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鉄の具現者(くろがねのエンボディ)  作者: 匿名希望
第六部 全面戦争編
171/202

167.兄妹

 轟一馬は高校を卒業するのとほぼ同時に、突如として家族の前から姿を消した。ただ、彼が失踪したのは父親や妹の双葉が思っていたように厳しい修練に耐えきれなかったのでも双葉にその役目を押し付けて逃げたのでもなく、実はまったく別の理由があったことを誰も知らない。

 確かに空手道場の師範である父親から受ける修練は苛烈で、特に実の息子である一馬に対する指導は常軌を逸すると言っても過言ではなかった。ただ一馬は激しい鍛錬に耐えうる肉体と双葉にはない闘争心、そして何より愛する妹を自分と同じ目に遭わせはしないという強靭な意志を持ち併せていた。自分が父親の望む結果を出せば双葉にその矛先が向くことはないと考えた一馬は、双葉を守りたい一心で父親の期待に応え続け、気付けば高校生ながら日本でも有数の実力者としてその名を知られるまでになった。

 当時は双葉も道場での修練に参加させられてはいたものの、父親の情熱はほぼすべて一馬に対して注がれ、双葉に目を向けることはほとんどなかった。そのことに一馬は大いに安堵していた。実際のところ双葉は一馬と同様に体格にも才覚にも恵まれてはいたが、心優しく暴力を嫌う彼女のメンタルは格闘技に全く向いていなかった。このまま平穏に日々を過ごし高校を卒業する頃には親元を離れて自由になれるはずだ。しかし一馬のその目論見は、ある出来事によって脆くも打ち砕かれることとなる。

 日々の修練や試合で蓄積したダメージによるものか、精神的なプレッシャーによるものか原因は定かではなかったが、ある時期を境に一馬の右眼は徐々に、しかし確実に変調をきたしていった。特に天井の明かりや太陽の光が目に入ると異様に眩しく感じるようになった。父親に隠れて訪れた病院で下された診断は『白内障』。手術によって治療は可能、しかしある程度の視力低下は避けられないとのことだった。格闘家にとって視力の低下は致命的、もし父親にそれが知られたら。一馬が使い物にならないと分かれば、次に餌食になるのは間違いなく双葉だ。

 思い悩んだ一馬はある人物に助けを求めることにした。一馬と双葉にとって血を分けた肉親である母親、彼女は二人を産んだ後、父親が果たせなかった夢を子供たちに背負わせる狂気的な姿、そして自身にまで及んだ虐待に近い暴力に耐えられず離婚し、現在は遠く離れた地で暮らしていた。

 一馬は何とか母親の居場所を探し出して一人でそこを訪ね、双葉の保護を頼み込んだ。中学生である双葉を父親から引き離すには、そうする他に方法が考えられなかった。しかし答えは残酷なものだった。

「あなたたちを自分の子供とは思っていない、もう関わらないでくれ」

 一字一句はっきりと覚えてはいないが、凡そこのような内容を何度も言われたのだと思う。問答を繰り返していると、部屋の奥から小さな子どもが姿を現し、母親を守るように足へ抱きついた。そこでようやく一馬は気付く。彼女はとうの昔に過去を捨て去り、新たな人生を歩み始めていたのだと。

 冷静になって考えれば、ようやく手にした平穏な暮らしを脅かされるかもしれない恐怖に襲われた母親の気持ちも理解できる。しかしこのとき長年に渡って受けた肉体的、そして唯一の希望だった母親の言葉による精神的苦痛が臨界点を超えたことで、一馬は『怒張』の具現者(エンボディ)へと覚醒した。

 一馬が次に気付いたとき、彼の身柄は東京都内の具現者収容施設に拘束されていた。後に母親と幼い息子は無事だと聞かされた一馬は心の底から安堵した。しかし具現者となった一馬は二度とその施設から出ることを許されず、双葉や父親ら関係者の記憶も改竄され一馬は突然家を出て失踪したとして処理された。一馬自身も具現化能力研究の実験素材としての役割を果たした後に記憶を調整され政府の従順な警備兵(ガード)となる予定だったが、ある人物によってその運命が変わることとなる。

