ICARUS
「アカシアが?」
無表情の実弟の問いを前にスメラギ公爵は頷いた。
「魅了にかかったレイブは魔物討伐隊に名乗り出て修行のやり直し中だ。」
ため息を一つ。
「魅了に掛かるのは本人の意識と油断が原因だ。公爵家の者が低位の令嬢の魔法にやられるとは情けないと思ったが、アカシアの魅了魔法の腕前は母親譲りみたいだな。」
チラリと視線を寄越された子爵夫人は血の気を失せた顔色だ。
「しかも、魔力保有量が少ないために魔力の安定も早かった、君にはそれが分かったから、調子に乗って、子供だった故に魔力抵抗力の拙いカエデを洗脳するよう唆したね?」
兄の言葉に耳を傾ける子爵とは違い、夫人は体を震わせた。
「あーんなに可愛いのに、アカシアが意図的に流した噂を耳にした婚約者であるレンリル殿下はお怒りだ。国際問題だね、だからね、そんな殿下に報復される前にアカシアを保護しようとやって来たわけだ。」
公爵は、弟に学園でのアカシアの様子を報告した。
「アカシア神棒者のお陰で王命であるはずの婚約が数件破棄されていてね、女王もさすがに放置出来ないと仰った。」
公爵の言葉に反応したのは一人。
「魅了魔法は、操られる方がバカなのよ!」
立ち上がる夫人。
「ユウコ……。」
「そうだとも、操られる方がバカだ。だから、セイジは責任とったじゃないか。」
「えっ?」
夫の顔を見ると、彼は最近良く見るような冷たい表情を見せていた。
「公爵家での一番低い爵位を継ぎ、自分の子ではない娘を育て、その母親の面倒を見ると。」
理解が出来ないとすがるような瞳を夫であるはずの男に向ける。
少し前までは、何をしても困ったような表情ばかりで嗜めるような言葉を吐くだけだった夫は、いつから自分をこんな冷たい目で歪んだ微笑みを浮かべるようになったのか。
「君の魅了にかかってしまったことは、私の黒歴史だよ。けどね、私の子ではなくても生まれてくる子供に罪はない、先代の慈悲深い女王陛下は君達親子の命を救った、けれど、実際被害を被った今の女王や我々はいずれ君達母娘は取り返しのつかないことをするのではと懸念があった、あー、我々って言うのは魅了被害者達だよ。そう、私は己の罪を償うために君達親子の監視をすることにした。スメラキ子爵家は本家の一番低い爵位と言ったけど実際は、この為だけに設けられた爵位だ。君が何かをやらかしたら消える爵位でね。ただ大人しく、アカシアを普通の令嬢に育てるそれだけが君の贖罪方法だと最初の頃に言っていただろう?君はアカシアを立派な貴族令嬢にすると言っていたじゃないか、その為に君にはアカシアの裏方として生きる道を選んで、ここから出ることを禁じていただろ?」
ユウコ夫人はワナワナと震え出す。
「な、何を言ってるの?私はいつも自由だったわ、お買い物やお茶会に、夜会……いつもあなたに、エスコートされて……。」
見たことのないような冷たい笑顔の子爵。
「私の得意な魔法が何か知らないのか?あー、君は私の見た目と地位にしか興味ないものね。毎日接していた私が本物か気付きもしない。本当に魅了以外の能力を磨かずにきたんだね。ラーネポリアから魅了魔法の専門書を取り寄せたこともバレてるから。自分の魔法が封じられて悲しいからって、アカシアに魅了の英才教育するとは思わないじゃないか、君は勉強が嫌いだっただろ?満足に教えることなんて出来ないと高を括っていたのは謝るよ、ほんと、大人しくしていれば幸せな夢の中で一生を終えたのに……アカシアもとことん私を失望させるよね。高位貴族に嫁ぐためだと言えば君よりは頑張っていたようだけど、不正も多かったみたいだから、ダメダメだ。やはり、手本が悪かったようだね、環境が人を育てると言うことを身を持って知ることが出来たよ。しかし、兄さんの家族にちょっかいを出すのは最悪だ。アカシアの行動を制限しなかった私のミスだね。」
子爵の得意な魔法は幻惑だ。
「兄さん、ごめんよ、」
「まったく、お前のことだ。アヤメ殿のストーキングで忙しくて、こちらは放置していたのだろう?」
アヤメとはセイジの本来の妻である。魅了の被害者であるセイジのことを信じてくれた当時の婚約者。
「バレました?だってね、アヤメへの贖罪を私はまだ終えてないのですよ。そろそろ、二重生活は辞めて本来の正しき道に戻りたいのです、軌道修正するには、ユウコとアカシアにやらかしてもらうのが手っ取り早い。けれど、兄さんの家庭に色々と被害が出たのは、この通り、申し訳ない。」
