12.地下街
翌朝、マンションの下で迎えを待っていた鋼太と鏡の前に、一台のワゴン車が停止した。運転席のドアが開くと、大きな人影が窮屈そうに身を屈めながら降りてくる。
「……ごめん、待った?」
「いや全然。ありがとうございます、石動さん」
石動さん、と呼ばれた人物がこちらに歩いてきて目の前に立ったとき、そのあまりの威圧感に鋼太は一瞬言葉を失っていた。2メートルに届きそうな程の長身に、全身を包む黒いロングコート越しにもわかる屈強な肉体。体格だけ見ればおそらく自衛隊出身の鮫島よりも大きい。さらに鋼太の金髪のように人工的に染めたのではあり得ない程の真っ白な髪の毛と鼻から下を完全に覆っているマスクの間から覗く鋭い眼光。その風貌はどう見ても只者ではなかった。
「は、はじめまして。黒鉄鋼太です」
「……どうも」
気圧されながらもかろうじて自分の名前を口にした鋼太に対し、彼はその巨体からは考えられないほどのか細い声でぼそりと短く返答した。
「この人は石動雷斗さん。[刻印されし者達]の基地の設計からボクらが普段使っているあらゆる武器やメカの開発まで担当してる、すごい人なんやで」
本人から引き継ぐように、鏡が代わりに紹介する。
「そ、そんなすごい人に運転させていいんですか?」
しかも切らしたインスタントラーメンの買い出しのために。
「……僕も必要な部品とか買いに行くつもりだったから、問題ない」
驚く鋼太に向かって石動が答える。彼はその見た目から誤解されやすいが、とても物静かで朴訥とした青年だった。
「……じゃあ、行こう」
「よろしくお願いします」
石動が運転席に戻っていくのを見送りながら、鏡は助手席と後部座席のどちらに乗るのかと鋼太がちらりと横目に見るが、なぜかその場から動こうとしない。
「乗らないんですか?」
「いや、ボクは用事あるから行かへんよ」
「え?」
この人は何を言っているんだ、という目で鏡を見つめる鋼太。そんな様子にお構いなく鏡が背中を押し、あれよあれよという間に鋼太は助手席に詰め込まれた。いや、アンタが行こうって言ったんじゃないか、と言うより先に車が発進し、鋼太は手を振って見送る鏡の姿が小さくなって見えなくなるまでずっと、恨みがましい目で見つめ続けた。
地下街とは、酒類や煙草をはじめとする政府によって規制された物品の取引が行われている闇市で、その多くが地下にあることからそう呼ばれている。その規模はさまざまで、小さいものも含めれば全国に数十ヶ所存在しているとされるが、神奈川ではほとんどの地下街が政府によって検挙されてしまい、あと一ヶ所しか残っていない。
その残された最後の地下街に向かう車内で、鋼太は気まずさにその身を苛まれていた。ただでさえ初対面なうえに石動は鏡のようにおしゃべりなタイプではないため何を話せばいいのかわからず、出発してから車内に沈黙が流れ続けている。そもそも自分は出掛けるつもりなどなく鏡に無理やり連れ出されたというのに、なぜこんな思いをしなければならないのか。だんだんと腹が立ってきた。
「……ごめん、ちょっと能力使うね」
自動車のハンドルを握ったまま石動が言う。直後、石動の右手から閃光がほとばしったかと思うと、すぐに何事もなかったかのように治まった。
「今、何を……?」
頭に微かに響いた音によって石動が能力を使用したのは分かるが、何が起きたのかはまったく分からなかった。
「……充電した。この車、電気自動車なんだ」
戸惑いながら質問する鋼太に石動が答える。
「石動さんの能力で?」
「……うん。体内で発電して、右手から放出する能力」
「それじゃあこの車、石動さんが充電し続ければ永遠に走り続けられるってことですか?」
「……僕の体力が続く限りは」
なんて便利な能力だろう。その能力があれば携帯ゲームもスマートフォンも充電要らずじゃないか。
「すごい……どうやってそんな能力……」
言い出してから「しまった」と思い直す。具現者になったということは、すなわちそれに関する何かしらのショックやトラウマを抱えているということ。決して安易に聞くようなものではない。ヤバい、怒られるかも……。
「……模倣者って、知ってる?」
しかしその予想に反して、鋼太が謝るより先に石動が続けて話し始めた。
