14.窮地
階段を上って8階に到着し辺りを注意しながら歩いていた鏡は、日曜日で休みの会社が多く人影がまばらだったことも手伝って思いのほかすぐに目的の人物を見つけることができた。
「神園を発見」
『様子は?』
「一人です。誰かと電話で話してる。もう少し近づいてみます」
『了解、気を付けて』
携帯電話を耳元に当てたまま歩く神園の後ろ姿を、鏡が音もなく追っていく。何を話しているのか、まだ声は聞こえない。少しずつ歩くスピードを上げ、じりじりと近づいていく。徐々に周囲から人の姿が消え、あたりが静けさに包まれる。彼はどこへ向かっているのだろうか。組織が調べた限りでは、この建物内に政府と深く繋がっている企業はないはずだが……。
前を歩く神園が通路を左に曲がり、姿が見えなくなる。そのまま歩き続け神園が曲がった場所のすぐ手前にたどり着いたとき、予想外に近い場所から聞こえたひどく冷たい声に、鏡は思わずその場で立ち止まった。
「お前たちは10年前から何ひとつ変わっちゃいない。愚かな野蛮人どもが」
鏡が左目に声の主の後ろ姿を捕らえる。同時に反対側から迫る凄まじい殺気。命の危険を感じてすぐさま後ろに跳び下がった鏡の脇腹に激痛が走る。咄嗟に視線を落とすと、鋭く尖った透明な刃が鏡の右の脇腹に突き刺さり、ジャケットの下の白いシャツに真っ赤な染みを滲ませていた。
「ぐぅっ……!」
苦悶の表情を浮かべながら、手刀で武器を持った腕を叩き落とす。パリン、という何かが割れる音と同時に相手が後ろに下がって距離を取る。傷口を押さえている左手が妙に冷たい。よく見ると腹部に刺さっているそれは、なんと刃物ではなく氷の塊だった。
「……」
鏡と相対しているのは、灰色がかった髪に青色の瞳を持つ、どこか異国風の顔立ちをした少年だった。その目からは一切の感情が読み取れず、ただどうやって目の前の相手を片付けるかということしか考えていないように見える。
「白銀、ここは任せる。先ほども言ったが、くれぐれも殺すなよ」
「……わかってるよ」
白銀と呼ばれた少年は神園に向かって小さく返事をした後、再び鏡の方へ向き直る。右手に透明な液体の入ったペットボトルのような容器を取り、蓋を開けて左手に振りかける。すると左手に触れたそばから水が凍っていき、鏡に刺さっているのと同じ鋭い剣のように成形されていった。どうやら彼は触れたものを凍らせる具現化能力の持ち主らしい。
「上司に伝えておけ。貴様らのようなテロリストに世界は救えないと」
吐き捨てるようにそう述べた神園の足音が徐々に遠ざかり、鏡の前に白銀が立ちはだかる。
「命令だからな。簡単に死んでくれるなよ」
白銀が氷の剣となった左手を振りかざし鏡に襲いかかる。紙一重でそれを躱すと、今度は右手が伸びてきて鏡の腕を掴もうとするのを身を翻してさらに躱す。壁についた白銀の右手から凄まじい冷気が放出され、一瞬にしてその部分が氷漬けとなるのを見て鏡は肝を冷やした。氷の剣よりもこっちの方がずっとヤバい。掴まれたらその瞬間に氷漬けにされて一巻の終わりだ。
『[カメレオン]、応答を! 大丈夫か?』
「神園に気付かれました。現在敵の具現者と交戦中」
『応援は?』
「こっちは何とかするので神園の捕獲を優先してください」
『……了解。[ハミングバード]は引き続き神園の位置報告を頼む』
『わかりました。神園は……8Fからエレベーターで下降しています』
[刻印されし者達]の存在に気づかれても、自分の位置が筒抜けになっていることを神園が知る由はない。たとえ警戒されていたとしても落合と飛田なら必ず捕縛を成功させる。それならばこのままこの護衛の具現者を釘付けにして時間稼ぎをするのが最善の策。そして神園を捕らえた皆が応援に来るまで持ち堪えればこっちの勝ちだ。
「ちょこまかと……」
