185.未来
「黒鉄サンはこちらにいらっしゃいマスか!?」
「エマさん、どうしたんですか?」
守備隊のもとへ説明に向かった漣と入れ違いでテントへ駆け込んできたのは[白雪出版]から大阪へやってきた『予知』の具現者、エマ・フォーチュンだった。名前を呼ばれた鋼太が招き入れると、天幕をくぐってテントへ入ってきたエマが突如として手で口を押さえその場に立ち止まる。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ……少し驚いてしまっただけデス」
エマは冷司や照吾、ユキとカナのこともまったく知らないはずだ。敵か味方かもわからない者がここにいたら驚くのも無理はない。
「すみません、彼らは……」
「俺たちに聞かれたくない話があるなら席を外すが」
「だ、大丈夫デス。むしろ一緒に聞いてくだサイ」
「?」
困惑した表情を浮かべながら冷司と照吾が歩き出しかけた足を止めて元の場所に戻る。
「皆さんにお話しすることが二つありマス。まずひとつ目が、つい先ほど真帆サンから受けた報告で、『星宮カレンの死体は彼女本人ではなく、仮面の兵士による変装だった』と。報告が遅れたのは、[具現者解放戦線]の愛知前哨基地に潜入していた香取サンが変装を見破った際に仮面兵士の攻撃を受けた負傷が原因で脱出に時間がかかってしまったためのようデス」
「何だと……!?」
やはり光はカレンの死によって具現化能力が暴走して巨大な怪獣と化し、復讐のため[刻印されし者達]大阪本部を襲撃した。そして冷司を拘束から解放した仮面の兵士の口からも間違いなくカレンは死んだと聞いた。それらは全て虚偽だったというのか。
「香取さんは無事なんですか!?」
「ハイ。現在は真帆サン、早瀬サンと合流して大阪に向かって帰還しているそうデス」
「そうですか……!」
エマの言葉に瞳がほっと胸を撫で下ろす。
「待ってくれ……鏡さん……愛知には鏡さんも一緒に行っていたはずだ」
「基地へ潜入以降鏡サンとの通信は途絶え、今も行方は分かっていないと聞きマシた」
「そんな……」
その場にいた、鏡のことを知らないユキとカナを除く全員が鋼太に対するエマの返答に息を呑む。仮面の兵士は星宮カレンの死体に『変装』していた。対象に触れなければ発動しない鏡の具現化能力を敵である仮面の兵士が大人しく受け入れた理由は一つしか思い浮かばない。
鏡が新政府のスパイだった? 否、それはあり得ない。しかしこの一連の出来事はどう考えても『変装』の具現者、鏡と『魅了』の具現者、カレンが協力して引き起こしたものだ。だがいったい何のために?
「ここでうだうだ考えてても時間の無駄だ。それより、もうひとつの話っていうのは?」
疑心暗鬼に陥りかけた場の空気を仕切り直すように大河が話題を変える。そうだ、エマは二つ話があると言っていた。
「……もうひとつは、本当は伝えるべきか先ほどまで迷っていた……私が予知した『世界の滅亡』についての話デス」
「世界の、滅亡……?」
突然エマの口から飛び出したスケールの大きすぎる話をどう捉えたら良いのか困惑の表情を浮かべる一同。
「あんたは、占い師か何かなのか?」
「私は、今より少しだけ未来の出来事を知ることのできる『予知』の具現者デス」
訝しむように訊ねる照吾にエマが応えるが、その表情が変わることはない。突然そんなことを言われてもにわかには信じ難いのは当然だろう。
「あの大きな怪獣が現れる少し前、マザー……黒鉄サンのお母さまからファーザーへ通信が入りマシた。ある物を楽園都市まで運んで欲しい、と」
「ある物?」
「黒鉄サンの具現化能力を宿した装心具デス」
「どうしてそんなものを?」
鉄パイプを生成することのできる『鉄』の装心具、しかし具現者ではない真紀には当然使用できない。なぜそれを、しかも能力まで指定したのか。
「わかりません。ただ、それ自体は小鳥遊サンの予備武器として基地に保管してあったもので用意できました……無断で持ち出してしまい、申し訳ありまセン」
「いえ、それは別にいいのですが……」
「それを持ってファーザーたちは楽園都市へ向かいマシた」
「だ、大丈夫なんですか?」
