16.模倣者
「どういうことか説明してください!」
会合場所の喫茶店を後にして車に乗った途端、ものすごい剣幕で凪野に詰め寄る鋼太。久々に再会を果たした秀治と他にも話したいことは山ほどあったはずなのに、あまりにも強烈すぎる事実を前に鋼太の心の中はとてもそれどころじゃなく、その先はほとんど会話が頭に入ってこなかった。秀治は調査のためしばらく神奈川の実家に滞在するとのことだったので、また次の報告のタイミングで改めて話そうということでその場はお開きとなった。
「何のことかな?」
「模倣者技術の開発者が凪野さんだって話ですよ! どうして今まで黙ってたんですか!?」
「まあまあ、そんな怖い顔しないで」
「はぐらかさないでください!」
「別に騙していたとかそういうわけじゃない。言うタイミングがなかっただけなんだ」
「じゃあ今説明してください」
なおもしつこく食い下がる鋼太に対し、凪野は諦めたようにひとつため息を吐いて「少し長くなるけれど」と前置きをしてから、慎重な素振りで話し始めた。
「そうだな……どこから話そうか。君は、石動くんが組織に入った経緯は聞いている?」
鋼太が頷く。石動は模倣者の技術が開発されるより以前、苦痛や恐怖によって強制的に具現者として覚醒させる研究のために親に売られた実験体だということを鋼太は石動本人の口から聞いていた。だがそれと何の関係が?
「それなら話は早い。私は、かつて政府から派遣され、その施設で働いていた研究員の一人だったんだ」
あの施設で働いていた。つまり、凪野が石動をあんな姿に変えた張本人だって? 明かされる凪野の過去に、強烈な嫌悪とともに具現者の血がにわかに騒ぎ始めるのを鋼太は感じた。
「気持ちはわかるが、落ち着いてくれ」
そう言われてはっと我に返る。しばらく忘れていた、怒りに身を任せてしまいそうになる感覚。
「石動さんはそのことを?」
「もちろん知っているよ。当時はお互い面識もなかったけれど。彼は私の配属以前に具現者に覚醒していて、別の棟に移されていたんだ」
石動も凪野のことは何も言っていなかったし、特に思うところのあるような様子もなかった。ならば自分が口を出すことではないのだろう、鋼太は自分にそう言い聞かせ、必死に心を落ち着ける。
鋼太自身は気付いていないが『具現者が傷つくことに対する嫌悪』は、深層心理で同じ心に傷を持つ者同士の仲間意識がそうさせる、具現者が持つ本能のようなものだった。もちろん凪野はそれを知っていて、だからこそ事実を伝える時期を慎重に図っていたのだが、今は何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうと思われた。
「当時の私は若く、研究者として具現者の能力を科学的に解明し社会の発展に役立てるという夢に燃えていた。具現者研究の最先端と呼ばれる施設への派遣が決まったときはとても嬉しかったよ」
だから凪野は、嘘偽りなく素直に鋼太へ事実を伝えることに決めたのだった。
「だが、その場所は私が想像していたものとは全く違っていた。あの頃は毎日が地獄だったよ。眠っていても瞼の裏に浮かぶんだ。子どもたちが苦痛に泣き叫ぶ姿が」
ふう、と凪野が呼吸を整える。その唇は少し震えているようにも見えた。
「そこで私は独自に肉体的な苦痛に代わる人工記憶を使った具現者覚醒の方法を考案した。それが現在の模倣者技術の原点だ」
理不尽な責苦を受ける子どもたちがこれ以上増えないように。しかしその願いは。
「最初はまったく取り合ってもらえなかったが、5年前の実験体脱走事件によって風向きが大きく変わり、私は新たに模倣者技術研究の責任者に任命された。しかし結局のところ模倣者技術も根本的な問題の解消には至らなかった。人工記憶にするトラウマの強度が低ければ能力も弱まる。最終的に研究の方向性で政府と対立し任を解かれた私は、政府の誤った考えを正すため[刻印されし者達]に入り、今に至るというわけさ」
その後、政府は記憶洗浄によって集めたトラウマと記憶操作によって洗脳した人々を実験台として技術を確立、模倣者を量産し始めた。神園のセミナーもその流れをさらに広げていくための一手なのかもしれない。
「これで納得してもらえたかい?」
「……取り乱してすみませんでした」
少し考えれば彼女がそんな人間ではないとわかるはずなのに。鋼太は凪野を疑い、悪意を向けてしまった自分を強く恥じた。
「こちらこそ黙っていたのはすまなかった。この際だから、他に知りたいことがあれば答えるけれど」
「……どうして埼玉基地は模倣者の技術を使っているんですか?」
[刻印されし者達]には『記憶とは他の誰にも冒されてはならない己の魂に深く刻まれた印である』という絶対不変の信念がある。そして、人工記憶を埋め込むという模倣者の技術は明らかにその信念に反している。だから神奈川基地に模倣者は一人も存在しない。しかし埼玉基地には秀治をはじめ多くの模倣者がいるという。なぜ、このような矛盾が起きているのか。