回避に集中し、脇腹を押さえながら激しい攻撃をなんとか回避し続ける。氷で形作られた鋭い刃が何度も身体を掠め、スーツや頬を切り裂く。しばらくすると、刺さった氷で傷口が冷やされていたおかげで鈍っていた痛みが、激しい動きによって氷が溶けたせいで再びよみがえってくる。溶けた水に混じった鮮血がオフィスの廊下に点々と落ちる。どうやら傷は思った以上に深い。このままではやられるのはもう時間の問題だ。頼む……早く捕まえてくれ。
『え……!?』
縋るような思いで苦痛に耐える鏡の耳に届く残酷な知らせ。
『どうした、[ハミングバード]』
『タグが……消えました。神園の位置を把握できません……!』
『何だって! 制限時間か?』
『まだ十分時間はあるはずです。どうして……? こんなこと今まで一度もなかったのに……』
おいおい、マジか……。瞳の悲痛な告白に、極限まで張り詰めていた鏡の気持ちがふっと切れかけ、痛みに意識を持っていかれそうになる。原因は不明だが、位置の把握という圧倒的なアドバンテージを失ったことは、神園の捕縛が限りなく困難になったことを意味していた。
神園は殺すなと言っていたが、[刻印されし者達]のメンバーは組織に関する情報漏洩を防ぐため、政府に捕まると悟った時点で仕込んでおいた薬品を使って自害することが定められている。神園の身柄となら最悪自分の命を交換しても良いかと思っていたが、逃したんじゃただの犬死にだ。こんなことなら早く応援を呼ぶべきだったか……いや、ここへ誘い込まれた時点でもう結果は決まっていたのだろう。
『どうするんだ。位置が分からなきゃ捕縛は無理だぞ』
『くそっ……なら俺は[カメレオン]の援護に向かう』
『おい、待て!』
「いや、もう間に合わへん。スマン、ボクはここまでや」
「時間稼ぎは終わりか?」
能力の影響で全身から白い冷気を立ち上らせた白銀がゆっくりと近づいてくる。血を流しすぎたせいか身体に力が入らない。視界も掠れてきた。意識を失ってからでは遅い。そろそろ覚悟を決めるか……。鏡が自害用の薬品を体内に注入するスイッチを押そうとした、その時だった。
『窓のほうに向かって走ってください!』
もうほとんど諦めかけていた鏡の耳に、必死で叫ぶ鋼太の声が、確かに届いた。
「車を大通りへ! [オクトパス]は大通りに出てビルの側で待機を!」
マンションの階段を駆け登りながら鋼太が指示を飛ばす。同時に心の中で「生成」と唱え、右手に鉄パイプを出現させる。そのまま最上階まで上がり「後で直すので、ごめんなさい!」と謝りながら施錠されていた扉を鉄パイプで破壊して屋上に出る。大通りを挟んだ向かい側に、全面をガラス窓に覆われたオフィスビルの姿がよく見える。
「変形・銃型」
目を閉じて集中しそう呟くと、真っ直ぐの棒だった鉄パイプが少しずつ分解、変形、そして再び結合し、最終的にライフル銃のような形状になって鋼太の右手に収まった。多少形が不恰好なのは、まだ能力の扱いに不慣れなのとモデルにしたのが手作りのパイプ銃だからだった。
鋼太は地下街の武器屋で偶然見つけたパイプ銃をヒントに、自分が持つ二つの具現化能力『鉄パイプ生成』と『発火』を組み合わせて銃を具現化するアイデアを思いついた。そして地下街から帰ってからこの任務が始まるまで、ひたすらその訓練に没頭し続けた。具現化には使用者のイメージ、想像力が重要になるため、鋼太は買ってきたパイプ銃を何度も分解しては組み立て、時には石動の知恵も借りながら銃の構造を理解し、脳内で再構築することを繰り返した。そして今、鋼太は頭の中で描いたライフル銃のイメージを現実に具現化したのだった。
しかし、オフィスビルに向かって銃を構えたところで、鋼太は自身の重大な過ちに気付く。
「ここからじゃ遠すぎる……」
鋼太の持つライフルにはスコープの類が装着されておらず、訓練したとはいえ素人に毛が生えた程度の鋼太の射撃技術ではスコープも無しにこの距離の狙った場所を正確に撃ち抜くのは不可能だった。どうする、どうすればいい。また、自分は大切な仲間を失うのか?
