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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第一部 神奈川基地編
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3.脱出

 記憶の中で鋼太に向かって振り下ろされたものとまったく同じ形状をした銀色に輝くその物体は、初めて触ったとは思えないほど自分の手にしっくりと馴染んでいた。

「早く記憶を奪うんだ!」

 鋼太が寝かされていた椅子のそばでうずくまっていた医師が起き上がり、助手の看護師に向かって叫ぶ。医師の頭からは血が流れ、白衣にも点々と赤い染みを作っていた。医師と右手の鉄パイプの血痕を見比べ、まさか自分がこれをやったのかと動揺している鋼太の頭に、追い討ちをかけるようにして記憶操作の触手が入り込む。

「っ……やめろ!」

 その不快感から逃れようと力任せに振り抜いた右手から放たれた鉄パイプが鋼太に繋がれているパソコンへ突き刺さりその動作が停止すると、同時に脳への侵食もしんと収まった。側にいた看護師が悲鳴をあげながら座っていた椅子から転げ落ち、壁のほうへ後ずさっていく。

 椅子を降りて地面に立つと目眩がして足元がふらついたが、さっき投げたはずの鉄パイプが気付けば再び手の中にあったため、咄嗟にそれを杖代わりにして鋼太は自分の身体を支えた。不思議に思いパソコンのほうへ視線を向けると、鉄パイプが刺さっていた部分に穴が空いている。まるでそこから勝手に手元へ戻って来たかのように。いや、本当に戻ってきたのだ。その証拠に鉄パイプには医師を殴った際の血痕がはっきりと残っている。

「馬鹿な、具現者エンボディだと……」

 頭を血で塗らした医師がふらつきながら立ち上がり、驚愕の目で鋼太を見つめている。

「大人しくするんだ……すぐに警備兵(ガード)がここへ駆けつける」

 冷静に考えれば、医師の言うとおり大人しくするべきだった。しかし医師の言葉に対して鋼太が最初に思ったのは「ここで捕まるわけにはいかない」ということだった。それは意思というよりも本能の叫びに近かった。

 まだかろうじて繋がっている、右手に取り付けられていた機械のケーブルを力任せに引きちぎり、鋼太はドアの方へ向かって足を踏み出した。まだ少しふらつきはあったが歩行が困難なほどではない。医師と目が合うと恐怖から小さく「ひっ」と悲鳴を漏らし道を空けたので、鋼太はそのまま振り返ることもなく検査室を後にした。


 幸い廊下に人の姿は見えなかったが、ぐずぐずしている時間はまったくない。待合室にいた警備兵(ガード)が騒ぎを聞きつけてすぐにこっちへ向かってくるはずだ。鋼太は急いでエレベーターのある待合室の反対方向へ進み、交差した通路から顔を出して人がいないことを確認すると、通路の左側に一旦身を隠した。

 予想通り駆けつけてきた二人の警備兵が検査室へと入っていく。今のうちにエレベーターまで走り抜けるか? しかし、血の付いた鉄パイプを持った男が突然現れたら待合室は大騒ぎになってしまうだろう。考えているうちに、警備兵が検査室から廊下に戻ってきた。そのうちの一人がインカムで誰かと話している。

「逃亡したのは制服を着た男子学生。鉄パイプのような武器を所持している。おそらく具現者だ。抵抗が予想されるためこちらも武器の使用を許可する。ただし殺害はするな。生きたまま捕獲しろ」

 鋼太は自分の耳を疑った。武器の使用って、冗談だろう?

 見ると、警備兵の手には拳銃のようなものがしっかり握られている。こんな鉄パイプ一本で銃に太刀打ちなんかできるわけがない。もし見つかれば一発でアウトだ。もうエレベーターは使えない……だがどこかに階段があるはず、とにかく別の脱出ルートを探さなくては。

 そのまま通路を左に折れて進むと、突き当たりがまた左右に分かれていた。恐る恐る覗き込むと、右に曲がって進んだ奥に階段、そして下階から駆け上ってくる複数の警備兵の姿が見えた。こちらへ向かってくる。ダメだ、あの階段も使えない。戻ろうにも、さっきの警備兵が銃を構えて近づいてくる。このままでは挟み撃ちだ。どうする? 角で待ち構えて出てきたところを奇襲するか? いや、一人は倒せても二人は無理だ。状況はもはや絶望的だった。

 ここまでか……諦めようとした鋼太の左腕を何かが掴み、そのまま強い力で引っ張られて開いていた近くのドアから部屋の中へ引きずり込まれる。反射的に振り下ろそうとした右手と口元を押さえつけられ、鋼太は身体を壁に叩きつけられた。

「このっ……!」

「静かに。ボクはキミの味方や」

 耳元で囁かれ、鋼太は声を上げそうになるのを必死に堪えた。壁一枚を隔てたすぐ向こう側を、警備兵たちが通り過ぎていく足音が聞こえる。完全に気配が消えたのを確認して、ようやく手が離れた。思い切り肺に空気を入れ、何とか呼吸を整える。

「スマンスマン、苦しかったな」

 鋼太をこの部屋に引きずり込んだ張本人、髪が薄い中年の医師がこの場にそぐわない緊張感のない笑みを浮かべていた。先程の眼鏡の医師よりも歳上のように見えるのにやけに若々しい口調をしているのがどこか胡散臭い印象を与える人物だった。