「轟一馬くん。君の妹は現在とある反政府組織に囚われている。彼女を救い出すため、私に力を貸してくれないか」

 そう言って彼に手を差し伸べたのは、後に[刻印されし者達(エングレイブ)]を裏切り楽園都市(エデン)を築く凪野響子その人だった。


 過程はどうあれ一馬が何も言わず双葉のもとを去ったのは紛れもない事実だ。もとより言い訳をするつもりもなく、一馬の口から直接語られる機会も永遠に失われた。しかし双葉はその事実を、意外な形で知ることとなる。

 兵庫監獄基地での戦いが[刻印されし者達]側の敗北によって終結した後、兵庫基地司令官、須藤が仕掛けた爆破によって崩れ落ちた瓦礫の山から戌井の具現化能力『嗅分』を頼りに捜索が進められ、轟一馬、双葉兄妹の身柄が発見された。いかに強靭な肉体を持つ二人でもこの惨状の中無事であるとは考えられず誰もが諦めかけていたが、上から覆い被さった一馬の下にいた双葉は奇跡的に生存を果たしていた。文字通り肉の盾となった一馬は死してなお、上空から降り注ぐ瓦礫によって押し潰されることなく、最後まで双葉を守り切ったのだ。

 すぐさま医務室へ運ばれ治療を受けた双葉には一馬との戦いで負った以外の外傷はほぼなく、しばらくしてベッドの上で目を覚ました。

「轟!」

 声の方へ顔を向けると、車椅子に乗った[刻印されし者達]岡山基地司令官の百々原が心配そうな表情で双葉を見つめていた。どうして百々原司令官がここに?

「……戦いは?」

 双葉が訊ねると、百々原は無念そうに首を横に振った。

「我々の負けだ。須藤以下兵庫基地幹部は敗北の前に既に逃亡し行方をくらませている」

「そう……ですか」

 守れなかった。悔しさが滲み出すが、隊員たちの多くは無事のようで、そのことに双葉はほっと安堵した。

「ただ、轟一馬……君のお兄さんは助からなかった」

 百々原がそう言うと、医務室のドアの前で見張りをしていた[具現者解放戦線(E・L・F)]の兵士が視線をこちらに向ける。その表情は、どうして一馬が死ななければならなかったのかという怒りを言葉よりずっと雄弁に物語っていた。

「はい、分かっています」

「君は……強いな」

 取り乱す様子もなく落ち着いた心でその事実を受け止める双葉に、百々原の方が泣きそうな表情を見せる。

「いえ……その、実は」

 言い淀みながら双葉が具現化能力、そして獣化(ビーストモード)袋の姉妹(シスター・ルー)』を発動した瞬間、百々原とその奥にいた兵士の表情が哀しみと怒りから驚愕へと変貌する。

「大丈夫か双葉、どこか痛むところは!? お腹は空いていないか!?」

「へ、平気だから少し落ち着いて……お兄ちゃん」

 そう言いながら何もない場所から具現化され現れたのは、百々原が映像で見て知っているより幾分サイズの小さい、だがそれ以外は紛れもなく轟一馬の姿そのものだった。


「本当に……轟、一馬なのか?」

「ああ」

 百々原が双葉に目を向けると、彼女も頷いて肯定した。

「はい、間違いありません」

「彼は生きて……いるのか?」

「いや、俺はあのとき間違いなく死んだよ」

 本人の言うとおり、一馬は降り注ぐ瓦礫に全身を潰され生命を落とした。しかしその瞬間、一馬と双葉の間に言葉では説明できない不思議なことが起こっていた。おそらく身体が触れている状態なら声に出さずとも意思の疎通ができる獣化の特性や双葉が別人格を生み出すことのできる『分身』の具現者であること、それらの偶然が重なって一馬の記憶が双葉の中に流れ込み新たな人格として形成されたのだと思われた。そして双葉と一馬は記憶を共有することで離れ離れになってからのお互いの身に起きた出来事と真実を知るに至った。

