんでもない。とりあえず今は強化より能力と精神の安定化が先だ。特に君の場合は暴走しがちな感情をコントロールすることが一番の課題だからな」
その日から鋼太は能力の発動と安定化の訓練を毎日何時間にも渡りひたすら繰り返した。能力の使用は精神力を大きく消耗するため最初のうちはかなり疲弊したが徐々に慣れ、次第に自在に能力の発動を切り替えられるようになり精神が乱れることも少なくなっていった。
もっと大変だったのは能力を発動した状態で行う戦闘訓練だった。訓練を担当するのは鮫島信幸という男だった。鮫島は元自衛隊員で年齢は40過ぎ、短く切り揃えた髪に顎髭を蓄えた筋骨隆々の大男だ。彼も凪野と同様に具現者ではなかったが銃器をはじめとするさまざまな武器、さらには体術のエキスパートであり、神奈川基地のメンバーに戦闘技術を仕込んだ優秀な教官であると同時に司令官の御堂正義を危険から守る側近として絶大な信頼を置かれている、凪野と並んで神奈川基地の中でも非常に重要な役割を担っている人物だった。
「遅い! 必ず一撃で仕留めろ! 能力を相手に悟られたら終わりだと思え!」
鋼太は運動能力に自信はあったがそれでも所詮は一般的な中学生であり、大人と真正面から力で戦うのは無理があった。そこで鮫島は、鋼太の小さな体格とすばしっこさ、そして何もない場所にいきなり武器を具現化する具現者の特徴を最大限に活かした『奇襲』による戦い方を徹底的に鍛え上げた。神奈川基地では潜入捜査や要人救出など隠密性の高い任務が多いため、役に立つ場面も多いはずだ。生粋の軍人である鮫島の指導による訓練は過酷を極めたが、そのおかげで鋼太の体力、戦闘能力は飛躍的な成長を遂げるに至った。
そんな日々が続いたあるとき、鋼太は御堂に呼ばれて自分が寝泊まりしている宿舎室から司令室へ向かった。[刻印されし者達]日本支部神奈川基地は、神奈川県内のとある場所の地下に存在しており、地上には外資系企業のオフィスビルが建っている。実はこの企業は組織のスポンサーであり、御堂たちも表向きは社員としてここに勤務していることになっている。
「お疲れ様です」
「お疲れ。ちょっと座って待っててくれ」
「わかりました」
この半年間で、鋼太は神奈川基地のメンバーともある程度顔見知りになっていた。と言っても基地内でよく会うのは訓練を手伝ってくれた鮫島と凪野、司令官の御堂くらいで、鏡をはじめとする他のメンバーは非常に忙しく外を飛び回っているため基地への状況報告や会議で時々訪れた際にすれ違って挨拶をする程度だったが。
「鮫島から訓練修了の報告を受けた。能力使用時の感情制御もうまくできていると聞いているし、そろそろ本格的に活動を始めて問題ないだろう。明日からは鏡とチームを組んで行動してもらう。覚悟はいいか、黒鉄?」
ついに来た。厳しい訓練を乗り越え、この息苦しい地下空間から地上へ出るときが。
「はい!!」
地上に出たら鏡が住んでいる部屋で一緒にルームシェアさせてもらうことになっている。中学生の鋼太に一人暮らしをさせるわけにはいかないため、はじめは凪野が自宅の空いている部屋を貸すと提案してくれたが、鋼太はそれを固辞して鏡に頼み空き部屋を貸してもらうことにした。どのみちチームを組んで一緒に行動するならその方が都合が良い。
「鏡には明日引っ越すと伝えておくから、偽人格の埋め込みをしてから明日に備えて休んでおけ」
偽人格。それは政府の支配から逃れた人間が一般社会に紛れて暮らすために必要不可欠なものである。人々の個人情報は全て記憶射出装置に保存されており、個人の識別は記憶洗浄のように右手首を認証装置にかざすことで行われている。偽人格はその名前の通り偽の個人情報を記憶射出装置に保存し、自分とは全く別の人間に成り代わるためのものだ。偽人格は専門の企業が取り扱っているほか、地下街でも高値で取引されている。
鋼太は司令室から凪野のいる研究室へ向かい、ノックをして入室する。最初はここで椅子に縛り付けられてたんだっけ。あれから半年。長かったような、短かったような。
「やあ、黒鉄くん。訓練修了おめでとう」
「ありがとうございます。明日から地上に出るので、偽人格の埋め込みに来ました」
「聞いているよ。もう準備できているから、その椅子に座ってくれ」
凪野に促され、病院で検査を受けたのと同じ椅子に座り、右手にコードが繋がった機械を取り付ける。
「椅子のままでいいんですか?」
病院ではリクライニングしてベッドのような状態になっていたけれど。
「眠る必要はないからね。それじゃあ始めるよ」
偽人格はただの情報であり、具現者の記憶のように実際の人格や感情に影響することはない。ただ、これで自分はもう黒鉄鋼太ではなく別の誰かとなる。ふと、そんな気がして怖くなる。
「終わったよ」
感傷に浸る間もないくらい、埋め込み作業はあっという間に終わった。
「何も変わらないさ。君が君である証拠は、しっかり記憶に刻まれているだろう。私たちは[刻印されし者達]なんだから」
きっとみんな一度はそう思うのだろう。凪野の言葉は自分でも驚くほどすんなりと鋼太の胸のうちに染み込んでいった。そうだ、オレは、オレたちは[刻印されし者達]なんだ。
ついに地上へ。父の記憶を守るため、母を探すため、鋼太は具現者をめぐる争いへいよいよその身を投じていく。