19.暴力
待機場所を離れ具現者を探していた鋼太と瞳だったが、もっとも大きな最初の一回目の後もしばらく断続的に続いていた能力発動の音があるときを境にピタリと止んでしまい、発信源の方向がわからなくなってしまった。その場に立ち止まって何か他に手掛かりがないかとあたりを見回している鋼太に、瞳から通信が入る。
『前方から妙な人物がこちらに向かっています』
「妙な人物?」
少しして誰かが前方から走ってくるのが見えた。確かに瞳の言うとおりその人物は裸足に真っ白な道着という街中を歩くには異様な出立ちの男性で、その顔には恐怖と焦りがありありと滲んでいる。
「何かあったんですか?」
鋼太が引き留めて声をかけるが、男性はパニック状態に陥っていてとてもまともに会話できる状態ではなかった。
「ば、化物……!」
男性はそれだけ言うとすぐに走り去ってしまった。化物……。鋼太は覚醒した具現者が暴走して一般人に危害を加えているという最悪のケースを思い浮かべ、すぐにそれを振り払った。
『あっ!』
「どうした?」
突然声を上げた瞳に驚き、鋼太が何事かと訊ねる。
『あなたから見て左手の奥に空手道場と書かれた看板が見えます。今の人、あの建物から出てきたのかも』
「空手道場か……わかった、行ってみる」
瞳の指示に従って先へ進むと、確かに『轟空手道場』と看板が掲げられた古い建物がそこにあった。
「さっきの人といい、その場所からどうやってわかったんだ?」
瞳は先ほどからずっと数メートル後方から鋼太の死角をカバーするように動いている。位置的に彼女からはどちらも遮蔽物で見えなかったはずだ。
『眼帯の機能と私の能力であなたの視界を共有しているからです』
「えっ。そうなの?」
『……何か問題でも?』
「イヤ……別に」
確かに問題はないけれど、視線の動きを悟られているというのは妙に緊張するというか、何というか。
『あまり視線を細かく動かさないでください、酔うので』
動揺が視線に如実に現れる。できれば先に言っておいて欲しかった。
「ご、ごめん」
ひとつ咳払いをして、緩みかけた緊張感を再び引き締める。
おそらく先ほどの男性が慌てて逃げたため閉める余裕がなかったのだろう、空手道場入り口のドアは開けっぱなしになっている。ただ外からでは室内の状況はうかがえず、中から練習の声や音もまったく聞こえない。
「様子を確認してくる。異常があればすぐに伝えるから、外で待機していてくれ」
『……了解。お気をつけて』
辺りを注視しながら音を立てないよう静かに建物へ入る。入り口のドアを入ってすぐはロビーのようになっていて、トイレや更衣室などに続くドアがある他、テーブルとイスが並ぶ広い空間だったがやはり人の姿はまったく見当たらず、壁際に設置されたテレビから流れる音だけが室内に響いていた。
妙な静けさを不気味に感じながら練習場へ続く部屋の奥へと進んでいく。その途中でちらりと肌色の何かが鋼太の目に入った。あれは、人の足? よく見ると、誰かが床に倒れている。
急いで倒れている人のもとへ向かい中へ入った鋼太は、まさに驚愕の光景を目の当たりにすることとなった。畳が張られた練習場内には道着を着た何人もの男たちが床に倒れ伏し気を失っていて、中には鼻血を噴き出している者や腕や足がおかしな方向に曲がっている者もいる。
そんな状態の練習場内に、二本の足で立っている人物が一人だけ存在していた。倒れている人たちと同じ道着姿ではあるものの、おそらく返り血によって道着と拳が赤く染まっている。その人物は下を向いたままじっと動かず、深い呼吸に合わせて垂れ下がった前髪が微かに揺れていた。
いったいここで何があったのか。意識は正常なのか。様子を確認しようと鋼太が一歩前に踏み出した瞬間、下を向いていた顔を素早く上げて視線をこちらに向ける。鋼太よりも大柄な体格をしていたため顔を見るまでは分からなかったが、その人物は鋼太や瞳と同じくらいの年齢の若い女性だった。その目に宿るのは激しい怒りと怯えにも似た警戒心。鋼太はそれをよく覚えている。初めて遭遇したときの赤井焦吾と同じ目だ。
「オマエも双葉をいじめるのか?」
道着を着た少女が鋼太に訊ねる。双葉というのが誰か分からないが、相手が誰であろうと危害を加えるつもりはない。否定の言葉を述べようとした次の瞬間、能力発動の音と同時に鋼太の視界から少女が姿を消し、さらに次の瞬間、鋼太の右半身を凄まじい衝撃が襲った。弾き飛ばされた鋼太はその勢いのまま練習場の壁に思い切り激突した。