「もちろん警備は厳しくなっているでしょうが、楽園都市への侵入に関しては[白雪出版]の右に出る者はいません。ファーザーたちは責任を持ってその任務を果たすはずデス」
「そのファーザーとやらを助けて欲しいって話じゃないのか? そもそも今の話と世界の滅亡に何の関係があるんだ?」
痺れを切らしたように大河と照吾がエマを問い詰める。程度の差はあれど他の皆も似たような思いを抱いていた。何せこの状況で無駄な話を聞いている余裕は全くない。
「出発する前、私はファーザーの未来を予知しました。その時に見えたのが、楽園都市から黒い何かが溢れ出す光景デス」
エマはそう言うと恐怖を押し殺すように一度深呼吸してから、再び口を開く。
「それは瞬く間に楽園都市の高い壁を超えて地上を侵略し、人も建物も関係なく目に見える全てを飲み込んでいきマシた。最終的にそれは日本全土、そして海を超えた先までも広がり、地球は死の惑星と化すのデス」
確かにそれはエマの言う通り、世界の滅亡と呼ぶに相応しい光景に思えた。だが。
「馬鹿馬鹿しい……そんなことが起こるなんて……」
「未来は常に変化し続けていて、決してこれが確定したものではありません。ですが、最後に私が視た光景が現実にならなかったことは、これまでに一度もないのデス」
きっぱりと断言するエマの迫力に言葉を失う一同。黒い何かに飲み込まれて世界が滅亡する。それが本当だとしたら、防ぐ手立てなど果たして存在するのだろうか。信じたくないと思いながらも、鋼太たちの心をじわじわと絶望感が侵食していくのを感じる。
「私もつい先ほどまでは半ば諦めたような気持ちで、だから誰にも言わないでおこうと思っていました。ただ、あの怪獣が倒れたとき、少しだけ未来が変わったのデス」
俯いていた皆の顔が勢いよく持ち上がる。
「どう変わったんですか?」
「溢れ出す黒いものに立ち向かっていく人たちの姿が視えました。はっきりと姿は見えていませんでしたが、たった今確信しました。あれは間違いなく、ここにいる皆さんデシタ」
「オレたちが……」
だからこのテントに入ってきたときエマがあんなにも驚嘆していたのかと鋼太は思い返す。予知した未来に映った人間が全員ここに揃っていたのだから。
「あと一人、本部基地で負傷兵の治療にあたっている女性の方も」
「雫か……」
鋼太、瞳、双葉、大河、冷司、照吾、ユキ、カナ、雫。この九人で、楽園都市にいる世界を滅ぼす何かと戦う。それはあまりにも無謀すぎることのように思えた。
「これで全員ですか?」
「まだ何とも……先ほども言った通り未来は刻一刻と変化していて、これから人数が増えることも、減ることもあり得るでしょう」
人数が減るということはつまり敵に回るのか、その過程で生命を落とすのか。具体的なことが何もわからない以上、今は考えても仕方のないことだけれど。
「結局、世界の滅亡は防げるのか?」
「今はどれだけ目を凝らしてもその先は映らない。きっと未来がどう変わるかの分岐点上にいるのだと思いマス」
つまり、逆に立ち向かう人数が増えればそれだけ世界を救える可能性が高まるということだ。
「『予知』に関係なく、元から俺は楽園都市に行くつもりだ」
冷司が立ち上がる。凪野の真意を確かめるために。
「でも今の話を聞いたおかげで、何が起きても慌てずに済みます」
瞳が立ち上がる。世界の行く末をその目に焼き付けるために。
「そうだね。ありがとう、エマちゃん。勇気を出して話してくれて」
双葉が立ち上がる。弱き者たちの盾となるために。
「シズクが行くなら僕も行くしかないなぁ。あ、ユキは休んでていいよ」
「大丈夫……私も行く」
カナとユキが立ち上がる。愛する母の血を絶やさないために。
「世界が滅びるのは、困るよなぁ?」
「ああ、約束したからな」
照吾と大河が立ち上がる。見果てぬ夢を紡ぎ続けるために。
「オレたちの未来を、勝ち取ろう」
鋼太が立ち上がる。己の手が届く限り全てを守り抜くために。
八人が歩き出しテントの中から外へ出ると、彼らの目の前に九人目、雫が立っていた。
「何か、呼ばれたような気がして。もちろん負傷者の治療は終わらせましたわ」
そして九人は頷き合い、遥か東の彼方を見据える。
「行こう、楽園都市へ」
第六部完!




