REAL
「魔界の夏特有の湿った風が頬を撫でる……そんな小説を思い出す。」
1人呟いた。
実はカエデが王城から出掛けることは珍しいことではない。
誰も自分がカエデだと知らないのだと気付いたら気持ちが楽になった。
と言ってもエンジュから貰った眼鏡は必需品だ。自身の魔力を使わずとも認識されにくい術が施されていると言う。ラーネポリア王国のレンリルの弟の発明品らしい。
ラーネポリア王国との交流が盛んになってくると人間界程ではないにしろ魔界も魔術の研究が盛んになり、同盟国のラーネポリア王国から研究者を招き、魔界魔術研究所が設立され、姉のエンジュは一昨年就職倍率の高い試験を受けて合格していた。
(私のもじゃ男くん。)
自分の心を守るためかカエデの中のレンリルは未だに幼い頃に出会ったままに成長した姿だ。
送られてきた姿絵のことを忘れた訳ではないが、ちょっとした現実逃避である。人の美醜への感覚など各々だ。魔界には沢山の種族がおり、種族ごとに一般的な理想がある。だから、カエデも自分の容姿に拘るつもりはないのだが、どうしても自分の見た目には卑屈になってしまう。
しかし、カエデとて心は成長する。容姿が駄目なら中身、自分の中で唯一自慢出来る知的探求心だと。
知識吸収を伸ばそうと思ったのは奇しくもアカシアの言葉であった。
“容姿が優れなくてもお勉強でも頑張ったら?カエデちゃんは、それしかいいとこないでしょ?”
アカシアの恐らくは嫌味をカエデは素直に受け取っていた。
レンリルは将来、国王の支柱となる存在。
幼い頃に出会い、ろくな返事もしない自分に連絡をくれるレンリルのために、容姿にがっかりされても必要とされるようになろうとネガティブ思考を何とか切り替えたのだ。
また、ラーネポリア王国の王太子妃となる予定のティエリアは、例のお見合いで知り合った魔界門のあるラーネポリア王国の国境の街を治める公爵令嬢で、幼い頃から交流のある姉のような存在。引きこもりになった今も手紙でのやり取りをして、数ヶ月後には魔界の大学に留学し、公爵家がホストファミリーになることが決まっていた。そんな彼女を助けられるのならと学ぶことに余念がないカエデだった。
カエデが将来、ラーネポリア王国に渡った時には、魔術を本格的に学ぶ予定にしている。
レンリルは魔法と大鎌を併用した戦いが得意だと手紙で知ったので、何か他に足しになることはないだろうかと考えた結果だ。それに、基本の学問はとっくに学習を終えているが、ラーネポリア王国の同世代となら先入観なしで付き合える友も出来るのではと思ったからだった。
魔界での社交界デビューをしくじったカエデの新たな門出となるのだ。
カエデが出掛けるようになったのは、公爵令嬢であるカエデの現在の容姿を知っているのが家族と一部の使用人だけだとの姉からの言葉のお陰である。
「誰も貴方を知らないのだから、誰とも比べようがないでしょ?」
目から鱗だった。
毎日のように訪ねてきていた従姉妹のアカシアすらカエデが7歳になった頃からほとんど会っていない。
突撃された時も容姿認識阻害眼鏡を掛けていたから、アカシアは彼女が思うカエデの姿で対面していたはずだ。今日掛けている眼鏡は容姿ではなく、存在認識阻害の術を掛けてあるそうで、主にスパイのために開発されたラーネポリア王国製。誰もどのようにカエデの姿が変わったのかなんて知らないのである。
レンリルの姿絵を披露した時はアカシアの来訪を知るや否や逃げた。
このカエデの行動を見たカエデの家族はアカシアがカエデの心理的変化に影響を及ぼしたことに確信を得た。(次兄以外。)
前々からおかしいと思っていたのだ。あれほど自分に自信のあったカエデが変化と共に内向きに、自己肯定感の低い娘になっていったことを。
それに、従姉妹とは言え、アカシアは公爵家に来すぎだと思っていたのだ。姪っ子に甘かった公爵もアカシアに対して実弟に苦言を呈していたのだが、弟に甘い公爵の祖母がアカシアの出入りを許してしまったのだ。
