164.三位一体
「双葉、お前は下がってろ。まずはアタシたちだけで行く」
「な、何を言っているの! 私も戦うに決まっているでしょう!?」
『分身』の能力で具現化された思念体であるルーの言葉に戸惑いを見せ身を乗り出そうとする双葉を、反対側からランの手が制止する。
「実体を持たない私たちはある程度無理が利くが、双葉が大きなダメージを負えば私たちの姿も維持できなくなる。そのリスクは極力避けたい」
「でも……」
「別に黙って見てろって言ってる訳じゃねえ。アタシたちが必ず隙を作るから、そこに一発デカいのをブチ込むのが双葉の役目だ」
なおも食い下がる双葉の肩をポンと叩きルーが笑う。
「……分かった」
渋々ながら納得する双葉。思念体である二人が死ぬことは無いと分かっていても、彼女たちだけを危険に晒すのは双葉の本意ではない。だが確実に勝利するためにはそれが最善の策だ。
「心配するな、私たちは負けない。行くぞ、ルー!」
そう言うやいなや弾かれるように前方へ飛び出したランが、一馬の顔面を目掛け全力の蹴りを放つ。
「む!」
獣化『蟹の王』の装甲を纏った巌山大志の巨体を薙ぎ倒す威力の飛び蹴りを、一馬は右腕一本で受け止める。すぐさまランが空中で身体を捻り反対の脚で二発目の蹴りを一馬の側頭部に向けて繰り出そうとすると、一馬もそれに合わせるように左の拳を撃ち放った。
「危ない!」
襲いかかる砲弾のような速く重い拳、しかしランは空中で蹴りの軌道を変え脚を肩に当てた反動で後方へ跳び、一馬の拳は空を切った。
「ガラ空きだぜ」
視線を向けると、そこには言葉通り無防備に曝け出された一馬の左脇腹を狙い定め右腕を振りかぶるルーの姿。
「オラァ!!」
突き刺さった拳の衝撃で一馬の身体が吹き飛び、監獄基地の壁に激突して地面に落ちる。それでもびくともしないところを見るとこの建物の頑丈さは相当のもののようで、やはり『監獄基地』と呼ばれるだけのことはある。ここなら周囲を気にすることなく思い切り暴れられる。
「双葉の手を煩わせるまでもない、私たちだけで叩きのめしてやる」
ランがルーの隣に並び立ち、小気味よいリズムでステップを刻む。
双葉が過去に[刻印されし者達]神奈川基地にて入間翔との特訓で習得した、状況に応じて上半身または下半身に具現化能力を集中させる戦闘スタイル。そのうちルーは『変身・剛腕型』、ランは『変身・俊敏型』の特性を受け継いでいる。ルーのパワーとランのスピード、さらに双葉の意識を介して思考を共有することで二人は互いの長所を活かし短所を補い合う抜群のコンビネーションを自然に生み出していた。
「立てよ。さすがにこれで終わりじゃねえよな?」
確かに手応えはあった。だがこの程度で倒れる相手ではないことは双葉を通じて兄である一馬をずっと見てきた彼女たちも十分に理解している。
「当たり前だ」
何事もなかったように立ち上がる一馬。そうこなくっちゃな。まだまだこんなもんじゃ私たちがずっと溜め込んできた憤りを晴らすにはまったく足りない。
「今の攻撃でお前たちは双葉を騙る偽物だということがよく分かった。人工知能か何か知らんが、やはり双葉は何者かによって操られているようだな」
一馬は姿形が今より少し幼い頃の双葉によく似た何者かの攻撃を『怒張』であえて受けてみせ、それが自分のよく知る妹のそれではないことを確信するに至った。
「ならば容赦はしない。貴様らを破壊してその支配から双葉を救い出す」
一馬の的外れな推測に、ルーが思わずプッと吹き出して笑う。
「双葉と違う? 当たり前だ。アタシたちは双葉を虐待の苦しみから守るために生み出された存在、双葉が憧れ慕っていたテメエの姿も投影されてるに決まってんだろ」