「具現化能力や獣化というのは、まだまだ分からないことだらけだな……」

 説明を受けても未だ信じられない表情でまじまじと一馬の姿を見つめる百々原。

「君にはもう我々への敵意は無いんだな?」

「ああ。そもそも俺が新政府に協力していたのは双葉が安全に暮らせる場所を作るためだ。双葉がそれを望まない以上、手を貸す理由はない……それに」

「それに?」

「双葉と記憶を共有する以前から、俺は[刻印されし者達]の隊員も双葉と同じく救うべき対象だと考えていた。部下たちにもそう伝えている」

 百々原の質問に対し一馬がそう答えると、ドアの前に立っていた兵士も深く頷いた。爆破によって基地が崩れた瞬間、一馬は通信機越しに自身が率いる[具現者解放戦線]の全兵士に向けて『敵味方を問わずできる限り多くの生命を救え』と最後の指示を出していた。もしそれがなければさらに多くの生命が失われていたことだろう。

「お前たちを残して先に逝く不甲斐ない指揮官ですまなかった。だが、多くの生命を救い勝利したお前たちのことを俺は誇りに思う」

「『憤怒(ラース)』様……ありがとう、ございます」

 一馬が労いの言葉をかけると、兵士はその場に跪き涙を流して喜んだ。一連のやり取りからも兵士たちが一馬に対し心から忠誠を誓っていることが窺える。彼の言葉に嘘はない、百々原はそう判断した。

「轟一馬。君の考えは、我々のそれと一致している」

 百々原がそう言うと、跪いていた兵士が怒りを露わにして詰め寄る。

「隊長を卑劣な罠に嵌めた奴らが何を言っている! もしあの命令が無ければ貴様らなど……!」

「やめろ」

 思念体の一馬が兵士を制止する。

「戦場に出る以上、もとより死は覚悟の上だ。それで、何が言いたい?」

「あの愚か者(須藤)には理解が及ばなかったようだが……我々は凪野と協力して平和的にこの戦争を終わらせようと動いていたんだ」

「凪野……?」

 百々原の口から出た凪野の名に一馬がぴくりと反応を示す。詳細を説明すると、一馬は驚愕しつつも納得の表情を浮かべた。

「こちらの情報が全て筒抜けになっていたとはな。俺が鍛え上げた精鋭部隊がここまで苦戦した訳がようやく分かった」

「それでもこうして敗けるのだから戦力の差は歴然だ。このままでは凪野が神園を止めるより先に[刻印されし者達]が壊滅しかねない。君の力で、他の楽園の使者たちを説得して侵攻を収めることは可能か?」

「無理だな」

 百々原の問いかけに対し一馬は、考えるまでもなくきっぱりとそう言い切った。

「……理由を聞いても?」

「俺と同じように他の使者たちにもそれぞれ戦う理由がある。それに、今でも凪野に従う意志があるのは尽と光くらいのものだろう。俺は元々そこまで信用していなかったが、他の奴らは深く信頼していた分裏切られたショックも大きい。凪野より神園を選んだ結果が、この戦争だ」

「そうか……そうだな」

 初めから無茶な提案だと理解していた百々原は食い下がることなくため息をついて納得した。

「ただ、無闇に人の生命が失われるのは俺も本意じゃない。あくまで双葉を守るために、今後直接対峙することがあれば説得してみよう。それと、戦争を止めるつもりなら火種を増やさないためにも俺が死んだことはまだ公にしない方が良い。周知させるために部下たちを一箇所に集めてくれないか?」

「承知しました」

 そう言うと兵士は急いで部屋を後にし、百々原も席を外したため双葉と一馬だけが部屋に残された。

「私たちもお兄ちゃんたちも、みんな凪野さんに騙されていたんだね……」

 ふつふつと双葉の心に凪野に対する怒りの感情が湧き上がっていく。凪野が双葉を使って一馬を新政府に引き入れていなければ、二人が戦うことも一馬が死ぬこともなかった。

「ああ……そうだな。だけどこうして口車に乗せられていなかったら、二度と双葉に会うことも、真実を知ることもなかった。その点で言えば、俺はむしろあの人に感謝しているよ」

「お兄ちゃん……」

 ベッドから起き上がった双葉の身体を、思念体の一馬が抱き締める。久方ぶりに感じる兄の温もりはとても懐かしく、自分より身体が小さいことなど少しも気にならなかった。ルーとランも双葉の心の中で二人を見守っている。ようやく訪れた束の間の平穏、それを破るように兵士たちを集めに行っていた兵士が息も絶え絶えに部屋へ駆け込み、報告した。

「神園総司令の命で配属された仮面の兵士がどこにも見当たりません!」

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