10.火の玉のように
「止まれ」
施設を目前にした鋼太たちの前に現れたのは、警備兵が四人とその真ん中に立つ妙な格好をした男が一人、そして警備兵のうちの一人からこめかみに向け銃を突きつけられた、昼間に施設で会った女性職員の計六名。
「先生っ!?」
赤井が叫ぶ。拳銃を突きつけられた女性は言葉を発することもできない様子で恐怖に顔を青ざめ、目に涙を浮かべながら体を震わせている。
「やあやあ、待っていたぞ」
制服を着ている警備兵たちの中で一際目立つ、ゴテゴテとした装飾の施されたやたらと派手な出立ちをした小太りの男が鋼太たちの前に立ち、横柄な態度で喋り出した。おそらく彼がこの中で一番偉いのだろうが、身長が鋼太と同じくらいしかないためあまり威厳が感じられない。
「我々の代わりに具現者を捕まえてくれてご苦労だった。さあ、こちらへ彼を引き渡したまえ。我々も今ここで[刻印されし者達]と事を構えるつもりはない。ターゲットさえ確保できれば大人しくここから立ち去ろうじゃないか」
敵は赤井照吾の身柄と引き換えに女性を解放する、いわゆる人質交換を提案してきた。もっと早く基地から応援を呼ぶべきだったと後悔するがもう遅い。ちらりと鏡のほうを見るが、何を考えているのか心が読めない。どうする? いったいどうしたらいい?
「オレがアンタらに捕まれば、先生を解放してくれるんだな?」
そう言って赤井が寄りかかっていた鋼太の肩から離れ、自らの足で立つ。鋼太が伸ばそうとした手を振り払い、赤井が彼らのほうへ向かってずんずんと歩いていく。そして鋼太たちと敵のちょうど中間あたりにたどり着いたとき、女性も警備兵から拘束を解かれ、赤井のほうへ歩き出す。
チャンスはここしかない。相手の人数は多いが、鏡と二人ならきっと制圧できる。そう思って鋼太が具現化能力を発動するタイミングを計っていた次の瞬間、女性は背中に隠し持っていた拳銃を正面に立つ赤井に向けた。
「先生……!?」
「体が動かせない。操られているの……」
女性が嗚咽を漏らしながら言う。最初に相対したとき、彼女は声を出すことを封じられていたのだった。
「なーっはっはっはっは!! 私の能力は『操作』、触れた者を意のままに操る能力だ。これで人質が二人になったな。さあ、そいつをこっちへ連れて来い!」
男の命令に従い、女性が両手を上げた赤井に銃を突きつけたまま戻っていく。赤井はなすすべもなく警備兵たちから両手を後ろにロープで縛られ、地面に座らされた。そして女性は男の盾になるような位置に立たされる。
「卑怯だぞ! 何が目的だ!」
鋼太の言葉に、男が嫌らしい笑みを浮かべる。
「くくく……それは、お前だよ、黒鉄鋼太!」
「な……!?」
予想外の答えに、鋼太が絶句する。
「私は本当に運が良い。ただの具現者狩りだと思って来てみれば、まさか半年前に取り逃がしたネズミにまた会えるとは! お前のせいで私は記憶治療センター管理長の任を解かれ、こんなドサ回りばかりさせられる羽目になった! だがこの手柄を持って私は再び中央へ舞い戻るのだ!」
男の高笑いが響く中、鋼太は今更ながら先ほどの自分の行いを後悔した。おそらく赤井に能力を見せたとき、近くに迫っていた敵にも見られていたのだ。そして敵は当初の作戦を変更し、鋼太を捕まえるために施設の職員を人質に取った。つまり鋼太が不用意に能力を曝け出したことが、この事態を招いてしまった全ての原因だった。
「さあ、両手を上げてこちらへ来い。もう一人の方も武器を捨てて両手を上げろ。少しでも妙な動きをすればこいつらの命はないぞ。その程度の記憶操作、なんとでもなるからな」
男の言葉に、鏡が先ほど倒した敵から奪った銃を捨てて両手を上げる。鋼太も両手を上げ、一歩ずつ歩き出した。
どうする。どうすればいい。考えろ。この状況を打破する方法を。周りを見ろ。隙を見つけろ。何か。何か。そのとき、不意に赤井と目が合った。赤井は、鋼太に向かって不敵な笑みを浮かべている。
おい、何する気だ。鋼太がそれを口に出す間もなく、赤井は能力を発動して腕を拘束していたロープを焼き切ると、すぐさま立ち上がり、雄叫びのような声を上げて男のほうへ向かって走り出した。
「ウオオオォッ!」
「な、何だ!?」
その声に驚き振り向いた男が恐怖の表情を浮かべる。全身に炎を纏った赤井の姿は比喩でも何でもなく、まさしく火の玉のごとく燃え盛り、そのまま男の身体に向かって一直線に駆け抜けていく。
「う、撃て!!」
