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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第一部 神奈川基地編
21/218

20.山猫と兎

 颯爽と登場した具現者狩り(エンボディ・ハンター)を名乗る女性は、一通り室内の状況を見回した後、なぜか何も言わず鋼太のことを訝しげにじっと見つめていた。長いまつ毛に縁取られた煌びやかな宝石のような双眸に見つめられ鋼太は一瞬、その中に吸い込まれそうになる錯覚を覚える。もしこんな状況でなければ思わず見惚れてしまうに違いないほど、その女性は今までに見たことがないほどの美貌の持ち主だった。

警備兵(ガード)か? 不法侵入者だ、コイツを捕まえろ!」

 男が喚くのに目もくれず、女性は耳障りだとでも言うように不機嫌そうに眉を顰める。

「煩いわね。ちょっと黙って」

 視線を鋼太に向けたまま女性が右手を軽く振るうと、突然現れた鞭が男の頬を的確に叩いた。すると次の瞬間、男の身体からすべての力が抜け膝から地面に崩れ落ちた。

「な……!?」

 男はそのままぴくりともせず完全に動きを停止している。小さなうめき声のようなものが微かに聞こえるので死んではいないようだが、いったい何をしたというのか。

「あなた、黒鉄鋼太よね?」

 まじまじと鋼太を見つめていた女性がそう訊ねる。正確には見ていたのは鋼太の顔ではなく持っていた鉄パイプなのだが。

 鋼太は答える代わりにその鉄パイプを相手に向けて戦闘の構えを取る。

「……そんなの聞いてないわ。ど、どうしたらいいのかしら……少しだけ待ってもらえる?」

 突然女性がくるりと後ろを振り返り、小声でぼそぼそと話し始める。

「……そう……黒鉄……うん……仕事……」

 会話の内容は詳しくは聞き取れないが、誰かと通信しているようだった。女性の背中は一見隙だらけのように見えるが、鞭を持った右手がゆらゆらとこちらを威嚇するように動いている。迂闊に近づけばあの男と同じようになりかねない。

「……わかったわ。先生、ありがとう」

 通信を終え、女性が再びこちらに向き直る。ひとつ咳払いをして右手の鞭を床に叩きつけると乾いた音が室内に響き渡り、膝をついた姿勢のまま動かなかった男がおもむろに立ち上がった。まさかこれは、人を操る能力?

「あなたも連れて帰ることにしたわ。大人しく捕まりなさい!」

 そう言って女性がさらに何度か鞭を振るうと、周囲に倒れていた意識を失っている男たちが同じように起き上がる。焦点の合わない目に半開きの口。まるでゾンビのような状態の操られた男たちが、鋼太と少女に向かって一斉に襲いかかってきた。

 その動きは緩慢かつ単純、ただ向かってくるだけなのでいなすのはそれほど苦ではなかったが、倒れてもまたすぐに起き上がってくる上に、さすがに人数が多過ぎる。

「目を覚まして!」

 身体を掴み、押さえ込もうとしてくる何人もの男たちの腕を鉄パイプで防ぎながら鋼太が訴えるが全くその声は届かない。次々に襲いかかる攻撃を振り払い鋼太は何とか耐え凌いでいたが、そのうちに男の一人が鋼太の脇をすり抜け、背後で今もまだ恐怖に震える少女に襲い掛かる。

「危ない!」

 少女自身もだが、もう一度暴走してあの力で暴力を振るえば今度こそ死人が出てしまう可能性がある。鋼太が鉄パイプを持った右腕を懸命に伸ばすが、間に合わない。男が少女の腕を掴もうとしたそのとき、一本の矢が凄まじい速度で室内を通り抜け、そのまま壁へと突き刺った。

 男はなぜ自分の腕が急に動かせなくなったのかわからないといったふうに一瞬首を傾げてから、すぐに意識を失って昏倒した。その腕には撃たれた本人さえ気づかない程度、ほんの少しだけ矢が掠めた跡が残っている。