その瞬間、二人の背筋を凄まじい悪寒が駆け抜ける。
「それ以上、双葉の顔と声で血迷い事を吐くな!」
ルーの言葉に激昂した一馬が獣化『一角獣』を発動し爆発的な速度で二人に迫る。それにいち早く反応したランが応戦しようと脚を上げるが、一馬は『変身・俊敏型』のランを軽く凌駕するスピードで蹴り出すより先に脚を掴むと、そのままランの身体を思い切り地面に叩きつけた。
「ぐうっ!!」
「テメェ!」
ルーの放った拳が一馬の顔面を捉える。しかし一馬は『変身・剛腕型』の強烈なパンチに微動だにもせず、返す刀で『一角獣』の頭突きの如く鋭い拳をルーの腹に突き刺した。
「がはっ!!」
くの字に折れ曲がるルーの身体、しかし彼女は吹き飛ぶことなくその場に留まっている。パンチを受けた瞬間に一馬の拳を掴み、その身に抱え込んでいたからだ。
「鬱陶しい……!」
もうひとつの拳でさらに追撃を行おうとするが、何故か腕が動かない。見ると、地面に叩きつけられたランが全身で一馬の腕を押さえつけていた。
「今だ、双葉!!」
ランが叫ぶ。一馬がはっと顔を上げると、凄まじい怒りと闘志を剥き出しにした表情の双葉が自分に向け拳を振り上げているのが、視界いっぱいに映し出されていた。
「はああああああっ!!」
ルーの拳では微動だにもしなかった一馬の身体が、全身全霊を込めた双葉の一撃を受け吹き飛び背中から地面へ落下していった。
「双葉……!」
「ルーちゃん、ランちゃん……大丈夫?」
「ああ……よくやったな、双葉」
父親のように直接暴力を受けたわけではないが、トラウマを構成する主な要素のひとつであり恐怖の対象だった一馬を殴り飛ばしたことは、双葉にとって非常に大きな意味を持っていた。
「双葉……」
掠れた声で呟かれたその言葉に、双葉たちが再び身構える。
「確かに今の拳は双葉のものだ……こんなに痛いものだとはな。これまでに受けたどんな責め苦よりも、ずっと」
その場でゆっくりと立ち上がった一馬のゴーグル越しの目は深い悲しみと絶望を湛えているように色を失い、それと相反するように握り締めた両の『熱拳』は燃え上がるほどに熱を帯び赤く染まっていく。
「だからこそ、俺の拳はどこまでも硬く、強くなる」
一馬の全身から具現化の力が溢れ出し、その威圧感に思わず押し潰されそうになる思念体の二人。しかしその中でも双葉は足が竦むことも身体を震わせることもなく、ルーとランに優しく微笑みかけた。
「ルーちゃん、ランちゃん。やっぱりこの戦いは、私自身の手で決着をつけたい」
「それは……!」
不安そうに双葉を見つめる二人。しかし双葉の決意は一切揺らぐことはなかった。
「だから、二人も私に力を貸してくれる?」
ルーとランが視線を合わせ頷く。もう答えはひとつだった。
「分かった」
「頑張れよ、双葉」
ルーとランの全身が光に包まれ、双葉の元へ吸い込まれていく。三人の身体が溶けるように混ざり合い、ルーのパワーにランのスピード、そして双葉自身の力がひとつになった『変身・万能型』がここに完成した。
「あなたを倒し、私をずっと縛り付けてきた過去の記憶を乗り越える」
身体中に力を漲らせながら、兄に向かって堂々と双葉が言い放つ。そこにこれまでずっと付き纏っていた迷いや恐れの感情は微塵も残っていなかった。
「……聞き分けのない子供を正しい道に引き戻してやるのも兄の役目だ。多少痛くても、我慢しろよ」
閉ざされた監獄の中で張り詰めた空気が破裂するように互いに向かって飛び出す双葉と一馬。長きに渡るひとつの兄妹の因縁を巡る、最後の戦いが始まった。