11.鉄の具現者
戦いの後、救援にやってきた[刻印されし者達]のメンバーたちによって人質にされていた女性職員を含め児童要素施設に暮らす全員が保護され、鋼太たちも一緒に神奈川基地へと帰還した。
他人の行動を操る『操作』の能力を持った男は赤井照吾の一撃により首の骨が折れて死亡していたが、その他の警備兵は記憶を消した状態で寝かされているため、後ほど政府が回収に来るはずだ。
帰還したその足で鋼太と鏡は御堂のいる司令室へ向かった。ノックをして入室すると、部屋の奥で机に肘をついて二人が来るのを待っていた御堂と、その後ろに護衛として控えている鮫島の姿があった。
「任務の報告に来ました」
「ああ、頼む」
机の前に二人で整列し、鋼太が報告を始める。一連の事件に具現者である赤井照吾が関わっていたこと、警備兵に追われていた赤井を救助した際に不用意に能力を見せたこと、それが原因で人質を取られ、結果的に赤井を死なせ任務が失敗したことを御堂に謝罪した。深く頭を下げたままいつまでも顔を上げようとしない鋼太に、御堂が声をかける。
「落ち込むな、とは言わない。だが、あらゆる経験を糧に前に進んでいくことが、生き残った者が死者のために唯一できることだと忘れるな」
御堂が下がっていい、と伝えると鋼太は一礼し、鏡とともに顔を俯かせたまま退室していった。御堂が険しい表情のままため息をつく。
「黒鉄真紀が関係していると思うか?」
政府にとっては研究用の実験体を一体逃した程度のことでしかないはず。それが職を解かれるほど責任を追求される理由は。
「その可能性は大いにあります。あの具現者が生きていれば記憶を探ることもできたんですが……」
記憶というものは当然、持ち主が死ねば永遠に失われる。記憶射出機構はあくまで脳と読取装置を繋ぐ変換器であり、個人情報以外の記憶を保存する機能は備えていない。男が死んだことで鋼太の母親に関する手がかりは永遠に失われてしまった。
「終わったことを悔やんでも仕方がない。それより今回もまた能力を持つ者が現れたとなれば、いよいよ我々も具現者狩りに対する認識を改める必要があるな……」
今回のように具現者との直接的な関連が不明な状態の調査は、これまでの政府なら能力を持たない一般人の警備兵のみで行うのが常だった。しかし最近はこのようなケースでも具現者が現れることが多くなっている。つまり、政府側に具現者の数が増えているのだ。しかも急速に。
「本格的に政府の模倣者実用化が進んでいるようですね」
模倣者。それは具現者が能力を発動するトリガーとなる記憶に似せた人工記憶を脳に移植することで強制的に能力を発現させた一般人である。鋼太が具現者に覚醒した記憶治療センターで行われていたのがまさに模倣者の研究で、鏡が潜入していたのもまだまだ発展途上である政府の模倣者技術がどこまで進んでいるのかを探るためだった。
現在の模倣者技術には欠点が二つ存在する。ひとつは各人の人格ごとに覚醒する能力の種類、トラウマの強度に大きな差異があり、最適なものを探し出すのに多くの手間と時間が必要になること。もうひとつが、あくまで疑似的な記憶のため自分の身を以て体験した元となる具現者の能力に比べるとおよそ半分程度の出力、効果しか得られないこと。『操作』の男の能力が具現者である赤井や鋼太たちには効かなかったのもそのためで、かける労力に対して得られる戦力が少ない、つまりコストパフォーマンスが低いことが模倣者がなかなか大規模な普及にまで至らない最大の理由だ。
なぜ政府はそれでもなお模倣者にこだわり、戦力として具現者を利用することに消極的なのか。その理由は具現者の行動が予測不能で制御が難しい点にあった。具現者の能力が発現する心理プロセスは非常に複雑かつ繊細であり、記憶操作によって考え方や性格にほんの少し変化が生じるだけで能力がまったく発動しなくなってしまうことがある。規律と統制を重んじる政府軍にとって、記憶洗浄によって一般的な警備兵のように意思を持たない従順な兵士として扱うことができない具現者を戦力として数えるのはあまりにリスクが大きすぎた。