 振り向いた鋼太の視線の先には弓を構えた天羽の姿、そして。

「すみません、遅くなりました! これより援護に入ります!」

 眼帯を開き右眼の能力を発動した瞳が放ったショックガンの電流が、鋼太の目の前にいた男に命中して感電させ、その意識を奪った。そのまま二人は次々と射撃を繰り出して操られていた男たちを戦闘不能にしていき、先ほどまでの窮地から瞬く間に形勢は逆転した。


 鋼太との通信終了後、悔しいが自分一人では足を引っ張るだけだと判断した瞳は天羽と合流するためその場を離れ移動し始めた。通信機は使用できないものの、実は瞳はまったく合流の手段を持たずに待機場所を離れていたわけではなかった。

 そのカギとなるのは天羽の相棒、伊集院寧音の常人離れした聴力。伊集院には周囲のあらゆる音を聞き分ける『集音』以外にもうひとつ、能力発動の音を聞けばそれが誰のものか分かる『識別』の能力を持っている。この能力のおかげで伊集院は天羽が自由自在に飛び回っても決して見失うことがない。

 瞳は今回の警備任務にも実は天羽班のメンバーとして後方に控えていた伊集院に向け、能力の発動と停止を繰り返して自分の位置を知らせる信号を送り続けた。

 一般的な具現者よりも遥かに広範囲、そしてどんなに小さな能力発動音も識別できる伊集院はすぐさま瞳の位置情報を把握、天羽に指示を出して無事に二人は合流に成功し、鋼太と具現者狩りの戦闘に突入して今に至るのだった。

「話は基地でゆっくり聞かせてもらおうか」

 天羽が女性に矢を向けて弓を引く。どう見ても絶体絶命の状況。しかし、窮地に立たされているにもかかわらず具現者狩りの女性は余裕の表情を崩さなかった。

「これで勝ったと思ってるなんて、甘いわね」

 女性はそう言うと鞭を持った右腕を掲げ能力を発動する。しかし特に何かが変わった様子は見られない。

「外に潜んでいた警備兵(ガード)なら全員無力化した。呼んでも無駄だ」

 伊集院の能力で道場の周辺に多数の警備兵が隠れていることを突き止めた天羽たちは、突入する前にその全員を天羽の弓で眠らせていたのだった。決して警備兵たちの隠密能力が低いのではなく普通の人間なら気付くのは困難だったが、あらゆる音を完璧に聞き分けることのできる伊集院の前では無防備に姿を晒しているも同然だった。

 今度こそ万策尽きたと思われたが、女性はなおも不敵に笑みを浮かべる。

「それが甘いって言ってるのよ」

 女性が右手にさらに力を込める。すると、天羽と瞳の攻撃によってその場に倒れていた道着姿の男たちが再び動き出し、鋼太たちに襲いかかってきた。

「バカな……数時間は指先すら動かせない麻痺毒だぞ」

「私の『魅了』は死なない限り動き続ける。殺しておくべきだったわね」

 男たちに意識はまったくなく、先ほどまでよりさらに強い能力で強制的に動かされているためかこちらの攻撃にまったく怯むことがない。

「危ない!」

 必死でショックガンを撃つ瞳に背後から迫っていた男に鋼太が鉄パイプを投げつけ、自分の後ろに下がらせる。

 これで再び形勢が逆転してしまった。さらに練習場の入口から天羽たちが気絶させたはずの警備兵も押し寄せるように室内へ入ってくる。状況はもはや絶望的。もうダメかと鋼太と瞳が諦めかけたその時だった。

「ラビ、頼む!」

 天羽が叫んだ瞬間鋼太たちの近くで爆発が起き、その場にいた天羽以外の全員がその衝撃に怯む。爆風が収まるのを待って目を開けると、爆発によって練習場の壁に大きな穴が空いており、そこから外の風景が見えた。

