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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第一部 神奈川基地編
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5.自宅へ

「ほ……本当に別人になってる……」

「な、結構凄いやろ。これがボクの能力」

 指で頬を撫でてみると、まるで自分のものとは思えない乾いた皮膚と剃り残した髭の感触があった。声も完全に自分と違う、他人の声だ。正直、すごく気持ちが悪い。

 鏡の能力で中年サラリーマン風の姿に変装した鋼太はよく見慣れた住宅街の中を鏡と二人で歩いている。目的地は鋼太の自宅。今に至る理由は、ほんの数十分前に遡る。


「はじめまして。俺は[刻印されし者達(エングレイブ)]日本支部神奈川基地の司令官、御堂正義みどうせいぎだ」

「……黒鉄鋼太です」

 鋼太は凪野に連れられて入った司令室で、この組織のトップであるという御堂という男と初めて対面することとなった。司令官というくらいだから貫禄のある、例えば中学校の校長先生のような姿を想像していたが、御堂は想像より遥かに、もしかしたら凪野より年下かもしれないと思えるほど若々しい人物だった。しかし、高級そうなスーツを纏ったその佇まいは確かに人の上に立つ者の落ち着きと威厳を湛えている。

「すでに凪野から聞いているかもしれないが、我々はこの国を政府による記憶管理社会から解放することを目指す反政府組織のメンバーだ。君もぜひ我々とともに政府と戦ってほしいと思っている」

「……もしそれを断ったら、オレはどうなりますか?」

 ある日突然具現者(エンボディ)とやらに覚醒し、訳も分からないままいきなり政府と戦え言われて納得できるほど鋼太は肝の据わった人間ではない。そもそも能力と言っても鉄パイプ一本でいったい何ができるというのだろうか。

「もちろん無理にとは言わない。戦う意思がなければ政府から逃れた人々が暮らす我々の管轄下にある居住区域に移ることも可能だ。これまでに救出した具現者の中にも、一般人とともに居住区域で暮らしている者が多くいる」

 仲間になるか追放されるか、そのどちらかの選択肢しか無いと思っていた鋼太にとって、戦わなくても良いと言われたのは予想外のことだった。それならば。

「……自分の母親もその居住区域へ連れていってもらうことはできますか?」

 鋼太は凪野から色々な話を聞いた時点で、病院から逃亡し政府に追われる身となった自分がこのまま元の生活に戻るのは難しいだろうということを半ば覚悟していた。そんな鋼太にとって唯一、そして何より心配だったのは母親のことだった。病院を出てからどれくらい時間が経っているかわからないが、鋼太が消えて今頃心配しているはず。それに、もしかしたら自分のせいで母親にも危険が及ぶかもしれない。政府から逃れた人々が暮らす居住区域がどのような環境かはわからないが、少なくとも今よりは安全なはずだ。

 しかし次の御堂の言葉で鋼太の心は絶望へ叩き落とされる。

「すまないが、それはできない」

「どうしてですか!?」

 驚愕する鋼太に対し御堂が口惜しそうな表情である事実を告げる。

「君がここへ運ばれて身元が判明した後、我々はすぐに君の母親……黒鉄真紀を保護するため君の自宅へ人を送った。しかしその時にはすでに家の中はもぬけの殻だったんだ。そして現在まで彼女の行方は分かっていない」

「そ、そんな……」

「それから、これを見てくれ」

 言葉を失う鋼太に、御堂はデスクに置いてあったタブレットを手渡した。画面を見るとそこには暴走自動車が歩行者に衝突したという人身事故のニュース。被害者は中学3年生の黒鉄鋼太とその母親黒鉄真紀。そして後に続く「二人ともに即死」の文字。

「君と君の母親は、社会的にはすでに死んだことになっている」

 鋼太は自分の目を疑った。死んだ? 誰が? オレが? 母さんが?

「嘘だ……!」

 自分はこの通り生きているし、母親は間違いなく家にいたはずだ。しかし、突如として突きつけられた自身と母親の死という言葉、そして今もなお行方不明であるという事実を前に鋼太の頭は完全に混乱し、心の底から湧き上がる衝動が抑えられなくなっていた。

「家に帰らせてください」

「何を言っている? 駄目だ、自ら政府に捕まりに行くようなことをさせるわけにはいかない」

「うるさい、さっさとここから出せ!!」

「黒鉄くん!」

 鋼太ははっと我に返った。御堂に向かって振り上げようとした右手を凪野の両手がしっかりと押さえつけている。ギリギリのところで鋼太は鉄パイプの具現化を止めていた。

「落ち着け、感情に身を任せるな。政府の目的は君の捕獲で、君の母親の命を奪う理由はどこにもない」

 凪野の言葉に、鋼太は少しだけ落ち着きを取り戻す。しかし。

「だったら母さんはいったい……」

「ほな、キミの家に行って手がかりを探ってみようか」

 背後からの声に振り返ると、司令室のドアの前にいつの間にか一人の男性が立っていた。

「凄い力の発現を感じたから急いで来てみたら、まさかキミやったとはな」

 黒いスーツに身を包んだ、右手で触れた人物に変装する能力を持つ具現者の鏡透流が鋼太に向かって笑いかける。

「鏡……」

 御堂が続けて何か言おうとするのを、鏡が手で制する。

「ボクの変装なら一般人には絶対バレへんし、さすがに具現者狩り(エンボディハンター)が彼ひとりのためにわざわざ出張ってくるとは考えにくい。大丈夫やから任せてよ、御堂さん」

