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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第一部 神奈川基地編
43/220

42.戦乙女

「どうしてお前が大阪にいるのか納得できる答えを聞かせてもらおうか。なぁ、舞?」

 鬼の形相で自分を見下ろす百々原巴を前に震えながら必死に助けを求める柳木舞の視線からそっと目を逸らす漆原張臣。いったい何が起きているのか、それを知るには少しだけ時間を遡る必要がある。総司令派+漆原のネットワーク構築に合意がなされ、剣菱が鏡にその件を伝えに行った後のこと。

「後で通信機を手配しておく。専用の秘密回線を使用しているから傍受される心配はない」

「わかりました、ありがとうございます。では、僕もそろそろ失礼します。あまり総司令派の方と長く話していると怪しまれる可能性がある」

「そうだな。今日はこれで解散しよう」

 最初に漆原が退出し、桐崎たちが監禁されている部屋に戻るため廊下を歩いていると、正面から誰かがこちらに向かって近づいてくるのが見えた。漆原に気付くと少し怒ったような表情で駆け寄ってくる。

「今までどこにいたのよ。チャットも反応ないし……会議はどうなったの?」

「ごめん、柳木さん。少し用事があって」

 慌ててスマートフォンの電源を入れると、何件かメッセージが届いている。総司令派の人たちに盗聴を怪しまれないよう電源を切った状態で机の上に置いていたため連絡に気づくことができなかったのだ。

 実験体の殺処分はひとまず回避できたことを伝えると、柳木舞は良かった、と心から安堵のため息を吐いた。神奈川基地の入隊試験を受けて以来行動を共にしている彼女はスパイ捜査のため一時的に大阪本部に滞在しているが、そういえば元々は岡山基地所属だったはずだ。彼女には百々原司令官に会っていたことを伝えておいた方が良いかと考えていると、自分が歩いてきた方向からちょうど百々原と戌井がこちらへ向かってくるのが見えた。手間が省けたと漆原が思っていると、彼の前を通り過ぎた百々原が柳木の正面で立ち止まる。

「何か見覚えのある奴がいるな」

 後ろ姿から百々原の表情はうかがえないが、顔面蒼白の柳木がすべてを物語っていた。

「神奈川基地に行ったはずのお前が、なぜここにいる?」

 そして場面は冒頭へ戻る。いつの間にか壁際まで追い詰められていた柳木は完全に逃げ場を失い、普段の強気で自信に満ちた態度が嘘のようにガクガクと震えている。

「私が大人しく聞いているうちに早く答えろ」

「そ、組織に侵入したスパイ捕獲任務のためです」

「ほう、素晴らしいことだ。しかしなぜお前の上司である私がそれを知らない?」

「ま、万が一にも作戦内容が漏れぬよう情報統制するためです……あと、い、戌井先輩にだけは先に伝えておきました」

 柳木が震える手で指差した先には、忍び足でその場を去ろうとしていた戌井士衛の姿。

「戌井ィィィィィ!!」

 百々原が叫びながら長い腕を使って戌井の首根っこを凄まじい速さで掴む。さらにその隙に『軟体』能力で逃げ出そうとした柳木の身体を反対の腕で捕獲すると、その場にしゃがみ込んで両腕で二人をかき抱いた。まずい、あの二人あのまま潰されて死ぬんじゃないか。半ば本気で心配した漆原だったが、流石にそうはならなかった。それどころか。

「私は……私はお前たちの司令官としてそんなに信用ならないか?」

 震える声、そして目に光る涙。漆原の脳裏に衝撃が走った。[刻印されし者達(エングレイブ)]内でも屈指の巨躯と剛力を誇る女傑として畏怖されている百々原巴が、人目も憚らず泣いているだって?

「ち、違います! その、余計な心配をかけたくなくて……」

「その通りです。態々心配の種を増やす必要は無いと判断しました」

 両腕でがっちり拘束され身動きの取れない状態で慌てながら百々原を慰める柳木と戌井。こう言ってはいるものの、黙っていた本当の理由はスパイの存在を知った百々原がじっとしていられるわけがなく作戦を台無しにしかねないためで、柳木は試験に合格しそのまま神奈川基地に所属していることになっていたのだと漆原は後からこっそり教えてもらった。これは下手をすれば自分も怒られかねないと考えた漆原も加わった三人がかりの説明と言い訳によって、ひとまず百々原は納得したようだった。

「色々と世話になったな、漆原。良かったら岡山にも遊びに来い。行くぞ、舞、戌井」

 去っていく百々原たちの後ろ姿を見送る漆原。大阪への任務を終えた柳木は再び岡山基地へ戻ることになった。実験体に関する件の経過は今後も随時報告するつもりだ。

 三人の姿が見えなくなりほっと一息ついた漆原が何気なく向けた視線の先に、京都基地の鏑木梓と彼女に服の首元を掴まれずるずると引きずられていく司令官である宮本和泉の姿があった。

「せっかく久々に瞬と会ったんだから、一緒に稽古をするんだ。止めるな、梓」

「駄目です。瞬ちゃんとはまたすぐ会えますから、今日は帰りますよ」

 自分の司令官に対し、まるで聞き分けのない子供のような扱いをするのは、日本中を探しても彼女ただ一人だろう。聞き分けのない子供のようなことを言う宮本も宮本ではあるのだが。

