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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第一部 神奈川基地編
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4.具現者

 次に目覚めたとき、鋼太はそこが自分の部屋でも病院でもないまったく見知らぬ場所だったことにひどく戸惑いながら、意識を失う前のことをぼんやりと思い返していた。医師に変装した謎の男と一緒に病院を脱出して、それから……鋼太は立ちあがろうとして、身体を動かせないことに気付く。かろうじて左右に回る首を動かしてあたりを見回すと、椅子の脚と肘掛けに両手足が拘束された状態で座らされていることがわかった。

 薄暗く埃っぽい部屋。周囲を見ると、室内にはさまざまな機械や見たこともないがらくたのようなものが散乱していた。気を失ってからどれくらい時間が経ったのだろう。部屋に窓がひとつもないため今が昼か夜かさえわからない。

「やあ、目が覚めたかい」

 顔を上げると、鋼太の目の前に眼鏡をかけ長い黒髪を後ろでひとつに束ねた細身の女性が立っていた。その手には何か四角い箱のようなものが握られている。

「万が一暴れて室内を荒らされると困るから、悪いが拘束させてもらった。窮屈だろうが、少しだけ我慢してくれ」

 女性の言葉から鋼太に対する敵意は特に感じられなかった。もし脱出に協力してくれた男性の仲間なら、彼女も自分の味方なのだろうか。

「今からいくつか簡単な質問をするから、答えてもらいたい」

 女性から尋ねられる名前、身長、体重、年齢、住所など基本的なプロフィールに関する質問を鋼太は順番に答えていった。最後に家族構成を聞かれ、父親を交通事故で亡くしたため母親と自分の二人家族だと答えると、女性は首を傾げた。

「……君の父親は、君が暴漢に襲われているのを庇って全身を殴打され死亡しているようだが」

 その言葉を聞いた瞬間、検査室で起きたのとまったく同じ破壊衝動が鋼太の身体を突き動かし、目の前の脅威を排除しようと狂ったように暴れ出した。だが以前とは違い地面に固定された椅子に全身を拘束された状態では、攻撃どころかそこから立ち上がることさえ叶わない。

「どうしてそれを知ってる?」

 半ば吠えるような声音で鋼太が訊ねる。

「すまないね。記憶読取装置で覗かせてもらった」

 記憶読取装置という言葉から病院で記憶を奪われそうになったことを思い出し、鋼太は息を荒げ女性を睨み付けた。しかし女性はまったく怯むことなく、二人はしばらく無言でお互いを見つめ続ける。

「なるほど。合点がいった」

 女性が胸の前で手を叩いてから、机の上に置いたノートを手に取って開きペンで何かを書き込み始めた。このアナログな記録媒体について鋼太は存在こそ知っていたが、実際に見るのは初めてだった。よくよく室内を観察すると、壁の棚には分厚い本がずらりと並んでいる。すべてが電子化された現代では考えられない、かつて本で見た自分が生まれるよりずっと昔の時代にタイムスリップしたようだと鋼太は思った。

具現者エンボディの能力発動中は過去のトラウマが感情に強く影響する。君の場合はそれが父親の記憶を奪われたくないという形で現れているようだな。それならば病院での言動にも説明がつく。しかし、辛いはずの記憶をここまで手放したくないと思うのは非常に珍しいケースだ。これは研究しがいがあるぞ……」

 気分が乗ってきたのか、流れるような手捌きでノートに文字を書き連ねながら楽しそうに女性が話し続ける女性だったが、はっと冷静さを取り戻しひとつ咳払いをする。

「……っと、失礼。つまり私が言いたいのは、私は決して君の記憶を奪うつもりはない。だから君も私に危害を加えないと約束してほしい、ということだ」

 信じて良いものか。いや、奪うつもりならとっくにそうしているはず。最初からこちらに選択肢など無い。そう思い至った鋼太は相手に敵意がないことを伝えるため、拘束されていた右手にいつの間にか現れていた鉄パイプを握る力を緩めて地面へ落とした。鉄パイプはコンクリートの床にぶつかって乾いた甲高い音を立てた後、跡形もなくその場から消えた。

「ありがとう」

 女性が持っていた箱のボタンを押すと、全ての拘束が外れ鋼太は自由の身となった。それから女性はソファとテーブルの上に溢れた機械や本、その他雑多なものたちを端によけてスペースを作り、鋼太にそこへ座るよう促した。

 鋼太が女性に言われた通りソファに座ってしばらく待っていると、テーブルに湯気が立ち上るマグカップが置かれた。「どうぞ」と言われたので手にとって口に含むと、今まで嗅いだことのない、しかしどこか心が落ち着く香りが喉から鼻へと抜けていった。