「痛ってえ……何するんだ!」
身体を激しく打ちつけた痛みに悶えながらもすぐさま鋼太が起き上がる。
「へえ……オマエ、なかなかやるな」
自分の蹴りを喰らってなお意識を保っている鋼太を見て少女が感心したように呟く。それくらい人間離れした威力とスピードだった。防ぐことができた理由は、彼女が鋼太の頭目掛けて左足を思い切り振り抜く間際、咄嗟に鉄パイプを具現化して何とか防御したからだった。鉄パイプは少女の蹴りを受け、くの字に折れ曲がっている。こんなものをまともにくらったらひとたまりもない。
『大丈夫ですか!?』
瞳の慌てた声。今も共有しているならまるでジェットコースターのような視界だったに違いない。酔っていなければいいが。
「具現者を発見した。攻撃を受けたけど、大丈夫」
『私も応援に行きます』
「危ないから来ちゃダメだ」
『でも』
「いいから」
そう言って鋼太は通信を切る。自分が戦っている隙に背後から瞳に銃撃してもらうことも考えたが、万が一のことを考え止めておいた。相手は鉄パイプを捻じ曲げるほどの規格外の身体能力を持つ具現者だ。銃弾を避けたり電気ショックが効かなくても不思議じゃない。そうなった場合に瞳を守りながら戦う自信は鋼太には全くなかった。
「オレは君に危害を加えるつもりはない。話を聞いてくれないか?」
両手を前に出し敵意がないことを表しながら鋼太が少女に問いかける。
「イヤだね。信じられない」
少女はそう言うと、再び攻撃の姿勢を構えた。
「生成」
新たに鉄パイプを生成し、鋼太も先頭の構えを取る。本気でやらなければこちらがやられる。こうなったら、力づくで黙らせるしかない。
相対する二人。お互いが同時に一歩目を踏み出そうとしたところで、少女の背後に倒れていた人影がぴくりと動いた。
「う……うぐぐ……」
頭を押さえながらむくりと立ち上がったのは、同じく道着を着た白髪混じりの頭髪に髭を生やした強面の大柄な男性だった。鋼太の視線がそちらへ向いたことで少女も気配に気付き、ちらりと後ろを振り返る。今迂闊に起きるのはまずい、また襲われてしまう。しかし、少女の反応は鋼太が危惧したものとはまったく異なっていた。
男の顔を視界に収めた途端、なんと少女は顔を青ざめて身体が激しく震わせ始めた。ほんのつい先ほどまで全身にまとっていた凶暴性が、今は完全に消え失せている。
「双葉……貴様、父親に手を上げるとは何事だ!」
ふらつきながら男がゆっくりと少女に近づき、大声で恫喝する。それに対して少女はただじっと耐えるように身体を縮こませた。その姿は、自信と迫力に満ちていた先ほどまでとは全くの別人のようだった。
男が右手を振りかぶると、少女がきつく目を瞑った。少女はそのままいつも通りの痛みが訪れるのを待っていたが、それは一向にやってこなかった。恐る恐る目を開けるとそこにはつい先ほど自分が蹴り飛ばした鋼太の背中。鋼太の手は少女が平手打ちされる寸前のところで男の手首を掴んで止めていた。
「アンタこそ自分の娘に暴力振るってんじゃねえか!」
「邪魔だ!」
男が鋼太の身体を振り払う。組織に入ってから毎日訓練しているとはいえ中学生の鋼太と空手家の大男では体格の差を覆しようもなく、簡単に押し除けられてしまう。
再び男が目の前に立ちはだかると少女は頭を抱えてその場にうずくまり、うわごとのように「ごめんなさい」と謝罪の言葉を繰り返した。
「今さら謝ってももう遅いわ!」
罵倒しながら男が少女を何度も踏みつける。そのたびに少女がくぐもった声を漏らす。
「お前の腐った根性を叩き直してやる!」
「やめろ!」
身体を投げ出して少女を突き飛ばした鋼太の背中に、男の足が容赦なく振り下ろされる。しかし不思議と痛みはほとんどなかった。感じたのはきっと少女と同じ、大人から子供へ向けられる純粋な「暴力」に対する大いなる怒り。こんなものを少女は、きっと日常的に受け続けてきたのだ。
少女と鋼太の目が合う。鋼太の耳に、彼女の声にならない「助けて」という叫びが確かに聞こえた。
男の目から少女の姿を隠すように立ち上がると、鋼太はもう一度右手に鉄パイプを具現化する。
「これ以上は、許さないぞ」
鋼太が男を鋭く睨みつけ、その気迫に男がたじろぐ。緊迫する空気。それを破ったのは、突如現れた新たな訪問者だった。
「具現者狩りよ。全員大人しくしなさい」
振り向くと、鋼太が入ってきた練習場の入り口に右手に細い鞭のようなものを手にした髪の長い女が立っていた。




