いろんな女神さま
どうしよう。
駅裏の噴水。
段差につまづいてすっ転んだ私は、自転車の鍵を手放してしまった。
オレンジ色の街灯に照らされ、放物線を描く鍵。
それは「ポチャン」と音を立てて、夜の噴水に消えた。
「うそおおお!!!!」
おもわず絶叫。
時刻は6時。予備校の開始まで30分。ここから自転車で15分。
遅刻厳禁。走っても、間に合わない。
それより、鍵だ。自転車の鍵!!!!
予備校からだって、家まで徒歩1時間以上かかるしー!!!!
私、神沢優香里は、高校3年生。花も恥じらう受験生。
最寄りの市大を目指している。
本当は、私立に行きたかったんだけどね。4年間学費免除の特待で。残りの高校生活はバイトに費やすつもりだった。
でも、選抜に落ちちゃって。
急遽、自転車で通える市大に希望をチェンジした。
うち、母子家庭だからさ。
母子家庭もいろいろだけど、うちの場合、生物学上の父親が酷くて。亡くなったおばあちゃんが積み立ててくれた私と弟の大学資金、くすねて逃げやがったんだよね。
いやあ。衝撃の卒業式だったよ。
家に帰ったら、通帳がごっそりないんだもん。
「僕がきみたちと暮らして感じてきた精神的苦痛の、慰謝料として頂きました。悪しからず」って、置き手紙付きで。
ぽかーん。
土日は部屋に篭ってパソコン三昧なおっさんに育てられた覚え、ないんだよねえ。テレビ見て母子で笑っただけで「やれやれ。これだから」とか言うから、いつも空気悪かったし。
暴力はなかったけど、殴る真似と蹴る真似は日課だったし。「DVで訴えちゃう? 残念でしたっ!」ってほざくのセットだし。
いつでも意味わからんマウントとりたがるし、ウンチク垂れ流すし、ネットスラングで喋るし。
弟から「姉ちゃん、ヤツがいる。ヤツしかいない」って「地獄のミサ◯」って漫画家のブログ『女を惚れ刺す迷言集』を見せられた日には、全面的な肯定感しかなかった。
そんなだから、正直、怒りとかはないんだよね。
あの少なくないお金でママや私たちと一生縁を切ってくれるなら、それもありかな、って感じ。神社に行くたびに、家から消えてくれって願ってたしね。
それでもまあ、貧乏まっしぐらにはなったよ。
定時制に転校するしかないって、本気で覚悟したもん。
や、あいつが家にいる生活とひきかえなら、それもありかと。
「いやいや、R高だよね?! あまりに勿体ない」って叔父さんに止められて、最初の3ヶ月電車代を負担してもらったよ。
叔父さんちなんか、当時は3人も大学生がいたのに。
学校に許可とってバイトもしたさ! 基本バイト禁止だけど、大学資金の為なら許可おりるんだね。
もうさ、こうなると特待か国公立しか、選択肢がないんだよ。落ちたら就職。
食べ盛り、育ち盛りの中学生の弟もいるしさ。
高卒で働くとかほざいているけど、勉強できるくせにふざけんなバカ。姉ちゃん就職したら援助したるから、大学行けや。ボケ。
ってわけで、自転車の鍵を再生産する余裕なんかナイ。
探すか?
飛び込むか?
この晩秋の噴水に!!!
覚悟を決めてブレザーのぼたんに手をかけると、噴水がピタっと止まった。
まるで、時間が止まったみたいに。
人通りも、急に途絶えた。
そして、水面がキラキラ輝き出したかと思うと、ザバーっと音を立てて金髪のお姉さんが現れた!
「えー! 金髪貞子のキャバ嬢?!」
「失礼な、私は女神です」
自称女神は、確かに女神っぽいワンピースを着ている。けど、キャバ嬢も貞子も、女神っぽいワンピースだよね?
うちのママ、昼は運送会社の事務やって、週末の夜はキャバクラでお皿洗ってるんだよ。
日曜の朝、たまにキャバ嬢がうちにいるよ。横国中退の雅姫ちゃん。朝ごはん作ってあげると、家庭教師してくれる。教え方うまいし、マジ女神。いらん知恵も授かったけど。彼氏の浮気と嘘の暴き方とか。
……。
あんチクショウ。半年後には学歴マウントとったるわー!!!