逆に[刻印されし者達]をはじめとする反政府組織は、それに頼らざるを得ないという理由はあったにせよ具現者の能力を最大限に活かすことによる個の力で強大な政府の戦力に対抗し、こうして勢力を広げてきたのだった。
しかし今後さらに研究が進み、天然の具現者には及ばないまでも様々な能力を持つ模倣者が一般化すれば、政府と[刻印されし者達]のパワーバランス崩壊は免れない。
それを防ぐためには、とにかく政府に具現者を奪われないことが重要だった。具現者の記憶の数だけ新たな模倣者が生まれる可能性が高まる。おそらく今後は能力発動の音を感知できる模倣者が政府の具現者狩りの主力となっていくはず。つまり必然的に敵として政府の具現者に相対する機会も増えるということだ。
「明日から対具現者の戦闘訓練を増やそう。それから、各基地の隊員に具現者救出パトロールの強化と政府の具現者狩りへの注意を喚起するよう大阪本部に伝えてくれ」
「了解」
その準備に取り掛かるため鮫島は司令室を後にした。残された御堂は椅子に深く腰掛け、ひとつため息を吐く。今後、特に政府の本拠地である東京都に近い神奈川エリアでの政府との抗争はさらに激化の一途を辿るだろう。そのときには間違いなく黒鉄の力も必要になる。だからここで折れるんじゃないぞ。御堂は静かにそう祈った。
同じ頃、司令室を後にした鋼太は報告が終わってから顔を出すように言われていた研究室で、凪野に能力で発動した燃え盛る鉄パイプを見せていた。
「もしかして、という可能性は考えていたが、本当にそうだったとはな……」
凪野は目の前で起きている現象に驚きを隠せない様子で興味深そうに見入っている。困惑する鋼太に、凪野が真剣な眼差しを向け説明を始める。
「まず大前提として、基本的に具現者の能力は一種類しか持つことができない。その理由は、簡単に言えば具現者として覚醒するほどのショックやトラウマの記憶が二つあった場合、古い方の記憶はどうしても薄れてしまうからだ。だからひとつの能力の幅が広がることはあっても、複数の能力が同時に共存することはこれまでになかった」
しかし鋼太は実際に『鉄パイプを創造する能力』と『炎を発生させる能力』を同時に発動している。これはいったいどういうことなのか。
「君のトラウマが『鉄パイプを持った暴徒たちに襲われた』ことであれば、普通はもっとその記憶に嫌悪感を示し、忘れてしまいたいと思うはずだ。でも君はずっとその記憶を奪われることを拒み続けた。それはなぜだと思う?」
「……父さんの記憶だから?」
「その通りだ。記憶操作によって消されるのを逃れた君にとって唯一の父親に関する記憶であり、さらに君はそれを15歳の今になってから初めて認識した。これらの偶然が重なったことで、自分が襲われたことではなく父親を守れなかったことに対するトラウマへと記憶が変容したと思われる」
「守れなかった……」
「そうだ。君は父親を守れなかったことで鉄パイプを具現化する能力を手に入れた……ここまで言えばもう分かるね?」
赤井照吾を『守れなかった』ことで、鋼太は彼を象徴する発火の能力を手に入れた。
「さらに言えば、今回の経験を経たことで、君が元々持っている鉄パイプ生成の能力も大きく向上している。つまり君の具現化能力は、大切な人を失った痛みの数だけ強くなる。まさに、打てば打つほど硬く強くなっていく『鉄』のように」
凪野の真剣な眼差しと言葉をどう受け止めるのが正しいのか分からず、鋼太は黙って顔を俯かせた。
「……というのが私の予想だ。あくまで予想だから、本当のところはわからない。でも、君が具現者の新たな可能性を秘めた存在であることは間違いない。だから今後、万が一にも君を政府に奪われるわけにはいかなくなってしまった。個人的には、そのリスクを避けるためにも君は神奈川基地から離れるべきだと私は思う」
「そ、そんな……」
突然の宣告に言葉を失う鋼太。そんな彼に対し凪野が言葉を続ける。