「味方……?」

「細かい話は後や。まずはここを脱出せな」

 関西弁の中年医師はそう言うと鋼太に何かを投げてよこした。見るとそれは病室で着る入院着だった。はよ着て、と言われるがままに鋼太は制服の上からそれを身につけていく。

「これであとは帽子被れば顔は隠せるな。で、これ乗って」

 そう言って中年医師は部屋の隅に置いてあった折りたたみ式の車椅子を引っ張り出し、ガシャガシャとおぼつかない手つきで組み立てる。

 「ボクが押してくから、キミは患者さんのふりしてじっと座ってたらええ。あとは……これ消せるか?」

 中年医師はそう言って鋼太の右手にある血に濡れた鉄パイプを指差した。彼は不思議なことに鋼太がこんな物騒なものを持っていることに対して動じないだけでなく、どこからともなく突然現れたものだということがわかっているようだった。消えろって念じてみてと言われるがままにやってみたが、残念ながら消える様子はない。

「しゃーない、ひとまずこれで隠そう」

 中年医師は白いシーツを鉄パイプの上から車椅子の足元まで隠れるように被せた。不自然ではあるが、一応膝掛けのように見えなくもなかった。

「まあ……大丈夫やろ」

 準備が完了しいざ出発、という段階で今更ながらこの医師を本当に信じていいのかという疑念が鋼太の頭にもたげてくる。その不安を見透かしたように中年医師は鋼太に笑いかけた。

「大丈夫、任せとき。ほな行くで」

 どのみちそれ以外の選択肢など今の鋼太には存在しない。ならばもう、最後までこの人を信じるほかなかった。


 車椅子を押しながら医師がドアを開けて再び廊下へ出ると、そのまま迷いなくエレベーターへ向かって廊下を進んでいった。辺りに患者や病院スタッフの姿は一つもなく、不気味なほど静まり返っている。

 鋼太が検査を受けた部屋を通り過ぎたその先、待合室の手前に険しい表情の警備兵が立っていた。警備兵はこちらに気付くと、足早に近づいてくる。

「室内で待機するよう指示されているはずですが」

 どうりで誰も廊下にいなかったのかと納得する。そして、そんな時にのこのこ外へ出ようとする怪しい二人を案の定簡単に見逃してくれそうにはなかった。

「狭い場所が苦手な患者さんでね。あまり長い時間室内に居られないんだ」

「いや、しかし……」

 即興の割にそれらしい理由を並べる医師の返答に怪訝な表情で難色を示す警備兵。先程までの軽薄さが信じられないほど、中年医師の態度と口調は毅然としたものになっていた。

「君はこの病院という場所において患者の健康より優先すべきものがあるとでも言うのかね?」

 危険人物が院内をうろついているのだとしたらその排除が最優先だと思うが、警備兵は医師の剣幕に圧倒されているようだ。

「……わかりました。ただ、念のためその中を確認させてもらえますか」

 警備兵の視線は鋼太の手を覆うシーツに注がれている。指先に伝わる鉄の冷たい感触。

「患者のプライバシーを詮索するのは感心しないな」

「少し覗くだけです。それとも、何か疚しいことでも?」

 警備兵が近づき、シーツに手をかける。反対の手には拳銃が光っている。そのままシーツをずらして覗き込み中を確認すると、ゆっくりと顔を上げた。

「失礼しました。どうぞ、お通りください」

 会釈をしてその場を通り過ぎ、待合室を抜けてエレベーターに乗り込むと、張り詰めた空気が一気に弛緩し、二人は同時に大きく息を吐いた。

「助かった……」

「どうやって強行突破しようか思ってたけど……ようやった」

 鋼太はギリギリのところで、鉄パイプを消すことに成功していた。不思議なことに、今はもうどこにも存在していない。

 エレベーターが1Fに着き、鋼太と中年医師は特に怪しまれることもなく受付の前を通り抜け正面玄関から外へ出た。そのまま病院からいくらか離れた場所まで行って車椅子を乗り捨てる。あの絶望的な状況から、まさかこんなに堂々と脱出できるなんて。

「ふぃー、お疲れさん」

「ありが……っ!」

 鋼太がお礼を言おうと医師へ顔を向けると、彼はまるで昆虫が脱皮でもするように医師の顔と服を脱ぎ捨て、まったく別人の姿をあらわにしている最中だった。絶句する鋼太に向かって、中年医師から鋼太よりもいくらか年上くらいまで急激に若返った、黒いスーツを着た男性が笑いかけた。

「ここまで来れば安心や。もうすぐ仲間の迎えが来る」

 その言葉によって、ずっと興奮状態にあった鋼太の両肩に突如として疲労がどっとのしかかってきた。彼に対して聞きたいことは山ほどあったが、ここまで逃げ切ることができた安堵からなのか急激な眠気が襲い掛かり、足元がふらつく。視界がぼやけ、まぶたを閉じて身体が勝手に意識を手放そうとするのを必死で抑えるが、とてもこれ以上抗えそうにない。

「う……」

「大丈夫やから、とりあえずゆっくり休み」

 その声を聞きながら鋼太は名も知らぬその人に体を預け、気を失うように深い眠りへ落ちていった。

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