168.獣人部隊
「他の地域にも仮面の兵士が……!?」
御堂によれば九州では飛田伸介、京都では落合丈地、兵庫では入間翔、滋賀では肉倉健剛、そして四国では先ほど瞳たちが取り逃した天羽千弦と同じ能力を有する仮面兵士がそれぞれ発見されたということだった。まだ報告は上がっていないが、おそらくはどこかに城戸隼人と鮫島信幸も。
「つまり、神奈川基地の皆さんは生きている……!?」
そう問いかける瞳の声には驚きと困惑の中に確かな希望の色が入り混じっていた。
『確証はないが、本人である可能性はかなり高い』
だとしたら、なぜ彼らは仲間である[刻印されし者達]を攻撃するのか。星宮カレンの『魅了』で操られている? だが彼らは簡単にそれに屈するヤワな精神の持ち主ではないはずだ。
『真相を確かめるためにも彼らの身柄を確保してほしい。難しい任務だが、頼めるか?』
「了解しました」
瞳は迷うことなくそう言い切り、御堂との通信を終えた。
「これからどうする?」
「仮面の兵士の捕獲に向かいます。桐崎さんも協力して下さい」
鋭の問いかけに答えると、瞳は仮面兵士の行方を探ってもらうため仮設基地にいる寧音へ通信を繋ごうとした。しかしそれより先に、向こうの方から通信が届く。
『敵部隊が一斉に動き出したわ。皆、警戒して!』
切迫した寧音の声に、瞳たちを含む守備隊全員の間に緊張が走る。常人を遥かに超える聴力を持つ『集音』の具現者、伊集院寧音はそれまでじっと息を潜めていた敵主力部隊が一斉に牙を剥き襲いかかって来るのを克明に感じ取っていた。
『不意を突かれた、防衛線が突破される!』
『敵兵の中に獣人が混じっている、気をつけろ!』
通信機から次々と飛び込んでくる守備隊員たちの報告、その中に含まれていたある単語に瞳と鋭が反応する。
「獣人……」
瞳たちのいる四国地域の守備隊には鋭、深遠、刈谷、絹笠、四名の獣人が配備されており、広大な森の中に誘い込んだ敵兵士を彼らが持つ獣人特有の能力である嗅覚や狩りの本能を駆使して倒すゲリラ戦法を採っていたのだが、敵部隊にも獣人が存在していたことでそれを逆手に取られる形となってしまった。[刻印されし者達]側の守備隊にも隠密行動に優れた具現者が揃っていたが、守備隊は木々の間を縦横無尽に飛び回る獣人たちに歯が立たず戦線の後退を余儀なくされている。このままではすぐに基地まで押し込まれて制圧されてしまうだろう。獣化『小鳥の囁き』で広範囲をカバーできる自分が戻って基地の守備に専念するべきか、そう思案している瞳の耳に新たな通信が入った。
『こちら刈谷。敵の獣人を一人制圧したんだが、どうやら敵の指揮官から精神支配を受けているようだ。ひどい興奮状態で、強迫観念に駆られている」
獣人同士は肌に触れることで言葉を交わすことなく互いに意思疎通できる特性を有しており、刈谷たちは捕らえた敵の獣人からその情報を読み取ることに成功したのだった。
「何だって……!」
刈谷の言葉を聞いた瞳と鋭の脳裏に、かつて二人が目の当たりにした獣人海賊団との凄惨な戦いの光景が浮かび上がる。彼らは獣人が持つ従属の本能に従い主の命令に殉じてその生命を残らず散らしていった。あんな悲劇は、もう二度と起こしてはならない。
「束原檻姫を止めましょう」
御堂から事前に伝えられていた、檻姫が身に付ける『魅了』の装心具によって会得した『呪縛』。目には見えない鎖で捕らえた者の精神を支配し意のままに操る能力で、星宮カレンの『魅了』に比べ一度に操ることのできる人数は少ないがその分より強い支配力を有しているとのことだ。それが敵の一糸乱れぬ連携、そして強さの理由だろう。ならばその大元である檻姫を無力化すれば。
『何か、凄く嫌な感じがするわ……』
そう呟く絹笠の声はか細く震えていた。
『ああ……声を聞いているだけでこっちの精神も侵食されていくような……』