『操作』の男が模倣者であったことは鋼太も鏡から聞かされている。そして、具現者の記憶を移植することで強制的に能力を発現させるこのおぞましい研究が実用化され、普及し始めていることについても。鋼太が「はい」と答えると、石動はずっと正面を向いていた顔を少しだけ鋼太の方に向けた。マスクに覆われた口元がもごもごと躊躇うように動いたかと思うと、ひとつ区切りをつけるように小さく息を吐いた。
「……僕は、模倣者の研究が始まるよりもっと昔、苦痛や恐怖による人工的な能力覚醒の研究に使われていた実験体だった」
そこからまるで世間話のような軽い口ぶりで石動から語られた内容は、模倣者の研究が易しく思えるほどの政府によるあまりにも非人道的な行いの数々だった。石動が7歳のときに政府に売られてから実験と称して肉体的にも精神的にもあらゆる責め苦を受けたこと。実験体の子どもは他にもたくさんいたが、ほとんどが耐えられずに死んでしまうか、能力の副作用でおかしくなってしまうかのどちらかだったこと。石動自身も能力の強制的な発現によって無理に強化された身体が元に戻らなくなってしまったこと。なかなか相性の合う能力がない中、電気ショックによる発電能力だけが唯一定着したことでそれ以上の実験を免れ、なんとか生き残ることができたこと。
苦痛に耐えるため肥大した肉体、尋常ならざるストレスにより色素が失われた毛髪、マスクとコートの下に隠された夥しい虐待の傷跡。石動から語られる話をはっきりと裏付けるそれらの事実を前に鋼太は言葉を失い、ただ呆然と石動の横顔を見つめていた。
「……今から5年前、僕が17歳になったとき、ある一人の実験体が暴走して研究所を破壊した。[炉心溶融]と呼ばれる事件だ」
実験体が暴走した理由は明白だった。こんな扱いを受けて政府に恨みを抱かないはずがない。その後、政府の記憶操作によって事件は人々の記憶から闇へと葬り去られることとなるが、暴走した具現者は未だ逃亡中であり、この研究自体も中止され模倣者の研究へシフトしていくこととなる。
「……その騒ぎに乗じて僕を含め多くの実験体が脱走、ほとんどの実験体は捕まったけど、僕は運良く[刻印されし者達]に保護された。今は主に電気自動車で人や物を運ぶ運転手と、基地の設備や武器を開発、修理するメカニックの役割を任されてる」
最後に石動は、この車もいろいろ改造してあるんだ、と照れたように呟いた。
「石動さんが[刻印されし者達]にいる理由は……政府への復讐のためですか?」
普通に考えたら至極当然のことを鋼太があえて尋ねたのは、過去を語る石動の様子がとても冷静で、どこか他人事に思っているようにさえ見えたからだった。
「……それがまったくないと言えば嘘になるけど、どちらかといえば僕は争いより、組織の仲間を失いたくない、守りたいという気持ちの方が強い」
大切な仲間たちが少しでも生き残る可能性を上げるために装備を開発し続ける。それが、石動雷斗がここにいる理由。
「自分を苦しめた政府を、自分自身の手で打ち倒したいとは思わないんですか?」
適材適所といえばそれまでかもしれないが、鋼太の耳には先ほどの石動の言葉が、自分は安全な場所にとどまったまま周りに責任を負わせるための言い訳のように聞こえて、つい口調が荒くなってしまった。だって、そのせいで自分の代わりに他の誰かが死ぬかもしれないのに。
「……もちろん助けてもらった恩があるし、組織の皆は大好きだ。でも、だからと言って[刻印されし者達]の方針を全面的に支持しているわけじゃない」
「えっ……!?」
その言葉に鋼太は完全に不意を突かれた。組織の方針に賛成しない。そんなことが……あってもいいのだろうか?
「……ちゃんと御堂さんのテストは受けてるから、安心して」
自身に対して嘘や悪意を持つものを炙り出す御堂の『真実の手』。つまり石動雷斗は[刻印されし者達]の敵ではない。でも、完全に同じ志を持っているわけでもない?
「……何を正義とし、何を悪とするかは人それぞれの自由だ。ただ、それを正確に判断するには、君はまだこの世界について知らないことが多すぎる」
山道を軽快に走り続けていた電気自動車が、何の変哲もない場所で停止する。
「……きっとこの場所も世界を知るひとつのきっかけになるはず。着いたよ、地下街に」
トンネルに入り、しばらくのあいだ薄暗い地下道を車のライトで照らしながら進んでいくと、急に明るい場所に出た。前方に鋼鉄製のゲートがあり、その前で車を停止させて運転席の窓を開けると、あまり綺麗とは言えない服装の肩にライフル銃を携えた男性が近寄ってきて石動に話しかけてきた。男性が口にくわえている、先から煙のようなものが出ているあれはまさか……?