 さらに天羽が地面に向かって何かを投げる。するとそこから大量の煙幕が噴出し、瞬く間に部屋が煙に覆われ全員の視界を奪った。

「全員脱出!」

 天羽の号令に応じて全員が動き出す。鋼太が震えている少女に肩を貸すために駆け寄ろうとするが、それより先に天羽が素早く少女の身体を抱き上げた。

「私が連れて帰ろう。君たちは何とか自力で逃げ切ってくれ」

 そう言って天羽が少女を抱えたまま、ワイヤークロスボウを使って颯爽とその場を抜け出していく。確かに自分が抱えて走るより天羽に任せた方が安心だ。

 瞳に続いて鋼太も建物から脱出する。具現者狩りの女性の視界を奪っているおかげで、彼女に操られている男たちもこちらの姿を見つけられていない。しかしまだ建物の周囲には警備兵が残っているはずだ。見つからずに逃げるのは難しい。

 周囲を警戒しながら建物の外に出た鋼太と瞳に通信が入る。

『二人とも、そのまままっすぐ走って次の角を右に曲がって』

「[ラビット]! 了解です!」

 伊集院の指示に従い進んでいくと、まったく警備兵と遭遇することなく安全な場所まで無事に離れることができた。ここまで来ればもう大丈夫だろう。

「寧音さん!」

 合流地点で二人を待っていた伊集院に、瞳が体当たりをするように思い切り抱きつく。

「わあ! もう、びっくりさせないで」

「ごめんなさい……嬉しくて」

「私も嬉しいわ。よく頑張ったね、瞳ちゃん」

 伊集院は天羽よりひとつ年下の21歳。成人しているが瞳とほとんど変わらないくらい小柄なうえ童顔なため鋼太や瞳と同じ中学生でも通じるほど幼い見た目をしている。

「黒鉄くんもお疲れ様……黒鉄くん?」

「ここです。本当に助かりました、ありがとうございます」

「こちらこそ、千弦と瞳ちゃんを守ってくれてありがとう」

 伊集院寧音は声と能力の音色で個人を判別する。逆に言えばそれ以外で判別することができない。なぜなら彼女は目が見えないからだ。

「それじゃあ、基地へ戻りましょう。千弦はもう着いてるみたい」

「さすが天羽先輩ですね」

 なぜか瞳が自慢気に胸を張る。でも、確かに天羽と伊集院の能力が無ければ間違いなく自分はあの具現者狩りに捕まっていただろう。[刻印されし者達(エングレイブ)]のメンバーにとって政府に捕まることはそのまま死を意味している。つまり二人は鋼太にとって命の恩人であり、自分の軽率な行動によって己のみならず瞳の命まで危険に晒したことを鋼太は改めて自覚したのだった。

 

 時を同じくして、先ほどまで争いが繰り広げられていた道場。女性が能力を解除したことで、道着姿の男たちは全員床に倒れ伏している。

「逃げられたわ。これでよかったのよね?」

『ありがとう、よくやってくれたね』

「自害されたら困るから捕まえるフリしてわざと逃がせなんて、注文が難しすぎるわ」

『いやいや、さすが若手実力派女優の演技だったよ』

「ふふん、まあね。でも本当に良かったの? 弓の子は私が誰だか気付いてたと思うけど」

『どうせそのうち知ることになるんだから、早いか遅いかの違いさ。それに、知ったところで彼らに何かできるわけでもない』

「それもそうね。今日はもう疲れたから帰っていい?」

『ああ、あとはこちらで処理しておく。お疲れ様、ゆっくり休んでくれ』

 通信を切り、ひとつ欠伸をして具現者狩りの女性がその場を後にする。ほどなくしてパトカーのサイレンとともに警察が駆けつける。

 そして翌日のニュースで、空手道場を経営する男性とその娘が事故で亡くなったとニュースで報道された。

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