 御堂はしばらく考えるような素振りを見せたあと、半ば諦めるようにため息をついた。

「……わかった。だが、少しでも危険を感じたらすぐに帰還しろ。いいな」


「その……すみません。手伝ってもらってありがとうございます」

「ええよ、元々調査には一人で行くつもりやったし。それにボクも具現者やから、自分の気持ちが抑えられない感覚とか、自分の目で確かめないと納得できないとか、そういう気持ちはよく分かるんや」

 具現者に覚醒してからというもの、鋼太は自分の感情がうまく抑えられず暴走してしまうことがあるのを自覚していた。凪野は具現者に関わる記憶が感情に影響すると言っていたから、おそらく自分の場合はあの時のトラウマによって父親の記憶や母親を『失う』ことに対して強い拒否反応を示しているのだろうと思った。

 鏡も鋼太と同じ具現者であり、右手で触れた人物の背格好から顔の造形、服装、さらには声に至るまでそっくりそのまま変身できる能力を持っている。それは自分だけでなく他人にも適用可能で、鋼太と鏡は現在それぞれ別々のサラリーマン風男性に変装している。

「そういえば、他人も変装させられるならもっと楽に病院から脱出できたんじゃ?」

「変装対象を複数ストックする能力はまだ練習中で、今はその都度相手に右手で触れて切り替える必要があんねん。あの場でボクの姿を見られるわけにはいかんかったからな」

 鋼太の疑問に、鏡が答える。

「……ってことは、能力は練習で強化できるんですか?」

「うん。使い続けることで能力は強くなるし、少しずつ変化していく。ボクの能力も、最初は声までは変えられへんかったよ」

「へえ……」

 それならば、鉄パイプを出す能力も鍛えたら強くなるのだろうか。伸びるとか、太くなるくらいしか想像できないけれど。

「……ここから先は能力の話題は禁止な。誰かに見られてるから」

 鋼太の耳元で鏡が囁く。緊張が走るが、そのままあくまで自然に歩き続ける。徐々に二人は目的地である鋼太の家へ近づいていく。鋼太はなるべくそちらを見ないようにして、無表情を装った。事前に打ち合わせていた通り、おそらく鋼太のことを探している者たちから見張られている状況である以上、怪しまれないよう立ち止まることなく通り過ぎなければならないことは十分にわかっていた。しかし、どうしても鋼太はそうすることができなかった。次第に歩くスピードが遅くなり、最後にはその場に立ち尽くした。そして、力なく呟く。

「どうして……」

 その理由は、鋼太が昨日まで母親と一緒に暮らしていた家が跡形もなくその姿を消し、何もない更地となっていたからだった。

 呆然と立ち尽くしながら昨日まで自分の家だった場所を見つめる鋼太の隣で、鏡は周囲に警戒を向けながら現在の状況を整理する。鋼太の家が取り壊されていたのは鏡にとっても完全に予想外のことだった。いったい誰が何のために? 何かの証拠を隠すためだとしても、あまりにも行動が早すぎる。まるで最初からそうすることが決まっていたかのように……。

「何かご用ですか?」

 その耳慣れた声に鋼太は思わず息を飲む。昨日まで鋼太が住んでいた場所に立ち尽くす二人に話しかけてきたのは、つい先ほど学校から自宅へ帰ってきたばかりの隣に住む幼馴染の志村茜だった。しかしその様子は普段とはまるで別人のようで、明るかった声はとても冷たく無機質なものになっていた。そんな茜に対して何か言葉を発しようとする鋼太を鏡が手で制し、柔らかい口調で話しかける。

「黒鉄さんのご家族が先日お亡くなりになったとお聞きしたのですが……」

 鏡の言葉に、茜が訝しげな表情を向ける。確かに喪服を着ているわけでもない二人が一体何をしにここへ来たのか、怪しまれても仕方がない。しかし茜がそのような表情をしたのはそれとは全く違う理由だった。

「……二人が亡くなったのは()()()()ですけど」

 茜の口から出た予想外の言葉に、鏡と鋼太は互いの顔を見合わせる。

「それは……」

 もっと詳しく聞こうとした鏡だったが、思わず次の言葉を詰まらせた。茜が、鋼太の家を見ながら静かに涙をこぼしていたからだ。それを見て、鋼太は今すぐ変装を脱ぎ捨てて自分は生きていると茜に告げたい気持ちを必死に抑え込んだ。それと同時に、本当に自分は社会的にはすでに亡き者となっているのだということを実感した。それくらい茜の表情は父親のことを話す自分の母親と同じように、嘘を言っているようにはまったく見えなかったのだ。

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