男の怒号とともにいくつもの連続した発砲音が夜の街中にこだまする。そのうちの一発、鏡が隠し持っていたもう一つの銃から放たれた弾丸は、男に操られていた女性の持っていた銃だけを的確に打ち抜き、残りの弾丸すべてが赤井の身体を貫いた。しかし勢いはいっさい衰えることなく、噴き出す血液さえも燃え上がり、赤井はまるで火の鳥が空へ羽ばたくように飛沫を散らしながら高く跳び上がった。そして、大きく振りかぶった右腕に向かって全身を纏っていた炎がまるで意思を持っているかのように集まっていく。
「先生にあんな真似させたテメェだけは、オレの手でぶっ飛ばす!」
炎が一点に集約しあまりの熱で光り輝く拳を男の顔面に向かって思い切り振り抜くと、肉と骨がぶつかる凄まじい音とともに男の身体が吹き飛んだ。男は地面に激突したあと数メートルにわたって転がり続けてようやく止まる。そして男は何度か身体を痙攣させた後、その場でまったく動かなくなった。
「照吾くん!」
男が意識を失ったことで能力が解け自由に動けるようになった女性が、殴った勢いのまま前のめりに倒れていく赤井を抱き止める。
「あァ……先生。ケガは?」
「うん……大丈夫だよ……照吾くんのおかげで……!」
「なら、良かった……」
「照吾!」
鏡とともに残りの警備兵を片付けた鋼太も赤井の元へ駆け寄る。赤井の身体は至るところに銃弾による穴が空いた見るも痛ましい状態で、その傷口からは血液とともにまるで命そのものが燃えているかのように炎が立ち上っている。さらに右腕は能力の暴走による限界を超えた力に耐えきれず、真っ黒に燃え尽きていた。もはやどう見ても助からない。
「お前……どうして、あんな無茶を……!」
鋼太が泣きながら赤井のそばに膝をつく。
「だって、鋼太は、母さん探すんだろ……」
だったらこんなところで捕まってる場合じゃない。それに、お前はこれからオレみたいなヤツを何人も救うんだから、オレ一人の命なら安いもんだ。
「オレは……お前と一緒に……!」
鋼太の両目から涙がとめどなく溢れ出す。オレたちはきっといい仲間になれる、鏡さんがオレを助けてくれたように、今日オレが照吾を助けたのは運命なんだって、そう思った。だから失いたくなかった。その迷いが、最悪の結果を招いたんだ。
鋼太の涙に赤井は苦笑する。出会ってほんの数十分しか経っていない奴のために、何でこんなに泣いてるんだよ。でも、そんなふうに思ってくれていたなんて……死ぬのが惜しくなってくるじゃねえか。
ああそうだ。もうひとつ、これだけは伝えておかなきゃならないことがあったのを思い出した。目的の人物は先生と鋼太を見守るように、少しだけ二人から離れて立っていた。
「鏡、さん……だっけ? 先生に……オレを、撃たせないで、くれて……あり、がとう」
赤井のその言葉に、鏡は小さく頷く。あのとき、女性の持っていた銃に狙いを定める時間で本当は警備兵を二人は倒せていた。迷った末に鏡はそちらを選択した。どちらが正しかったのかは今もわからないが、本人がそう言うなら、それで良かったのだろう。
ごふ、という水音とともに、赤井が口から血を噴き出す。もうこれで言い残したことはないか? ないよな?
「あァ、もう……何も見えねェ……先、セイ」
「照吾くん!」
「コウ、タ……みん、な」
「照吾!」
「父さん……母さん……」
今からそっちに行くよ。二人が命懸けでオレを生かしてくれたおかげで、オレも大切な人の命を救うことができたんだぜ。長生きはできなかったけど、少しは褒めてくれるだろう?
小さな灯火が消えるように、赤井照吾は静かに目を閉じた。
守れなかった。あのときと同じように、オレはまた大切な人を守れなかった。絶望、後悔、無力感。あらゆる負の感情がないまぜになって心の奥深くへ降り積もっていく。禍々しく、歪で、どろどろとしたそれは、ひとつ目のそれと同様にもう二度と取り出せない場所でいつまでも蠢き、じくじくとした痛みによってそのときのことを何度でも克明に呼び覚まし続けるのだろう。
今日の記憶を綺麗さっぱり取り除いて忘れられたら、いったいどれだけ楽になれるだろうか。でも、もう決めたのだ。刻印を背負って生き続けていくことを。なぜなら自分は[刻印されし者達]だから。それは己を支える救いの言葉のようであり、同時に呪いのようにも感じられた。
閉じていた瞼を静かに開いた鋼太は、眩しさに思わずもう一度目を細めた。何かがどこかで光っている。誘われるようにして光源のほうに視線を向ける。それは思いのほか近くにあった。鋼太の視線の先にあったのは、もうすっかり見慣れたはずの鉄パイプ。ただそれまでとひとつだけ、しかし大きく違っていたのは、鉄パイプが炎を纏い爛々と赤く燃え上がっていたことだった。
まるで、赤井照吾の命がそこへ乗り移ったかのように。