「最終的には君の気持ちと、司令官の判断に任せることになる。ただ、そういう意見もあるということだけは頭の片隅に置いて欲しい」
鋼太が[刻印されし者達]にいる理由は、母親を探すためだ。だからここを離れるという選択肢はあり得ない。しかし、凪野の真剣な眼差しを前に、鋼太は沈黙を貫くことしかできなかった。
翌日、祈りを捧げるだけの略式的なものではあったが、基地内で赤井照吾の葬儀が執り行われた。そのときに鋼太は事件以来初めて女性職員と対面した。明日には居住地へ向かうため施設の人々と共にここを発つらしい。
「[刻印されし者達]のみなさんには本当にお世話になったわ。黒鉄くんも、ありがとう」
「いいえ……自分は、何も」
あれは仕方がなかった。みんなもそう言ってくれているし、頭では理解している。でも、照吾を身代わりにして自分が生き残ったのは隠しようのない事実だ。いっそのこと、もっと責めてくれたほうが気が楽なのに、とさえ思ってしまう。
「……照吾くんは、君の人生の重荷になることを望んでいないと思う」
「え……?」
「具現者について、いろいろ教えてもらったわ。あなたも照吾くんも、それが原因で政府に追われていたということも。でも照吾くんはきっと、境遇が似ているとか、そんなことに関係なく君のことを助けたはず。そういう強さと優しさを持っている子だって、私はよく知っているわ」
自分よりずっと長い時間を赤井照吾とともに過ごしてきた彼女の言っていることのほうが正しいことを、鋼太もわかっている。それでも思ってしまうのだ。鋼太が具現者でなかったら、母親を探していることを照吾に言ってなかったら、今頃運命はどのように変わっていたのか。自分の身体に赤井照吾の炎が宿ったのは、復讐のためではないのか。わからない。自分はこれからどうするべきなのか、何が正しいのか、考えれば考えるほど、わからなくなっていく。
御堂や凪野のときと同様に言葉を発することができないでいる鋼太の右手を女性職員がそっと取り、両手で包み込んだ。
「君はきっと今とても大きな使命感や責任を感じていて、そこから逃げられないと思っている。でも、辛いときに辛いと言うことや、逃げたり休んだりすることは悪いことじゃない。本当に大切なのは君自身がどうしたいか。それだけは忘れないで」
自分はこれからどうしたいのだろう。あれからずっと、色々な人からの色々な言葉が鋼太の頭の中を駆け巡っている。
葬儀の翌日、児童養護施設の人たちが出発するのを見送ってから、鋼太も鏡とともに地上のマンションへと戻った。二人にはその日から三日間の休暇が与えられていたが、何もやる気が起きずその日鋼太はほとんどベッドの上で一日を過ごした。
鏡は用事があるのかずっと外出していて、帰ってきたのは夜遅くになってからだった。帰宅からしばらくして、鋼太の部屋がノックされる。返事をするとゆっくりとドアが開けられ、廊下の明かりが室内に入ってくる。
「なあ、晩飯もう食べた……って暗っ! 寝てた?」
「あー……ちょっと疲れてて、今起きました。何か作りましょうか?」
鋼太は咄嗟に嘘をついた。本当はいつの間にか夜になっていて、辺りがすっかり暗くなっていることにさえ気付いていなかった。鏡は当然その嘘に気付いていたが、そこには触れなかった。
「いや、ええよ。じゃあ今日は久々にインスタントラーメンでも食うかぁ」
「えっ?」
「どした?」
「インスタントラーメンがあるんですか?」
栄養バランスの悪さから生産停止となり、漫画でしか見たことのなかった、あのインスタントラーメン? 忘れていた空腹感が急に蘇ってくる。
「うん、前に地下街で買ったのがまだ残ってたはず……」
そう言って鏡はキッチンへ向かった。
「ゴメン、無かったわ。出前でも取ろか」
「そーっスか……」
がっくりと露骨に肩を落とした鋼太を見て、鏡がふと何かを思い出したかのように尋ねる。
「……明日って、なんか予定ある?」
「いや……特に無いですけど」
そう答えた鋼太に向かって、鏡がニヤリと不敵な笑みを浮かべた。