因みに、祖母はアカシアに甘く、引き籠りのカエデをよく思っていない。(祖母は籠絡済み)
それに、よくよくアカシアの言葉を聞いていると『自分なんか』と言いながら常にカエデの上に立とうとしていたように思えたのだ。
家族は突撃してくるアカシアからカエデを守るために彼女の相手をしているに過ぎなかった。
それがまたカエデに誤解を与えていたが。
毎年行われる親族の集まりにも王家主催のお茶会にも出席しない。
それを許されているのは王家との繋がりが強い公爵家の権力の賜物だからだ。
カエデのデビュタントは、ラーネポリア王国で行われる。レンリルの婚約者としての御披露目を兼ねているが、カエデの希望だった。
その事も祖母の心証を悪くしていたが、魔界王からの許しがあるとして退けた。
公爵家の令嬢ともなれば魔界王主催の夜会でデビュタントをする必要があるが、ここでも公爵のゴリ押しで許された。
さて、図書館に辿り着いたカエデは広い図書館の言語のコーナーに向かう。今日はイヤーカフ型の魔道具を持ち込んでいる。
他言語で書かれた本を目で追えば魔道具が正しい発音で読み上げて耳に届けてくれる便利魔道具で、レンリルの弟ケイリル王子の発明品だ。
カエデのように読み書きは出来てもネイティブな発音に不安のある者にとって良い練習になる便利魔道具だ。
『聞かせて、ラーネポリア語。』
単純な呪文を魔道具に触れながら言うだけだ。
万が一、誰かに見つかってはイヤなのでノイズキャンセラーと言う機能は切ってある。
そのせいか、カエデの耳にこんな声が聞こえてきた。
「ラーネポリア王国の王子が婚約のやり直しにくるらしい。」
んっ?と思って顔を上げる。
(ラーネポリアと言った?)
図書館の一角に集っているのは、魔界学園の制服を着た男女。
「アカシア様に知性も美貌も、愛し子の能力も奪われたって言う、公爵令嬢との婚約でしょ?」
言葉には嘲笑が含まれている。
カエデは魔道具を止めた。
(はい?)
自己学習どころではない。
「小さい頃から性格が悪くて、身分が高いからって、アカシア様を虐げていたのでしょ?」
またもや、聞き捨てならない言葉だった。
(んんっ?)
カエデは自身の使い魔に心で尋ねる。
(ねぇ、タマモちゃん、私の力ってアカシアに奪われたの?)
頭に浮かんだ使い魔が“とんでもない!”と言う風に首を振る。
(そうよね、)
更に耳を傾けた。
「性根が悪くて、愛し子の資格を失ったから、公爵家の恥だってことで、軟禁されているって聞いたわ。」
「近々、公爵閣下はアカシア様を養子に迎えて、ラーネポリア王国に嫁がせるつもりだって。」
「婚約者が交代になるから、顔合わせしておきたいんじゃない?」
「レンリル王子の姿絵見た?」
「アカシア様とお似合いよね!」
グサリとカエデの心に刺さる棘。
「皆様、正式に決まったことではないのよ?それに、私なんかが隣国の王子妃になんて、」
聞き覚えのある声にそっと目線だけで確認すると、そこにはかつてのカエデをそのまま大人にしたようなアカシアが、頬に手を当てて立っていた。
「あ、待たせてごめんなさいね。」
「クリスト伯爵令息に告白されたのでしょう!?」
「ち、違うわ……、ただ、カレン様への愚痴を聞いていただけよ。」
「そこに丁度、カレン様が来られて揉めただけ。」
カラカラと笑いながら言う一人の娘の発言に一同が声を出して笑った。
案の定、図書館には相応しくない態度として強制退館の魔術が展開。
一同は手元に持っていた本を残してその場から消えた。
一同に迷惑していた利用者が安堵の息を吐いていた。
(アカシアが、我が家の養子に?これが現実なの?)
心の棘が刺さったままのカエデは、そのあと、何も手に付かず迎えに来た侍女と護衛に連れられて帰宅となった。
次回、ようやくレンリルのターン。
使い魔の名前を変更しました。