「鎮静作用のあるハーブティーだ。記憶洗浄スクリーニングなんかに頼らなくてもリラックスする方法はいくらでもあるのさ」

 仕事机に自分のマグカップを置き、椅子を回転させて女性が鋼太のほうへ向き直る。

「先ほどは試すような真似をして申し訳なかったね。一通り記憶を覗いて事の顛末は把握していたんだが、君が病室から逃げ出した理由について確信が持てなかったんだ。記憶から感情を正確に読み取ることはとても難しいことだから」

 確かにあの時はひたすら父親の記憶を奪われる恐怖から逃れようとする自分でも説明のできない感情にただただ突き動かされていた。そうでなければ人を殴ったうえその場から逃げ出すなんて……医者の頭に鉄パイプが当たったときの生々しい感触を思い出し、今になって自分のやったことに空恐ろしさを覚え顔を青ざめさせる鋼太。

「君が具現者の能力を発現したのはおそらくあのときが初めてだから、感情のコントロールが効かなくても無理はない。改めて、初めまして黒鉄鋼太くん。私は君をここへ連れてきた人間の仲間で『凪野響子なぎのきょうこ』という者だ。私はここで具現者に関するさまざまな研究を行っている」

「具現者……?」

 病院でも何度か耳にした聞いたことのない単語。鋼太が思わず呟いた理由を、凪野はすぐに察したようだった。

「まずはその説明が必要だったな。具現者というのは記憶の具現化……つまり過去に起きた出来事の記憶を右手首に埋め込まれた記憶射出機構メモグラフを通じて実体化する能力を持つ人間の呼称だ。ちょうどさっき、君が鉄パイプを出したみたいに」

 凪野が言うには、何もない空間から鋼太の右手に突然現れた鉄パイプは、鋼太自身の持つ記憶を具現化したものだということらしい。昨日までの自分なら鼻で笑ってしまうようなあまりにも荒唐無稽な話だったが、実際に目の当たりにしている以上、受け入れるしかない。

「具現者は『心に深く刻まれた記憶』によって覚醒することがわかっている。その代表的な例が『トラウマ』、つまり恐怖やショックによる精神的外傷だ。トラウマによる記憶の暴走が記憶射出機構を通じて具現化するから、その形もトラウマの内容に沿ったものとなるというわけさ」

 つまり鋼太は、父親を目の前で亡くしたトラウマから具現者となり、その時の凶器である鉄パイプを具現化する能力を手に入れた。しかし、鋼太が父親を亡くしたのは今から5年前の10歳のとき。なぜそれが当時ではなく、今頃になって突然現れたのだろうか。

「本来このようなショッキングな記憶はすぐさま病院で取り除かれるはずなんだが、そうはならなかった。なぜなら君はその出来事の記憶を今まで失っていたからだ。いくら記憶を自在に操れるといっても、存在しない記憶に干渉することはできないからね」

 鋼太は事件のショックで当時の出来事の詳細を完全に忘れていた。いわゆる記憶喪失と呼ばれる現象。それがたまたま漫画で見たシーンと自分の体験が重なり、病院での検査が決め手となって失った記憶を完全に取り戻し、具現者として覚醒した。

「君は今まで、お父さんは事故で亡くなったと聞いていたんだね?」

 凪野に言われ、鋼太は頷いた。

「つまり君の父親の死は公には事故として発表されていて、母親をはじめ周囲の人間の記憶もそのように書き換えられているということだ。万が一、君の記憶が妄想の類でない限りは」

 そんなことあるわけない、と鋼太は叫び出したい気持ちになった。妄想だと考えるにはあまりにも鮮明な記憶。でも……母親から聞いた言葉に嘘があったとも思えない。二つの異なる真実が目の前に存在しているような、あまりにも不可思議な状況に鋼太の頭はひどく混乱していた。

「混乱するのも無理はない。このような事実の改竄は日本中、いや、世界中で公然と行われているんだから。私たちはそのような国民の記憶を操り自分たちにとって都合の良い情報、思想を植え付け意のままに従わせる政府に対抗するために生まれた反政府組織[刻印されし者達(エングレイブ)]のメンバーで、ここはその前線基地だ」

 次々と飛び出す新たな事実に、鋼太の頭はいよいよ混乱していった。具現者、政府による記憶の改竄、そして反政府組織。次々と明かされる事実に絶句するばかりで、自分がいかに何も知らないで今まで生きてきたかということを、鋼太は思い知らされるのだった。

「そりゃあそうさ。完全な記憶管理社会の構築を目指している政府にとって、具現者や私たちのような存在は邪魔にしかならないから、情報は徹底的に隠されている。君はなぜ国民に毎日の記憶洗浄が義務づけられているか知っているかい?」

「それは、ストレスにつながる不要な記憶をクリーニングして感情の安定を……」

 そこまで言ってはたと気づく。父親の死因は交通事故ではなかった。しかし自分も母親もそう信じて疑わなかった。自分たちは今まで、政府から何をされていた?