「あら、漆原さん。今日はありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いしますね」

 漆原に気付いた鏑木が小さくお辞儀をしながら優しく微笑む。その優雅な所作と美しい笑顔に危うく心を奪われそうになるが、抵抗虚しく床の上を引き摺られていく宮本の姿を見てすぐに現実へと引き戻された。

 今日は組織における多くの有力者と繋がりができただけでなく、彼らの人となりを知れた有意義な日となった。特に忘れてはいけないのは「女性は強い」ということ。次に会ったときは絶対に不用意なことをしてはならないと漆原は心に刻みつけたのだった。


「御堂さん……すみませんでした。もう大丈夫です」

「……そうみたいだな。早く準備しろ。終わり次第出発するぞ」

 翌朝、御堂は驚くほどあっさりと昨日の決定を覆した。御堂は桐崎がスパイであることを見抜いたのと同じ嘘と真実を見分ける力によって、鏡の精神状態が大きく乱れていることに最初から気付いていた。しかし翌朝姿を見せた鏡はまるで憑き物が落ちたかのようにすっきりとした顔で落ち着きを取り戻していたので、御堂は彼が神奈川基地に戻ることを了承したのだった。

 準備が整ったところで石動の車に乗り込み大阪本部を後にする。乗員は運転手の石動、そして御堂、鋼太、鏡、瞳、城戸、肉倉の7名。凪野と犬飼は実験体の暴走を抑えるとされるワクチンの成分解析を手伝うため本部に残留し、出血が酷くまだ絶対安静が必要な双葉は治り次第退院し戻ることになっている。双葉はあの施設の院長と名乗るガスマスクの男、そして『獣化(ビーストモード)』の呼び名通り猛獣のように凶暴化した実験体と唯一対峙しているため、そのときの様子を直接本人から聞き取り調査する必要があった。

 数時間後、無事に大阪から帰還した一同を基地で待機していた隊員たちが迎える。一通り状況は把握していたが、出発時より明らかに減っている人数と痛ましい怪我の跡、特に全身包帯だらけの剣菱隊の二人の姿を見て誰もが表情を曇らせた。しかし御堂の一喝がその沈んだ空気を一蹴する。

「顔を上げろ。俺たちは全員生きている。さあ、作戦会議を始めるぞ」

 先陣を切って司令室へ向かう御堂に引っ張られるようにして他の隊員もその後に続く。

 作戦会議といっても今回の任務はほぼ神園の指示に従うものになるため細かい点は不明なものが多く、参加メンバーの指名と大まかな作戦概要の説明のみに留まった。

「不確定要素の多い状態で敵の懐に飛び込ませなければならないのは心苦しいが、戸柱を救うために力を貸してくれ」

「了解!」

 御堂に向かって今作戦に参加する天羽隊の四名と鋼太の計五名が力強く返答する。5日後の作戦決行日に向け、ひとまず今日のところは解散となった。

 作戦会議終了後、司令室を後にした小鳥遊瞳のもとに、政府施設への潜入、制圧を目的とする今回の任務でもっとも重要な役割を担う天羽隊のメンバーが揃って駆け寄ってきた。

「おかえり、瞳。怪我は大丈夫?」

 天羽隊の隊長であり瞳にとっては同じ部屋で暮らすルームメイトでもある天羽千弦が心配そうな表情で瞳に訊ねる。

「……はい、私は平気です」

 瞳は目立った外傷といえば束原檻姫に捕まった際に腕に巻きつけられた鎖の跡程度でそれ以外はほとんど無傷だった。しかし瞳もまた先の作戦で非常に悔しい思いをした一人である。もし瞳の放ったショックガンのレーザーが狙い通り檻姫に命中していれば形勢は逆転していたはずだ。しかし結果は白銀に防がれたことで檻姫の暴走を招き、挙げ句の果てには殺されかけたところを敵の情けで生かされる始末。同じ悔しさを抱えている鋼太と違い次の作戦には不参加、待機を命じられたことで名誉挽回の機会も失われてしまった。

「必ず[シェルフィッシュ(戸柱)]を取り返すから、安心して待ってて」

 落ち込む瞳を励まそうと声をかける天羽の両手を、瞳が強く握りしめる。

「絶対に生きて帰ってきてください、お願いします」

 暴走した束原檻姫の具現化能力はあまりにも規格外のものだった。剣菱の片腕を喰い千切り戸柱を連れ去った饗庭尽も、鏡や城戸を追い詰めた白銀冷司も、彼らは全員私たちを簡単に殺せる力を持っている。自分が死ぬのはまだ良い。それよりも怖いのは、自分の知らないところで大切な仲間が死ぬことだった。

「大丈夫。私たちに攻略できない施設なんてどこにもないさ」

 不安で小さな身体を震わせる瞳に向けた世界一の隠密潜入チーム『天羽隊』を率いるリーダーの言葉に、彼女の三人の相棒が笑みを浮かべながら力強く頷いた。

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