刈谷も同意する。ワクチンにより獣化の進行は止まっているとはいえその性質が消えたわけではない。彼らの本能は『呪縛』により傀儡になることを恐れ警告を鳴らしている。
「分かりました、束原は私が対処します。お二人は他の隊員と共に防衛線の維持をお願いします」
「おい、小鳥遊」
『すまない……了解した』
通信を終えた瞳が鋭のほうに顔を向ける。
「桐崎さん、あなたも防衛線に加わって下さい」
「……まさかお前、一人で行くつもりか?」
信じられないという表情で訊ねる鋭に向かって瞳が頷く。
「元々私は彼女を止めるために四国への配備を志願しました。その役割を果たすだけです」
決意の込められた瞳の言葉に、鋭は頭を掻いてひとつため息を吐いた後、迷いを振り切るように述べた。
「……いや、俺も行く」
「でも……」
刈谷たちと同じく獣人である鋭も、彼らと同じように本能的な恐怖を覚えているはずだ。その証拠に彼の表情から普段の自信は失われていて、不安から強張っているように見えた。
「女の子一人で置いていける訳ないだろう。相手の攻撃は俺が引き受けるから、止めは頼んだぞ」
恐怖を跳ね除け力強くそう告げる鋭に、瞳が小さく笑いかける。
「ありがとうございます。でも、あんまり簡単にそういうことを言わない方が良いと思いますよ」
「はぁ……? いいから行くぞ」
そうして瞳と鋭は大きな具現化の音が鳴り響く方向へ向かって慎重に歩を進めていった。
「まずいわ……押されている」
[刻印されし者達]と[具現者解放戦線]との激しい戦いが繰り広げられている森林地帯を越えた先、小高い丘の上に設置された仮設基地の司令部で、指揮官を務める伊集院寧音が焦りを含んだ声でそう呟く。
寧音は自身が持つ『集音』の具現化能力を駆使して守備隊に敵兵士の位置を的確に伝えていたが、それ以上に獣人たちの動きは速く指示を受けた隊員が攻撃を行う頃には既に姿を消している。さらに天羽千弦の『弓』の具現化能力を持つ仮面兵士まで加わった[具現者解放戦線]の勢いは凄まじく[刻印されし者達]側の被害は増すばかり。このままでは敵がこの基地にたどり着くのも時間の問題だ。せめて私が戦場の近くで直接指揮を取れればもっと素早く対応できるのだが、盲目のうえ戦闘力を持たない寧音が一人で戦場に出るのはあまりにも危険過ぎる。瞳も、他の皆も私よりずっと危険に晒されているというのに、寧音は自分の無力さを情けなく思う。
「どうすれば……」
寧音の脳裏に、数年前の政府軍により神奈川基地が襲撃された時の記憶がフラッシュバックする。あの時も、私は倒れていく仲間たちの声を聞きながら何もできなかった。私はまたあのときと同じことを繰り返すのか?
「伊集院さん!」
唐突に誰かから名前を呼ばれ、寧音がはっと顔を上げる。この声は。
「犬飼くん……?」
そこにいたのは[刻印されし者達]広島基地にて待機しているはずの犬飼勉だった。どうして彼が四国に?
「はい、犬飼です。現在の戦況は……聞くまでもなく芳しくはなさそうですね」
戦況の把握に集中していた寧音は犬飼が司令部のドアを開けて室内に入ってくるまでその存在に全く気がついておらず、犬飼が一目で分かってしまうほどすっかり余裕を失くしていた。
「すぐに救援へ向かいましょう」
犬飼が手招きすると、ドアの前で待機していた何名かの人間が司令部に入室してきた。広島基地の隊員はそのほとんどが各地へ出払っており、司令官漆原の代理を務める柳木をはじめ必要最低限の人数しか残っていない。この危機に救援へ駆けつけてくれたのは助かる。だが数人の戦力が加わったところで焼け石に水でしかない。
「でも、この人数じゃ……」
「安心してください。数は少ないですが、一人ひとりが百人力に相当する戦力ですよ」
犬飼が合図すると、目が見えない寧音のために各自が具現化能力を発動し音を鳴らす。それを聞いた寧音が驚愕の声を上げた。
「あ、あなたたちは……!」