「情報や思想をコントロールするのに記憶洗浄ほど適した方法はない。ただ一方で君の言うストレスの解消というのも決して間違いじゃない。もともと記憶操作は精神疾患の治療のために開発された技術だからね。さっきも言った通り、具現者の多くはトラウマによって覚醒する。記憶洗浄は具現者を生み出す可能性のある記憶を探し出し、覚醒する前にその記憶を除去、回収する役割を担っているんだ」

 確かにあの検査のとき、医師は鋼太が具現者になる要因となった記憶を回収しようとしていた。おそらくあの病院にいた他の患者も同様なのだろう。その意味ではやはり記憶洗浄は完全な悪とは言えないのかもしれない。

「表向きにはそうだが、記憶回収の本来の目的はまた別にある」

 まるで鋼太の考えを読んでいるかのように凪野が言葉を続ける。

「具現者のメカニズムにはまだ解明されていない点が非常に多く存在する。たとえば、同じようなトラウマを持っていても発現する者とそうでない者の違いは何なのか、個人の素質によるのか、それとも他に何か条件があるのか、条件さえ揃えば誰でも発現するのか、その場合能力の強度や感情の振り幅にどの程度個体差があるのか……その研究には膨大な実験用の記憶が必要になる」

 彼女の話を鋼太は不思議な心持ちで聞いていた。それじゃあ、まるで。話が進むにつれ鋼太の中で芽生えた嫌な予感が次第に確信へ変わっていく。

「私たちは記憶操作で人工的にトラウマを植え付けることによる能力の強制発現とそれを利用した人間の兵器化に関する研究が行われているとされるあの施設を調査するため『鏡透流かがみとおる』……君を助けた男を潜入させていた。その調査中に偶然能力を発現したきみを発見し、当初の目標を変更して救出したというのが、今回の事の顛末というわけだ」

「そ、そんな……」

 人々を心の病から救うはずの記憶操作が、逆にトラウマを植え付けるために行われているだって?

「もしあのまま捕まってたら……?」

「政府に拉致された具現者が元の生活に戻ったという事例は、残念ながら一つとして存在しない。実験体として具現者研究に使われた後のことは、考えたくもないな」

 背筋に冷たいものが走る。今こうして無事でいるのは運が良かったとしか言いようがない。しかし同時に鋼太の脳裏にひとつの疑問が浮かぶ。能力が発現したとき検査室には鋼太と医師、看護師の三人しかいなかった。だから鏡から見た鋼太は鉄パイプを持ったただの危険人物でしかなかったはずだ。

「その、鏡……さんはどうしてオレが具現者だってわかったんですか?」

「それは、鏡も君と同じ具現者だからだよ。具現者は自分の周囲……力の大きさにもよるがおおよそ1km程度内の能力の発動を感知できる」

 その説明によって鋼太はようやく昨日体験した全てのことに合点がいった。

「鏡は『変装』の具現者。右手で触れた人物にそっくりそのまま成り代わることのできる具現化能力の持ち主だ」

 確かにあの時見た医師の姿は本物にしか見えなかった。傍目にはまったく見破れない完璧な変装。確かに政府が軍事転用しようとするのも頷けるすごい力だ。しかし、具現者ということはつまり……。

「鏡さんには、変装に関係するトラウマが……?」

「まあ、そういうことだね。他人のプライベートな情報を私が勝手に喋るわけにはいかないから、詳しく知りたいなら本人に聞いてみるといい。具現者同士でないとわからない感覚もあるだろうし」

 あまりに不躾な質問だったと鋼太は反省した。ただトラウマの内容はともかく、具現者については確かに聞いてみたいことがたくさんある。そう考えていると、凪野のスマートフォンにメッセージの着信を知らせる効果音が鳴った。

「おや、司令官からの呼び出しだ。ちょうどいい、起きたら連れてくるよう言われていたし、君の紹介も済ませてしまおう。一緒に来てくれるか?」

「は、はい」

 ソファから立ち上がり、凪野に続いて鋼太も部屋を出る。廊下にも窓はひとつもなく、壁はとても冷たかった。これから自分は一体どうなってしまうのか、鋼太は大きな不安を抱えながら反政府組織の司令官が待っているという部屋へ向かった。

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