「えーと。ごめん、キャバ嬢に差別意識はないのよ? 女神だから女神って自己紹介しただけで。たまーーに、あたしより可愛い子いるから、ちょっと怒髪天にムカつくだけで」
全身びしょ濡れで、前髪はりついてて、両手に斧持って「キャバ嬢ムカつく」ってアンタ。
「まさか、キャバ嬢連続殺人犯……?!」
「違うわよ! お嬢ちゃんの落とし物を拾ってやったのよ!! あんたが落としたのは、金の斧? 銀の斧? それとも自転車の鍵?」
「自転車の鍵!! ありがとう、源氏名女神さん!!!」
「泡嬢でもないってば」
私は女神からチャリ鍵を奪って、自転車置き場にダッシュした。
予備校開始まであと20分!!! ママがダブルワーク頑張って入塾させてくれたんだ! この時間、ぜってえ無駄にしないぃーーー!!!!
こうして私は開始5分前に塾に辿り着き、エレベーターが最上階から動かないがために8階まで階段をダッシュして、事なきを得た。
息ゼエゼエ、髪ボサボサで飛び込んだ私に、隣の席の他校生が濡れティッシュと絆創膏をくれた。
転んだ時にすりむいたらしい。
今更ヒリヒリしてきたよ。
「大丈夫?」って、かわい! ハーフかな? 色素薄いし、彫り深いし。女神って、いろんなところにいるんだねえ。
授業後、自転車の籠の中に金の斧と銀の斧が入っていた。
「正直なあなたにプレゼント」ってこと?
いや。意味わからん。斧とかいらんし。とりま、警察に届けたよ。
3ヶ月後、持ち主不明で私のものになったので質屋で売った。
……持ち逃げされた学費と、同じ額だった。
そんなこんなで、受験後から、件の噴水まわりをたまにお掃除している。あ、無事に受かったよ。志望校。
学校でも予備校でも、もっと上をめざせとか言われたけど、あんたら交通費って知ってる? チャリで行ける大学のありがたみ、わかる???
あれ以来、キャバ嬢っていうか、洋風貞子ちっくな女神には会ってない。
でも、確実に存在するんだよね。
周りに誰もいない時にお菓子の袋を投げると、沈むから。特にポテチ。秒で沈む。
……太るぞ? 女神。
ちなみに、予備校で隣の席だった他校生は、隣の学科に合格していた。
水瀬帆奈ちゃん。
見た目だけじゃなくて名前もハーフで、実際ハーフだった。
膝を擦りむいた状態で、すんげー勢いで駆け上がってきた私に、度肝を抜かれたって笑っていた。
うん、私が帆奈ちゃんでも、ビックリするわ。
ビックリした状態で、応急セット差し出す帆奈ちゃんの女子力こそ、ビックリだけどね。
見た目欧米なのに、中身が大和撫子。この女神、本気で毎日拝めるよ。
そんな帆奈ちゃんに、自転車の鍵を噴水に落として、奇跡的に見つかった話をしたら、水に浮かぶキーホルダーをプレゼントしてくれた。
お礼にお弁当を作ったら、従兄弟を紹介してくれた。
私と同じ学科の先輩で、テスト対策や教授情報の宝庫。フレンドリーで優しくて、まさに帆奈ちゃんの血縁って感じ。
たまにお昼に誘われたり、バイト先まで送ってくれたりする。
帆奈ちゃんはニヤニヤしてるし、先輩は照れ照れしてるし。
き、期待しちゃうぞ?
噴水の女神は斧を、大学の女神はイケメンを召喚してくれるらしい。
神沢優香里18歳。
斧と女神とイケメンに導かれしキャンパスライフは、はじまったばかり。
ーーー おまけ ーーー
優香里父「餓鬼どもの通帳から移した金が、ない!!」
後妻「えー! うそ! 触ってないわよ! 暗証番号知らないし」
優香里父「うわああ! 新車の支払いが! 支払いがああ!」
女神「その資金は、金の斧と銀の斧に化けました⭐︎テヘペロ」