「よう、石動さん……おや、隣は?」
「……こんにちは。彼は神奈川基地の新しい仲間です」
「そうかい。よろしくな、ボウズ」
男性は石動と顔見知りのようで、[刻印されし者達]のことも知っているらしい。男性が仲間に合図を送ると、大きな音を立ててゲートが開かれた。通り抜けてまた少し進むと車が何台か並んでいる駐車場があった。空いている場所に車を停めて車内から降りると、空気がとても冷たく感じられた。
「……この地下街は、工事の途中で建設中止になったトンネルを利用して造られているんだ」
その言葉通り、そこは壁から天井までコンクリートで覆われた幅10mほどの半円状の空間がゲートの部分からずっと続いていて、奥は突き当たりとなっていた。本来はゲートのある場所がトンネルの入り口にあたるのだがそこは土で完全に塞がれており、別の入り口を掘ってそこから地下道を繋げることでカモフラージュしている。
トンネルの横側に等間隔で設置されたライトが中を照らしていて、その下には壁に沿うような形でさまざまな店が並んでいる。その様子はさながらお祭りの屋台のようだった。地下街の中ほどへ近づいていくにつれ、ひんやりとした山の空気が熱気と色々な匂いが雑然と混ざったものへと一気に変わっていく。
「うわあ……!」
鋼太は目の前に広がる光景に、どうしようもなく胸を高鳴らせていた。申し訳程度に床に敷かれたシートの上に凪野の研究室にあるようながらくたにしか見えない機械や何か良く分からないパーツが並べられている店。カウンターの背後に本がぎっしりと詰められた大人の身長ほどもある棚がいくつも鎮座している店。さすがにセキュリティ対策がされているのか、プレハブ小屋のドアのところに「ARMY」と看板が出ている店。さらに奥の方には雑貨屋や、食べ物を出している店も見える。その店の前には丸テーブルがいくつも並んでいて、たくさんの大人たちが椅子に座って何かを飲みながら喋っているのが見える。そのどれもが、漫画で見た断片的な知識から想像していたものを超えるリアルさで鋼太のあらゆる感覚へ訴えかけてくる。
「これ……全部政府によって禁止された物なんですね」
「……そうだね。政府から不要だと切り捨てられ、人々の記憶から失われた物たちの行き着く先がここだ」
石動が機械部品の並ぶ店に向かって歩いていくのに鋼太もついていく。
「……おっちゃん、久しぶり」
「おお! 石動さんじゃないか」
店主は石動の姿を見るととても喜んでいた。先ほどのゲートの人といい、石動はこの地下街の人たちからとても好かれているようだ。
「……どう、景気は」
「さっぱりだな。取り締まりがさらにキツくなって仕入れもままならん。この間も運び屋が一人捕まった。客も減り続けてるし、そろそろここも潮時かも知れん」
「……そっか。危なくなったら早めに逃げるんだよ。うちから安全な居住区域に送ることもできるから、必要だったらいつでも言って欲しい」
「ありがとよ。でも、いまだに残ってるような奴らは全員この場所と心中するつもりだ。自分の生まれ故郷からは離れられんもんさ」
「……そうだね」
石動がマスクの下で寂しそうに微笑んだ、ように鋼太には見えた。
それから石動は商品を物色し、パーツ類をいくつか購入した。
「……好きなところ見てきなよ。あとで合流しよう」
「わかりました」
鋼太は石動と別れ、しばらく他の店を見て回った。特に心惹かれたのは本屋で、なんと『路上伝説マサキ』も売っていた。所々抜けている巻があって全部は揃っていなかったが、手にとって見るととても懐かしく感じた。賢治に借りていたのは何巻だったか……病院に置いてきてしまったのが心残りだった。
少し小腹が空いたので何か食べようかと歩いていると、店の外のテーブルで酒を飲み、煙草をふかしている人々の様子が見えた。情報としては知っていたが、鋼太は生まれて初めて酔っ払いというものを目の当たりにした。顔を真っ赤にして大声で喚く大人たちはすごく『生きている』感じがして、鋼太はそれを羨ましく思った。
「黒鉄くん?」
その声に振り返ると、買い物を終えて両手に荷物を抱えた石動がそばに立っていた。
「……何か、気になった?」
「いや……すごく、賑やかだなって」
そのときの鋼太はこの見慣れない非日常の光景に少しばかり興奮して浮き足立っていた。しかし反対に、石動の目は冷めきっている。
「……さっき僕が、組織を全面的には支持していないって言った理由は、父親が酒で身を滅ぼして借金を背負ったせいで、僕が政府に実験体として売られたからなんだ」
石動の言葉によって、どこか熱に浮かされていたような気持ちがすうっと冷めていくのを鋼太は感じた。
「……もし[刻印されし者達]が政府を倒したら、人々はここにあるものたちに再び触れることになる。それが本当に正しいことなのか、僕にはわからない」
もし石動が子供のころ、すでに政府によって酒が禁止されていたならば彼は政府に売られていないかもしれない。それはひとつの可能性でしかないけれど。
「……それでも、僕らは迷いながら前に進むしかない。何が正しかったのかは、後の歴史が決めることだ」
「歴史が……」
「……何が正しくて何が間違ってるのかを立ち止まって考え過ぎるのは、あまり意味がないってことさ」
心の中でぐちゃぐちゃに絡まっていた糸が少しずつ解けていく感覚があった。思えばみんな言っていた。結局最後に決めるのは自分自身だと。その道は間違っているかもしれない。あとで後悔するかもしれない。それでも進むしかないのだ。他の誰でもない、己が選んだ方向へ。
「帰りましょう」
「……楽しめた?」
「はい。すごく良い気分転換になりました。ありがとうございます」
「……そっか。それなら、良かったよ」
鏡さんは、ここまで予想していたのだろうか。あの人なら、あり得るかもしれない。帰ったらお礼を言おう。そして、相棒としてふさわしい存在になれるようにもっと頑張ろう。決意を新たに、鋼太はポケットの中にある、先ほど「ARMY」の看板を掲げた店で購入した弾の入っていないハンドガンをお守りのように握りしめた。