「それは私個人だけじゃなくこれまで[刻印されし者達]が辿ってきた歴史に関わる話になる。10年前に一度壊滅してから、[刻印されし者達]は三つの派閥に分裂したんだ」
「三つの派閥……」
それは鋼太にとって初めて耳にする情報だった。そういえば秀治との会話の中で神奈川と埼玉は犬猿の仲だと凪野が言っていたことを思い出す。
「派閥はそれぞれ『自然派』『中庸派』『過激派』と呼ばれている。そして、各派閥におけるもっとも大きな違いは記憶操作に対する考え方だ」
まずひとつ目の派閥である自然派は、いかなる理由においても一切の記憶への干渉を禁じている。元来[[刻印されし者達]の考え方は自然派で、他の二つは15年前の組織壊滅後に生まれた派閥だった。広島基地を本拠地とし比較的政府の支配が緩い西日本で活動しており、政府から逃れた避難民たちが暮らす居住区の多くを自然派が管轄している。
次に最大派閥であり鋼太たち神奈川基地が所属する中庸派。中庸派では捕らえた敵兵士の記憶読取や消去、具現者のメンタルケアのための記憶洗浄など、政府との戦いにおいてどうしても必要な最低限の記憶干渉のみ可としている。「どっちつかずの日和見主義」と揶揄する声もあるが、[刻印されし者達]の誇りを保ちながらも現実を見て政府打倒のために最善を尽くす合理性と柔軟な考え方を持つ派閥だ。組織の本部がある大阪を拠点とし、関西を中心に具現者の救助はじめ幅広い地下活動を行っている。また自然派とは協力関係にあり戦闘面を中庸派が、避難民の安全と生活を自然派がそれぞれカバーしている。
最後に埼玉基地が所属する過激派。その呼称通り、彼らは政府を倒すためなら手段を選ばない。敵兵士の洗脳や恐怖心を失くす精神麻薬の使用など本来の[刻印されし者達]の信念から大きく逸脱した記憶干渉や一般人に危害が及ぶことも辞さないその強硬姿勢から自然派、中庸派とは敵対しており、名前は同じでも現在ではほぼ別の組織と化している。本拠地は愛知にあり、名古屋市にある日本最大の地下街を管轄下に置き、違法な品の取引によって莫大な資金を得ているという噂もあるが確証は得られていない。
「私は組織に入る際、自分自身を彼らに信用してもらうため[刻印されし者達]初期メンバーの生き残りで各派閥トップの集まる前で模倣者の研究も含め知っていることを全て話した。その中の一人が模倣者の技術に興味を持ち、自分達も研究を始めると宣言した。それが現在の過激派のリーダーだ」
「そんなの、政府とやってることが同じじゃないですか!」
「もちろん他の二人は猛反対し、元々意見が合わなかった各派閥の亀裂は決定的なものになった。ただ、結果的には模倣者が組織の大きな戦力になっているのは紛れもない事実だ。基本的に具現者は覚醒した時点で政府から追われる身になるが、模倣者は元々一般人だから記憶洗浄にさえ気をつければ社会に紛れても気付かれない。埼玉基地が諜報を得意としているのもそのためだ」
秀治も[刻印されし者達]でありながら大学生として普通の生活を送っている。また、偶然発生的な具現者に比べ模倣者は能力の強度は劣るが人数と連携で十分にカバーできるため、現在埼玉県では[刻印されし者達]が政府を押してかなり優勢な状況となっている。対して神奈川は特に政府の模倣者が多く出現し始めてからは目立った成果を挙げられていない。
「でも……」
「もちろん過激派が正しいとはまったく思わない。だから私は中庸派の神奈川基地に所属している。はじめに言った通り、私の夢は具現者の能力を科学的に解明し社会の発展に役立てることだ。私は今『具現化』と『トラウマ』を切り離して精神への影響なく能力を発動させる方法を研究している。具現化能力を完全に制御し誰もが安全に使えるようになれば、具現者も模倣者がトラウマに苦しめられる必要はなくなる」
それこそ夢のような話だ。果たしてそんなことが本当に可能なのだろうか。でも、もし実現できたなら。鋼太の胸が大きく鼓動する。
「もう少し考えがまとまってから伝えようと思っていたんだが……まあいいだろう。実は、君の複数能力が、行き詰まっていたこの研究の現状を打破する大きな可能性を秘めていると私は考えているんだ」
凪野はそこで一度言葉を区切ると、まっすぐ鋼太の目を見つめて言った。
「私の研究に、君の力を貸してくれるかい?」
「……喜んで、協力させてもらいます」
確かに凪野は模倣者の技術を開発した張本人だが、その過ちを正そうと必死にもがいている。この歪んだ世界と具現者を救う役に立てるなら、彼女の申し出を断る理由はひとつとして存在しない。鋼太はもう一度、全てを守り抜く誓いを新たにしたのだった。