「ちょっと……待って……!」
突然走り出した鋼太を追って息を切らしながら屋上へ駆け上がってきた瞳を見たとき、鋼太はとっさに閃いた。
「頼む小鳥遊、手伝ってくれ!」
「えっ?」
瞳は一瞬だけ戸惑った様子を見せたが、鋼太の言葉と右眼に収めた構えている銃の向けられた先、地上にいる落合の姿からすぐさまその狙いを理解した。右眼から一瞬にして凄まじい量の情報を取得する瞳は、それらを瞬時に処理して状況を把握する高い計算能力も兼ね備えている。
瞳はひとつ深呼吸して息を整えると、鋼太の背中に回り込んで銃を持つ手に上から自分の手を重ね、右目で8Fのフロアと地上にいる落合を結ぶ線上の窓に照準をぴたりと合わせた。
「撃って!」
「点火!」
瞳の合図と同時に鋼太がそう叫ぶと、鏡たちのいるオフィスビルに向かって炸裂音とともに一発の弾丸がパイプ銃から放たれた。
「いい加減、大人しく捕まってくれないか」
白銀は苛立っていた。神園は簡単に言うが、相手を殺さずに無力化するのは単純に殺すより何倍も難しい。ひと目見てすぐにわかった、目の前のこの男のように具現者との戦闘に慣れている者なら尚更だ。だから本来自分の流儀に反する不意打ちによって致命傷までには至らない一撃を入れ、動きを鈍らせてから手足を凍らせて捕らえようと算段していたが、この男は自分が想像していた以上にしぶとかった。先ほど一度は諦めかけたようにも見えたが、再び目に光を取り戻して後退しながら白銀の攻撃を必死に回避し、いまだ時間稼ぎを続けている。
不意打ちによる腹の傷は深く、このまま戦い続けてたら失血死は免れない。それにこれ以上時間をかけて他の仲間に来られても面倒だ。命令違反ではあるが仕方ない、殺すか……。そう考えて白銀が左手に力を込めると、空気中の水蒸気を集めて凍らせることで氷の剣がより大きく、鋭く、禍々しい形になっていく。
「そろそろ終わりにしよう」
白銀が左手を振り上げ、鏡の心臓に狙いを定める。自分をここまで手こずらせた相手に敬意を表し、これ以上苦しまないようひと突きで終わらせようとしたそのとき、突如凄まじい音と同時に白銀の背後で大きな窓ガラスが割れ、破片がビルの廊下に飛び散った。
『飛び降りて!』
白銀が破壊された窓ガラスに一瞬気を取られて動きを止めたその隙に、鏡は最後の力を振り絞ってその脇を通り抜け、割れた窓から空中へその身を投げ出した。
「頼むで……落下死は勘弁してくれよ……」
鏡はそう呟き、落下しながら意識を手放した。
『[オクトパス]!』
「任せろ!」
鋼太の狙い通り落合は『緩衝』の能力を発動し、空中から落ちてきた鏡をしっかりと受け止めた。鏡は顔面蒼白で意識を失っており、シャツは腹部からの出血で真っ赤に染まっている。重傷だ。一刻の猶予も許されない。
飛田が『鞭』の能力で伸ばした腕で鏡の身体を包み、車の中へ引っ張り入れる。石動がすぐに救急ベッドを展開して鏡を横に寝かせた。
「[カメレオン]を回収した。全員車に戻れ。すぐにここから脱出する」
石動が全員に向かって指示を飛ばす。
「まずい、警備兵が来てるぞ!」
落合が言った通り、オフィスビル内から次々と銃を構えた警備兵が向かってくる。そしてあろうことか白昼の市街地で、警備兵たちは石動たちに向かって次々と発砲し始めた。
「おい、危ねえな!」
落合が前方に飛び出し、能力を使って向かってくる銃弾を受け止める。止められた弾丸はそのまままっすぐ地面に落ち、辺りに転がっていった。
「全く、通行人に当たったらどうするつもりだ」
落合の背後から現れた飛田が鞭に変形させた両腕を伸ばして警備兵の持っている銃を次々と叩き落としていく。さらに飛田は両足も変形させ合計4本の鞭を駆使し全ての警備兵を縛り上げて拘束した。
「放電」
拘束された警備兵たちに石動が右腕に装着した機械を向けて能力を発動すると、電流が発射口から放出されまとめて感電、無力化していく。具現者の三人が相手では、いくら人数を揃えても警備兵程度ではまったく相手にならない。
時を同じくして、割れたオフィスビルの窓からのぞく一人の男を、鋼太はじっと見つめていた。白銀もまた、マンションの屋上に立っている銃を持った鋼太の姿を見下ろしている。鋼太は鏡に重傷を負わせた憎むべき敵として、白銀は任務失敗の原因となった邪魔者としてお互いの姿をそれぞれ認識し合った。
「何してるんですか! 早く車に戻らないと」
「ごめん、すぐ行く!」
そう遠くない未来、必ずまた相対することになるだろう。確かな予感を胸に、鋼太は振り返らずその場を後にした。