兄弟間で交わされる会話にユウコは目を白黒させている。
「王家と本家からの命を伝える。この生活を終わらせよ。17年の勤めご苦労だった。」
ユウコは、何とか声を絞り出す。
「ど、どういうこと?」
「君は、18年前に魔界を揺るがす事件を起こしただろう?当時の現女王陛下を貶めようとしたんだ、本来は死罪になるところを周囲が魅了魔法にやられたばかりに起こった悲劇、いや、喜劇だと先代女王は寛大な命を下した。君が私の子だとしたアカシアが成人するまで子爵レベルの生活をさせること、その間に君が反省し、被害者に謝罪をするなら、比較的戒律の優しい修道院に。反省なく子爵夫人として暮らすことに、与えられるものに不平不満を言うなら戒律の厳しい修道院に入れる。」
何かを言おうとするユウコを制する。
「アカシアが、もし魅了魔法に頼らず、己の力で賢く、素直に育つなら私とアヤメの子として、子爵令嬢として、何処かの貴族に嫁がせるつもりだったんだけどね、」
アヤメと言う名前。
それはタカムラ侯爵家当主に収まったセイジの元婚約者の名前だった。
「私の今の本当の名前は、セイジ・タカムラ。君の夫ではないんだ。」
「わ、私を騙していたの!」
「この罰が下る時、君はこの生活を受け入れた。」
公爵が言う。
「う、嘘よ……。」
幸せな都合のよい生活に溺れ、都合の悪い罰則は忘れてしまっていた。
ガクガクと震えながら床に踞るユウコ。記憶が蘇ったようだ。
「私がいくら魅了にかかっていたとしても、君とは寝てない自信はあったよ。だって、私とアヤメの使い魔は番だからね、他の女を抱くなんて使い魔が許さないし、もし、そんなことになっていたら、私は自害しただろう。だから、君がアカシアを私の子だと言い出した時、あまりの衝撃で本能が拒否して昏倒したんだ。今日、兄さんに呼び出されて、久々にこの屋敷に来たけど、私は罰を受けていることの自覚が低かった。君があまりにも変わらない思考で生きていたから。君をもっと追い詰めておけば、兄さんとこに迷惑をかけなかっただろうに。私は表向き兄さんの家庭にはこの17年関わらず、タカムラ家の婿としての仕事と子爵領の管理だけを行ってきた。君が望み購入したと思っているドレスや貴金属が本物だったら、子爵領はとっくに没落だよ、しがない子爵家の何処に資金があると思う?おかしいと思えない思考回路、一辺頭を開いて見てみたいよ。」
夫人が今まで接してきた優しい夫は存在しないのだ。
「アカシアに魅了されていた親戚や使用人達の解呪は終了した。強制的な解呪だから、多少の副作用はあったが、まぁ、本人達の自己嫌悪くらいで済んだ。」
「学園で広がったアカシアの被害者への処置は?」
「知らん、それは親の仕事だ。さて、思ったより話が長くなったが、今から、君とアカシアの回収作業を始める。」
公爵は動いた。
逆にユウコは捕えられ動けない。
そこに扉のノックと共に申し訳なさそうな顔を浮かべた家令が訪れ、アカシアの姿がないことを伝えられる。通いの商人の中にまだ解呪の終わっていない者がいたとのことだった。なるほど、その商人は容姿がそこそこ優れていた。
「週に一度程度の外からの通いの商人にまで粉をかけてたとは、呆れ返るが、セイジ、其なりの罰を覚悟しておけ。」
公爵の怒りと子爵の呆れが場を支配した。
冷たい視線で口角を上げているレンリルがアカシアの手を強く握り締める。その強さにアカシアの顔が歪む。
『レンリル、カエデ来た。』
使い魔の声にレンリルは手を振り払う。その強さによろめき尻餅を付くアカシア。
騎士の行く手を遮っていたオリバが駆け付けアカシアに寄り添った。
彼等は憎らしげにレンリルを見やっている。
その視線の鋭さに彼の招待を決断した叔父は血の気が引いていくのを感じていた。
「カエデ!」
幼い頃と姿が変わっているのにレンリルは躊躇なくカエデの元へ駆け寄る。そして、強く、優しく彼女の手を取る。
「ぴゃっ!」
驚いて変な声が出るカエデ。
「会いたかったよ、私の唯一。」
その手が持ち上げられて柔らかい唇が触れる。
やっとの思いで会場に来てみれば人だかりが出来ていた。
何事かと思ったら、いつの間にか目の前にレンリルがいて、自分の手を握りキスをしてきたのだ。
「レ、レンリル様?」
「そうだよ、君のレンリルだよ。」
先程とは全く違う柔らかい笑顔を向けたレンリルに周囲のどよめきが起こった。




